朝露。ちいさなつぼみから 柔らかにひらかれる 花。その一秒、一秒を写真におさめても 流れる時間は揺らめいて きらめいて 眩い。せき止めることのできない水のように 飛沫を上げて 透明な粒は飛び散っていく。反射する 光 と 影 が 作り出す 模様。広がる 波紋。ぱっと目を見開いて 反転したネガが転がり落ちる。
つるん、とこの世界に産み落とされた わたしたちは たしかに 動いているのだ。前へ後ろへ上へ下へ左へ右へあらゆる方向へ。どくどくと赤い血を滾らせて 泣き叫べ。おぎゃあ、おぎゃあ、と脈打つ 魂の叫び。静かなる胸のうちに刻まれた 慟哭。おおきな子供が顔を上げて 凛とした背中を見せる 日。影がどこまでも伸びて。
とどめることはできない。とどまることはない。生まれた日から 一歩一歩死に近付いて それでも一握の砂をつかもうとする てのひらの力。指先にこめた 願い。零れ落ちる 時間のすきま、すきま、すきま、そしてそこに何をみる。砂漠に這いつくばる 手足。枯れ果てた大地に生えるわずかな植物を慈しみ、美しいと思ふ。
墜落。海で発見された行方不明の飛行士の破片。青いほしの青い空から語りかけてくる 数十年にわたる 声。それは言葉でも数字でもなく暗号でもなく 何億もの石を砕いた砂のうた。耳を澄ませてごらん。空気が震えて 教えてくれる。宇宙の彼方から降り注ぐ流星群。きらきらとつかめそうで つかめなくて 望遠鏡。まぶたの裏で 数をかぞえる。
またたく星は見ている
あなた、とあなた、の瞳
あなた、とあなた、の手
あなた、とあなた、の足
つないで
つなげて
今日も地球は廻る
ぐるぐると自転しながら
歩いていく
最新情報
2005年05月分
あおい砂
ミドリガメと父親
飼育していたミドリガメを排水溝に誤って流してしまったのは、父親が家を出た翌日だった。お父さんは事情があってもう二度と帰ってこないのよ、と母親に言われた後、ぼくがミドリガメの事故について報告すると、あら、そうなの、悲しいことね、と気のない返事を母親はくれたのだが、母親にとっての両者の重大性を考慮すると、その気のなさは当然だった。
だけども、ぼくは、父親の事情とミドリガメの事故を天秤にかけ、結果、ミドリガメのために泣いてみた。ミドリガメのために流した涙を、母親は父親のために流した涙と思い込み、ぼくを慰めながら母親も泣いた。そのすれ違いがあまりにも可笑しくて、ぼくは心の中で「父親の事故、ミドリガメの事情、父親の事故、ミドリガメの事情‥」と連呼した。そうやると、全ての事情が飲み込める気がした。
父親に名前があったのと同様、ミドリガメにも名前があった。ぼくは、父親の名前に格別思い入れなどなかったが、ぼくが名付けたミドリガメの名前には少しだけ特別な感情が残った。
母親が言うには、ぼくたちの「上の名前」がもうすぐ変わるらしい。きゅうせいにもどる、のだそうだ。ぼくは「きゅうせい」を「救世」と勘違いした期間だけ、文字通り救われているような気がした。救世に戻るんだぜ、と友達に自慢したりもした。
そう言えば、ぼくはミドリガメに「上の名前」というのを与えなかった。それが結果的に良かったのかどうかわからないが、少なくとも、次の場所でミドリガメは「上の名前」を変える必要はないだろう。手続きが一つ減るというのは、素晴らしいことじゃないか。
冬
春も夏も秋も、わたしにとっては短かった。あれから一年が過ぎ、長い冬がまたやって来た。失業し、仕事を探している。
(しばらくは会社に行かなくてすむ)
わたしの元へは戻ってこなかったものもあった。
情報誌を買いに朝、家を出る。砂浜とは反対の方へ歩いていく。アスファルトが靴を通して固い。目の前を走り去る車。セーターの上のダウンジャケット、ポケットに乾いた手を入れ、曇った空を見上げる。無風の朝。風の音もしない風景。バードのいない空。
ポケットから手探りで、硬貨を取り出し数える。商店街へ向かう。コンビニまでしばらく歩く。赤い郵便ポストの角を曲がり、コンビニに着く。棚の前に立ち、アルバイト情報誌を手にし、それからほかの雑誌の表紙を眺める。手の甲であくびを隠す。ずれた眼鏡のフレームを上げる。情報誌の発売日を確かめる。情報誌とホットコーヒーを買った。外に出て、来た道を戻る。
砂浜近く、道の脇、コンクリートの上に腰を下ろす。コーヒーの缶が熱い。缶を開ける。誰もいない部屋にはすぐには戻りたくはなかった。ひと気のない砂浜。
コーヒーを飲む。缶を置き、情報誌をめくる。明日からフォークリフトの講習に行く。荷を上げ運ぶリフト。そのフォークリフトの仕事を参考のために探す。この近くにあるタバコの配送会社の倉庫。時給千円。フォークリフトとしては割がよくない。
飲み干して空になった缶をコンビニの袋に入れ、情報誌を片手に、砂浜を歩く。打ち上げられた流木をつま先で軽くける。流木の上に立つ。腕を開いて重心を取る。飛ぶ形。風が吹くのを待つ。曇り空を見上げる。女のバードが飛んでいた姿を思い返す。
砂浜に腰を下ろす。くすんだ海の上、曇った空は、冬の色。波があふれてくる。遠くで風の音がし始めたが、ここには吹いてこない。
(女の顔をしたバードは幻、もういない)
デイリー、トーク。
蟻が泣いているのを空になって見ていた。
ときどきアスファルトのひびわれにはまりそうになる。
色になった身体を
ずっと見ている。
恥ずかしい、朝。
蟻の泣き声と、彼女のクラクションは、いっしょ。
蟻はどっかに行ってしまった。
彼女は頭の毛をくしゃくしゃにする。
彼女は蟻なのに、蟻は彼女じゃない。
僕だ。
それは落っこちそうな雨の粒を抱え込んで
我慢している、雲。
こういう日の彼女の思考は
ごみ箱に捨てられたうまくいかない花束で
風車を回すときみたいにできている。
誰かが死ぬときに笑っていたとか、泣いてたとか
そんなビールの泡。
無神経に口を付けるおじさんは
汚れているんだ。
重たい雨の粒を載せて
彼女は後ろ向きでスカートをはく。
スカートをはいた彼女は
蟻を踏み潰して
涙が砂漠に落ちたときの
じぃぅ、というひとときの音になった。
僕は、
その空に閉じ込められたまま。
ねえ、蟻さん。
いっしょに泣きたいけど。
でも彼女、傘持ってきてないのさ。
別々に泣こうよ。
理由で。
蟻はいつまでも泣いているのに
それに名前なんてつかない。
忙しいことを誉めてほしいの。
だから、
記憶なんかと結びつかないで。
飛行機雲から向こうの半分は
きっと豪雨。
傘の無い人、ごめんなさい。
永遠
相反する心情を瘠せた天秤に揺らし
語り始めの薬指が気だるいエレジーを集めた
訪れの春 もう10年も前だったか
遅れた控えめとセンテンスは
8年前には歪めながら
飲み干す牛乳瓶の翳しのように
無責任な時節をしがみ付けた
永遠についての確固たる道標
散り散り
乾いた風にも馴染まず
たくさんの手記の中じっと押し黙る
“間違えただけ”
そうなのだろう
画集の数ほども積み上がるわけ
軽い嘲笑のような日々に耐え難くも
いつしか
消え逝く面影を数分で呑み下しては
不幸なんて云う
実直な死やらカタルシスを
稀な宝石のように繋ぐ
“間違えただけ”
違う
そうじゃない
欲しがったのは欠片程の産声をあげた魂だ
哀しみの海に欠けた水性を憂い
星のさざなみに
繋ぎ止めきれぬ白日に
この胸の切り裂きを
叶えられなかった蒼白い掌を
照らし続けた
ひかりだ
すこし突き放していた4月
永遠を見つけた
レール遥かを見つめ
歩き出す歩幅に
恋人のような月明かりが先を照らす
音のない旅
病院ゆこう、なんて
ゆわないで
わたし、病気じゃない
なンも見えなくなるつまんないだるい薬、
もう、
飲みたくない
見せたいとは思わない
あなたに
この景色、
たぶん、きっと、分け合えないと、
思う、から
気が散るのと、違うの
視点、
乗り移って、瞬間、
無音、
それから
何処までも、旅
また、ゆくの
あなたの顔ばっか、見てらんなくなる
ごめんね
急上昇
すっごい高いとこまで、
鳥と違うトび方
ビュん、と
越えて、
タワーの天辺まで、
高層作業員青年のアタマん中、銀色、ベビーピンク、かなりロマンチック、
高架くぐって
一番ホーム、電車、パンタグラフ、ダイヤ型、ごと通過
喫茶店、
紅茶にほどける角砂糖の、泡、
は、金色
目抜き通り
誰の、か、わかんない
肩越し
褪せたグリン
バス、のタイヤ、
水たまり、踏み越えて、跳ねる、飛沫
路地、
誰かの庭、
蓮の葉にでっかいしずく、
きらきらり、
再上昇、
俯瞰
開発跡地
ビルの欠片
更地に落ちる、影
乾いた風、
砂埃
わたし、ずっと昔の
今日
生まれたの、て
不意に、
思い出す
途端、
急降下、
二階の窓、
五センチの
隙間
から、滑り込む
柔軟剤、かおる、シーツの皺に、
光みたく
ふんわり
着地
ああ、
意識
やっと、
あなたの指先に、
ゆうべのチョコミントアイス
味の、くちびるに、
ただいま
も、いちど
声に出さず、ちっちゃく、
ただいま
わたしの、こ、ゆうとこ、きらい、だったら、
全部、きらい、なのと
いっしょ
そんなかなしい顔
よけい
かなしくなるから
しないで、
なおんないし
なおす気ないの
どうしていいか、わかんない、
ごめんね
光
ヒカルは元来人間を疎ましく考える
人間の生み落とす独特の
うるさくてたまらない
優越や劣等や、未来をだ
安価なアルコールと混ぜて合わせて常々ヒカルは
飲み干してやろう、と、口実を浮遊させている
無論 独りで持つ風船だ
それは何かただの別に何ともないと決め付けて
ただきっとそのうち待っていれば向こうから遣って来るヒカルは
人間と証明されるが嫌いだ
河馬は猿のことを河馬だとは思わない
蝶は羊の事は蝶だとは認めない
だから、っ、て
河馬は河馬であることを、蝶は蝶でしかないことを
軽軽しく、追い払ったことがあったろうか?
それはないな、レッテル 空っぽのまま ばら撒くんだ
ヒカルは頃合を見計らってヒカル自身を人間であると
当たり前におもう
人格が回転したから
足りない言葉を産み落とせずにあいつのようにのた打ち回る
自分の証明をしたがる
それは歪んで弾んでいるから
それは自由だから
それはヒカリの抜け殻だから
そればかりの妄想だから
ヒカルはワニかも知れないのに
ヒカルは飛行機かもしれないのに
ヒカルはもっともっと
凄く動く美しいものかも知れないのに
ただヒカルは今ただ何ともないと決め付けて
ヒカルであることに逃げをうっている
ヒカルは生きている
ヒカルは性質の悪い風邪をひきやすい
ヒカルは食べている
ヒカリに近づきたい
ヒカルは所詮、ヒカリにはなれない
ヒカルは全力で、ヒカリにはなれないのである。
夫婦乞食
外で寝れってか
そんなこと言ってないでしょ
さっ、起きて一緒にたべよっ
32ワットの丸型蛍光灯を被せる笠が異様な大きさで迫ってくる。
透かした枇杷肌の豆電球から零れでる光の気配が淋しい。
きのう退院してきた みり は
放っておくと一日中寝そべっていて
食べるいとなみを休眠させているのだ。
どして..かな
えっ なんていったの
口づけしても濡れることのない みり の唇から這い出す言葉が
吐切れる意識の中で殺されていく。
采々や から届いた無添加の弁当を満面の笑みをうかべてほうばる。
みり の右の頬にある粉瘤が菱形にシェイクして
良人の視界の奥を当てどもなくさまよう。
二匹の種類の違う子犬を長いひもでつないで
少女が一緒に散歩している
赤い線描画のプリントされた白いトートバックがあった。
郵便貯金通帳と銀行預金口座通帳、運転免許証とパンチされた古い
免許証、
一円玉と五円玉が一杯詰まった巾着、湯上りタオルと顔ふきタオル、
糸楊枝四本と印鑑が一本、
じかに畳に寝ていた みり の足元にいつも立ってあった。
みり オレ誰だかわかるか
わかんない
おさむ、みりの旦那さん
さっきからあなたに似たような顔した人達が出はいりしている
そんなことないよ みんな俺 おさむだよ
これ以上なにを解れと言うの 体がうごかなくて具合わるくて寝ている
のに 虐待よ
それからまもなくして みり はいなくなった。
あしびきの山にも路を隔てたわたつみの沖にもおなじ雨が降り
おなじ雪が降りそして又おなじ雨がふった頃
一組の夫婦乞食をありきたりの喧騒が眠っている路上に見かけるよう
になった。
をんなは
片方の布の取っ手が千切れ
赤く滲んだ灰色のトートバックを右手に持ち
日焼けした顔には乳白色にひかりを帯びた粉瘤が碇泊している。
をとこは
伸ばし放題の髪にふつりあいな
まばらな無精髭を生やし
そうも古くはないリュックを背負い
両手には何にも持たず
雨上がりの空のけだるさと後姿から飛んでくる妻の臭いを拾い上げて
いるように見えた。
やがて
こっちのみーずはあーまいぞ
あっちのみーずはにーがいぞ
と、一頻り雨粒が落ちてきて
夫婦乞食は雨霧の中に消えていった。
記号としての名前
十年間同棲していた男には名前がなかった。
佐藤でも田中でも鈴木でも振り返るかと思えば、いくら呼んでも返事がない夜。最初は耳が遠いのか、聞き間違いが多いのか、それともふざけているのか、単に面倒くさいのかと考えました。わたし、は「渡辺幸子」です。三十年間、<わたなべ さちこ>として登録されていました。相手に繰り返し繰り返し、わ、た、な、べ、さ、ち、こ、と教えるのですが、自分で言えば言う程、他人事のようで、あいうえお遊びをしているみたい。用事がある時は無言で肩を叩くか「おーい」だけです。決して名前を読んではくれません。教えてもくれません。
喫茶店で会った日。急に真っすぐに見つめては、視線をクリームソーダのぶくぶくに沈めて、ストローで弄び、また沈める。溶けていくアイスクリームの中に二人の暮らしはありました。泡、そして泡、泡にまみれた手。濡れた髪。乾かないテーブル。ひっくり返ったグラス。混ざり合って、溶けて、混ざり合って。薄まった時間が床にだらりと零れ落ちました。風呂場の鏡は拭っても、またすぐに水蒸気で曇ります。顔がよく見えません。でたらめな文字を書いては、消して、きゅっきゅっきゅっ。
書類の束
空欄を埋める文字が紋白蝶になって
ひらひらと飛んでいく
たくさんの名が風にかき消された頃に
男は荷物を処分して出ていきました
(そもそも持ち物はあったのだろうか)
あなたになまえはありますか。
わたしになまえはありますか。
あなた、はわたし、ですか。
わたし、はあなた、ですか。
区別する記号は小学校で習いました。
天気図を覚えるように
これは晴れマークね
これは曇りマークね
晴れ ときどき
これは 予測不可能 だったわね
(そもそも名札はあったのだろうか)
くっきり見えていた境界線はマンションに置いてきました。
取り替えられた鍵穴
張り替えられた壁紙
入れ替えられた住人
(そもそも視えていたのだろうか)
十年間同棲していた女には名前がなかった。
曇り空の爆撃機
花の名前を知らない 僕はまどろんでる
知らない歌口ずさむ君 もうすぐ坂になるから
コーヒーショップの上空七千メートル
僕はまどろんでる 君はサンダルで歩いてる
マンデリンを200グラム ポケットから千円札
笑うように枯れた日々のために
複座で眠ってた女の子のために
コックピットを開けて手を振るよ
何気ない顔して星は揺れた
手を繋いだら上空七千メートル
髪を切りすぎて泣いてた女の子のために
僕はまどろんでる もうじき街路樹が尽きるね
百円玉で紙コップのチェリービーンズ買ったね
爆撃機は高度を下げる オナモミをくっつけられた女の子のために
坂道を両手広げて サンダルを風が洗う
薄いブラウンの髪が星を射抜いて行く
僕はまどろんでる コックピットを閉めた暖かさで
複座から友達が揮発していく
君は不機嫌な顔をしてドアを開けた
カリタから人々は流れ出してく
ほらあれが火星なんだ 真昼でも見えるんだよ…
僕はタンポポの群生地に狙いを定める
まどろんだ意識が落ちる前に ドリップしすぎた痛み
君は物憂げにコーヒーを飲んでる
さあ ゆっくり墜落しよう
並木道の終わりみたいな日々のために
君は気にも留めない 僕はまどろんでる
幸せな女の子はみんな綺麗で
爆撃機はゆっくり墜落していく
GHOST
いつまでも続く
昼に飽きていろいろなものを
詰めたのでした女の子は
トゥエルブかサーティーンが
いちばんきれい
ほとんどは遊びの
話しであったけれど
わたしがいきているなら
駈けてみたいと思いは
した
勝手にはたいたり
口にいれたりたまには舌を
使ったり
そんなにべとべと
どうするの と母のこえがして
振り向くと首筋がひかりに反射
していて産毛の海に溺れるひと
がみえた
女の子が
男の子を呼ぶようにではなく男の
子が女の子を呼ぶようにわたしを
呼んでくださいそうすればはやく
わすれることができます
教会
動物を律するのは不可能だ
赤むけの腹がふくらんでいる
魚を見たときそう思う
その教会の内部は
ラス地のモルタルの壁で
口の利けない神が
野菜倉庫かなにかみたいに
佇んでいる
きっと2、3人女が寄れば
想像力を妊娠してしまう
そんな神がいて床に疵
何をするにも頼りなく記憶に縋り
人の壁に突き当たる
入り組む陽射しに指を組み
格子の椅子に腰に壁
自分を迎える為の
十分な時間を与えたはずなのに
少しの準備もなく
弁明にまわる
藁のごとく座る
人と神
枯れ木
高まりをなだめて
冷却するその瞬間にさえ
次なる波が襲いかかる封じがたい焦燥が
まだ、おまえには隠されている
冬空へと向かう
その無数の触手は
大気のいっさいの水分を吸収する渇きだ
おまへの体内に流れている
その理性はあまりに真っ直ぐで
その感情はとても痛々しいけれども
なぜか晴々と語りかけるその姿に
おれは立ち止まり、嫉妬してしまう
枯れ木よ
見捨てられた悲しいものよ
おまえの新たな産声を聞かせるといい
たくましい命を見せつけるといい
この軟弱な耳と目に、この枯れたこころへ
ホワイト
霧に見え隠れする
君の細いからだ
白
月明りの下
星明りの下
その草原で
谷間で
咲き散っていく
花
見る人がいない
ベージュ色の裂け目から
しろ
潤ったシルクのような
シーツの上に 蔓のように
やさしく 伸びてゆく
白
幾重にも重なって
やわらかな
しろ
うなじに 唇が
触れた 瞬間
とどめることも
とりもどすこともできない
それなのに
白
かなしいね
風がゆらした白の空間
あの隙間に
誘ない入れる
方法がみつかったら
きっと
手をひいてあげる
,
部屋と桃の実と彼女
桃の実はふっくらと赤らみ
繊細な綿毛にくるまれ
桃の実をもつそのちいさな手のために
真白のテーブルクロスはある
いつになく
銀いろのナイフはものしずかに
かべの絵ざらはそっと耳をすませ
窓の光やわらかな
日曜日の魔法をかけられて
部屋と桃の実と彼女は待っていた
あのひとがやって来るのを
新しいうすももの洋服には
水玉のりぼんがむすばれ
その中央に赤いばらが凛と咲いている
彼女は時計をみないふりをして
そのひとさし指は桃の実をくるくると
くるくる くるくるといつまでも
窓の光やわらかな
日曜日の魔法をかけられて
部屋と桃の実と彼女は待っていた
あの青年画家がやって来るのを
海底ホームドラマ
叔父が僕の万華鏡を批判する
32番目の粒と33番目の粒を隔てる
その境界が許せない
そう僕をなじる
叔父は万華鏡の向こうに
破れた手紙と生まれた赤子を取り残し
僕と同じ歳になる
そう思い込む
父がいない
伯母がアイスキャンデーを僕に押し付ける
何故か酸味が強い
工場のライン管理はどんなものか
僕にはわからない
工場でアイスキャンデーが番号を手に入れる
僕は伯母からそれを手に入れる
僕には番号がない
父がいない
祖母が祖父の右手に煙草を押し付ける
焦げ目は玉葱のようでもあり
僕はカレーを想う
カレーの香りにつられて歩いた2丁目を想う
祖母は冷たい手で僕を引く
粉っぽいカレーと粉っぽい祖母の肌
祖父はカレーが嫌いだった
死んだ祖父の右手に祖母は煙草を押し付ける
母が消えた
文庫本に印字された小説が僕を走らせる
誰もいない漁場へ
魚心あらば水心
それは嘘だ
磯臭さの上に身を横たえ
文庫本の一行が何字あるのか数える
僕がわたしになってから何年目か数える
わたしに残された絆の本数を数える
わたしが父と母を幾度失ったか数える
その小説はしょっぱかった
タイトルは
合い席の女
その
無意味な手は
女の無意味な口へ
もはや
名前のない
魚のようなものを放りこむ
その魚のようなものには表面が見当たらない
それでも
表面のないものは止まることを知らないのだ
なるほど
はっきりとした形ではないけれども
女のなかで
いろいろなものになりながら
暗がりの細道に押し合いへし合い
あの
いたっん落ちてしまえば最期の
深い
井戸へ
ああ、
影を取りもどす他になにがあるだろうか
彼女はいま
うっすらと
笑う
カラス なぜ なくの
ちいさな わたしに
鍵のかかる部屋が 与えられた
東にある窓は 曇りガラスだった
外灯に 仄かに 照らされて
時には 影絵が動く 窓だった
たまに 外あかりのない 夜
闇夜の カラスが 鳴いた
「カァ カァ カァ」
父から さらったのは
青い鳥では なかったか
外側から 鍵のかかる部屋は
大きな鳥籠では なかったか
「カァ カァ カァ」
遠い 昔 の カラスの 鳴きまね
伯母の家は 壊されて
スカイラークに なった
キッチン
玉葱を輪切りにする
右から左へと赤や青のコピーが流れていく
何不自由も無く遊ぶ子どもの声に
輪転機が嫌な音を出して絡み付く
かき氷にかけたドレッシングは活き活きとした
桟のベッドで眠る虻
によく似た虫の死骸が此方を見ている
野良猫がそれを連れて帰った
台所の温度が少し下がった
玉葱が輪切りに為った
それは玉葱ではなくなって
笑わない子供に為った
砂をかき集めるようにして
飛散した靴をまな板の中央に引き戻す
立体感の無い包丁が指から離れない
何時の間にか竿竹のアナウンスが聴覚を占拠する
みみの螺旋階段を上ったり下りたり
まるで孤独な高校生みたいだった
チョコチップクッキーが懐かしい
想い出はそれだけあれば十分埋まった
環のような想い出をくしゃくしゃにみじん切りする
手が痛くなってから我に返った
まな板は玉葱の体液であふれた
まな板は玉葱の痙攣であふれた
目は何度となく刺激される
次の玉葱を冷蔵庫から取り出して
まな板はキッチンペーパーで軽く拭いた
包丁は
少し緊張する
指を切りそうになる
指を切ってもいいやと思う
指を切ってはいけないと思う
親指は大切だ
からではなくて
玉葱のドレスに見惚れていた
何かみとれていた。
世界がオワだなんて、そんな!
0
プリズム
プラズマ
スコープの内側
気を失いそうなくらいに
星空だけがキレイだった
1
キラキラと一本に光をうける溝のなかをビー玉が転がっていく
2
--ここも行き止まり?
--ああ。すっかり壊死を起こしてしまってる。
--あんなにまっすぐできれいな道だったのにね。
--ごらん。あの道も粥状残渣でいっぱいだ。
--この大荷物どうしよっか?
--どうするもないさ。道端に置いて引き返すとしよう。
--…終りかもしれないね。ここはもう。
--ああ。終りなんだろうな。
--逃げちゃおっか。
--ハハハ。逃げちゃおっか。…でもどこへ?
3
ぼくが犬の記憶を失くしてしまって
犬は存在しなくなった
花が消え 学校が消え 大聖堂が消えた
歌声 写真 夕焼け 父 友
ぼくは誰の記憶で生きていたのか
4
ビー玉 あ ビー玉 あ ビー玉
レギュラーパルス レギュラー レギュラー レギュラー
イレギュラー
レギュラー レギュラー
手ぇて てぇて やすんで てぇて
やすんで
やすんで
ころころころころころころころころころころころころころころころころ
5
波止場は避難する人々で、すでに足の踏み場もなかった。
「星が2、3回、大きくまたたいたかと思うと、王子さまはその光を浴びて、
まるでスローモーションのように、ゆっくりと倒れていきました。」
ひとつの時代が終わろうとしていた。形勢は傾いていた。
囲碁本因坊戦、大盤解説、梶原九段は飄々と終局近しを告げたっけ。
「ああ、この一手で、この碁はオワですね。」
このことばを待ってた全国の囲碁オヤジは手を叩いて喜んだっけ。
終末を声高に叫ぶひょろ長い救世主を、少女が道端に落としてしまった
人形を、先へ急ぐ人々の足が次から次へと踏みつけていく。
6
薄明のなか 混沌の時代からずっと
運命の糸を紡ぎつづけていた三姉妹が
とうとうキレちゃった
「けけけけ」と奇声を発しながら
ぼくんちの5階の窓から侵入してきて
大バサミでありとあらゆるものをブッた切って
長い髪と薄手のスカートをなびかせて
美しく踊り狂って
去っていった
ブッた切られた
スキマだらけの世界でぼくはへたりこんで
ああ これも運命なんだろな
うすぼんやり思った
風の吹くまに
冬の暁
風の
吹くまに
枯れ木が
六時五分で
止まっている
封じられた
おまえの
呼吸に
まだ 熱はあるか
その
熱に秘められた
おまえの
花と緑 そして
ことばも
たかが詩人のおれにさえ
奪われてしまう
ああ
枯れ木よ
封じられた
おまえの
呼吸に
まだ 熱はあるか
おれは
凛と
襟を正し
明るみの東へ
急いでいた
永幻の波紋
現実からほんの一枚渡った
終焉にはアトラクションに明け暮れ
少し足早な人々の無音
白い熱灯の口に端をくぐらせ
ひかりを柔らげた海辺の舗道
澄みわたるミント風 頬を撫でた
露摘みのテラス
頼りなく錆びた音律は
焦げ茶やら黒に浮き彫りのまま
波ひとつたてない水面の冷たさで
認識を連れ去った後のカンヴァスに
切ない火華を散らす
空中都市には宝石届かず
届かぬ彩色の建造物にまだ在った
あの日観た
夢とおりのわたしの顔
黒夜にとけ
雲海をくるくる形に変えながら
完全に同化した異星のメインアートが流れる
規格外の巨大な帆船が浮かび
鮮やかなオーロラ色の4D
氷点下のさざなみ
ハレーに跨った魔女はせわしなく
宇宙塵を光年のかなたへ吹き上げながら
平均率を奏でる
それは
ちょうどよい紫の雪に
掠めゆくしら雪の懐に
最果てから
誰彼知らず繋がれた祈り
つぎつぎ目映く
わたしを通しては
幾千の高鳴りを知らせ
悠久の銀河を瞬く永幻の波紋よ
やがてこの空に生きよう
佇みからほんの一枚渡った
夜を告げる灯台のひかりが
すこし遠浅の海にひろがる
冬の蝶
一筋の光陰のなかへ
去ってゆく
北のバスの後ろすがたは
どこか さびしい
男の背なに似ていた
今宵
月の鏡をあおげば
白冴えの雪の花房が
さくさくと舞いおちる この
道は
名も知らぬ人びとの歩いた道 それは
湖へ
遠い湖へと
名も知れぬ私を届けてくれるだろうか
それとも
望んではならぬものを望んでしまった
孤高のひとのように ただ
胸に抱く一葉の
湖の底に
はかなく沈んでしまえるだろうか
浅く開けた不眠の目
そっと 深くとじてやれば
黒の瞳があらわれ
膝をおり
すこしうつむき
手のひらにすくい
髪をとかし
口ずさみ
やわらかな呼吸の脚韻は
頑なの心にさえ触れてしまう ああ
匂い立つ
りんごの香よ
その赤紫の香に引き寄せられ
いとしさとくやしさの
螺旋のように織り流れてゆく この
道の
奥へ ずっと奥へと
音もなく深まりゆく
雪けむりに包み込まれていた
湖よ 私だけに許された
藍の面に
こまかに広まる波紋のひとつひとつが
幾重にも淡い影をなし
雪が凍える肩へ
とけゆくほどに もはや
ふたつにひび割れることのない
湖よ この失われてゆく私の
枯れおちた左側から いま
あの
みずみずしい月の白い炎へ
ひとひらの冬の蝶が
旅立つ
リロード
電子の気配に
目覚め
点滅する記憶を再生する
あれは 5月だったね
細く開けた小さな窓から
ふたりして夕暮れを眺めながら
またこの季節が巡ってくるといい、と
小声で話した
西風が滑り込んできて肩のあたりを撫でていった
ひかりが白く溶けていて
そういえば、と
ノート
夏になれば開けるはずだったノートのことを
思い出した
少し 君は笑っていて
でも
冷たい夏がはじまってしまった
しまいこんだ抽斗の鍵をなくしたんだ
初夏の光に
花は枯れ
果実は熟期を待たずに落下する
鳥たちは行き先を見失い
空はいつまでもいつまでも碧を映し続けた
感情を捨てて
感情を捨てて
ただ
綴る指
金属のあじがする
灰色の風景は
ゆっくりとフリーズし
切片と化し ゆるやかに
崩壊
する