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作品 - 20050222_552_84p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ミドリンガル

  鈴川夕伽莉

(一)

窓の外には隣のアパートの
野ざらしの階段です。
寝静まる闇の囁くような轟音の
出所は隣の地下のライヴハウスです。
この街のちょっと有名な場所だと知ったのは
引っ越してきて数ヶ月の過ぎる頃でした。

半年に一度くらいは両親が訪れます。
休みの取れないわたしはほとんど相手をせず
両親は平安神宮やら北野天満宮やら
散策に出掛けては
さくらんぼ(左近の桜から落ちた)やら
梅の枝(道真公の梅園に落ちていた)やら
拾い集めては得意げに示します。
それらは国道四十一号線沿いの名もない里に運ばれ
うららかな風で呼吸するうちに
ひょっこり若い芽を吹いたりするのです。

おまえも、みどりがないのは寂しいに違いない。

そういって両親が持ち込んだのは
ポトスの鉢植えです。
両親が手塩にかけたものでなく
そこらのホームセンターの安売り品だったので
わたしは安心しました。

冗談じゃない、やっとみどりから逃れられたのに。



(二)

小学生の頃、クラスでめだかを飼っていました。
理科の授業の一環でしたので、水槽の掃除係は特に決まっておらず
そのうちものぐさなこども達によって放置されました。
ある日、ガラスに粘液にくるまれた卵がへばりついていました。
わたし達はそれらがめだかの卵であると信じてスケッチをしましたが
本当はめだかをさしおいて繁殖したタニシの卵でした。
それに気付いたわたし達は、水槽の掃除をしました。
そしてタニシをひとつひとつつまみあげ、
全部ベランダに叩き潰したのでした。

こまかい藍藻類の増殖も観察されました。
いわば水槽の雑草と言えますが、
それらは水中の酸素を奪うことで
水槽の動物の生存を脅かすのだそうです。

タニシを殺した空は雲ひとつありません。
地上は水の底であるべきなのかも知れません。
藍藻類の萌える。



(三)

こころは階段を踏み外し
ボタンを掛け違え。
段差に潜むくろぐろとした穴は
日に日に膨らみます。
ラピュタが来るのを待つため
空を見上げます。

北向きの窓の外には先ず水田
国道四十一号線のノイズ
以外の音をほとんど奪われて
隣の屋根とふたつ隣の民家
を越えたら山が連なって
まるで水槽の淵のように見えます。
切り取られ水面となって揺れる
青さに足許を掬われるのですが
実際のところ満足に
飛ぶことも出来ません。

ラピュタが来ないのなら
水槽の淵で死にたい。
蔦に絡まれ苔に侵され
土に埋もれたい。
最終的にきれいな空気になれれば
風も呼べましょう。



(四)

  窓の外の薄っぺらい鉄製階段を
  蟻ん子のように行ったり来たり
  せわしない足音が続きます。
  向かいのアパートの住人が
  引越しをするようです。

  遮光カーテンの外はどうやら
  うららかな日曜日。
  光合成に勤しみたいところですが
  この部屋の住人は
  私に水もくれずほっぽり出したまま
  朝も早よから仕事に出たきりです。

  ペパーミントの亡骸が
  やはり放置状態で
  私の隣にあります。
  彼女の父親が性懲りもなく
  また鉢植えを持ち込んだのですが
  私のような虐待に強い植物でなければ
  この部屋に棲息するのは難しいでしょう。

  彼女は自分の部屋を満足に掃除する
  余裕もありません。
  私のみどり色は
  彼女のささくれ立った神経を
  逆撫でするようです。


  ああ おまえはまだ いきているのだね。

  或いは

  ああ おまえはまだ いきていてくれるのか。


  彼女は帰宅してもこころの休め方を知らず
  張り詰めたまま暫く放心し
  突然折れるように眠りに就くのです。


  ああ きょうも みずをやらなかったね。
  ざんこくな わたしなど しんでしまえばよい。

  或いは

  ああ きょうも みずなどやるものか。
  そのまま いつまで いきていられるか。


  アートの窓の外が空に通じないのは
  彼女にとっては幸いなことでした。
  たとえ住人が引越してしまっても
  ただの空き家でも
  そこがみどりでなければ良いのです。

  取り敢えず今日は生きてみようかと
  思えるらしいのです。

文学極道

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