#目次

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2005年01月分 (含プレオープン期間)

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ミニ扇風機

  光冨郁也

 女の声が頭の中に響く。澄んだ高い声。日に日に声は大きくなるような気がする。声を聞く以外、わたしには何もできない。偏頭痛がしそうで頭を振る。空き地に捨てられた車がある。栞を座席の上で見つけ、車の中に入り込んだ。誰が落としたのか。栞を拾う。青いインクのイラスト、髪の長い女がぶれてプリントされている。いつも携えている本に栞を挟む。女の声が消えていた。女の声が届かない場所を見つけた。車から出ると、また女の声がする。
 休日の昼下がり、曇った眼鏡をシャツで拭く。手の届かない空の下、車に向かう。白のセダン、前輪のタイヤが外されている。コンビニで買ってきた袋を持って、ドアを開ける。埃っぽいシートに座る。ジーパンの後ろポケットの文庫本を出し、助手席に放る。ページが宙でめくれる。神話のエコーのページが開きかかる。青いイラストの栞が外れ、本は閉じた。すれた表紙がたわむ。本を手に取り、栞をはさむ。助手席に本を置き直す。ダッシュボードを探る。車のキーはない。ドアを閉め切る。暑い。曇ったフロントガラスから空梅雨の空を眺める。サイドの窓を開ける。空は青かった。シートを少し倒す。コンビニの袋を開ける。カレーパンとチョコレートパン、それからパックのコーヒー牛乳。
 食事を終えると、暑いので外に出る。女の声が流れ込んでくる。近くのデパートに向かう。デパートで涼みたかった。途中、コンビニの前でゴミ箱に袋を捨てる。空を眺めながら歩く。

 女の声が響くデパート。CDやDVDの売り場でタイトルを見る。邦画のキレイなパッケージのものがあれば手に取り、裏返し、また元に戻す。その繰り返し。そのあと、パソコンの売り場を眺めながら通り過ぎ、玩具売り場にたどり着く。フィギュアやプラモデル。モデルガン。女の形をしたフィギュアに触れた。しばらく見つめる。風が来た。近くにプロペラが回る、ミニ扇風機のオモチャがあった。手に持つ。風を受ける。青いスケルトンのボディ。透けたボディから乾電池が見える。女の声がいっとき止んだような気がした。ミニ扇風機の箱と、レジのそばの棚から乾電池を一緒に手に取り、買った。女の声が続く。空き地に戻る。車の中に入る。女の声は止む。フロントガラスから青い空、蒼い海を見渡す。

 箱から取り出し、ミニ扇風機に乾電池を入れ、電源を押す。風が来た。車の中で、フロントに扇風機を置き、文庫本に手を伸ばすと、本がこちら側に押し出される。強い風でもないのに。手に取り読む。エコーやナルシスの話を繰り返し読む。目が疲れると、シートをさらに倒し、眼鏡を外し、うたた寝をする。扇風機の遅く低い音がうなっている。

 まだミニ扇風機の電池は切れていないが、回転が弱くなっている。眼鏡をかけ、電源を止める。車から出て、自分のアパートに向かう。女の声が追いかけてくる。部屋に入る。ここでも女の声。乾電池を何本か持っていく。また空き地の車へと戻る。声の止んだ車の中で、扇風機の電池を入れ替え、電源を入れる。ミニ扇風機のプロペラが回る。青い栞が本から外れ舞う。

 フロントガラスを隔てて水平線を見渡す。西日が差し込む。まぶしい。助手席にひとの気配がある。上半身の輪郭が透けて見えた。横顔の表情はよく見えない。扇風機の風に、長い髪がそよぎ、光っている。女か。そばにいたから声がしなかったのか。車の中で、声はせずに扇風機の音がよりそっている。

* 投稿時の名前は「みつとみ」


螺旋響

  ETOILE







窓一つない部屋に
       ただ一つの檸檬
 夏      
夏が     溶       
 ゆっくりと け       
 っ   溶けて
 く   け いきますね
 り   て き   こ
 と   い ま   砂
 溶   き す   買
 け   ま ね   い
 て   す     に
 い   ね     行
 き         か 
 ま         な
 す         き
 ね         ゃ


極めて0 
   なのに 
   ずっと1
      だったのは 
          素敵な
窓一つない部屋に  敵 偶然でしたね
ただ一つの檸檬   な ぜ    こ
他には       ぐ ん    砂
何も        う で    買
見当たらない    ぜ し    い
          ん た    に
私は床に座り    で ね    行
ぼんやりと     し      か
檸檬を眺める    た      な
          ね      き
夏が               ゃ
ゆっくりと
溶けていく夕暮れ   
私は 一瞬 その陰を 見る


夜明け

  守り手

水平線から真上の空へ
拡散した流星が逆巻いて
耳鳴りが垂直に降下していく
それは流星の核である小さな鈴音の軌跡

波をくぐり水跳ねて海を渡り裂く風
鈴音をさらい陸地を目指すさらにはその先にある都市へと
切る水に鉄錆びた旧夜の風景たちは眼を剥き
一斉に風の飛沫を振り返る

轟音は誰の眠りも覚まさない
街は保っていられる限りの輪郭線を残すだけ
風は疾駆する 風は呼ぶ 風が声を持つ
鈴音は少女のように鳴りながら
はしゃぎまわって笑った

星の落ちた丘がある
鈴音を乗せて風は向かう
最も高い場所に少女が立つ
鈴音の到着を待っているのだ
少女は水牛の頭骨を抱え上げている
水牛の虚ろが街の全景を舐めている

破裂そして破壊そして そして
鈴音は加速するたび剥がれ落ちていく風景に怯え涙が止まらない
呼ぶことをやめる はしゃぐこともやめる
けれど
疾駆する風

衝突の刹那には
揺れる惑星を受け止める立つ少女の細腕が軋む

星の落ちた丘で
少女の抱えた頭骨に全ては収まっていく
収縮する光があり風があり都市がある
ふたりの少女は出会い
出会うようにして別れた

立つ少女は眼前の水平線へ
いまかがやくものを手放す

鈴音は
頭骨のなかでは鳴らない
ただ胎動があるだけで
彼方へと望むのは
いつか流星になること

* 投稿時の名前は「ちづさ守り」


序詩

  軽谷佑子

牛が牛を食む昼間
ぼくたちは列をつくり
列は花輪をつくった
いちめんに咲きみだれていた

あさい水たまりのうえに
彼女のきれいな顔がうつる
グレー・トーンに埋もれた
いきものがそっと渡っていく

ただ過ぎていくだけの
だだ広い平地
水の涸れた川に
小便をそそいだ

膨れた腹
膨れた脚を隠さない

なんとなく失くした
たくさんの死体が川を行く
知らぬうちに生まれ変わり
つぎつぎと
引き返してくる


続行する

  ふじち

録画されたもの、録音されたもの、あたしは繰り返す。
ニール・ヤングを爆音する。
音を皮膚にあびる、粉塵が舞う。
ニール・ヤングの轟音が爆音する。
皮膚が音をあびる、どよめく、ざらつく。
肌に荒れる音、血管にもぐりこむ音、最高の轟音。

1978年のニール・ヤングの病的な音。
あたしの呼吸に、とろけるように迫ってくる。
あたしの呼吸は一瞬敗北する。
呼吸の敗北を意識する全身、肌、皮膚、それからあたしの四肢。
爆音が、あたしを重々しく突きぬけていく。
天井にぬけていく。
空に到達する、落ちてくる、屋根をぬけてあたしをぬけていく。
重々しい時間、長い時間の沈黙と爆音。

爆音するニール・ヤング。
前屈姿勢の爆音が、あたしの部屋に充満する、溶解する。
空におちる、浮上するあたしが空におちる。
誰もいない、不在する。
青い空に同調する白いあたし。
最低の音楽が鳴り響く、詩情豊かにがなりつづける、そしてそれが続行する。

スピーカーが空にとぶ。
それも続行する。
あたしが続行させる。
続行するニール・ヤングの爆音が、おちる、空に、その静寂が何度も反復する。
あたしは飽きることなく空に浮かんで、見下ろして卒倒する。
あたしの視界に意識がぬける、ぬけていく。

弟がレイプする、爆音をレイプする。
レイプをたくらんでいる。
あたしの意識に混ざりこむ。
家族団欒をレイプする。
たくらんでいる。
あたしは空におちて、それを見下ろす。
レイプされる家族団欒を見下ろす。


つづら坂

  ワタナベ

つづら坂のてっぺんが赤く燃えて
曲がり角のそれぞれに暗がりが生まれる
それがくねくねと蛇のように眼下の町へ
影法師が一組
手前の角の煙草屋の暗がりからあらわれて
穏やかな夕日にそっと目を伏せると
そのまま背後のたそがれの中に溶けていった

煙草屋の軒先にうずくまった暗がりから
誰かが手招きしているような気がして
たずねてみると名前が欲しいと言う
それは私にとって
必要のないものに思われ
私は彼にくれてやった
すると今度は名前を呼ぶ声が欲しいという
私は彼に乞われるままに
次々に私を暗がりにくれてやった
彼は私に礼を言うと
やはり背後の夕日の中へ溶けていくのだった

やがてなんにもなくした私は
彼のいた煙草屋の軒先に腰をおろし
暗がりで
誰かが通り過ぎるのをじっと待っていた
時間はろ過されたように
一滴一滴ゆっくりと世界を染めて
頭上から群青が深まり
そして
暮れて
煙草屋の軒先にうずくまった影
だけが残って
静かだ

うずくまった影が
さっきまで心だった場所に
暮れていったつづら坂の情景を
焼き付けようとしている


燐光II

  Nizzzy

そう、ゆらいでいたのだ
私たちの、魂はゆらいでいたのだ この瞬間にも
そして私たちはそれを知っていた(すでに過ぎ去ってしまった)
だが、木々を縫いつけ生きる私たちの、網膜には
このディスプレイの液晶よりも
聖歌に刻まれた救いよりも
ずっと、霞んだように見えて、
古い海岸を歩く、この足の冷たさと
ふるえている私たちの、宇宙の位置さえ
炎のゆらぎにも片翼を失う蛾の触角に、結びつけられてしまった

蛾よ、お前は海の持つ惑星の
秘密の千の瞳を開き、螺旋状の周波数を聴く
子午線よりも遠く、アスファルトより鳴らされる
永遠分の一秒を刻む晩鐘を共鳴にして、触角でなぞってゆく
だが、そこにだけ茜色を映し出す私たちの細胞群は、何も慣れていない
惑星間の初雪と戯れた指が触れてしまうことさえ
言葉という重力を逃れた振り子の糸を近づけようとする
重力はどんなに軽い原子にも意味を持たすから、
私たちは氷晶に黙された鱗粉の呟きを、見極めようとする

蛾よ、お前は飛ぶのではない
光の端を青灰に染めて、その両翼を落とすのだ
満ち始めた初潮に、新たな重心を定め
そして違う名前でそれを呼ぶために・・・
私たちが落とす翼は、もう残ってはいない
全ての世界の、私たちの持っていた翼は
張り巡らした糸に、切り落とされてしまったから
だから、私たちは痛む この瞬間にも
どこにも見えないものを、どこにも見えないものを
知らない (すでに過ぎ去ってしまった) 知らずに
それが間違いであるかのように
こうしてゆらいでいるのだ
私たちの、蓄光する魂は

蛾よ、お前が全てを終えたとき
翼は扉に閉ざされ、瞳は星々に取って代わられる
そうやってお前はどこまでも落ちてゆく
それは並木沈む海底なのか
夜をも凍らせる極北の大地なのか
この瞬間にも、私たちは横たわる位置を知らない
もしお前が私たちのゆらぐ、魂に辿り着くのならば
其のときは絶対零度にまで収束され、燃えろ
そして北極星からの地軸を片手で握り、廻る、新たな少女となれ
落とされた翼全てに包まれながら、燃やし尽くす、永遠の、ずっと近くまで

* 原題のローマ数字部分を「II」で代替表記


  ねぴ

動かないでそこにある
嬉々として陽を受ける
腐りかけの果物が、絵の中を統べらない
ほじくる
目線の先から嬉々として腐食する
皮が落下する
顔面も
かくれもしないで 陽を受ける

どうかしている カーテン のように
郵便局の階段に落ち着き 
かさを増す光へ 目分量で鎮まる
ここも 大気の底
砂掘るこどものスコップ
なにか這い出る 夕焼け みたいに
這い寄って飲み込む
あふれるさっかく で
うすめ られてゆく

だから

水の色に見える市街地に指を浸し

飛び惑う翼のばさつく黒いドーブツくさい灯火

瞳の火の色に燃え移る木切れ が
駆け抜ける
目抜き通りで
地べたに額づき

なにか祈ろう としてみる
映画館の薄明かりで 笑う
落花生ばかり食って殻を散らかす
空港のロビーで
ラップのかかった魚の目玉にちっこい指をつっこんで
見ている
海のもひとつ向こうの海の夜の雷鳴 夜と呼ばれる
あれは海 これが右手で
音のない色のない 半球と半球
いたいのは目の奥50センチくらい 奥のほう

昨日は風が砂を削る音
夜行列車のオレの荷台はほこりじゃなくって砂もぐれ
いっそ棺桶だったから
手足を縮めて丸まり疲れる水底に 直立の光
柱状が 差し込む 
疎ましく立ってあることが ぐらぐらと煮られて
炎天下とは どなた の こったろう
葉の照り返しを よぎる
満月が
すぐに欠けていた 足鳴らす鈴の音がかじった
どこかの祭り で
オレの
泥人形たちハ 河になりにゆく 夜の身のまま
星はアタマの空洞にひとつ
切れやすそうな糸で吊るされる
かるく燃えそう
だから
こしょうでもふって


鴎(かもめ)

  一条

海には人がいつも溢れている。カモン、カモンと鴎は空を飛び交っている。海の青は、カモン、カモンと空の青に混ざりこみ、鴎はいまだ完全には混ざりきらない二つの青の間を、行ったり来たり彷徨いながら、新しい青の侵入を待っている。ぼくが新しい青になれるなら、その可能性があるなら、ぼくは新しい青になって、カモン、カモンとあの空と海に混ざりこむだろう。

海には、海には、海には。鴎が、白い。青い空が、海と鴎に混ざり、茫洋と薄れてゆく陽光は、女の名前みたいにうつくしく、彼女は実在しながら、姿はなく、黒人は、砂浜に足跡を残し、誰かの助けを待っているのだが、なく、海に流され、黒人の腐乱した死体に、白い鴎が群がり、鴎は黒く、同時に青く、ぼくは、そんな光景を見ていた。見ていると、海が溢れ、彼女は実在せず、海は人であふれ、冬に近い季節の海に誓い、背中に釣竿を背負った男は、黒人だった。白人だった。

それから、黒人が海に飛び込んで、一瞬で空に落ちる様態を見届けたあと、白人は海に飛び込んで(黒人と一寸の狂いもない同じ地点に!)、黒人よりも随分緩やかに、空に落ちる白人は、中空で、先に空に落ちた黒人を追うように、落ちていった。白と黒が、青に。ぼくは、「白と黒が、青に」の少し上あたりを、しつこく飽きるまで眺め、それに飽きてしまうと、海に飛び込んで、空に落ちた。中空で、ぼくが青に。「ぼくが青に」の少し上あたりに、鴎が飛び交い、一瞬で青がはじけた。白が消えた。


海を渡る(マリーノ超特急)

  Canopus(かの寿星)

「線路の上を歩いて海を渡る
 それ自体はけして珍しい行為じゃない
 だが
 心してきいてほしい
 次の駅にたどり着くことのできる者は
 きわめて稀である

「大洋をどこまでも縦断する一本の直線
 それは島嶼
 それは紡がれたほそい蜘蛛の糸
 それは世界をやさしくコーティングするシナプス
 それは人類にただひとつ残された叡智

「必需品 まずは
 一本のおおきな水筒と
 絶縁体の手袋と靴を用意すること
 線路は帯電していて触れると必ず体を蝕む
 また駅間の距離は定かではないが
 夜通し歩いても二日は優にかかる

「マリーノ超特急は週に一本
 南回りの便ばかりが走っている
 急げ 急いで海を渡れ
 列車がぼくらを飲みこむ前に
 ぼくらの運命が
 サイコロのように決まってしまう前に

「線路のまわりの波はおだやかで
 はるか向こうには灯台がかすんでいる
 口笛を吹きながら渡った
 私を祝福する太陽と空と海と線路と
 旅の道連れにウミネコの泣き声と
 駅までの道のりはけして退屈しない

「われわれの旅程の
 妨げとなるのは高波だけではない
 強い紫外線と海風は確実に体力を消耗させる
 波に洗われる線路は
 常に横揺れをくり返し
 海を渡るわれわれを拒絶するかのようだ 

「そして今やかなしいことに
 イルカもクジラも人類の敵なのだ
 彼らに見つかったら最後
 四肢から徐々に喰われて
 私の存在した証はどこにもなくなってしまう

「このちいさな街に生をうけて
 なにひとつ不自由なく暮らしてきた
 それなのにどうしてだろう
 駅がぼくをいざなうんだ
 旅に出ようとぼくをいざなうんだ

「海を渡るには駅を見つけなくてはならない
 駅の正確な場所は誰も知らない
 規約上は誰にも訊いてはならない
 秘密裏のうちに目くらめっぽうに
 探す 薔薇の薫りのする方へ

「駅員は親切にも最低限の必需品を用意して
 ボン・ボヤージュ! 旅に出る者を祝福する
 駅員は海を許しなく渡る者を取り締まる
 彼らはためらいなく密航者を射殺する
 駅に駅員のいたためしはなく
 さびれたプラットホームがぽつんとあるだけだ
 駅は
 存在しない

「風をつらぬいてきこえるのは
 マリーノ超特急のユニゾンシフト
 姿をみたことはない
 音だけの幻の列車だ
 私は思い出す私の成し得なかったくさぐさを
 ユニゾンのこだまはいつまでも続く後悔のように

「ぼくははだしで
 海上のプラットホームに立っていた
 これからぼくの渡るまっすぐな線路だけを見ていた
 次の駅は
 かすんでまだ見えない
 歩きはじめる


四季

  最果タヒ

 嗅覚だけで、空の色を判断することが、なぜこんなにも困難なのだろうか。「ぼくの体の中では、ゆうやけがはじまっている」肌に触れるものが、ぼくの毛先でなければいいと、もう永い事、祈っている。「だから目をあけない」祈っている。

 視界の外でまつげが、揺れているのが朝のはじまり。少し遠くにつちふまずをみつけて、その奥に雨の音をみつける。夕べは窓をしめなかったから、たくさんの妖精が、忍び込んでいるはずだよ。春だ。狂おしいほど春だ。いい音が鳴っている、雨。水が窓際の畳に、さくらの花びら、に似た、冷たい足跡を、残していっている。春だ。

 聞こえている、(ときどきは、きみもしてみたほうがいいよ、すうっといきをはいて、そのままちいさくなっていくんだ、目をとじて、くらやみはいちばんのみかたさ、のみこむのみこむ、体温がひくくなればなるほど、だれかが抱きしめてくれている)、気がする。

 少しずつ忘れ物をする少女が、ぼくの部屋に住んでいる。きのうは左手首を路上に忘れてしまっていた。「雪がふっていたから、いそいで走ったの」ぼくは雨の水でそれを洗う。さくらの香りがして、溶けていく。雪。振り向いて、みつける、少女、笑って、笑ってる。「雪がふっていたから、いそいで、」いい音が鳴っている、雨。ここには、たくさんの妖精が、忍び込んでいるはずだ。


水辺

  無名生

(詩集収録にあたり削除)


リハビリ

  ワタナベ

生きるということが腹の底に岩としてずしりといて
もう随分になります
その間にも
あやふやな記憶をたぐりよせ
ようやく原色で彩られた暑い夏へたどりついたころに季節は秋めいて
高い空に母娘の晴れやかな笑顔を見たと思ったら
それは灰色の風に凍ってゆっくりと落下していきました
あいかわらず岩は岩としてゆらぎもしません
安易に死を望むこともありますが
私は臆病な人間ですので
痛く苦しいことを想像すると身の竦む思いで
ただただ老衰で穏やかに死んでいく様を夢想するばかりです
くしゃみを2度しました
目の前を銀色の背びれの魚がちかりとして泳いでゆきます
まとわりつくような海水の中です

ペンを置くと、嘘のように穏やかな気持ちになっている自分に気づい
た。しかし今まで薬の効いたためしはなかったし、それは朝の静謐な
空気がもたらしたものであったかもしれない、願わくば、書くという
行為によって苦しみが体の外に放り出されたのだと考えたかった、
それならばこれからだってなんとかやっていける。深い渓谷の底に
陽光が差し込む様を思い浮かべた、細い小川がきらめいている。
また、狭い川原のところどころに咲く白い花のことを思った。
どこからか吹く風に揺られて、触れると高い澄んだ音色がした。
目の前を銀色の背びれの魚が泳いでゆく、
でも私の体にまとわりついていた海水はどこかへいってしまい、
そのかわりにやわらかな風を感じた。
岩は依然として腹の底にあったけれど、不思議と重みを感じる
ことは無かった。
耳の奥で澄んだ音色がした
一時だけ糸はほぐれておもいおもいの風にふかれていた


冬と畜生

  月草原

夢のなかの日射しは、どこまでもあつく
ぼくの影はみあたらない
ホカホカと湯気だつ石段を昇りつめると
みにくい狛犬が
落葉焼きの番をしていて
ドタぐつで もえた灰を踏みつぶそうとすると
さすが夢のなかの狛犬で
ばちあたりめっと吠えこんで
いまにも台座から かけだしてくる
冬のいりひ
うりこ雲がよこに這ひ
ぼくは畜生だった。

柿色に染色された
畜生のはだが地平にとろけ
どぶ河から海べりへとつづく
みちのりを おぼれながら
ぼくはあお向けになって
這ひあがろうとする
畜生の殿だった。
生ぬるいみずが
じょぼじょぼ
ぼくの背を
なめる
くそっ
たえられん
夢のなかだ
だれだいったい
どぶ板をはずす奴
ふやけたひと皮むけて
ぼくの頭を ひょいすと
またぎながら逝ってしまった。
畜生のはだが 地平にとろけ
ああぼくの影が ふっとうした泥にとける。

やけどする雪がまふ
冬のいりひ
海べりをゆさらゆさら
ぼくをさがしつづける きみのよこ顔
どぶ水をのみこんだといふ
きみの口元にぶらさがったひと皮を
畜生畜生 ひと皮むけば畜生だっ
と いつ叫ぶともしれない
ぼくのひと皮を 手にして
きみは耳にかざってくれるのだろうか...

夢のなかの日射しは いよいよあつく
柿色に染みた
ぼくの影
うろこ雲がよこに這ふ。


  広田修

開かれた朝の冷淡な舌の上に 
夜闇が傾く
燐を見たカササギの子は 
深く苦い光の中に 痙攣する
audivisti?
無を語るものたちの 産声を
audivisti?
腑を落とされ 抱擁を強いられた 
言葉たちの ため息を
虚構の砂絵の目の下に 欲望が浮く
古のorganは 
残滓である非存在を 釣る
その通り、世界には何も存在していない

開かれた朝に 楡の木が 
葉裏に輝きを滑らせる
見られるのではなく 
反射するのでもなく
audiebam
つまはじかれた蜥蜴の 
皮膚に走る 生成の歌を
audiebam
深海魚と月光との間に 
無時間な和声を
旅人の触れた塔は空を象ったもので 
現象を超えて照る
あまねく知性は宿る 
みなぎった悪意への威嚇
その通り、世界は自ら輝いている

開かれた朝の川床を浚って 
屍に息を吹き込む
片足を失ったまま蘇った猿は
宮殿の内奥で 
鮮やかに破裂していく
audivistis?
緩やかな規律の下で 
流体時計のたてる 針の音を
audivistis?
専属negotiatorの 
積み木細工の 衝突音を
海や波や小魚を 鑿と槌で 崩していく
崩していく間だけ 空白が占める
その通り、現象はすべて不連続である


(無題)

  ケムリ

そこに全てがある

酩酊の庭に キックの後に
オーバードーズの境目に 代謝と摂取のマッチポンプに
未開の言葉で語るように 時の鐘が音を消す場所に
赤茶色の小便に 蛇を噛むアダムのように

おれはベンチに座って誰かを待つ
枯葉は雪に変わり おれは埋もれて空を見る
黒い糸が垂れている 引いたら砕け散った
誰かおれに煙草をくれ 出来れば強いやつを

バクダットの鶏の腿肉に 吊革に垂れ下がる疲れた背広に
聖者の掘り当てた井戸に 孤児院の台所に
葉桜の公園に カンボジアの置屋に
極点の遷ろう日差しに 無限リピートのラジカセに

誰かが通り過ぎていく 緑の葉が芽吹いて
おれは眺める 歩き行く人々
木々は色づき アートマンをおれは流れる
留まり流れる ガンジスを流れる死産児のように

ラブホテルのメモノートに ライブハウスの便所に
大脳皮質の裏側に 終わらない射精に
ステップに立つゲルに 三万人の自殺者に
イスラムの祈りに ペンタゴンのデスクの上に

誰かおれに言葉を もっと強い言葉を
生まれた赤子の泣き声のような言葉を 熟成前のウィスキーのような言葉を
原初の光のような言葉を 落ちる飛行機の祈りのような言葉を
おれは流れる ゆらゆら 遠くなる

言葉遊びの器用猿に コンドームを買う高校生に
年寄り犬のような笑い声に 雪の中の羊の群れに
ジミ・ヘンドリックスの旋律に 俺の四弦ギターに
輸血パックの中に 千切れた舌のピアスに

「牛は第四胃が消化の要所なんだよ」
「君は速読が出来るか?」
「Fのコードが抑えられない」
「穴の開いてないジーンズくらい持ってないの?」

全てがある 俺の全てが世界の全てにある
嘔吐と寒気と薔薇色の空気が相互依存する部屋に
部屋の隅で胎児が笑っている おれを笑っている
へその緒を切った俺が間違っていた 胃液が匂いを無くして行く

316番地の街娼に マンホールの上の反吐に
膿んだ俺の薬指の爪に ハルシオンとロヒプノールのカクテルに
ビフィーターの衛兵に ロンドン橋落ちたと歌う子どもに
リタリンをくれと叫ぶ俺の友に そこに全てがある

終わり方を忘れた歌に 有名すぎるコード進行に
おれの血 言葉と諦観と代謝と摂取 おれの血
全てがそこにある 膨張していく
流れていく 全てがそこにある 死産児の歌う愛の歌


an early morning

  軽谷佑子

いつだって
あなたとしんでいたい
つめたい床に並んで
よこを向いて

なつのひかりの前で
かれらは凍ってしまいそうだ
すでに遠い距離にある


アパートの裏では
とかげが蟻に食べられている
肌が油を刷いたように
ぎらぎらとかがやく

わたしの飲む麦茶は
汗を誘うにおいがする

朝は
いつまでもあかるい
目をつむった残像に
なにひとつ思い当たることがなくて

文学極道

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