黒くなれない
クラブの女王の大いなる
ティーパーティのおんために
茶化したい。ジャックらが
茶化されるオリエントは
いろづいたベルガモットの
照りに燻されアール・グレイ
ご存じ?
光毒。
とあるジャックがキーマンを、
「世界の中華の名にかけて。大英帝国に茶だけは売らん。帰れ阿片戦争。」
追い出されたころ別のジャックは、セイロンいや。スリランカで難渋していた。見よ国史に割って入り、世界史をも割って生えぬく植民地名。ウバ茶に香るペパーミントも、イングリッシュミントの繁殖力も同じとばかりに幾世代。もはや名づけようもない雑種ばかり生い茂って、寒々しいプランタープランテーション根ぶかく。連想せよ。
「思い起こせば十九世紀末、あのスコットランド人ジェイムス・テイラーが、」
「わたしたちはイングランドです。」
「茶の需要を見出す以前、コーヒーに目をつけたのもスコットランド系、」
「わたしたちはイングランドです。」
「サビ病に斃れたあのコーヒープランテーションの発端は、一八四一年、コリン・キャンベルの植民地領事就任であったが。そのキャンベルの名の! はやアメリカのスープの缶に乗っ取られ、久しき名声の愁傷なこと! かの銘酒スプリングバンクの威を借りてすらキャンベルタウンが、オーストラリアのに比べ、いったいどれほど知名さる。越谷市の姉妹都市なるオーストラリアはキャンベルタウンの、」
「わたしたちはイングランドです。」
ああオーストラリアを失念していた。あちらのジャックは、きっとアッサムへ行くべきだった。アッサムでなら辛うじて、言ってもらえたような気がする。きらいじゃないよ、仲よくしよう、アッサムの茶樹はスコットランド人ロバート・ブルースの「わたしたちはイングランドです。」
「カリーバッシング、」
ところが憧れのダージリンを目指すも、カルカッタいやコルカタのあたりで早くも、
「もはや象徴、英領のころ地元にばかり取り残されたくず茶のように! さてくだんのくずチャイが湧出せしめる芳香の、カリーがごとくマハーバーラタ。あたかも英国有閑紳士が寝床で妻に啜らせる、アーリーモーニングティーのくずやろうの、」
「わたしたちはノルマン征服です。」
しまいには、日いずる本まで出張ったが、
「まさか、八女の玉露を発酵させるなどとは、」
話は終わった。黒くなりたいクラブの女王の、大いなるはずのティーパーティ。
茶化したい。茶々を淹れたい。なんぞのジャックの駆けめぐる、大いなるブリテン島は。にわか雨の気まぐれに、お茶を濁されアーリー・グレイ、この気候の国産茶葉に適地は南のコーンウォールしかなかった。懇願してなんぞのジャックが、
「だってわたしたちはイングランドです。」言ったが、
「わたしはコーンウォールです。」
霹靂はやき青天にはためけ。
ウェールズすらえがき忘れて四角く
三つ葉。
クラブの女王とユニオン・ジャック。
ただのトランプでなければこそ。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20160531_104_8854p
- 北 :
美味しいお茶は、一口飲んだときに、時間が止まるのですが、その一服の間に、どれだけ自分の記憶を基にした曼荼羅絵図の世界が脳内に広がるかで、その良さを図ることが出来ます。ただし、いくら良質の茶葉が手に入ったとしても、美味しく炒れて、美味しく飲む環境を作らなければなりません。工事現場の休憩時間に、美味しく飲む環境づくりの一環として、高級なティーカップを持ち込むのは、何か違うと思いますし、その、それぞれのシーンに合わせて、最善を尽くすというのは、美味しいお茶を頂く為の、最大の条件になります。故に、正しい手紙の書き方という本で学んだ知識を参考にして、送られてきた恋文、印刷屋さんで焼き回しされた家族写真付きの年賀状などは、お茶濁し極まりないのであります。ですので、この詩を歴史資料を片手に、お茶うけをボリボリしながら、鑑賞するのもお茶濁しなのであります。しかし、例えばバーのマスターが酒のこと知らないとか、下戸だったりするのでは、困るわけでして、提供する側はそれなりの知識は必要であります。つまり、良い提供者というのは、提供される側が、自分の歴史と照らし合わせた歴史に思いを馳せられるように、余白を与えておくというのがお洒落なのであり、この詩に於いても然りです。そのような、提供者としてのはからいが、最後の、
>ただのトランプでなければこそ。
に集約されています。
ですので、提供される側は、トランプではなく、百人一首を基に、自分の歴史曼荼羅を広げても好いわけで、そこから生まれる付加価値は、けして紅茶への趣の伝統をぶち壊すものではありません。
しかし、三ツ星フレンチで、「箸を貸してもらえまへんか?」というのは、あまりにもお茶濁しであり、その理由は、用途に合わせたナイフ一本にも、歴史があるからであり、といって、「箸を貸してもらえまへんか?」というのが、タブーではありません。なぜなら、そこから学ぶ姿勢こそが、人間史を作っているからです。そこから何を学ぶかというと、それは美味しく頂く方法であり、そもそも、手のない人では箸もナイフも持てません。そこらへんの心遣いこそが、「美味しく炒れて、美味しく飲む環境を作らなければなりません。」の根本的な所以であり、心遣いのない伝統は、伝統ではなく遺物として区別されるべきであり、どのようにして、行為が創造を可能にするかということを、見出しながら読むことが、この詩のひとつの一服の仕方であると思います。 ('16/06/01 12:37:36 *1)
- 澤あづさ :
【修正報告】アッサムのところに致命的な考証不足があったとわかったので修正しました。ついでに「アングロサクソン」を「大英帝国」にしたり「阿片やろう」を「阿片戦争」にしたり、伝わりをよくする目的でいろいろ筆削しました。きのうのきょうで大変ましになったと思いますが、この改訂癖を今月こそは卒業したい所存です。
▼北さんへ。
ご高覧ありがとうございます。こいつは4年前アリスを拝借しようと思い立ったが吉日の即興でして、とっても楽しく書いたので、おもてなしの心に言及されると尻の心地が悪い。しかしまあ楽しげでない提供者が、訴求に論外であることは、お客様のお体を預かる商売柄から実感しています。
そうだ「お茶を濁す」が足りん。と北さんの感想を読み思ったので、致命的考証不足を修正するついでに筆削しました。万事に投稿したあとで気づくのは、あきらかに悪癖ですが、しかし改訂の考証も楽しかったです。 ('16/06/01 17:59:12)
- 北 :
今日、セカンドフラッシュを摘みに行ってきました。とうぜん、山に自生している自然の茶の木からです。山道をこねくり回しながら、茶の木が自生しているところに辿り着いたのですが、その場所は、848年に創建された廃寺の辺りで、なぜこの辺りに茶の木が群生しているのかというと、その当時、この寺が中国から伝わった茶の木を栽培していたのが所以らしいです。そのような古の話に思いを馳せながら、茶摘みしながら、もう一度この詩を楽しませてもらいました。まさしくアリスのように、僕も非日常の世界の扉を開けてきました。そして、現実に帰ってまいりました。 ('16/06/01 18:48:31 *1)
- 澤あづさ :
手作り紅茶はもうセカンドフラッシュなんですか��(oロo) それはとても貴重で大切な情報提供です。理由を話せば長くなりますが、ことしの八十八夜は5月1日(日)でしたよね。本作は八十八夜に投稿したかったのだけども、投稿禁止日だったし前日に投稿したてでもあったので、むしろ31日ハッピー・アンバースデイと自己完結した結果がこの投稿だったのでした。その日付がセカンドフラッシュ前夜なら、奇しくも揺るぎなく多義的にハッピー・アンバースデイじゃないですか、知りもせず最高の投稿日を採択したあたし万歳!
それにしても、日本茶の歴史と比べると、大英帝国紅茶史なんてのは、青臭いファーストフラッシュもいいとこですね。(もちろんその味わいがよいと思って詩に書いてるわけですけど。)聖武天皇が行茶を催したころは、舶来の団茶しかなかったようですが、848年の茶園だと、もう煎茶がメインだったのかな? その源泉たる中国茶史は三国時代まで遡り、道理で喫茶文化が世界に流布したはずだと思います。たとえばトルコのカフヴェハーネ(コーヒーハウス)は、チャイバフチェシ(ティーガーデン)の隆盛で後ろ暗い裏通りに追いやられ、だめ男の集会所みたいになったそうですが、食文化どこのもすっっっごくおもしろい。わたしは夕食のことをteaと呼ぶスコットランド人等に激萌えするタイプです。北さんのお話も、わたしにとっては異文化ですから、すっっっごく楽しいです。 ('16/06/02 05:30:56 *1)
- 北 :
ほんまですね。改めて、おめでとうございます。万歳です。中国の時代劇を観ていると、大切な席で。「茶をもて!」みたいな感じでお茶を飲んでいるのですが、色んなお茶があると思うのですが、すごく、未だに気になっている茶がありまして、ぐい飲みのひとまわり小さいくらいの陶器の湯入りの茶碗に、茶葉を3本ほど入れて蒸らし淹れていたのが、あれは何茶だったのか?すごく気になってます。茶葉三本で出るのですから、すごい製法だなぁと思うのです。
昨日、摘んできたセカンドフラッシュは、茶葉の摘採時期が遅れたのか、まだ萎凋の最中でして、ファーストフラッシュは一晩で萎凋できたのに、今回のセカンドフラッシュは、今日で、まる1日陰干しています。(明日までかかりそうです。)何故かというと、先ほど、その茶葉に引っ付いていたであろう「尺取虫」が逃げ出して、キーボードの上を這っていたのを見て、明日まで干そうと決心しました。
紅茶に砂糖入れ始めたのもイギリスらしいですが、ばルセロナでは、フレッシュのオレンジュース頼むと、砂糖が付いてきます。(カタルーニャの隣は蜜柑の国、バレンシアやし!?)そして、その砂糖、要らんと言って返したら、「分かってないなぁ・・」みたいな顔されます。フラメンコの掛け声でも、「アスカ!」とうのがありまして、砂糖という意味で、「いい感じ、甘いよ。」みたいな意味が込められています。
この、今干している茶葉で、紅茶を上手に作れたら、もうひとつくらい、お茶の詩が書けそうです。Te es poema. 茶は詩ですね。 ('16/06/02 18:23:28)
- 黒髪 :
理想主義と、儚さへ偏った詩情。「声」の響きが聞こえてくるところ、トランプが話す
っていうのも、改めてそのユーモラスを感受。
「国際状況」というモチーフがある、ヘンリージェイムズの小説との共通点が自然と思い浮かびました。また、視覚性に優れているということ、高貴なイメージが、イングランド
の構成要素を浮かび上がらせており、ユニークな詩として、萌えを可能にしています。
臼井隆一郎『パンとワインを巡り神話が巡る』『コーヒーが廻り世界が廻る』も、未読でいらっしゃるなら、参考にされると
またつながって、より良い読み物にまとめ上がるんじゃないかな、と思いました。 ('16/06/02 19:15:38 *2)
- 澤あづさ :
▼北さんへ。
ハッピー・アンバースデイ!
>その茶葉に引っ付いていたであろう「尺取虫」が逃げ出して、キーボードの上を這っていた
尺取虫は、、、そりゃ自生の木ですから、いないわけがないでしょうね。。。有機野菜マニアは大方そこで「虫も食べたいほどおいしい」という結論に持って行くんでしょうが。。。リンゴのような芳香が明るい幸先を示すよう祈ります。
出典:北さん『それが伝えたいがゆえの Handmade tea.』
http://bungoku.jp/ebbs/20160509_619_8807p
>ぐい飲みのひとまわり小さいくらいの陶器の湯入りの茶碗に、茶葉を3本ほど入れて蒸らし淹れていた
茶杯に直接茶葉を入れる茶芸なんて、わたしも見たことないです。どうもわたしが認識している中国茶芸(聞香杯とか)は、ほとんど台湾の風習であるようだし、そんな浅薄な知識では、あの壮大な中国の片鱗すら語れません。中華は確かに世界史の華だと思います。
>紅茶に砂糖入れ始めたのもイギリスらしい
示威ですね。紅茶も砂糖も、当時のブリテン島では高級品でしたから、陶磁器を加えた高級品トリプルを嗜む贅美が、政治的に利用されたのでしょう。日本で茶が奈良時代から政治的に活躍しているのは言うまでもなく、砂糖もまた江戸幕府の示威に役立ったようで、文化文政のころの江戸城では1日600kgもの白砂糖が消費されていたのだとか。そのころ茶に砂糖を入れる風習が出て来なかったのは、茶の湯が(少なくとも体面としては)贅美を嫌ったからかな? 「砂糖は貴重」「旨いは甘い」は、かくも人類史の常識です。
>バルセロナでは、フレッシュのオレンジュース頼むと、砂糖が付いてきます。
したがってこれも、ベトナムコーヒーやモロッコのアッツァイの仰天な甘さも、人体の本能の所産なのです。低肥満率大国日本の甘味センスこそ異常なので、甘味の異文化をあざ笑う日本人はとても穢らわしい。ええわたしは、イスタンブールのヘビーシロップどっぷりスイーツとか、生理的に完全に受け付けません。バルセロナのそのフレッシュオレンジジュースも、砂糖は入れずに飲むでしょう。バルセロナのオレンジに砂糖を入れるなんて「せっかくの素材がもったいない」と思うでしょう。魂の底まで日本人だ。
そしていまさらな話ですが、北さんはスペインの日差しが好きなんですね。わたしはトルコのメシが(お菓子は甘すぎて無理だけども)好きなので、チャイ(トルコ紅茶)かカフヴェ(トルココーヒー)について書いてみたいと思うものの、詩のネタにするよりは説明したい。詩と散文のはざまで揺れる口語自由詩情。 ('16/06/03 05:02:24 *1)
- 澤あづさ :
▼黒髪さんへ。
ご高覧ありがとうございます、パンとワインとコーヒーの雑学にも自信があります澤あづさです。本作は、ふざけた風刺が痛くないかを最も心配していたので、ユニークと認められたのはありがたいことです。
>視覚性に優れている
V系センスゼロであり詩形修行中のわたしには、なによりの朗報です。散文も、本作のような「まったくふつうの文章作法」が、ウェブの横書きにおいてもど基本であるべきと思いますね。「ウェブの横書き文書は、字下げも改行もせず、パラグラフとマージンで構成すべき」とよく言われますが、(だのでこのレスレスも、それに類似した書式で書いていますが、)それで現代小説を書けるのか否か。ネット文芸っていろいろ大変。
***
しかしどうも食文化への関心に傾きすぎたようで、風刺をどこまで重視すべきか、注解を入れるべきか考えあぐねております。ちなみにトランプは(即興の連想なので強くは意識しませんでしたが、)アリスのハートの女王と「あんたたちなんて、ただのトランプのくせに!」のパロディです。『不思議の国のアリス』はネットでも読めますので、この機会にぜひご再読を。
▼山形浩生訳『不思議の国のアリス』7章「キチガイお茶会」
http://www.genpaku.org/alice01/alice01j.html#ch7
※どうやら原題は「A Mad Tea-Party」と綴ってあったようですね。直そうと思います。
▼同12章「アリスのしょうこ」
http://www.genpaku.org/alice01/alice01j.html#ch12
わたしはブリテン島とアイルランド島が好きで、そのため「イギリス」とか「英国」とかいう、UKとイングランドと北アイルランドの区別もつかない和名を、社会の害悪と思っているのですね。アッサムの自生茶樹を発見したロバート・ブルースも、スリランカに初の製茶工場を建てたジェイムス・テイラーも、スコットランド人なのに、日本の本に「イギリス人」と書いてあるせいで、事実わたしがかれらをイングランド人と勘違いしたのです。本作はその(わたしの)昏愚を風刺する目的で「わたしたちは(イギリスではなく)イングランドです。」を連呼しました。お気に召したネタがありましたら重畳です。 ('16/06/03 05:03:43 *1)
- すずらん :
レスを入れたいので上げさせてください。 ('16/06/07 21:42:41)
- 澤あづさ :
すずらんさん、ご高覧&上げありがとうございます。おそらく完全致命傷であった欠陥を、先日改訂したところです。初稿より相当ましになったと自分では思っているのですがどうなんだか。待ち構えておりまするるる。 ('16/06/08 05:02:53)
- すずらん :
見事に、やんちゃなヴォン・ボヤージュ、一般読者が詩作品を鳥瞰しながら読むことは稀だしね、やっぱり羅針盤的機能はほしいかなと言いつつ、何やら私が称賛モードなのは、この詩の冒頭のくだりのことなの。なにしろタイトル〜2聯目の意味を辿って昇降をくりかえすと、これが時間喪失の無限ステップへと変容し、ああ、これは『A Mad Tea-Party』のシーンの時間喪失の投影じゃないか、と読者的発見に小躍りしているのだから。う〜ん、時間喪失フォルム詩の元祖田中宏輔さんもビックリの応用かも。セマンティック・フォルム?と言ってみたりネ。こんな風に読むと抜群に楽しい初っ端なのだけれど、…『A Mad Tea-Party』のシーンの時間喪失までは意識せずに書いた?という作者へのケンギをぬぐうこともしないでおこう。
ボディー(3聯目)、お茶会をサーヴするという視点に目を惹かれる。でも、やはり『A Mad Tea-Party』のように場面が表情で語られる面白さがほしいと思ってしまう。スコティッシュとブリティッシュのことも、それを口にするときの彼らの口調や表情に坐する歴史的・伝統的感情に手が届けば、読者のメタ・データの如何に関わらず、詩として魅力的じゃないかなと思うのだけれど、どう?。
4聯目からラストまで、凄くいいなぁ…。全体に生活感がもっとあれば、終行で思わずニヤリとして、風刺を企てた作者の術中に喜んで嵌ったかも。
ユニオン・ジャックは、圏内の物資の流通にのる食文化の様相にも言及すると面白い旗地図になっただろうな。
めっちゃ高価だけれどすこぶる美味な粉紅茶も登場させてほしかったな。
と、色々思いつつも、
安穏と安住しない作者の詩作姿勢にまったくもって敬服です。 ('16/06/08 19:29:21)
- 澤あづさ :
▼すずらんさんへ。
改めてご高覧ありがとうございます。むー羅針盤的機能というと、注解を含む説明しか思いつかないが(誤解があったら教えてね。)そして「遊び心のある説明」も別ので試みてはいるのだが。本作のこの体裁には、説明という行為が野暮だと思ったのですよね。狂歌みたいなものなので。
本作の話材はもちろん難解でしょう。ユニオンジャックの民族意識(ブリティッシュとイングリッシュは違うのよね、スコットランドと同様にコーンウォールもケルトだからアングロサクソンのイングランドとは民族が違うのよね、だがイングランド国籍は存在しないのよねー、とかそういうの)は、サンカを撲滅した意識すらない自称単一民族wwwwwの日本人には、得体の知れない領域でしょうからね。────しかし文学極道だし、文学極道ったら歴史性とか他者性とかだって歴代の罵倒家様方がさんざ言ってるし、このレベルの余白(割愛)が相応と想定したわけです。その歴史性とか他者性とかいうのが、いまは亡きニューアカの低レベルに留まってねーのなら、本作の歴史性に罵倒が殺到するだろうと。そして案の定ご覧の通り、本スレに「罵倒家様が」ひとりもお越しになっていないという結果について、この場で詳しい言及はしないでおきます。もちろんすずらんさんとは、そしてこのスレに来てくださった皆様とも、関係ない話ですよ。
>『A Mad Tea-Party』のシーンの時間喪失までは意識せずに書いた?という作者へのケンギ
これについては「非現実の並立世界を書いてる時点で、言うまでもなく時間は喪失している」くらいの認識でした。われながら時間という概念に興味がなさすぎますね。そもそもアリスを借景した動機が、ただ単に「空想的である」ことの強調に過ぎない(その意味では『鏡の国のアリス』の影響のほうが強い)ので、その時点で浅薄であるのは疑いありません。
>『A Mad Tea-Party』のように場面が表情で語られる面白さがほしいと思ってしまう。
これがまた、これでも会話文に「表情」を出したつもりだったのでした。具体的には「イングランドのジャックと、大英帝国の植民地(インドは名目上違いますけどねー同じだよねー)」というキャラから話を逸らしたくなかったということになりますが、書き方がラノベ的すぎましたね。そしてラノベ的と標榜するには、キャラが薄すぎましたね。
>全体に生活感がもっとあれば、
これもまた、あえて出したくなかったというね。。。しゃれですませたいふざけた風刺に、ダブリンの酒場でリアルに飛び出すイングランドの悪口とか出しちまったら、しゃれですまないと考えたのでした。うん。
つまり「風刺の度胸が足りない。」なぜ風刺に度胸を持てないかったら、考証が不足しており自信を持てていないからだ。本作(のみならずわたしの風刺)の欠陥はそこに尽きる。
7月7日は高度にくそ度胸なことをやるから見てね・∀・ )v ('16/06/09 04:20:23)
- kaz. :
なんというか紅茶の歴史物語に立脚した茶化し、いわゆるチャカシズム(これは僕の造語だが)をやっているのだと思うが、固有名詞が多くて響いてこない。もう少し物語性より言葉の響きを大切にするといいのでは。 ('16/06/09 09:25:57)
- すずらん :
サラリとしか書かなかったのに、さすが、羅針盤的機能のことを訊いてくるなんて。注釈説明のことじゃなくてね。この作品、渡り鳥が旅をするように鳥瞰して読むとオモシロイんだけど、普通はそういう読みはしてくれないから、渡り鳥が旅の要所要所にもつ目印のようなものを、わかるように作者の側から作品の要所要所にうめこんでおくと読み易いよねという話でした。ギミックや伏線みたいに作用しなくていい、単なる目印。実は、作品の方にはいくらか見て取れるから、意識して遣ってみたらどうかなぁと思ったの。 ('16/06/09 09:49:25)
- 天才詩人 :
特別な意図がある場合をのぞいて、スペイン語の文章の主語にはすべて定冠詞がつくの。だから正しくは、El te es una poema. o el te es poetico lo mas basico del idimoma español! 作品だが、単なるゴミで論じる価値なし。 ('16/06/09 12:27:35)
- 天才詩人 :
un poema ('16/06/09 12:35:03)
- 北 :
天才詩人さん
きっと僕のスペイン語を指摘してくれてはるのですね。ありがとうございます。勉強になります。あなたのコメントは、一見辛口に感じますけど、もしも、ここ、文学極道に投稿されてる方、またはコメントをされてる方が、それぞれに宿屋を営んでいるとすれば、僕は間違えなく、天才詩人さん宿に泊まるでしょう。僕にとって、あなたの言ってることが、正解とかはどうでもいい。それよりも、間違いなく明朗会計で、責任を持って、安全な宿泊を提供していただけるでしょう。コメントから、自分に忠実な人柄、またそういう一途さを感じます。
Usted tienes buen aire para mi. Gracias. ('16/06/11 03:51:00 *4)
- 北 :
澤さん、僕は日差し大好きです。スペインというかカタルーニャには友達や、本当に僕のことを愛してくれる人が居て、それが大きな太陽と、たまらん好きです。バルセロナとルンバのことは欠かさず毎日、頭に過ぎり、心を切なくします。そうそう、とうとう、明後日、中華料理の会で、僕の手作り紅茶、持って行きます。あれから、色々と作ったお茶をどのように淹れたら美味しいか、試して、いい感じです。僕は、この中華料理の会では、一番年下で、貧乏人ですから、精一杯の心遣いを、参加される方に、見えないように振舞いたいです。 ('16/06/11 04:30:50)
- すずらん :
此処には「オーラ!」な日差しが溢れているようで、私でも快活な気分に浸れるから、この詩に埋む火の話を、ひとすくい氷砂糖が鏤められた托に溢れる茶を啜った甘粛省の古寺境内に居る心持でしてみようかと思うよ、あづにゃん。かつて文極にいたアノ伝説の詩人を見つけたときにね、あづにゃんの詩才も埋もれさせてはイケないよ、と上から言われていたの。降ろされたタスクを、私ったらあまり深く考えもせずにいて、ここまでステップを踏んで漸くサー、ああ、この埋み火が既に上の方には見えていたのかぁ、と思いながらこの作品の冒頭を読み、我ながら不甲斐なさに苦笑いしてしまった。血となり肉となった言葉は、書き手の意識を超えてでも、こんな風に発露してくるのかと冒頭発見して楽しかったよ。風刺を発動させるものは、モドカシサなのかな。レス欄で垣間見たような作者心情も含めて、七夕の逢瀬になるのかな。楽しみにしてるね。 ('16/06/11 08:58:39 *1)
- 澤あづさ :
皆様ご高覧ありがとうございます。ふだんは個別に返信していますが、今回は出遅れたので、この1レスにまとめてレスレスします。風邪で寝込んだりしたため、せっかく9日にレスしてくださった方々に、迅速にレスレスできなかったのが残念です。
***
▼kaz.さんへ。
>チャカシズム(これは僕の造語だが)
>物語性より言葉の響きを大切にするといいのでは。
チャカシズムよりザコシ掌編小説(それはあなたの芸風の模倣に対するわたしの造語だが)のほうがよいということなら、おっしゃることはわかりすぎるほどよくわかります。
***
▼すずらんさんへ。
>注釈説明のことじゃなくてね。この作品、渡り鳥が旅をするように鳥瞰して読むとオモシロイんだけど、普通はそういう読みはしてくれない
>渡り鳥が旅の要所要所にもつ目印のようなもの //中略// ギミックや伏線みたいに作用しなくていい、単なる目印。
いよいよ(こいつの方向性がだめだということが)大変よくわかりました、ご返答に心から感謝します。わたしの理解を説明すると語弊が生じるかもしれんが、伏線では処理しがたい問題が本作に所在するということですね。
本作に限定して言えば、「各地の(ネタではなく)キャラが、客観的妥当性に欠ける、そしてそれを説得する力がない」のがなによりの問題でしょう。『鏡の国のアリス』でいうとライオン(イングランド)とユニコーン(スコットランド)みたいな目印がない。それを出せなかったのは努力不足としか言いようがないし、その努力を放棄するのは甘えでしかないでしょう。お目汚しで申しわけなかったと(すずらんさんの善意とは関係なく、自負の問題として)今度こそ思いましたよ。そういうわけだから、
>我ながら不甲斐なさに苦笑いしてしまった。
それは、とんでもない話だよいすちゃん、以下ほぼ余談。
>風刺を発動させるものは、モドカシサなのかな。
うん、その話おっぱじめるとすっ飛びまくって長くなる。それは詩(この場合は逃げ)でなく批評(この場合は戦い)で語るべきことと思っているので、ここでは言及しない。自分に詩才があるとは微塵も思ったことがない(すげーネット詩を文学極道でも山ほど見たからさ!)が、「わたしだから書けるわたしの詩」みたいなものはあると思ってて、それを成功させたいから文学極道に投げている。いすちゃんは「わたしがなにをやりたいのか」をあっさり理解してくれてるので心から信頼している。七夕の「評論詩」も、くそまぬけだったら、遠慮なくぶん殴ってね。
***
▼天才詩人さんへ。
>作品だが、単なるゴミで論じる価値なし。
ゴミなのに論じる価値がないとおっしゃるのだから、あなたは本作を「有害な情報ではない」と判断なさったのですよね。無害なゴミには口出ししないのが社会人の良識。無害だがゴミだから悪いと言いたいのなら、その理由を説明し説得するのが評者の仕事。あなたの上記ご批評は、良識もなければ仕事もしていない、作品の問題も作者の責任も指摘していない、まさに論じる価値のないネガキャンだなーと(本業でネガキャンに慣れてる職人系として)率直に思いました。「あなたにとって論じる価値がない」からわたしがどうすべきなのか、説明されずに理解できる人間はいない(それで理解した気になるやつはバカ)といった意味合いです。わたしとは無関係な文字化けお疲れ様でございます。
***
▼北さんへ。
>この中華料理の会では、一番年下で、貧乏人ですから、精一杯の心遣いを、参加される方に、見えないように振舞いたいです。
振る舞いに自虐はご法度、自信のない職人を信用する客はいない。うちのお客様も皆さんお金持ちですが、(そしてうちの業界は全員が社会の底辺にいるわけですが、)そう自分に言い聞かせて本業に臨んでおります。お料理もお茶も振る舞いの喜びも、ぜんぶ満喫してきてくださいね。 ('16/06/11 09:32:53 *1)