荒地
さようなら私たちの懐かしい荒地
実りを知らない荒地の春
私たちの残り香だけが香る
私たちの稲の家は
荒地の春に燃やされて
私たちは駆けていく
どこまでも遠くへ
例えば、例えば、と、
子供の様に聞く
それは私たちが知らなかった春
何れ会うことになるでしょう
あなたたち
私たちの乳母は未だに
狼の群れの中で
炎の晩をしているのだから
私たちは出て行ける
そして雨が、雷が
私たちの荒地を打つでしょう、
雨が止まる瞬間、
私たちは待ちましょう、
どこまでも長い時間の中で、
どこまでも下っていく時間の中で、
そして原野へ
私たちの野に開かれた田畑
夜、田畑につみあがる子供たちが降りてこない
私たちはそしてまた出て行くでしょう
私たちの背骨から生える
多くの原野よ
私たちの春を知らない
春の友人たちよ、
湿地帯を越えられない多くの友人たちよ
あなたたちが醜く引いた線も
いつかは雪に覆われて
この世から消えてなくなるでしょう
だから私たちは駆けていくでしょう
この荒野という緑の極地から
戦うために私たちの乳母が知らない原野へと
さようなら荒地へ逃げる春の友人たち
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20070816_164_2277p
- 稲村つぐ :
常に芽吹き続けていくのは、私たち自身である、ということ。その謳歌が聞こえてくるような作品でした。
>炎の晩をしているのだから
炎の番、ですね。
続いてくる表現が印象的でした。
>そして雨が、雷が
>私たちの荒地を打つでしょう、
>雨が止まる瞬間、
>私たちは待ちましょう、
>どこまでも長い時間の中で、
>どこまでも下っていく時間の中で、
ひたすら未来へ向かうようなベクトルの中、「引き受ける」という愛情の深さを感じました。
そして、そのことが最終連の、未来性をも打ち消すような詩行を引き立たせているように思えました。
可逆的なシンメトリーの中心で、私たちは何者でもない、という虚しい読み方にも囚われますが、芽吹いている、芽吹き続けている。そう胸に訴える声が響いてくるようです。 ('07/08/16 23:00:33)
- 平川綾真智 :
拝読させていただきました。
とても優れた作品だと思います。
荒地 というありふれた多くの方が取り組んだ題材に正面から向かっていって、詩情の醸し出し方が非常に実直で、二連目
例えば、例えば、と、
子供の様に聞く
この持っていき方が、群を抜いていると思いました。
私たちの荒地を打つでしょう、
雨が止まる瞬間、
私たちは待ちましょう、
どこまでも長い時間の中で、
どこまでも下っていく時間の中で、
この「、」の効果も比喩としての荒地が立ち上り実存し立脚する作用を惜しみなく発揮しているように思えました。
私たちの背骨から生える
多くの原野よ
この言葉は、作品の中で強度を確固にし、最終行まで柔らかな緊張を見事に張ったと思います。
難点を言えば(誤字は勿論として)、
そして原野へ
の行だけを作品として考えるのならば、一行空けるだけでも連作的効果で解るのだけども、後もうひとつ何か工夫が欲しく感じました。
一マス空けるだけでも、より高い位置に到達するように思えました(荒地 の部位も含めて)。
実に情感に富んだ優れた作品だと思います。
以上です。
失礼します。 ('07/08/18 15:02:39)
- 後藤 脇片 :
はじめまして。
「荒地」というと、エリオット、荒地派、田村隆一を連想させるのですが、この作品は、もしかしたら影響されているのかもしれないけれど、独自の情感があり、読んでいても感じるものはあると思います。
>あなたたちが醜く引いた線も
という一行に作者の目線が現れているようで、引っかかりはあります。
全体の文章からこの一行が浮いているようなのは、意図的だとすると、むしろ「情感がない」とも言える。皮肉にも読めます。 ('07/08/27 16:35:42)
- みつとみ :
この作品に関しては意図的にスルーしようと思っていたのだけれど。すこしだけレスを。スルーしようと思っていた理由はわたしの連作「狼」シリーズで、「荒れ地」「狼」という詩句を使うことに異議を唱える読み手がいて、それに対してわたしが詩にタブーはない、「荒れ地」「狼」という詩句は使っていいのだ、と言ったら。うまくいかいかさんに使われてしまったということで。作者の意図が計りかねたので。
うまく書けているとは思う。ほんとうにこれを作者に書く必要があったのかと、問うても意味もないだろうし。
「炎の晩」は「炎の番」ではないのだろうか。2連目だけ後半、読点の改行があるが、これは狙いだろうか。など細かな点もあるが、良く書けましたね、というのが妥当だと思う。 ('07/08/27 21:54:04)
- はらだまさる :
こんばんは。
こういう詩をいかいかが描くことに、ぼくは疑問を感じずにはいられない。ないものねだりというか、センスとムキムキに鍛え上げられた想像力だけの軽さが、表面を上滑りしている印象です。俺の詩も軽いかも知れないが、それ以上にこの作品は軽いのではないのかな。
戦前戦後を生きた田村隆一が使う「荒地」のリアリティと、いかいかが使う「荒地」とでは、その含蓄されたものの大きさが違い過ぎるんじゃないかとと、俺なんかは思ってしまいます。例えば
>私たちの乳母は未だに
>狼の群れの中で
>炎の晩をしているのだから
こういった表現には、単なる比喩ととるか、でなければどっかで観たアニメ的な映像しか浮ばない。とても低い確率で、外国かどっかの老齢の優れた読者の体験や経験に委ねなければ、成功しない類の危険を孕んでいるし、それは甘えともとれる。「狼の群れ」なんて、この国のどこで遭遇出来るんだろう?ここの読者にその場面をリアルに体感した人が、奇跡的にいたとしても、このフレーズが凄みを帯びるか、馬鹿にされるかのどちらかでしかない。
確かに詩の持つリアリティや含蓄なんて、不必要だというのも頷ける。ランボーだって、当時は海を見た事なかった(らしい)のに、海の詩を描いてる訳だからね。そこから派生したシュールレアリスムだって、イメージを楽しむという点において、リアルなんて重要じゃないというような風潮はずっと受け継がれていて、今でも、この文学極道でもその血が脈々と流れている訳だ。(何がリアルか、何て野暮なことは聴かないでね)
でもそんな想像力だけの言葉で、ほんとうに人を感動させられるかな?そんなのランボーだけで十分なんだよね、実際。俺はいかいかの想像力の逞しさや、センス、知識とか語彙の豊富さは、若いのにすげえなぁといつも関心させられているよ。俺が持ってないものだから。でも、それだけだ。
タイトルで読む気が失せるね。 ('07/08/27 21:54:23)
- チアーヌ :
こんばんは。
悪くないと思うのですが、ちょっと古めかしい気がしてしまうのと、作った感じがしてしまうというか、作るのは当たり前なんですがちょっとその辺りが気になりました。
イメージも「背骨から生える」(植物の地下茎のイメージ?)等、ちょっと使い古された感じがあって、でもそこに作った感じがなければ浸れると思うんですけど、ちょっと浸れなかったです。
悪くないとは思うんですけど・・・・。
読みながらちょっと思ったのですが、この詩はもっと長くてもいいのかも。そのほうが説得力が出るかも。と思いました。 ('07/08/27 22:14:04)
- 田崎 :
>みつとみさん
>わたしの連作「狼」シリーズで、「荒れ地」「狼」という詩句を使うことに異議を唱える読み手がいて、それに対してわたしが詩にタブーはない、「荒れ地」「狼」という詩句は使っていいのだ、と言ったら。
いや、誤解ですよ。僕だってどんな詩句であれ使われてしかるべきだと思っていますし。そんな馬鹿なことは言いません。当然問題なのは使われ方だと思います。
僕はそういう言葉の使用によってみつとみさんが作っていた(と僕が感じた)雰囲気やイメージ、について言及していた訳です。
現に僕は「荒地」「狼」という言葉が使われているこの詩にみつとみさんにしたようなレスを付けようという気にはならないですし。作品の出来不出来とか優劣とかいうことではもちろんないですが。 ('07/08/27 22:41:33 *1)
- 後藤 脇片 :
>でなければどっかで観たアニメ的な映像しか浮ばない。
アニメ的でかまわないかと思います。ここの主催者様も、多分、一番古くて「宇宙戦艦ヤマト」を知っている世代で、以降、「初代ガンダム」「エヴァンゲリオン」から「エウレカセブン」まで、ちょっと世の中からはみだした系=選ばれた人、のようなアニメに感化されて育った人が多いと思います。それらの元ネタは石森章太郎や手塚治虫で、及ぼした影響はものすごいものがある。さらに元ネタを探れば、早川のSF翻訳物であり、もっと歴史をたどれば、きりがない。新しさを求めるほど、古典に帰っていくようです。 ('07/08/28 08:24:27)
- いかいか :
レスにレスしないのが私のスタイルなんだけれども、とりあえず、レスしないけれども、いつも真剣に読んでいます。 ('07/08/28 19:50:26)
- みつとみ :
いかいかさん。
? 前半では、田村さんの「荒地」なんて……。後半では、みんながいう「リアリティ」といったものがどういうものかはわからないけれども、自分(いかいかさん)が「荒地」という言葉を使って書くとこういう詩作品になる、と作者コメントがあったと思うけれども。消さないほうが、読み手にとっても勉強になったと思うのだけれども。このレスには返答必要なしで。
田崎さん。
ではどういった使い方ならOKなのか提示していただけると、わたしにもお勉強になるので、機会があったら、よろしくお願いします。このレスに返答必要なしで。 ('07/08/28 21:19:49 *1)
- 松本K :
「荒地」という言葉が持っているイメージに作者はそのまま乗っかって詩を書いているのでオリジナリティーという点で弱い気がします。対比される「原野」という言葉も、そのイメージに対する反対の言語という域を出ていないからその言葉自体が具体的なものとして浮んでこない。言葉を使うとき流布されるイメージに乗っかっているのか、そうでないものとして使っているのか、その辺は書く本人すら判断できないような難しいところではあると思います。例えば「ナチスドイツ」という言葉で流布されているイメージをそうでないものとして使うならば、そうでないイメージで具体的像を結ぶような書き方をしないと言葉に詩が乗っ取られるということもあると思います。言葉は大体にして流布されたものであるし、そこからイメージされるものでもあるから難しいのではありますけど、はい。 ('07/08/28 23:34:39)
- 流離いジロウ :
いかいかさん
真剣に読んでる、ってことなので書いてみるけど、
「Storywriter,Poemwriter,Songwriter,Hatenanikki」 を100とすれば、この詩には10の価値も無い。表現に向けられるべき書き手の眼差しが、真っすぐではないからね。悪いけど、この詩は雛形をなぞっているに過ぎない。テクニックだけでね。こういう言葉では、読者は怯えないよ。怖れを感じない。この詩に限らず、最近の詩には同じ傾向が読み取れる。若さがむき出しになっちゃった印象だな。
別に罵倒じゃないけど、そういう風に読んでいる者も、いるってことだよ。勿体無い。 ('07/08/28 23:43:38)
- 後藤 脇片 :
エリオットの「バーントノートン」という作品にも「子供」が出てきます。その子供は、私の読んだ訳では「わらう」と訳されていました。「原野」のイメージも少し似ているかと。そして、エリオットの方は「もっと深く闇の底まで降りなさい」という趣旨の内容でまとめられているのに対し、この作品を読んでいると、読者(この詩の主格以外の人)に対しての倦怠感が、かいま見えているように思われました。自然、作者の意図がネガティブな人間不信に見えてしまう。そう書くのは自由、しかし、読者の読後感にひびく、という側面もあると思います。 ('07/08/29 07:21:03)
- 平川綾真智 :
誤字は直していてください。とても勿体無く感じます。誤字でなく意図的だとしたら、効果はないと思います。
私たちの残り香だけが香る
ここも再考必須かと。
付け加えでした。
失礼します。 ('07/08/29 11:15:29)