夜が明けると、犬が放り込まれた。
顔馴染みのじいさんとばあさんが3人くらいいたが、結局どうしようもなかった。
女はレジ打ちの仕事をやっとこさみつけ、今日から、レジを打っている。
女がレジを打つ仕草というのは、なかなか魅力的だ。
男だったら果たしてどうだろうか、と男は説明している、
その傍では、何も起こりえない。
そしてどこへ行くのにも、
だいたい徒歩15分くらいだということに気付いてしまった時、
マンションのチラシなんかに掲載されている「徒歩10分以内」とかいう情報は
つまり、ほとんど意味がないということを知るべきだった。
実際計測してみると、徒歩12分を過ぎたあたりから、
だいたい3分後には目的地に到着してしまう。
だから男は、仲間には何も話さないことにした。
それから、ずいぶんと前に放り込まれた犬の何匹かが吼え始め、
それを駆除するために業者が駆けつけた。通報したのは、
犬とは利害関係を持たないマンションの住人だった。
そして右側のエレベーターが故障した。それは偶然だったが、その時すでに
左側のエレベーターは故障していた。ポストに投函されたマンションのチラシは
今日も新しい情報を提供しなかった。ずいぶんとひどい話だ。
犬は殺されないでいた。最近は殺すより殺さない方が面白いんです、
と業者の男。ついでにエレベータを直してくれませんか、と
犬とは利害関係を持たないマンションの住人が哀願した。
夜が明ける前に修理しておきます、と言って、男はいなくなった。
その傍で説明している男が、もう何年も仕事を探し続けているがみつからない。
商品の価値が値札に書いていると思っているタイプの男だから
仕方がないのかもしれない。今日も一日何も起こらなかった。
ポストに投函されたバイト募集のチラシを見て
もう何十年も働いてはいないけどレジ打ちくらいなら、
と女は軽い気分で応募した。面接で渡されたアンケート用紙のアピール欄には
ああ、すごく楽しいはずよ、レジを打って、打って、打って!
と書いてみた。夜が明ける前、目をこすりながら、
女は今度こそ採用されるかもしれないと思った。
もう何十年も男は説明している。いつ殺されても平気のはずだった。
しかし、最近は殺すより殺さない方が面白い。
レジを打つ女は、次から次へと新しくなったが、
だいたい苦情なんてものは年に数回程度しかないのだ。
マンションのポストには新しいチラシが投函されつづけた。
迷子の犬を探しています、
それは飼い主にとってのみ切実なものだった。
新しいマンションがどしどしと建設中である。
それは、ほとんどが徒歩10分以内の距離に集合していた。
男には、もう、そういうことのすべてに説明が必要だとは思えなかった。
しかし、世の中には、説明を必要とする人たちが
一定の確率でいることも既に知っていた。
今日はレジ打ちの女が欠勤だ。
きっと女は戻ってこないだろう。
つまり、こういうことだ。
ほとんどのことは、値札に書かれている。心配するな。
- ロン毛パーマ :
はじめまして。
文句なく、かっこいい詩です。決まりまくってます。
文章がすでにオーラを発しています。徹底してクールです。
この作品の魅力ってのは、語り手の向ける目線にあるのかなと思いました。
よくある神の目、みたいに高いところから見渡す目、ではなくて、あくまでひとりの生活者としての目線を失っていない。けれど、ふつうの生活者ではなくて、それは何かを達観した何者か、であって、何者とも関係しない何者か、なのかと、勝手にそう推測しました。その語り手が最後に「心配するな」と言ったりするから、ぞくぞくっとしてしまうのかなあ、と。
僕には批判すべきところは見あたりませんでした。
いやあ、かっこいい。ってか、それだけで十分でしょう。
>つまり、こういうことだ
なんて言ってみたい! けれど、素人が真似するとださださになっちゃうから要注意!
……先日、久しぶりに「レザボア・ドッグス」を観たのだけれど、その時改めて思った「ああ、かっこいい」と、この詩を読んで感じた「かっこいい」は結構近い物かなと思ったりします。
かっこよかったっす。ありがとうございました。 ('06/06/06 17:41:14)
- sakutaro :
はじめまして、一条さん。これは素晴らしい詩だ。
テーマはおそらく、「人が生きていくという事」及び「情報の本質」でしょう。この詩において「女」の顔は私には見えるけれども、「男」の顔が見え無い。複数の男のようだから当然かも知れない。
私は女性達の意見が不思議に一致するのがまだ、良く判らんのです。
即ち、「女は男の顔を見ない。まず、手の爪、鼻毛、あとは、体臭、、靴下など、、」
そういう事を思い出した。私はこの詩に使われている言葉には言及しない。
ただ、「人生」を知ってしまった一条さんという詩人に哀しみを覚える。
賛美をこめて。。
さまよへる眼の捉えたる木下闇 さく ('06/06/06 18:13:31)
- ケムリ :
一条さんの解析不能の詩にぶつかるごとに、本当に悔しく思うんですよ。
ぼくはこの詩が文句なしに好きです。でも、なんで自分がこの詩が好きなのか説明出来ない。そりゃあ、文章の流れは良いです。読みやすいです。ソリッドな文体も良い。でも、それだけでこんなに魅力を感じる筈もない。イメージは必ずしも鮮やかではないし、スパークするものがあるわけでもない。表立って叩きつけられる思想性があるわけでもない。わからない。多分、メタファの類では無いし、少なくともぼくはメタファとして受け取ってはいない。でも、好きなんですよ。この詩。 ('06/06/06 21:24:37)
- Tora :
鳥肌が立ちました。自分が抱えている詩への悶々とした思いが解き放たれたかのようです。
ちょっと魂交換しませんか?こういう詩が書きたいです。今は。
題名との兼ね合いで更に面白く読ませていただきました。
どこがどう良いとか悪いとか、ありません。
この一部の風景を切り取ることで読ませたかった真意がなんなのか。
それを考えるだけで楽しい。
一条さんの詩の中で、俺はダントツに好きです。
ベタ褒めですみません。レスがつまらないねw許して。 ('06/06/06 21:26:29)
- りす :
怪作だと思いました。何故こんなに心に残るのか分からないのですが、思いついたことを少し書きます。まとまらないので箇条書きで、失礼します。
◆まず、僕の家から埼京線の最寄駅まで、だいたい徒歩15分です。また、僕の家から京浜東北線の最寄駅まで、だいたい徒歩15分です。また、新宿駅から僕の職場まで、だいたい徒歩15分です。偶然なんでしょうが、偶然でないような気がする。この詩を読んでそう思いました。
◆作者の関心は、明らかに言葉・言語にあると推察されます。説明、通報、投函、哀願、応募、といった情報の伝達に関わる言葉が頻出します。表現活動の類型化のような気がします。
◆「説明する男」は、自らが説明し尽くされた男かもしれません。
◆「犬」は、例えば、「詩」ですか?
◆「ああ、すごく楽しいはずよ、レジを打って、打って、打って!」これはいわゆる、詩ですね。
◆「ほとんどのことは、値札に書かれている。心配するな。」これを読んで、詩を書くのが怖くなりました。
いろんなサイトで詩を読みますが、今年、一番面白かった作品です。
断片的ですみません。 ('06/06/07 01:55:35 *1)
- 狩心 :
10回読みました。面白いは面白いです。でも面白いだけで終らせたくないのですわたしゃ。うん、この詩、難しいですね。というか、難しく考える必要も無いかもしれませんが、ちょっとわたしゃ、この詩、解剖してみようと思います。それには時間が掛かるので、また後日、レスさせていただきます。 ('06/06/07 10:18:43)
- 一条 :
ロン毛パーマさん
「レザボア・ドッグス」は自分も大好きな映画で、もうかれこれ、10回以上は観てますが観るたびに、ああ、なんてかっこいいんだろ、と。特に好きなシーンは、片耳切り落とされた警官が「なんで誰も助けにこないんだ」と言った時に「馬鹿やろう、おれは死にかけてんだぞ」と、ティム・ロス扮する潜り刑事がシャウトするとこですね、ファッキュー、ファッキュー、ダイイングって。キルビルみたいな映画撮ってる場合ちゃうで、タランティーノ、と個人的には。
>「語り手の向ける目線」
別のレスでロン毛パーマさんがポストモダン文学について触れられていましたが、ぼくも、その手の本は漁り読みしているので、語り手の向ける目線が物語自体を否定する方向に誘ってるかもしれませんが、ぼく自身は、そこには無自覚というか頓着していないつもりです。ついでにいうと、この作品においては「チラシ」というのが一つのキーワードになっていますが、青木淳悟の『四十日と四十夜のメルヘン』からの影響あるいはパクリ具合、についてはやんわり否定しておきます。でも、やっぱりピンチョンに憧れはあるもんです。
sakutaroさん
>「人が生きていくという事」及び「情報の本質」
やっぱり、これは外せないですよね。大量の「情報」の中で「生きていく」ということ、その現代性についての分析、または感傷というのかな。人は基本的に与えられた「情報」を処理するしかないわけで、その点においては、どっしりと構えておけばいいはずなんですが、例えば、GoogleやAmazonがやろとしているのは、人のデータを向こう(ネット)側に蓄積させるだけではなく、人が本来すべき情報処理を向こう側で代理でやることによって「儲け」をうもうとしている。ぼくは、そのようなサービスについては否定しませんが(むしろ、ぼくは向こう側の中の人なので、それを否定すると生活できなくなります)、ネット社会の利便性ってのは、つまり、われわれの「身体性」を向こう(ネット)側に売り渡すことによって得られているのではないか、なーんて、そんなことを思う今日この頃です。つまり、そのような視点が、この作品にも反映されてるかもしれません。
ケムリさん
>イメージは必ずしも鮮やかではないし、スパークするものがあるわけでもない。表立って叩きつけられる思想性があるわけでもない。
その通り!と言うしかないんだけど、で、なんでこうなっちゃうのかというあたりを自分なりに分析してみると、もちろん筆力的なことが大きくて、いわゆる学校の国語の試験は得意だったけど、作文はからっきし苦手でした。文章のつたなさ、については本当にいろんなとこで突っ込まれてることなんで、それはそうなんだと思うし、自覚は一応あります。もちろん、時には意図的に文章をつたなくしている部分もあるにはあるんですがね。ぼくの作品に関しては、他の人もそうだと思うけど、基本は何かを誰かを模倣しているわけで、その元ネタについては、別に隠すこともないので、このサイトでもいろいろ明かしているつもりではあります。ただ、好きな詩人とか影響を受けた詩人ってのは思い浮かばないんですよね。詩はもっぱらネットで読むくらいですかね。
Toraさん
ぼくは、他の人にToraさんがつけているレスとかすごい好きですよ。この年になると、ってそんなおっさんでもないですけど、いや、おっさんかな、ま、ぼくがおっさんかどうかは置いといて、状況によって、あるいは人によって、言うことがころころ変わるような人ってのは、しんどいというか、なんだかなーと思うのですが、Toraさんは、素晴らしく一貫しているし、信念みたいなのを感じることが出来ます。基本的に、このサイトに集まってる人は、その点において信頼できるというか、だから、ぼくは、ここに詩を書き続けているんですが、例えば、ダーザインさんがダーザインさんじゃなかったら、もうここには詩を投稿してないだろうし、ここに詩を投稿しなくなれば、たぶん、ぼくは詩を書いていないと思います。Toraさんがフォーラムに「詩と詩人」について書いておられましたが、自分にとって詩がなんなのかってことについて考えると、まだ、わからないことが多いです。これを機会にちょいと考えてみます。
りすさん
>断片的ですみません。
いえいえ、この作品自体が断片をつなぎ合わせて出来ているんです。だから、断片的な感想になるのは無理もないです。「断片だけがわたしの信頼する唯一の形式」って誰かが言ってましたが、結果的にこの作品の一つのテーマが、まさに断片で、断片をつなぎあわせて完成した一つの世界において、たとえば「徒歩十五分」みたいな不思議が発生しえるんじゃないのかな、と。ちょっと別の話になるかもしれないけど、『16歳の合衆国』という映画のなかで、「人生は断片の総和より大きいのよ」「でも、もしも断片がバラバラのままで終わったら。。」というやりとりがあるのですが、りすさんが指摘してくれた「表現活動」というのは、まさに「断片がバラバラのままで終わったら。。」という不安を埋め合わせるもの、あるいは、一つ一つの断片をつなごうとする行為なのではないかなあ、と思います。
狩心さん
楽しみに待っています。 ('06/06/07 12:06:41 *1)
- sakutaro :
一条さん、仮面をかぶつたコメントは止めませう。(笑)
あなたは、この秀逸な詩を、あつち向いてほい!みたいな感じで皆の視点をよそにそらそふとしてゐる。あなたは断じて「向う側の人」では無い。
すぐれた生活派詩人です。情報の選別眼の有る人の自己韜晦の見本みたいなレスポンスですね。それはそれで参考になりました。(笑)
墓場まで持つてゆきたき蛍の火 さく ('06/06/08 04:55:49)
- 一条 :
sakutaroさん
ありがとうございます。自己韜晦ですか、それについてはどういう言葉で返せばいいのか迷いますが、ちょっと考えてみます。ところで、作品を投稿して批評を受けるという行為は、なんだか心理カウンセリングを受けてるみたいな気分になりますね。作品を投じるという行為、批評の場にさらすという行為は、生半可な覚悟でやるもんじゃないのかなあ、と今頃になって気付き始めました。つまり、これまで生半可な覚悟で作品を投じていた自分がいるわけですが、そういう意味でsakutaroさんのこの返事は、いろいろなことを考えるいい機会になりました。改めてありがとうございます。 ('06/06/08 11:37:44)
- sakutaro :
一条さん、わざわざ、コメント、感謝に堪えないです。
これは、生半可な作品を投稿し無い一条さんだから言える事。
作家は作品を公表すれば、その作品の評価は鑑賞者に委ねるほか無いのです。例えば、「おまえの耳は多き過ぎるようだ」。そういう類の批評は無視して良い。ここのサイトに集う人は「打たれ強い人」が多いように感じられます。一条さんの詩は、消えかけていた私の詩心を刺激しました。
こちらこそ有難うです。 ('06/06/08 18:28:41)
- コントラ :
一条さん、こんばんは。
半覚醒の意識に吸い込まれてくるような文体が心地よいです。不可逆的な時間の流れにからめとられた、フィジカルな人間の生があり、もう一方にテキストファイル化された、ようはビットとして僕らの脳神経に書き込まれるような類の、情報の「世界」がある。この作品では、たとえば、スライスチーズのシートを剥がすように、その二つの領野が微妙にしか区分けされていなくて、マンションやバイト募集のチラシが辛うじてその標識として機能してるのかな、なんて思いました。ぼんやりとですが、「行為」の焦点化のしかたが問題になってる気もします。「殺す」とか「食べる」とか、現実では無理ですが、すくなともテキストレベルでは、行為者なしに、その「行為」を孤立させることができる、この作品はそのことを証明している気がします。
まあ、ない頭で考えてみましたが、これからも作品期待しております。では。 ('06/06/08 23:30:18)
- 一条 :
sakutaroさん
>作家は作品を公表すれば、その作品の評価は鑑賞者に委ねるほか無いのです。
仰るとおりだと思います。
それは常に強く意識しています。
コントラさん
こんにちは。学生時代、90年代中頃かな、ニコラス・ネグロポンティの『Being Digital』がテキストとして与えられて、やがてアトムは全部ビットに置き換えられて、ぼくたちはみんなデジタルになるんだというコンセプトにワクワクしなきゃ時代遅れになるぜという強迫感の中で、ぼくは人工知能だったりニューラルネットワークなんかを研究してた時期があったんですが、結局、当時も今も、アトムが全てビットになるなんてのはただの妄想に過ぎないんだろうなあ。
>テキストレベルでは、行為者なしに、その「行為」を孤立させることができる
行為者としての「私」が行為を孤立させることには、どういった意味があるんでしょうね。行為の孤立なのか、それとも放棄なのか。それを「情報」のオーバフローと関連付けるのは、あまりにも安直ですが。Being Digital という強迫感は、まだまだリアルじゃないのかな。 ('06/06/09 14:47:25 *1)
- 鳥 :
こんにちは。
2・4・6の連をとばすして読んだら、すっきりしました。
説明が多いように思います
箴言のような最終連の出し方は、疑問に感じました。 ('06/06/11 08:33:28)
- 一条 :
鳥さん
いろいろな読み方をして頂いたようでありがとうございます。
最終連の出し方については、今となってはあれで良かったと思ってますが
どうなんでしょうかね。 ('06/06/12 09:13:43)
- 狩心 :
レス遅れました。いあやぁ時間がなくて、やっと時間が出来ましたよ。では、久しぶりにまた読んでみましょうか。。バスケット・ダイアリー。はじまりはじまり。ちゃらりん♪
<前書き>
この詩、一読目、全然面白くなくてレスなんてしないで黙殺しようと思ったんですよ。んが、二回目読んだら面白かった。でも、十回くらい読んだら、実はテーマの掘り下げが浅い詩だと思った。私はこの詩を読んで面白かったが、その反面、衝撃や感動も新たな発見もなかった事が残念ですね。
<タイトル>
バスケット・ダイアリー「�〕良�のかご・日記」「�△瓦舛禳�ぜ・日記」「��スポーツのバスケットボールのような・日記」たぶん、�△�一番適切な意味だろうな(推測)。それにしても、しょぼいタイトルだ。これじゃ語彙力のない俺と同じくらいレベル低いよ。
<1連目>
夜が明けると、犬が放り込まれた。
顔馴染みのじいさんとばあさんが3人くらいいたが、結局どうしようもなかった。
女はレジ打ちの仕事をやっとこさみつけ、今日から、レジを打っている。
女がレジを打つ仕草というのは、なかなか魅力的だ。
男だったら果たしてどうだろうか、と男は説明している、
その傍では、何も起こりえない。
・いきなり一読目じゃ分からんような切り込み方だ、犬は一体どこからどこに放り込まれたのだ?じいさんとばあさんはどこに居て何してんだ?空間の指定がないというか状況説明がないな。さらに、「犬の文」も「じいさんばあさんの文」もそれ一行こっきりで終わってて、それらを支える文が第一連目にはないから意味不明だな。まぁこれは後々、明かされる事になるんだろうな。「顔馴染みの」って書いてあるけど、たぶん、本当に「顔馴染程度」なんだろうな、顔を知っている程度だ、要するに、あんまし知らんのだな。
・この連は第一連目だ、つまり物語で言えば冒頭だ、だからここでは、この詩全体の前置きを説明してるな。まず「犬」だな、んでたぶん「それを見てる人(じじいばばあなど)」が居てだ、んで次に、「レジ打ちの女」、んで全部まとめるのが「男」だな、ふむふむ、どうやらこいつらが中心に物語が進むらしい。「犬」ってなんか「惨めな」感じがあるな。「男は説明している」←こいつが主人公だな、というか作者自身だなこれ。もしかしたら、作者の嫌いな自分の部分かもしれねぇぞ。いや、でも、まだこの連だけでは分からん。読み進めよう。あ、あと、「その傍では何も起こりえない」って言ってるな、なんだこれ、「説明している男の傍では何も起こりえない」ねぇ・・・うーん、説明・・・口ばっかり&見てばっかりじゃ、何も始まらないって事か?、まだわからん、やっぱ読み進めよう。
<2連目>
そしてどこへ行くのにも、
だいたい徒歩15分くらいだということに気付いてしまった時、
マンションのチラシなんかに掲載されている「徒歩10分以内」とかいう情報は
つまり、ほとんど意味がないということを知るべきだった。
実際計測してみると、徒歩12分を過ぎたあたりから、
だいたい3分後には目的地に到着してしまう。
だから男は、仲間には何も話さないことにした。
・なんでどこへ行くのも15分くらいなんだ?んで、それ以外(15分以外)のことを言っている情報はほとんど意味がない、無意味だと。むぅ。まぁなんかの真実が隠されてるんだな。この段階では説明されてないが。どうでもいいような嘘情報が沢山あって、でもほんとのところ、なんだろね、真実か、真実は1つだよみたいなニュアンスもあるな。
・「だから男は、仲間には何も話さないことにした。」←まったく自閉的な男だ。
<3連目>
それから、ずいぶんと前に放り込まれた犬の何匹かが吼え始め、
それを駆除するために業者が駆けつけた。通報したのは、
犬とは利害関係を持たないマンションの住人だった。
そして右側のエレベーターが故障した。それは偶然だったが、その時すでに
左側のエレベーターは故障していた。ポストに投函されたマンションのチラシは
今日も新しい情報を提供しなかった。ずいぶんとひどい話だ。
・やっとここで、「犬の文」を支える文が出現したか・・・、犬の話の説明だな。利害関係を持たない奴(傍観者)が、業者(自分ではない誰か)に頼んで、吠える犬(何らかの当事者)を駆除しようとするわけだな。まったく、自分が快適に生きる為だったら、吠える犬(他人)はどうなってもいい、なんていう超利己主義が見え隠れするわな。さらに、自分でやらずに、業者(これも他人)にやらせるんだもんな、ほんと、どこまでも、自分は当事者になりたくないんだな(自分の手は汚したくない、ある意味なまけ心か?まぁそんな心構えだと「何も起こらない」生活なんだろうな、そしてたぶん極論言えば「全てを情報や道具や他者にやらせるような、自分では何も出来ない未来型の人間」になるんだろうか?それともただの鬱病か、とにかく無気力状態だな)。たぶん、マンションが舞台になってるのは「隣人の事もよく知らない現代人」なんていうよく聞くキャッチフレーズから、引用してきてるのかもしれんな。まぁ無関心というか、虚無感とも言えるな。
・エレベーターの故障については、どうかね。例えば、『エレベーター』ってさ「ボタン1つで移動してくれて、3階とか4階に住んでる人が1階に行ったりして、外の世界へ出向く装置でもあるな、その逆に、自分の部屋に戻ってくる装置でもある」、まぁ何にしろ重要なのは「自分の力を使わずに、ボタン1つで移動できる装置」って事だろう、もし『階段』だったら「自力で筋力使って移動しなけりゃならん」わけだ。この違いだな。ほー、で、故障しとるのか、なんだろね、そういう装置を軽く批判してるんかね。否定的なのかな。んで、「右側」とか「左側」とか出てきてるな、これは「右脳」と「左脳」か?もしや、頭が故障したって言いたいのか?wははは。
<4連目>
犬は殺されないでいた。最近は殺すより殺さない方が面白いんです、
と業者の男。ついでにエレベータを直してくれませんか、と
犬とは利害関係を持たないマンションの住人が哀願した。
夜が明ける前に修理しておきます、と言って、男はいなくなった。
その傍で説明している男が、もう何年も仕事を探し続けているがみつからない。
商品の価値が値札に書いていると思っているタイプの男だから
仕方がないのかもしれない。今日も一日何も起こらなかった。
・最近は殺すより殺さない方が面白いんです←これは、「やるよりやらない方が」「見せるより見せない方が」「説明するより説明しない方が」という意味だな。もしくは、「何者かを傍観する傍観者の方が楽しいんです」「関わりを持たない」なんて意味合いもある。どちらにしても、この文は、かなりこの詩とこの作者を説明し切っているな。時間と空間をバラバラにして配置した文章で構成されたこの詩も、つまりそういう理屈でやってるみたいだ(わざと分かり辛くして、かっこつけてる面もある)。「何も起こらない、もしくは、何かが起きたとしても、何も起こらなかった捉えてしまう男は、まさに傍観者的で虚無主義のようだ」
・商品の価値が値札に書いていると思っているタイプの男なのに、マンションのチラシなんかに掲載されている「徒歩10分以内」とかいう情報はほとんど意味がないということを知る男でもある、この考え方の両立(共有)はなんだ?これは矛盾していないか?うーん、どうやってこの矛盾した思想を、男は消化しているのだろうか。そこにこの詩の真相があるに違いない。というかこの男は同一人物か?それさえ危ういな。でもまぁ、たぶん同一人物って捉えた方がいいのかな。俺には理解し難いが、作者の中では、商品の値札とチラシの情報は違うものなのか?もしかして、あんまり考えずに適当に口から言葉を吐き出してるだけなのか。んでそれが文章になったから、詩にしたって事だったりするのか、もしや、かなり投げやりな、お人かも。
・第一連目で「夜が明けると犬が放り込まれた」と言っているのに、「犬を駆除しに来た業者の男は、夜が明ける前に修理しておきます」なんていう台詞を吐いている。おかしい。時間軸が破壊されてる。まぁおかしくもないか。まぁこれは見ない事にしておくか。
・「今日も一日何も起こらなかった。」←そりゃあ、何も起こらんよ、傍観者だからな。というか、大切な何かが起こっても気付けないんじゃないか?そういう冷徹さがある。愛のある生活は何処へ・・・。
<5連目>
ポストに投函されたバイト募集のチラシを見て
もう何十年も働いてはいないけどレジ打ちくらいなら、
と女は軽い気分で応募した。面接で渡されたアンケート用紙のアピール欄には
ああ、すごく楽しいはずよ、レジを打って、打って、打って!
と書いてみた。夜が明ける前、目をこすりながら、
女は今度こそ採用されるかもしれないと思った。
<6連目>
もう何十年も男は説明している。いつ殺されても平気のはずだった。
しかし、最近は殺すより殺さない方が面白い。
レジを打つ女は、次から次へと新しくなったが、
だいたい苦情なんてものは年に数回程度しかないのだ。
マンションのポストには新しいチラシが投函されつづけた。
迷子の犬を探しています、
それは飼い主にとってのみ切実なものだった。
・ここでもまた「夜が明ける前」という言葉が出てきている。この連の「女」と一連目の「女」が同じレジ打ち女だとしたら、時間軸的にはこの連が先で、一連目が後だな。だから、この連では「夜明け前」と言ってて、一連目では「夜が明けると」って言ってるんだな。やっぱり、時間と空間をバラバラにするのが好きみたいですね。
・やっぱ、犬の話と女の話は別の話のようだな。別の話をくっ付けてる。何でくっつけたんだ、まぁ犬の話は色々と解剖したが、そう言えば、レジ女について解剖してなかった。レジ女ってのは何なんだろうね。バイト、低賃金、スーパー、消費の象徴か(?)、面白みのない仕事って言う意味もあるか(?)「レジを打って、打って、打って」って表現はまさに、大量の金が消費され、大量の物質が消費され、どんどん時間が消費され、精神も苛まれるように消費されていく感じが出てる。「レジを打つ女は、次から次へと新しくなった」なんてのも、まるで道具や情報のように物のごとく扱われている感じがして、消費されてる感じする。でも、一連目では「女がレジを打つ仕草というのは、なかなか魅力的だ。」なんて事も言ってるから不思議ですね。表向きはそんな風に見えるけど、そりゃあ上っ面だけの話か。でも「レジを打つ女は、次から次へと新しくなった」って事は、レジつまんねぇ、こんなのもう嫌だって思う人が一杯居たって事でもあるね。やっぱ多くの人にとって、レジ打ち(まぁレジ打ちだけに限らず)なんて楽しいはずがないんだよ。なんか話しずれちまったw。あ、そうだ、で、観察者的な存在の男が、犬の話とレジ女の話をくっ付ける役目をしてるんだが、俺が思うに、「マンションの話」と「犬の話」と「チラシの話」と「男」で十分だったと思う、「レジ女の話」は蛇足のように思うのだが、なんか深い意味でもあるんですかぃ?
・マンションのポストには新しいチラシが投函されつづけた。まぁ要らない情報でもどんどん流れ込んできますからね、ポストだけじゃなくてありとあらゆる所から、チラシだけじゃなくてありとあらゆる手段で。
・「迷子の犬を探しています、それは飼い主にとってのみ切実なものだった」←やっぱり当事者と傍観者の話をしていますな。
・この連で出てくる「最近は殺すより殺さない方が面白い。」ってのは、なんか「社会に飼い殺しにされてる」って感じが匂ってくる。ある意味、「レジの女の話」もその系統か?。
・「もう何十年も男は説明している。いつ殺されても平気のはずだった。しかし、最近は殺すより殺さない方が面白い。」これについては3連目でも出て来てたから、同じような意味合いだな。でも、こっち連の方は、「殺されても平気」ってのが「関わってほしい」というニュアンスが強めに入っていると思う。何十年も男は説明してるのに殺されないなんて、とっても寂しい男だ。でもまぁ、その主人公っぽい男を見ている作者の目線は、異常なまでに冷静で、ニヒルな感じが出てる。
・<7連目>
新しいマンションがどしどしと建設中である。
それは、ほとんどが徒歩10分以内の距離に集合していた。
男には、もう、そういうことのすべてに説明が必要だとは思えなかった。
しかし、世の中には、説明を必要とする人たちが
一定の確率でいることも既に知っていた。
今日はレジ打ちの女が欠勤だ。
きっと女は戻ってこないだろう。
・なんか、社会に管理されてる、仕組まれてるみたいな作者の鬱憤がプンプンするのは私だけだろうかw。。でも、社会を変えようとか、真実を暴こうとか、社会をどうこうしたいって感じではない。だからたぶん、「説明が必要だと思えない」んだろうし、2連目にもあったように「仲間には何も話さないことにした。」んだろう。やっぱこの作者は、社会批判みたいな背景を持っている詩を書きながらにして、最終的には一個人の問題、つまり、一人一人の意識の問題の方に持っていって、つまり、結局のところ、自分のスタイルみたいな話になってくる。だからむしろ、この作者にとって社会批判は重要なテーマではなく、手段でしかない。
<最終連>
つまり、こういうことだ。
ほとんどのことは、値札に書かれている。心配するな。
・上記の2行でかっこよく締め括りたいなら、なんで、4連目で「商品の価値が値札に書いていると思っているタイプの男だから」って文を使っちまったんだろうか?勿体無い。4連目で使わない方がかっこよく決まるでしょうに。まぁ、かっこよさはどうでもいいとして。この最終連の内容は、7連目で出てきた「世の中の説明を必要とする人たち」に言ってるのかもしれんな。ある意味、分かりづらい詩を「つまり、こういうことだ。」って言う締め括り方によって、迷宮入りしている読者を擬似的に納得させて、カタルシスに向かわせる、まったく嫌らしくかっこいい手口だw。まぁ読者の話は横にどけて置いて、この最終連の言葉は、一応、この詩の登場人物である「男」に言わせている、で、作者はその「男」の事を「商品の価値が値札に書いていると思っているタイプの男だから 仕方がないのかもしれない。今日も一日何も起こらなかった。」と言って、蔑んでみてるように思う(貶してる)。所詮その「男」が言った言葉だ。つまり、「つまり、こういうことだ。」と書いておきながら、その後に続く文は「嘘だ」とも言っていると思われる。「ほとんどのことは、値札に書かれている。なんてのは嘘だ。心配しろ。」って事なのかね。でも「心配するな。」ってのは本心だと思うよ。なぜなら、作者自身もまた「仲間には何も話さないことにした。」のような人間だと告白しているからである。簡単に言ってしまえば、この最終連、読者の事を馬鹿にしているのである。ぐははwこりゃあ織田信長を討ち取った明智光秀の気分だなww(妄想万歳)。
<あとがき>
いやぁ、長々読んでくれて有難うございます。たぶん、私の解釈は曲解しているのもあれば、所詮、推論のところもあるし、まぁ多少は当たっている所もあるかもしれませんが、基本的に「所詮、一読者」ですから、まぁ私としては作者さんの本音が聞きたいですねw。いやぁ、今後も頑張って書いてください、一条さん。俺なんかよりも、文章の才能ありますからね。俺は今後も一ヶ月に一回くらい一条さんの詩を読んで、勉強していきたいと思いますわ。いやぁ、有難うございました。(ちなみにこの糞生意気&ムカツク文章を書いている私は一条さんよりたぶん年下なのではないかと推測されますが、そこは許してくださいw) ('06/06/13 19:24:47)
- 一条 :
狩心さん
うおー、すごい長いからあせってしまいましたが基本的に罵倒ですね。狩心さんの自由な解釈に対して、ひとつひとつ踏み込んだりしないですが、すでに10回くらい読んでいただいているということで、あとさらに10回くらい読んでみたら、新たな発見があるかもですよ、と無責任なことを言ってみたり。
>ちなみにこの糞生意気&ムカツク文章を書いている私は一条さんよりたぶん年下なのではないかと
ちなみに自分は33歳ですが、狩心さんは若いんですね。このサイトには、えらく若い人たちもたくさんいて、そういう人たちと共にこのサイトを盛り上げていけたらいいなあ、と思います。 ('06/06/13 23:36:21)
- 狩心 :
また10回読んだら、たぶん感想&解釈が変わっちゃいますね。
まぁ見た目は罵倒ですけど、真相としては「こんだけ読者に書かせた」って言う事だと思いますよ。そういう魅力は十分にあるし、これはこの詩の問題ではなく、詩の出来が良いとか悪いとかではなく、作者の魅力が〇なのです。
ちなみに私は今24で、八月で25です。最近、がっつくような元気さがなくなってきました。がっつくような元気さを取り戻したいお年頃です。あーなんかーやすらいでるわー。あーやすらぎがこわいわー。 ('06/06/14 00:44:00)