この街は真っ白な壁に覆われている
街からの出口は北と南に一つずつ そこから人々は影踏みして去っていく
残るのは長い兵役に疲れた彼らと
ざらつく味のスープに慣れた僕らだけ
今日も爺ちゃんはチェスをする 僕のナイトはルークに阻まれる
「もうじき春が来る」彼は僕が生まれた時からそう言っていた
時々爺ちゃんは不思議な喋りかたをする
揺れるような音 伸びたり縮んだりする しわがれた唇
真っ白な壁は日に日に近づいてくる
年寄りはみんなポケットにピストルを入れている
それはずっと撫でられていて 角が綺麗になくなって
砂浜に流れ着いた硝子の欠片みたいに見える
「あそこはここよりずっと寒かった。私はね、塩ジャケが倉庫にあると聞いて…」
この話は何度目か 僕は七つの時にそれを数えることを止めた
「ジャガイモはな。幾ら腹が減っていても塩が無いと食えないんだよ…どうしてもね」
僕はナイトを進める それを見つめるまっ白い象みたいな眼差し
爺ちゃん 僕は言う
「もうじき春が来る」爺ちゃんは答える
そして爺ちゃんの口からは不思議な言葉が漏れる
伸びたり 縮んだり 上がったり 下がったり
爺ちゃんはピストルを撫でる
つるつるして 真っ黒で 柔らかく光るピストル
それは長い間に角がすっかり落ちて もうピストルとはあんまり呼びたくない
みんなのポケットにある不思議な重さ
「キンキンに冷えたピストルは指にくっつくんだ。剥がすと肉まで取れちまうんだよ…」
爺ちゃんはそうやって僕に指先を見せる 分厚い古樹の皮みたいな指先
「手袋だけは大事にするんだよ 私が教えてやれるのはそれだけだ」
爺ちゃんは眼鏡を外して 少しだけ目を細めた
だから 爺ちゃんが死んだ時 年寄りたちはみんな空にピストルを掲げて
僕は降りしきる雪の中 手袋をつけた手を空に掲げてた
街からはその日もたくさんの人々が去っていった
そして僕の口からも不思議な言葉が流れ出す
「もうじき春が来る」
誰かが言った その声は伸びたり 縮んだり 大きくなったり 小さくなったり
人々は何も言わずに 振り返らず街から去っていく
振る舞いの茹でたじゃがいも 年寄りたちは塩をつけて齧った
不思議な声はこだまし続けた
いつか ピストルはポケットの中で消えて行くんだろう
ざらつくスープと甘みの無い街
不思議な声はずっと消えなかった そして壁はいつか僕らを消してしまうんだろう
もうじき春が来る
- フユナ :
こんにちは、拝読しました。
硬質なような間延びしているような、不思議な雰囲気を感じました。
文中に「その声は伸びたり 縮んだり 大きくなったり 小さくなったり」とありますが、まさにそういう感じです。
実は4連目は、よくわかったとは言えないのですが、全体的な雰囲気がとても好きです。地元が北国なので(日本ですが)、雪の季節の老父の、もくもくとした姿が重なって見えるような気がしました。批評というより感想ですが…… ('05/06/24 01:02:41)
- Canopus(かの寿星) :
面白いなあ、と思ったのは、この作品の世界は、失われていくもの、縮ん
でいくものの描写がほとんどで、広がっていくもの、生れるものがほとん
どないんだよね。
唯一の例外が、「もうすぐ春が来る」のことばだけ。
ややもすると凄惨な描写になりがちなところを、かすかな温もりで包んだ
世界観が、とても好きです。
あと気になったのが、チェスをする場面。そのパートだけはやたら下手っ
ぴに思えました。 ('05/06/25 11:02:47)
- ケムリ :
フユナさん 伝えたかった空気が伝わってくれたようで、とても嬉しいです。この詩は祖父(戦争に行って、シベリアに抑留された人です)がモチーフになっていて、四連目はその言葉を引用しています。また読んでいただければ幸いです。
Canopusさん お褒めいただいたその雰囲気や世界観は、僕の祖父が僕に語った抑留時代や戦場の光景に端を発しているんだと思います。祖父は僕に、なるべく凄惨にならないように、時には活劇みたいに思い出を語ってくれました。その抑えたトーンの声が持っていた雰囲気を書きたかったんです。
チェスのパートは確かに下手です。というより、この詩は全体の文章が今ひとつぱっとしていません。それなりに推敲をしたのですが、中々思い通りにいきませんでした。ただ、一つだけ言い訳させてもらうなら、この詩は元々小説として書いたものを詩に焼きなおしたものなんです。「小説」の文章と「詩」の文章のギャップを埋めるのは、意外と難しいです。すいません、つまらない言い訳でした。 ('05/06/26 02:42:12)
- 無名生 :
単なる通りすがり的感想ですが。
とにかく8連が抜群にいい、と思いました。一気に来る祭り、日常からシュールへの飛躍。死が背景にあるだけに一層郷愁というか過去への愛惜を感じさせると。ご自身「この詩は全体の文章が今ひとつぱっとしません」と書いておられ、その点は私も感じますが、それがこの8連に対して(作者は意図しなかったかもしれませんが)見事なコントラスト効果を持っていることは否めません(かなり失礼なことを書いております。申し訳ない)。 ('05/06/26 21:59:37)
- ケムリ :
無名生さん 伝えたいことは伝わってくれたのですけれど、やはり素直に喜べません。自分の文体で描けない以上、やっぱりその効果は偶然の産物で、僕の力ではありませんから。今、言われて初めて「ああ、なるほど。そういう風に働いてるなぁ」って気づいたくらいです。しかし、とても勉強になりました。僕はあまり、詩において「溜め」を作らない(思いつくままに書き並べる)タイプなので。 ('05/06/30 16:30:45)