きみは風のみちを歩きながら、あまたの黄昏に出会い、錆びついた鉄骨が剥き出しになった橋のしたで綺麗に身体を折りたたんできた、そう、なんども。緩やかにカーブを続ける国道沿いの小高い丘の上で、新しくなったキンポウゲの匂いをかぎ、雲の流れる先のひかりに目を細くしながら、そう、こうやってカーブを続けることにとてつもない意味を発見したのかもしれない。
今日ではない、いつかの夢の中の予感が草のみちを走るきみの背中にはりついているよ。寄り添っているよ。けれども枯れ枝を踏み潰すことなく、そのしなやかでなくなった曲線をも愛するがごとく、きみは、羽のように吹き遊ぶだろうね。それはきみが生前描けなかった軌道なのかもしれないし、いなくなってしまうときの冷たい硬直に対する柔らかな抗いなのかもしれない。
きみは、今や、かつてそう呼ばれていた名前からの逸脱をさだめられた回転体のようにだだっ広い世界に自らを企投し、雲のみちを跳躍するだろう。そのとききみは、あまねく降り注ぐ慈雨のようには、どうか、成り果ててくれるな。その鋭かった歯で、憎悪や後悔や呪詛や妬みをいつまでも噛みしめていてくれ。
きみの、その、旅路の果てに、幸福な夕食は用意されていない
きみの往く道に神なきことを、祈る
ある朝冬の車道に、その祈りを置き去りにさせてくれ
そしてきみは、いくつもの冷たいアスファルトの道を歩き、冬を歩き続け、季節外れの雪に、冷たさに、包み込まるとき、辿り着いたオレンジに染まる民家の、庭先に植えられたアネモネの、弱い毒に、爽やかに、摘み取られるだろう、その魂をも
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161208_282_9337p
- 山田太郎 :
音楽的だし色彩もうつくしい。練りに練られた
名作映画の長回しのワンショットのようにきれいなイメージだ。
それが閉塞した時代の息苦しさや先の見えない不安や苦しみを
絶望を非常に重層的で迂遠な経路をとおして無化しているとおもう。
わくら葉か枯れ葉をおもわせる喩もきれいだし、
微毒をふくんだ美しい野の花のイメージもきれいだ。
〈企投〉ということばや表現が「今の時代」に突き刺さっているという意味では、
まさに現代詩。
他サイトではなかなかお目にかかれない、というかレベルが違う、いかにも
文極らしい、厚みと奥ゆきのある、いい詩だとおもう。 ('16/12/09 08:23:04 *9)
- 芦野 夕狩 :
山田太郎さん
お読み頂きありがとうございます(o^^o)
わくら葉という表現は初めて知りましたが、とても詩的な言葉ですね。
何かを書くに際して、自らが書きうる最上のものを書きたいと願うのは、皆様そうでありましょうが、わたしもまたそうでございます。そうでありますが、作品というものは、作者の手を離れて作者とは異なる心のうちに、新しくなんども書かれうるのでしょう。
山田太郎さんに頂いた評を拝読させていただきそんなことを思いました。
お褒めいただいた事実よりも、あなたが拙作に見出してくださいました、あたらしい意味に、感謝申し上げます。
そのようなプロセスもまた、術語の意味は離れますが、企投と呼んでも差し支えないような気もいたしますね。
前まで平日には何も書けなかったのですが、それでも絞り出さないといけないものがあると思い、書いたのが前作でした。そのときも山田さんにご批評頂きましたね。それがなくしては書けなかったのが今作だと思っておりますので、そのことに関しても感謝申し上げます。
お読み頂きありがとうございました(*´∇`*) ('16/12/10 10:18:18)
- 空転 :
文体の自意識がうざい。削ったほうがいいよ。「よ」とか「ね」とか。音がルーズ。
謳ってる叙情は悪くないんだけど、方法論がね。文体は思想だと信じてる。内容がくだらなくても、文体で語る事ができるのが詩歌だと信じてる。
企投、という選語は疑問。それで良かったの? 語の意味を設置する責任を負って欲しい。
透明な削ぎ落とされた言葉を期待する。モティーフはとても素敵だと思う。
残念な作。夕狩さんの詩、嫌いじゃないけどね。
大切だと思う言葉こそ削る勇気を。 ('16/12/11 02:59:15)
- アラメルモ :
きみ、という主体を置くことにより情景までもが曖昧にぼやかされ表現されて読めてきます。
それはつまり文章自体の発語が強調される訳ですが、ここまで多く繰り返されると逆に主体は強調され過ぎてしまいます。
おそらく語り手を意識した二人称の曖昧な視点が意図されてのことだと思います。
こういう拵えならば、何か対照となるものが明確に指示されていないと、読み手に伝わる作者の意識も弱くなると思います。それは目の前の風景であってもいいし、非現実の空間を意識した私、像や描写であってもいい。
そうですね、発語が目的ならば、例えば浅井さんが書かれるような自意識による完遂な文章を目指さなければ目的意識も薄れてしまう。
広い世界に(に)自らを企投し、(誤りがありますよ)。とかひとつひとつの選語が果たして意に沿っているのだろうか。
もう少し推敲の余地はあると思います。 ('16/12/11 13:36:47 *5)
- イロキセイゴ :
イメージに不自然なところがないですね。風のみち、あまたの黄昏、錆びついた鉄骨、橋の下、カーブを続ける国道、キンポウゲの匂い、流れる雲・・・
一連目だけで破綻もなくなめらかです。 ('16/12/12 05:06:16)
- 澤あづさ :
ある冬の朝、通勤ラッシュの車道で停車中の車窓から、轢かれた犬かタヌキかなにかの死骸をまじまじと見てしまった語り手が、その死骸を【きみ】と呼んでいる。と思って拝読しました。やるせない罪悪感と、その罪悪感の背景にあるエゴが強く感じられ、説得力のある語りだと思います。
死の流れ(天に昇る/地に還る)に沿って分解されていく骸のイメージと、感情も凍りつき固まるような冬という対比。腐敗を遅らせる寒気が、骸の昇天を妨害しているような感じ。さまざまな暗示が絡み合い、通勤ラッシュや感情に「流されている」語り手の生きざまを浮かび上がらせて、深い抒情を醸していると感じられました。われながら、陳腐な鑑賞ですが。
*
しかし二人称文体は、対象か観察者の少なくとも一方がなに者なのかを明瞭にしないと、意義を発揮しにくい文体だとわたしは思っています。語りの視点や立場がわからないと、「なぜそのように思うのか」を想像できませんから、読者の入り込める余地(行間)がないと感じるのです。
この作品も、【きみ】がなぜ語り手に注目されているのかを読みにくいです。散漫ではないが、比喩が過剰であり、臨場感を欠くので入り込みにくいと感じました。
趣旨を明示したくないという意向ならわかる気がしますし、効果も感じるのですが、初見では「もったいぶった大げさな表現」という悪印象を払拭できませんでした。比喩を厳選し表現を凝縮するか、【車道】をしっかり描写するか、なにかもうひと工夫必要なんじゃないかと思います。 ('16/12/12 06:29:32)
- シロ :
作者にとって、この作品が「重い」ものであると私的に感じるのですが、それが詩句それぞれに吟味され配置されていると感じます。
技術的な部分は解りませんが、わたくし的に「濃い」詩であると感じました。
良い作品だと思います。 ('16/12/12 07:49:24 *1)
- 芦野 夕狩 :
皆様寒い日が続きそうですがいかがお過ごしでしょうか?
昨日お返事致そうと思っておりましたが、会社の忘年会の幹事なんてものを押し付けられてしまって、結局お返事書けずじまいでした(_ _).。o○
空転さん
文体は思想とのことですが、本当にその通りでございますね(*´∇`*)
あとで書きますが澤さんにご指摘いただくまで、わたしはいったいこの詩で何を表現したかったのか自分でもさっぱりわからなかったので、迂回迂回を続けてしまったのかもしれませんね。
もう少しシャープにものごとに臨むことができたらなあ、と思わせて頂きました(≧∀≦)
お読み頂きどうもありがとうございます(o^^o)
アラメルモさん
仰っていただいたことを、わたしの悪い頭では理解できず、的を射ないお返事になりますことを最初に謝らせてくださいね(u_u)
企投という言葉なのですが、実は造語のつもりで書いたのが、山田太郎さんにお返事するに際して、調べましたところ、何か難しい術語であったことを発見してしまったわたしの狼狽ぶりをご想像くださいませ(о´∀`о)
おそらく、わたしのようなあまり意識の高くない人間が使うのは好ましくない言葉だということは空転さんにも併せて申し訳ない気持ちでございます。
浅井さんを存じ上げないのですが、ご紹介いただければ幸いと存じます(*´ω`*)
お読み頂きありがとうございました(о´∀`о)
イロキセイゴさん
最初の部分は駆け足で書いてしまったような気がいたしておりましたが、読み返してみますと、最初が一番綺麗ですね(*゚▽゚*)
イロキセイゴさんが抜き出してくださったエッセンスの羅列が、拙作よりうつくしいような気も致しますがw
兎にも角にも読んでいただきありがとうございました(*^_^*)
澤あづささんへ
本当にこのようなご批評賜りましたこと感謝申し上げたいのですが、それと申しますのも、澤さんが仰る問題点であるところの、
きみがなぜ語り手に注目されているのかを読みにくい
というのは仰る通りでございまして、わたしもなぜ注目し、あまつさえ、同情し、不幸を祈るというよくわからない状態になったのか、全くわからなかったのですが、澤さんの鑑賞を通してとても昔に読んだ詩を思い出しまして、それだったんだ。と思った次第でございます(*´ω`*)
カインとアベルの詩なのですが、わたしがあの骸を見たとき、多分そのことを思い出していたのだ、と。
そう、申しますのも今シーズンのドラマで一番好きなんですよね(о´∀`о)
山田涼介くんがなんとも可愛くって(*´ー`*)
なんだか深層心理まで見透かされた気も致しますが、とても嬉しかったので、ちょっとはしゃいでしまいました(u_u)
お読みいただきどうもありがとうございます(о´∀`о)
追記
なぜそういうことを自分で思い出すことができたのかはしゃぐあまり書き忘れてしまいました(u_u)
天に昇る/地に還る と澤あづささんが言及していただきましたところで、はっ、と思い出したのでございました(°▽°)
シロさん
よく重いって言われます!(違
でも多分わたしなど、風船みたいな軽さだと思うんですね、実際。
皆様の言葉と対峙しておりますとそのことを切実に感じます。
ただ、わたしは、山田太郎さんへのお返事でも書かせていただきましたが、たとえ他の方から見たら取るに足らない人間にうつろうとも、というか、実際そうであろうとも、わたしの中で切実な問題に、これからも寄り添っていかなくてはならない、と考えはじめました。
それを受け入れてくださいましたことに多大なる感謝をお伝えさせてくださいね(=´∀`)
お読みいただきどうもありがとうございました(о´∀`о) ('16/12/12 22:30:31 *4)
- すずらん :
Lapseヴューに昨夜の夕狩さんのいかにも楽しげな返信がポストされているのを見ました。
それで、(このスレ作品の)ムトンチャクとも執拗とも思われる「きみ」への連呼が作品ではなく実は書き手に目を向けさせることをもたらす(作者にとっての)綺麗な報われなのだろうなと思いました。
見ず知らずの作者とのこういう係りは、一読者に過ぎない私にはけっこう「重たいのに空しい」かな。でも考えてみると…、こういう係りこそが、実は作者が「ある朝冬の車道」に横たわる骸にみた出来事であって、ノラに生きる事と死ぬ事それを此方側にいて目撃し思いを巡らし「重たいのに空しい」を作者なりに昇華しているのかもしれませんね。
車道死に際して、「あゝ」と心に発語するのではなく、堆積した知の露頭に意味を探り言葉を産み出す、それは、現代詩に機作化されたことなのかもしれない。なんてことを、この作品に思いました。
イメージの1つ1つの括りがステキな作品だけれど、選語の精度をあげたり、メリハリをつけたり、まだやれることはありそうです。 ('16/12/13 22:11:54)
- 芦野 夕狩 :
すずらんさん
お読みいただきどうもありがとうございます(°▽°)
重たいのに空しい! それはまさに週の初めあたりの通勤時間にぴったりな言葉ですね(u_u)
もしかしたら、すずらんさんの仰るようにどうしようもなく割り切れない時間を、昇華させたくて書いたのかもしれません。
その骸は多分きっとほんとうの意味では、誰かに必要とされたわけではなくて、それは私も同じで、必死に「きみ」が生きていたことを記したかったのかもしれません、カインとアベルはどうなったんだ、って感じですが(≧∀≦)
そうそう、
選語というのをはじめて意識させていただきました。難しゅうございますね(u_u)
自分がコレだ!と思った言葉とは違った言葉を使うのは大変勇気がある行為と存じます。
私もいつかできるようになるのかなあ(*´ω`*)
すずらんさん、どうもありがとうございます(o^^o) ('16/12/15 20:24:03)