南向きのベランダから見下ろすように見える隣家の
コルク層がすっかり剥がれ落ちている百日紅は
壮年の花盛を誇るよう枝先を薄紅に染めていました
真っ白な真新しい塀に囲まれた若い芝の家から漏れるひかりを
君はどんな気持ちで眺めているのだろう
叔父や叔母と云うものは甥や姪にとって
どこか否応なしに気分を高揚させる存在みたいだ
単純なかるた遊びにでも夢中になって興じる事が出来る
遅れて帰宅した君は
「外まで笑い声が聴こえたよ」
と、なんとも云えない笑みを浮かべる
なあ、俺はお前にとって決して良い兄で在るとは思っていない
それにどこか気恥ずかしく、照れ臭いものだから、こんな事を面と向かって話す事はないだろう。
だからこんな風に書くけど
時々やって来ては甥や姪を笑わせる叔父なんて誰にだってなれるんだ
それより時々やって来る叔父と車座になって笑い合える時間を共有出来る甥や姪を
当たり前のように毎日守り続ける君を俺は少し誇らしく思う
こんな事、面と向かって話す事はないだろうけど
君は
あの真っ白な塀の向こう側
あの窓から漏れるひかりをどんな気持ちで眺めていたのだろう
隣に大きな百日紅の咲く坂の下の家で
若い芝と真新しい白い塀の君の家で
シフォンを透過する、そのひかりの中で
今日も誰かが泣いたり笑ったり。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161007_122_9166p
- ちょび :
ちょびと申します。
あなたは精一杯の気持ちで書いているが、その気持ちを汲む人はここには居ません。残念ながら。
ここに居ないということは、社会の何処にも居ないでしょう。
皆、弱いからです。
なので強くなるための忠言です。
「南向き」「コルク層」「真っ白な真新しい塀」
単語のチョイスが美辞麗句で自賛自称なんだよ。
これら三つを満たす国ってどこだ? モロッコとか紅海の辺りか? あ?
モロッコとか紅海行ったことあんのか? あ? ねぇだろ引き篭もり野郎が。
と、虚飾野郎が。
「こんな事、面と向かって話す事はないだろうけど」だと?
「南向きのベランダの僕」
「南向きのベランダの俺」
「南向きのベランダの俺」
「南向きのベランダの私」
だっけか?
「南向きのベランダのコイツ」
ベランダって南向きなんですねー。 ('16/10/08 02:18:57)
- ちょび :
おい空転、久しぶり。
元気してる?
ここ、僕に渇入れる場じゃないだろ。
ま、僕は偉そうだが問題を抱えてる。
単純に君らの力が足りず、
自分を計りかねているってのもあるね。
だってさぁ、ここで偉そうにしてる人もいざとなると逃げるんだよ。
実際タイマンの詩の理となれば皆逃げる。
空転、君が僕の試しになったことってあったっけ?
で、南向きだからどうなんだ?
南向きならさぁ、北半球は結構傾いているよなぁ!
何度くらい傾いてる? ('16/10/08 03:25:33)
- 金曜日 :
>ちょびさん
先ずは読んでくれて、ありがとう
モロッコ(笑)
直感的にそう感じられたのなら、きっとモロッコなのでしょう。
南向きのベランダは一般的に洗濯物がよく乾くと云われています。
コルク層は樹皮の表層です。本州ならほぼ何処にでも百日紅は植樹されているだろうくらいメジャーな木なので、是非ご覧になって触れてみて下さい。
北半球は今何度?の意味が全く判りかねますが、太陽視黄経は現在195度辺りかと思われます。
>空転さん
読んでくれて、ありがとう
まあ門外漢で在るのは間違いないで酢。 ('16/10/08 06:02:56)
- ヌンチャク :
百日紅が咲いているのは、
弟さんの家の隣の家ですよね?
では、『真っ白な真新しい塀に囲まれた若い芝の家』は誰の家ですか?
冒頭では隣の家かと思えたのですが、
最終連では、
『若い芝と真新しい白い塀の君の家』となっていますから、
弟さんの家ということで間違いないでしょうか?
つまり、弟さんが自分の家から漏れるひかりを、
どういう気持ちで眺めているだろうか、
ということですよね?
だとすると、
『隣家の百日紅関係なくね?』という結論に達しました。
この詩の肝は三連四連の、
家族を大切にしている弟さんへの思いなのでしょうし、
そこはとてもいいとは思うのですが、
とにかく余計な描写が多すぎるように感じました。
こういう作品はむしろ、
技術や考察など難しいことは考えずに、
シンプルに書けばそれが一番いいのではないでしょうか。
どのような詩であれ、
本当に魅力のある作品であれば、
文極でも現代酢フォーラムでも、
どこに出しても必ず評価されると思いま酢よ。 ('16/10/08 06:18:06)
- シロ :
そうですね、なんとなく物悲しい部分を感じさせてくれる作品ではありますが、基本、私もヌンチャクさんと同じ意見です。
詩だから難しくなければならないという事ではなく、核心を突くことが出来るかどうかに尽きると思います。
最初の連も、やや回りくどく感じられ、掴みを大切にされたらいかがかな?と思いました。 ('16/10/08 07:26:31)
- 金曜日 :
>ヌンチャクさん
やさしく在ろうとしながら客観性を排しない批評、物凄くありがたいです。
弟の家で間違いないです。
>「隣家の百日紅関係なくね?」
その通りです。
これは過去に500文字の文字数制限が在るところに書いた散文を弄くって詩に書き換えたものなのですが、こちらに寄稿させて戴く際、表題を「百日紅」にするか「百日紅からの手紙」にするか投稿直前まで悩みに悩んで結局「百日紅」に致しました。蛇足ながら、もしかしたら後者の方がよりぼくの意図を伝えられたのかもしれないな、と少し思いました。
事実関係が判り辛い、余計な描写が多い、と感じさせてしまったのは、間違いなくぼくの力量不足です。精進致します。
最後の方は100%同意致しますが
朝から声を上げて笑ってしまいました。ちょっと困りま、酢。 ('16/10/08 07:36:32)
- 金曜日 :
>シロさん
読んでくれて、ありがとう
土曜だと云うのに、これから出勤でバタバタしていまして
申し訳在りません、後ほどキチンと返信致しますっ。 ('16/10/08 07:52:10)
- 金曜日 :
>シロさん
返信おそくなりました
>なんとなく物悲しい部分を感じさせてくれる
とても嬉しい
孤独と自由は一対の思惟で在ると云うことに矛盾はないかと思うのですが、ちょっと寂しかったりします。
サルトルは「人は自由という刑に処せられている」
と云っていますが
自由と孤独はひたりと寄り添っており
故に人は物理的な関係性とは関係なく、孤独から逃れることは出来ないのかもしれませんね。
掴み、はもう少し推敲を重ねるべきだったのかもしれません。
読者を置き去りにしてしまっていたのかもしれないな、などと考えています。
重ね重ねご講評ありがとうございました。 ('16/10/10 10:19:03)
- 花緒 :
楽しく拝読しました。祝、初投稿作!ですね。
誰も傷つけない、
美しく描かれた詩だなと思いました。
風景を描く際の視点が不思議なカンジですね。
家から漏れる光が交錯するように、視点が、「君」目線になったり、自分の目線になったり、
交錯する感じが面白いなと思いました。
批評というよりは、感想ですね。
失礼いたしました。 ('16/10/11 21:51:26)
- 金曜日 :
>花緒さん
返礼遅くなりまして、大変申し訳在りません。
土曜日なのに金曜日です。
誰も傷つけずに生きる事は誰も出来ませんが
誰も傷つけたくないと思う瞬間は誰にでも在ると思います。
そして瞬間を切り取る事が出来るのが、詩と云う表現の在り方の一つなのかな、なんて思ったりします。
ちょびさん、空転さん、ヌンチャクさん、シロさん、花緒さんとそれぞれしっかり読んで頂いたにも拘わらず、百日紅が上手く生かし切れていないのだな、と痛感する思いであります。
いや、なぞなぞじゃねーんだから、そこの筋道はちゃんとしよう。と反省しきりです。
拙作にお目通し頂いた上に、ご講評までいただき、大変うれしく思います。
ありがとうございました。 ('16/10/15 21:31:34)