神様に全部返すつもりだった。僕が持ちうる世界のすべてを。だから紙飛行機を折ったし、賛美歌もつくった。ほら、あそこに見える、遊園地の廃墟は、神殿のつもりだった。たくさんの精霊が凍ったままの表情で暗がりにたっている。いずれ宝石になる虫たちが、光のない街灯に群れている。電車はいつまでも走り続けるし、線路は果てない。それなのに誰も乗っていない。デパートのマネキンたちは、紳士服売り場と、婦人服の売り場の、中間の踊り場で待ち合わせして、つぎつぎとサマーソルトでフェンスを越えていく。つま先が月を擦って弧を描く。人びとはみんな記憶になって、閲歴だけが透明になって、ウィンドウショッピングしていた。どこかで笑い声がきこえた。振り向くと、たくさんの子どもたちが、僕の身体をすり抜けていった。
言葉はだんだん空に盗られていった。もうすぐ僕も何も言えなくなり。何も聞こえなくなるだろう。そうすれば、きっと全部奪われ、僕は動物になり、どこまでも駆けていけるだろうから。その時が来るのはいつだろうか。世界が滅んだのに、雪が降るなんておかしな話だ。いくつかの透明人間たちがそれを見上げる。そして、すこし手をかざしたあと、またどこかに向かう。マンションからはTVの音が聴こえる。言葉がもうすくないので日がな波音を放送している。
駅前からもってきた自転車に乗る。下り坂を全速力で漕ぐ。ペダルが空転して、ああ苦しい、僕は笑う。賛美歌は口笛にしたんだ。そしたら鳥になっても歌えるからね。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20160829_922_9057p
- ね :
マイスター・エックハルトの言葉に「信仰を得るためにもっとも邪魔なものは、信仰を求める心そのものだ」というものがあります。神学というのも同じような矛盾を孕んでいる営みだと思いますね。人間の言葉で神を知ろうとするほどその言葉は意味を失っていく。けれど神を知ることを願わずにはいられない。この作品のタイトルが単に「讃美歌」ではなく「神学」とされているのは、そういったことがテーマとしてあるからなのかなと読みました。 ('16/08/30 02:30:39)
- イロキセイゴ :
>言葉はだんだん空に盗られていった。もうすぐ僕も何も言えなくなり。何も聞こえなく>なるだろう。
その後動物に。輪廻転生の死後の世界のような不思議な感覚を抱きました。お釈迦様の思想が根底にあるのかもしれません。 ('16/09/01 02:59:35)
- アラメルモ :
タコのケツヲ叩かれたので、ちょいと難しい課題に薄いあたまを捻って考えてみますが、
、この作品を読むと先ずは何ら関連性のない描写にみてとれます。
みて取れるということは、つまりオブジェに描かれた絵画を思い浮かべてしまいます。動きとしてのが空間が対照ではなく鏡の向こう側、現実から解離して読めるからです。
デ、キリコなどは、後にシュールリアリズム派に影響を与えた形而上絵画と呼ばれる画家の一人ですが、そのような空虚感にも読み取れる。
しかし何故「神学」と結びつくのか、冒頭に神様を持ってきて、その後の記述は賛美歌と書かれてあるだけである。具体的な祈りとか信仰心などは出てはこない。
ね、さんがエックハルトの言葉を見事に引用されておられるが、確かに今日の社会状況を見渡せば、未だその宗教対立は勢いを増すばかりで、何を根幹に信仰心とするのか。開祖が人々に訴えかけた教義友愛の精神も、絵空事のように頭上をさまようだけで、逆に信じることで大いなる矛盾を孕んでしまっている。
形而上絵画も、そのような不条理な精神性で空虚感がみて取れる手法ですが、どうやらその現存する不条理性を幼児的な純真さを意識して、言葉から導き出したかったのかも知れない。
なので賛美歌や神学とは特別な意味もなく、その様式性を重要視しただけで、お経でも仏教でもコーランでもいいような気はする。
しかし、そのような志向性を指す作品ならばこれまでにも書かれてきた。目新しさを内包する挑戦的な詩だと言えるのだろうか。
よく考えられた作品だが疑問は残ります。
※
一番大切な感想を書くの忘れてるね。
内容的にも読後に余韻が残りづらいですよね。哲学や思想を孕む詩とどう結びつけていくのか。どう処理していくのかが今後の課題だと思われます。 ('16/09/01 05:18:08 *9)
- 玄こう :
なんかしら天才痴ジンの平板的な文書を感じた。そういうもんが最近文学極道て流行っているのかわからないが、
>神様に全部返すつもりだった。僕が持ちうる世界のすべてを。だから紙飛行機を折ったし、賛美歌もつくった。ほら、あそこに見える、遊園地の廃墟は、神殿のつもりだった。
次々と様々な場所に読み手を立たせているがそうした場所に、文、文の思い入れが、読者に実感させていけるだけの文が弱い。貴方にとってそのような場所が『神話』に繋げられるだけのものが言葉足らずに思う。
最終の連だけでいい。
その連だけでもう少し詩の言葉にすれば、(神話じゃなかった誤字失礼)このタイトルの『神学』でも、まぁ詩にもなるような気もするが。
先ほど、
>">いかんせん詩と短編とは全然違う。どちらかにしていただきたい。"
(とコメントしましたが、書き換えてしまいました)
いかんせん詩は、短編ともエッセイとも全然違う。
(の文に訂正にしてしまっていましたから入れ違いでした、すみません。)
Kolyaさんのひとり呟くレスやレスレスはけっこう読ませてくれて↓も面白い。 ('16/09/03 00:33:18 *4)
- Kolya :
エックハルトからすれば、すでに信仰は世界にあるもので、それを求めることはできず、気づくことしかできない。そういうふうに考えるんでしょうか。そして、もう既に授かっているはずのところの信仰を求めるというのは、どういうことになるでしょうか。聖書を日本人が読むときにどうしても承認できないのは、神という絶対の超越者を思い描くのが、日本語のこころでは難しいからで、それはキリスト教のGodが日本語には翻訳されない範疇の意味を有するということです。Godはほとんど日本語の「世界」という言葉と同義です。神の祝福、善などは、世界自体のそれであり。例えば、信仰のないものが地獄に堕ちるという、有名な文言は、異教徒排斥のためのプロパガンダという文脈以前は、端的に、世界のあらゆるものをポジティブに信じれないものは、地獄に堕ちたように生きていく、という洞察の一言だったでしょう。聖書というストーリーにおいて、キリストが力強く、喩えをもって語ったことのこころは、ほとんどブッダのことばと変わりがない、と思います。もし彼ら、聖人がひとつの、この世界のことを語っているのだとしたら、その文言たちが人間の深い部分の普遍性において似通うのは、当然の帰結だとも思います。そのことを考えれば、信仰はたしかにひとつでしょう。しかしその信仰は、心の数だけある悟性、神学に寄らなければ、言葉として、論理として表現され得ません。どれだけ神に接近しようと試みる言葉でも、それを重ねれば重ねるほど、神それ自体から離れていくでしょう。それは言葉自体が誤解を積み重ねるということだし、そもそも世界は沈黙を旨とするからでしょうか。それならなぜ人は詩なんて徒なものを書くんでしょうか。 ('16/09/03 01:48:32)
- Kolya :
>玄こうさんへ
明けて昨日のことですけれど、移動遊園地がまいりまして、僕の界隈では、ロイヤルショーが始まると春が来ると言われています。プラムの花がそこら中で咲いて、つぎは恐らくアーモンドの季節、それから少し経てばジャカランダが咲きます。そちらは台風とかで大変らしいですね。飛ばされないように気をつけて傘などをおさしください。
P.S.
>いかんせん詩と短編とは全然違う。どちらかにしていただきたい。
というコメントをよく考えてみます。 ('16/09/03 01:55:41)
- 寒月 :
寒さの中で時折見る夢を思いました。人との関係が消され寂しい風景だけがあるという。想い出に悲しさをふりかけ、冷たく乾燥させた。Kolyaさんの宗教観と僕の思いは重なります。「口笛」は詩でしょうか。
寂しさをさみしいなぁと声に出す自転車をこぐ朝強くこぐ 寒月 ('16/09/03 06:56:13)
- 鮎 :
タイトルの「神学」がこの詩を難しくしているように思います。世界の終末というよりはこの「僕」だけが人間世界との繋がりを失っていく。興味深く読ませていただきましたが、「神学」とされた意味合いは本文からはつかみきれませんでした。 ('16/09/03 20:23:04 *2)
- Kolya :
>寒月さん
淋しさはこの世のどこに咲くだろう加速しながら神学建てて Kolya
>鮎さん
神学というのがやっぱり今の日本語の常識から縁遠い存在であるからでしょうね。神なんてものは軽蔑されるのが現代の常識ですから。 ('16/09/04 02:01:32)
- おでん :
あーいいですね。この空虚感好きです。アラメルモさんがデ・キリコを持ち出した理由もわかります。見たことのない景色なのに、何故か懐かしい。そういった意味でキリコの絵と繋がってるんだろうと思います。
最終連、場面描写が微妙でした。下り坂を駆け抜けていくイメージがしにくいのです。海が見える下り坂だったらいいなーと勝手に思いました。 ('16/09/04 08:20:24)
- Kolya :
キリコの絵見てみました。なるほどと思いました。風景のモンタージュみたいなところが似ているのかもしれないですね。僕はアートにとんと疎いんですが、横須賀美術館が谷内六郎の絵と文を展示していたのをなんとなく思い出しました。あちらは、文もついていて、漫画のようでしたので、とても人間的で感情的な感じがしましたが、あれは山や海、あと田んぼとかのどこか狭い空だったな。キリコの空はこちらの空に似ているような気がします。 ('16/09/04 22:59:33)