鴨居港は南に向いて、あちら側にはとりあえずは空のように果てしない海で、光だけが群れて棲んだ。近辺に友達がいて、一軒家をシェアした。
友達がある日、夢をみた。なんでも眩しい海岸にいたそうだ。なにかキラキラするものがたくさん埋まっているなと思うと、黄金の観音像だった。
俺はその光景を見に、よく海に向かったが、あるのは言葉にすらされない宗教的な閑散だけだった。
俺はたぶん絶望していた。男や、女、街、家族、国、祖母のこと……。
地獄はどこか別の次元にあるわけではなく、いつでもそこにあったことに気づいた。
海を見つめていると、心に踊り手が現れて、節を付けて踊った。
ときにちぎれるほど激しく。ときに止まったように静かに。
俺はそれを見つめていた。
浦賀は黒船がやってきたところだが、ゴジラが初めて上陸したところもそうなので、京急線の始発はゴジラのテーマが流れる。
ゴジラ、ゴジラがやってきた。そんな歌詞が思い浮かんだが、本当にそんなものがあるかは分からない。
電車のドアが閉まる。これから、鵺のような街に行く。
街の内臓は光の塔だった。人は贄で光だった。
俺はゴジラがやってくればいいな。と思った。
ゴジラが海からやってくる。
ひとびとは逃げ惑い、街とただの燃料になって。
夕焼けと混じって、世界は黄金と結婚する。
祖母が死んで、(俺はゆっくりと目を瞑り、)心の踊り手がとまった。
(死んだ踊り手をみつめた。)
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20160818_460_9042p
- 尾田和彦 :
正直に言いますとKolyaさんはぼくの中では印象が薄くて、年間、月間とも「常連」の
部類に入る人なんですが、パッと思い浮かぶ作品もなく、この「明暗」という作品も、
うっかり見落としてしまいそうな印象で、あんまり入ってこなかったんですが、
日本現代詩人会の「詩投稿 入選作」はもうチェックされたでしょうか?
http://www.japan-poets-association.com/
おそらく、Kolyaさんの作風では、絶対入選しないだろうなという風に感じます。
あまりにもさり気なく書かれていて、あまりにも散文的で、例えば、詩人会の樽井将太
さんの作品が端的に比較対象として言い表せるような気がするんですが。
「詩」という「形式」に対する“こだわり”が全く見えないというか、実は、そこが大
きな眼目なんだと思うんです。
詩を書こうという気負いが全く感じられない。
樽井さんの場合は、詩とはこういうものである、という前提が見て取れます。
なので、それっぽい印象を文章として意匠として纏わせる手つき、というものを感じ
させる仕上がりになっています。
これは詩が詩壇によって選考させることへの功罪というものが影響していて、それは、
いい悪いの話ではなく、現象として著しいものを感じるということなんですが。
詩は何のために書かれるのでしょうか?
それはどこかの賞に入選するために書かれるべきものなのでしょうか?
違いますね。
自分の信じる世界観を、言葉から抽出したエッセンスによって表現してみせることなの
だ、と思います。
つまり詩書きにとって一番重要なのは言語観なのだと思います。
言葉というものはどういう働きを持ったものなのか?
そういう事柄に対するセンスです。それがまず第一義的に在るんです。
在るんだと思うんですね。
だから「形式」物まねすることは、すでにその段階で詩人の性分をもっていないことを
意味する。独自性にこだわりを持たない詩人像を、ぼくは想像することはできません。
この作品はわりあい完成度が高いと感じました。
ただし、もう少し、行間を埋める「親切さ」が必要だと思います。
>祖母が死んで、(俺はゆっくりと目を瞑り、)心の踊り手がとまった。
>(死んだ踊り手をみつめた。)
2つ目のパラグラフに「祖母」のワードが見えますが、ラストの
>祖母が死んで、
に繋がる(接続する)ほどのボリュウームがありません。
ここはこの作品の生命線になるポイントなので、どうにかならんかな。思いました。 ('16/08/20 22:19:26)
- 5or6 :
読みました。俗にいう俺詩なんですけど、この詩には別に、俺、という主語はいらなくてもいいんじゃないかなと思いました。単に砂糖入りのコーヒーが好きか、ブラックコーヒーが好きか、の違いですけど、失礼しました。 ('16/08/21 05:32:52)
- Kolya :
>尾田和彦さん
なんだか良いレスをいただきました。「お前いつも作品たいしたことないけど、まじめにがんばってるよな」ってことですね。ありがとうございます。もっとまじめにがんばります。
散文的なのは散文しか読んでこなかったからだと思います。たしかに何れにせよ選考とかはあんまり気にしません。ただ良い詩か悪い詩かだけを気にしています。
オチにむけてもっと説明が必要でしょう、というご指摘、よく考えてみます。ストーリーって何でしょうかね。
>5or6さん
ホントですね。ぜんぶなくても意味は通じますね。要らないはずの主語が強調されてしまっているのは、甘いのか、苦いのか。僕はどっちも好きなんですけどね。 ('16/08/21 23:39:55)
- アラメルモ :
破壊され燃え尽くされる現象的な炎と内に灯る神秘的な炎。これの対比を作者は心情として描きたかったのでしょう。凝縮された散文的な読みとして捉えれば確かによく書けていると思う。
ただこれを心の明暗として対比に差し出すのならばどうだろうか。終わりの二行がインパクトとして残るだけに、尾田さんが述べられておられるように繋がりは弱い。
そうですね、もう一度現代詩人会の作品を拝見したのだが、
、皆さん個性的で、何よりも基本的に伝えるということに関してはどの作品も敏感だ。
作者の姿や顔までもが表現されて見えてくるような。
この辺りは文極の投稿者も見習わないといけない。 ('16/08/22 06:21:42 *1)
- シロ :
詩作品の中で、多くを語るのは本当に難しいと思います。
語りすぎると、説明的になり、芯が外れたものになってしまう。
この作品は、暗喩が入れられているわけではなく、そのまま素直に読めるものです。
しかし、多くの感情を読み取ることが出来ます。
掴みから入り、途中でゴジラまで登場させるという試みも計算づくで、詩作品をプロデュースする能力に長けているのでしょう。
アラメルモ氏もおっしゃっています、タイトルが今一つ適当かどうか?ざっと読みですが、そんな感じを受けました。 ('16/08/22 07:04:58)
- Kolya :
>アラメルモさん
素敵な感想ですね。ありがとう。なるべく素直に言葉を読んで感動しようとしていますが、なかなか難しいです。僕みたいなものはもっともっと心を使って真剣に世界と相対しなくちゃいけないと思います。
>シロさん
言葉のなりたちとして人間は喩えでしか物事を伝えられないような気がします。プロデュースっていうのは、なかなか深い言葉で、恐らく英語本来のままに考えれば、プロデュースすることは、神のみぞそれをなしえ、われわれは各々のふさわしいものを受け取ることしかできないでしょう。 ('16/08/22 08:12:56)
- 赤青黄 :
>男や、女、街、家族、国、祖母のこと……。
国の後になぜ祖母が来ているのか、という違和感というかインパクト。一番最後に導かれるのが祖母であり、締めのフレーズが「祖母が死んで」から始まり、そして括弧書きが挿入される、という、そこに感じる何かしらの意味。それから心の踊り子ってなんだ。
という、ここが僕にとっては強烈で、正直後はどうでもいいとおもった。
ゴジラも、観音像も、僕の中には根付いてない物だから、今一よくわからない。んですが、
何か言えるとしたら、
>明暗
について、漱石から典拠としてもイメージを持ってくる方が先かもしれないんですが、ぶっちゃけ読んでないので、今はやめてそうじゃない所から語れないか試してみます。
>Kolya :
>暗はあん、でも、餡のあん、なのに驚きました。軽妙なわりにギャグとも取れないのは、動物の腹のなまぐさい重さ、暗黒が真面目に語られているから。カフカが、暗闇の暗さを光が知ることができるだろうか、みたいなことを言っていたのを思い出した。もし古代インドの哲学みたいなものですら暗黒を分けれないとしたら、僕たちの知は本質的に光的であって、その暗さのことを知れないように出来ているのかもしれない。
>にもかかわらず、心は暗黒のことを知っている。そして生活のうえでその暗黒が広がっていくのを感じる。知的では決して言い得ない、心的な闇を言語で表現してみる。そんな凄みを感じた。
右肩さんの作品寄せられたこのレスの光と闇、っていうのを明暗に上手くトレースできないだろうかと、思っているんですが、どうでしょうか。ちょっと的外れ的すぎるかもしれないんですが。
でもそうすると、もう一つ気になるのは光と黄金の違いで、光っていうのは光景にもかかってくるし、レスを信じれば知にかかってくるんだろうな。
>街の内臓は光の塔だった。人は贄で光だった。
後ここも気になってくる。
後はコーリャさんの「永遠の浅瀬」の作品のイメージ。僕はあの作品何がいいのかわからなかったけど、今ここで作品を思い出して、そのイメージ思い出して何か感じ取れるような予感がしている、というだけで価値はあったんじゃないかと偉そうに思っています。
…という所まで思えたのは「祖母」の力であって、正直全体的にどうでもいいなぁ、と思いました。語の力が浮きすぎてるか強すぎるかで、臭いです。臭いのになんだか分からんセンテンスのブチ切りは俺の思いだから、まぁなんとか繋がってるように見えるのかなという感じです。俺が思う事ならなんだって繋がるんですよ。という所で一人称というやつは便利だと思いました。 ('16/08/22 23:32:59)
- Kolya :
>赤青黄さん
言葉ってのは不思議ですよね。やっぱりその書き様というか、文体というか、口調というかそういうものは、その意味される内容と同じように、切っても切り離されないものとしてあると思います。リズムとパターンがうまれるんですよね、とにかく書き始めると、それ自体が意味をもつ、意志が言葉に従属するような、不思議があります。だから自分の書いたものにすら驚いたりすることはありますよね。その経験のうえでは、一人称も二人称もないんですよね。 ('16/08/23 17:20:12)
- 花緒 :
不思議な手触りの作品ですね。面白いと思います。
海/宗教/破壊/生死が混じり合って、不思議な読後感を残す作品だと思いました。
いろんな要素が入っているのに、楽しく読めました。
PS.私は新参者過ぎてフォーラムには書き込めないので、ここに書き込ませていただきます。
雑談なうの対談の件ですが、第1回目の出演者は、私のような新参者ではなくて、もっと皆さんに認知されている常連様であるべきと思いますが、私でもよいということでしたら、ぜひ!と思います。 ('16/08/23 21:26:06 *1)
- イロキセイゴ :
ゴジラですね。この詩の中心は。「明暗」と言うタイトルから、夏目漱石も想起されますが、詩内容としては全く出て来ない。あくまで普通の意味で使っているのでしょうね。浦賀がゴジラの上陸地と言うのは、虚構とは言え、新鮮な知見と言うのか、新たに知った事実内容として本当に新鮮でした。あと、黒船来航は歴史的事実なので、詩の源泉としても重要だと思いました。 ('16/08/24 03:17:16)
- 山田太郎 :
幼児の作文だな。
宮崎勤や酒鬼薔薇の幼稚な心性に通底するものがあると
感じた。
いずれんせよ、最近、ここの投稿作は田中あつすけ氏を除き、
非常につまらない、
ジャンクのたまり場のようになっている。
翼をもっているのに、ニワトリのように歩いているやつらばかりだ。
きみたちには翼がある。飛び方を学べよ。
これに比べれば、前にはバカにしていた現フォのほうが
よほど読み物として楽しめるものが多い。
中学の文芸部程度のシロモノにいちいち賞を与えてどうするんだよ。
運営の責任も大きい。
ちゃんと選考能力の無い人たちが与える賞の制度が
腐敗をもたらすひとつの元凶であることはまちがいない。 ('16/08/24 08:46:54 *4)
- アラメルモ :
あ~あ、今日は風が強いな。
久しぶりに熱が下がりそう。
また決まり文句だうるせえな。はやく学校が始まればいいのに。 ('16/08/24 10:36:53)
- φοιτητής :
例えば,
俺はその光景を見に、よく海に向かったが、あるのは言葉にすらされない宗教的な閑散だけだった。
俺はたぶん絶望していた。男や、女、街、家族、国、祖母のこと……。
地獄はどこか別の次元にあるわけではなく、いつでもそこにあったことに気づいた。
の三行など,構文が絶望的に稚拙と思うが,狙ってのことなのか.だとしても意図を汲めなかった. ('16/08/24 11:48:01)
- Kolya :
>花緒さん
おお花緒さん是非ご協力願います。フォーラムで僕のメアドを貼っておくので、空メールおくっていただいてよござんすか?そちらでオーガナイズしていきましょ。楽しんでいただけたのならなによりです。
>イロキセイゴさん
浦賀は、それ自体が虚構のような場所でした。モニュメント化した大砲がただの鉄の塊になって、何もない海に向いていました。若者がすくなくって、老人と子供ばかりが目につきました。横須賀市の人口は頓に減っていて、だんだんと文明が抜かれていくようでした。一体、神奈川は山ばかりで、その突端であるところも、山や丘ばかり、わずかな平地とあとは海です。山に囲まれて住んでいると、日の光の大切さに気づきます。また、海に出れば、いつでもそれは惜しみなく与えられていることにも。
>山田太郎さん
飛び方か。精進します。しかしね、どうしてそんなに賞というものが大事でしょうか。優良だから年間だからなんなんでしょうか。そんなことよりも人に何を伝えられるか、が重要なはずです。それは表彰なんかされない。しかしそれを生み出すことができればその果報はあらかじめ受け取っているというべきだ。もう中学生じゃないから、だれが賞状を貰ったかなんて些末な問題には、おのおのかかずらっていられないでしょう。
>φοιτητήςさん
お気に召さなかったようですね。 ('16/08/24 17:21:51)