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8966 : 藝術としての詩  天才詩人 '16/07/13 23:10:03 *9


その町に着くと、Aと俺は、新築の高層アパートの7階に、部屋を借りて住みはじめた。8月。青い空には、ツイストロールの形をした雲がいつも浮かんでいた。共同生活はうまくいかなかった。食事や音楽の好みの違い、お互いの交友関係など、ちょっとしたことで言い争いになり、Aは自室に閉じこもった。 そんなとき、俺はよくひとり外にでて、緑の山塊の、カーブした二車線の道路沿いにある、近未来的なショッピングモールのテラスや、高架鉄道のターミナル周辺に広がる通りを、オフィスや喫茶店のネオンサインを眺めながらぼんやり歩いた。歩きながら、俺はAと、携帯電話のテキストメッセージで頻繁にやりとりをした。携帯画面のむこうのAは驚くほど素直で、いつも「許して」「私はいまの自分が嫌いで、なんとかしてもっと心の広い人間になりたいの」と言い、自分の非を詫びた。ある夜遅く、俺は、その町の、アメリカス通り(Avenida las Americas)という名前の幹線道路を貫く、新交通システムの連接バスに乗って、Aの家族が住む家にむかっていた。バスは、町の北西部の更地にある、 巨大なロータリーで進路を変え、空港建設をめぐって住民の反対運動が続く、セメント造りの、低い屋根の住宅が集まる路地にさしかかる。俺は、夜のラッシュで座席がほとんど埋まるバスのなかで、光の乏しい外の闇をながめながら、もう何十年も前に頭に浮かんだ、夢のようなケーブルを敷設する計画を、思い出していた。その日の深夜、雲が低くたれこめた、コンクリートの住宅の、小さなリビングのテーブルで、俺はその街区の詳細な地図を紙に書いていた。ほんの20年ほど前、90年代の終わりだった。俺は写真やテクスト、絵画といったあまたの表現ジャンルの壁を突破し、そのむこうにある「生」の現実をエンコード(encode)する、あらたな藝術メディアについての決定的な啓示を得た。その数日前、俺は医者からパニック発作だと診断された。 昼間、ブラインドを下ろしたアパートの暗い部屋を避けるように、丸太町通りの、用水路や行き止まりの道路がつづく一画を歩き、日が暮れるとDVDや書籍を売るディスカウントショップのゲートをくぐった。深夜、近くの家電量販店のストレージに投棄された石油ファンヒーターの電源を入れた。立ちのぼる油膜が空気を覆っていく部屋で、丸いテーブルの上に、光沢のある、写真雑誌のイメージを並べ、そのひとつひとつを詳細に検討した。目に映っていたのは、湿気が充填された熱帯雨林の、小さな高床の家屋で裸の子供たちが輪を描いて遊びまわる映像や、不整合につぎはぎされた、アスファルトの道路に横づけになったダイハツ製のバスが、ラッシュの乗客を拾う、産油地帯の大都市の、夕暮だった。あの日から俺は少しずつ、ランプウェイや空き地にかこまれた、グーグルマップに載らない路地をつなぐ、夢のようなケーブルを敷設する計画について、考えていた。いや、それは、偏在する集合意識に焦点をあてた、旅と日常の境界を超え、すべての、開発未定地に生を受けた人々が参加する、終わりのな いアート・イベントだと言えるかもしれない。航空機がその町の上空に差しかかると、小さな、モスグリーンの丘の上に固まる、アルミ屋根の住宅群を、君はきっと見るだろう。そこを走る幾筋もの道のひとつに、90年製の真っ赤なマツダ車が駐車しており、その前にある一軒が、Aの母親や、小さな妹たちの住む家だ。そのあたりは、L 字や、S字形に急カーブする道路が続き、町の大部分の、緑の木々におおわれ、整然とした景観とは、一線を画しているかのように見える。俺は、その町にある、要塞のような建物の、映像・写真センターで働くキュレーターと、テーブルをはさんで向かい合った。男は、Aの家族が住むエリアの詳細な見取り図を指さしながら、夢のようなケーブルはまだ引かれていないが、ケーブルを支えるスチール製の支柱はすでに埋めこまれており、それは、数年前、その地区の大半が埃っぽい砂利道だったころ、一人のドイツ人アーティストが、住民や子供たちのあいだで、絵の展覧会を開催しようと計画した名残なのだと語った。展覧会 - exposicion- という、もうずいぶん長いあいだ聞いていなかった言葉を反芻しながら、俺は、低く雲がたれこめる、セメント造りの家々と、Aとの日々を思い出していた。

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