老いた春の角膜に、まばらな白髪が金髪より映えた。かの女の庭で、heart、ひらきたい声を殺して。まねたかの女のくちびる、bleeding heart。
華鬘草という和名を知らずに、その口紅の跡から読んだ。夫と暮らした庭先にも、嫁いだころから五月のたびこぼれていた春の名まえ。若かった富有柿の木陰で、乏しい実りが色づくころ消え、冬が終わるとまた群れた茂み。家人のだれも名を知らず、呼ばなかったが必ず群れた。
だからかれは柿をもぐため木に登るのに苦労しませんでした。と英語で伝えようとして諦めた。五月の午後、わたしの庭では、富有の木陰に常緑の沈丁花がなお暗かった。そこにその花をひとりで植え替えた日、わたしはまだ、ひらきたい声の名まえを知らなかった。薄暮。
いつか去る小花のつるへ、黴をあぶり出すように病む。白内障へこぼれるには、きっと濃すぎたかの女の紅。bleeding heart、ひらきたい声を。殺す。
孫の英会話教師の通夜なんて、行かないのが常識だったんだろうか。クローゼットに並ぶ、わたしの13号と娘の7号のアンサンブル。娘のはもう十年もまえ、夫の通夜の前日に、近所のショッピングセンターで買ったものだ。田舎の店には目当ての5号の取り扱いがなく、喪服はあらかじめ用意するものじゃないんだと、わたしの母に言い聞かされ泣いていた。わたしの娘。あの子あんなにやせて大丈夫なのとあの日、多すぎた弔問客から問われるたび、夫の娘だからとわたしは答えていた。ような気がする。
あの子もいい加減、新しい喪服を買ったんだろうか。慶事か弔事のたびここへ着替えに来て、結婚祝いの真珠も婚家へ持ち帰っていない。あの子の細い首でなら輝くと思いきって買った、赤らむ花珠の隣から、弔事用の古い真珠を取り上げる。そろそろ黄ばみはじめた小ぶりが、弔事にもわたしの指にも似合いだ。
真珠は涙だから、弔事に欠かせないと思っていた。同じように、結婚指輪は一日じゅう一生、はずしてはならないと思い込んでいた。わたしの古い左手にはまだ、傷だらけの黄ばみが食い込んでいる、そう。そう言えば。かの女はきらめくパヴェを右手に着け替えていた。
指輪の行方を探ろうにも、棺の位置が高すぎた。一面の青空をえがく壁に、金髪まみれの遺影ばかり映える。あの子の赤らむ花珠より、よほど派手にぎらつきながら、祭壇を覆うピンクのサテンと生花。生花。生花。かの女と喪主の続柄すら知らなかったわたしには、あまりに所在ない社葬のホールの、うす紅をかの女がどう思うか。もう尋ねようがない。わたしが代弁してよいはずもない。
無宗教葬なんて初めてで、勝手もわからず御霊前を選んだけれど、通夜の儀式は献花だった。玉串と同じ作法で受け取った、白いカーネイションの震えが、黄ばんだ真珠を波打たせるほど冷たい。祭り上げられた別れを謳うセリーヌ・ディオン、my heart will go on、そんな反吐の出そうな英語を。わたしは一度も読んだことがない。紅すぎたかの女のくちびる。
左手に食い込むくすみに、通夜の会場を出てから気づいた。小花のつるとともに伸びた五月の夜、駐車場に蠢くサーチライトの影に、ひどく黄ばんで月がこびりついている。この左手が離さない、指の支えの18金が、融けたつがいへ共鳴するように。玉響。
運転席に背をもたれて、いま、目を背けた首筋できっと、黄ばんだ真珠の巻く渦を掘りぬくように照っている。heart、ひらきたい e と a のあいだに、声が。bleeding heart。キーを回すまえに、攣りそうな両手を、指の腹を合わせて伸ばす。こうするとね、薬指だけ離せないんだよ、ほら。どうしてだろうね、まぶたに圧し掛かる、くたばりかけた眠気。やせ細る月を囲ってにじむ羞明。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20160509_645_8811p
- 北 :
一連目、時の移ろいが感じられ、この連でどれだけの季節を繰り返したのだろうと思う。
春夏秋冬が何度繰り返されたのか、悠久に触れる感覚。
二連目、>10年前に>真珠は涙だから は自己を明らかにするキーワードとして、とくにリンクしており、この時点で、この詩がどこへ、或いは何に対して寄せられているのかが明らかになります。(前作のコメントでネタばれしてましたが。スンマセン。)
ここで、僕は初めて物語りの外の人間になることが出来るので、ちょっとした心構えが出来る。
三連目、二連目の心構えのおかげで、事実を他人事として読むことが出来て、一安心。二連目の配慮に感謝。
四連目、ここから詩を提供してもらえるのだけど、淡々としていて、サーチライトに往なされた詩情は、一連目の悠久の時の記憶のおかげで、それぞれの読者の中に、それぞれの形で帰ってゆくというのが、結であり、起承転結スゲーなと思ったわけで、詩情は、詩でしかお返事できないのが、詩の面白さだと僕は思ってるんで、ここで、詩読のレベルがバレてしまうのですが、こんな感じです。
「平吉郎の座布団」
平吉郎はお客さまの座布団を敷くのが仕事だ。
毎日毎日黙々と、お客さまの座布団を敷いている。
「あいつは座布団に座るよりも、敷く方が好きなんだ。」
と町中で噂になるくらい、平吉郎が敷く座布団は心地がよい。
丁稚奉公に来た平吉郎を初めてみたとき、
もう既に座布団を敷くのが、何よりも上手かったけれど、
平吉郎の座布団が、こんなに心地よいことを、
どこの誰が言い出したのかは、未だに誰もわからない。
今夜も平吉郎は、
たくさんのお客さまの座布団を敷く。
お客さまがお帰りになり、お店が閉まり、
皆が深い眠りについた頃、
しーんと静まりかえったお座敷で、
ぽつんとひとり座布団に座り、
泣いたり
笑ったり
怒ったり
頬を抓ったり
している平吉郎の姿を知っているのは、
遠く故郷の月だけで、飾った錦はいつもお客さまの尻の下だ。
新月の夜は影を落さないので、彼がひとり踏ん張りどころだ。 ('16/05/09 22:55:07)
- 澤あづさ :
▼北さんへ。
お返詩(・∀・)イイ!!(人ω〃)ネ-!! ※お返詩(かえし)とは、返歌の詩版です。
「平吉郎の座布団」の、「座布団など、だれが敷いても同じと思いきや、あいつのは違うのだよ。」といった存在感も、平吉郎がそこに至るまでの苦労(特に気遣い)を故郷の月しか知らないという点も、自立したての子から見た親に似ているような気がします。夫婦も同様で、なにもわかってやれてなどいない。といったことや、「娘に見えないところで母は泣いている、同様に死んだ夫も妻に見えないところで泣いていた。」といったことを、本作から読んでいただけたのなら、光栄の至りです。
今回の課題は「心理描写最小限のエピソード」だったので、書かれていること以上の具体的な意味は、作者としても一切ありません。言外の事柄をどれほど感じていただけるかというのが意向と言えば意向です。そのような作品にお返詩とは、すごいセンスですね!
▼以下思案。
ご指摘で思いつきましたが、前回の世間話は、作者を気にするレッサーには、よけいなバイアスや圧力をかけるかもしれませんね。自分が作者ガン無視派であるうえに、なんつうか「実生活の実感を作品にしたのなら、もちろんすばらしい作品にしたいであろう。」という想定から、むしろ厳格に罵倒するタイプなので、自作にもそのように接していただきたいのですが。 ('16/05/10 04:43:28)
- 北 :
おはようございます。目覚まし時計止めるとき、寝違いました。ぬおー。
>以下思案
の意味が理解出来ていないのかもしれませんが、補足として、ちょっと気になったことを書きます。(このちょっとは、全体に及ぶちょっとで大きいかもです。)
僕は自分を例えにしないと批評できないので、ちょっとウザいかもですが悪しからずです。( ´ ▽ ` )ノ
気になったこと、それはテンポっす。僕にとってリズムは、仕事柄すごく大事なことで、以前修行でバルセロナに行ったとき、まず最初にショックを受けたのは、向こうの人々が、日本人から見て、みんな裏拍で歩いていることでした。日本人が「エンヤーコーラー」で歩いているとしたら、向こうの人は「エンヤッコーラー」で歩いている感じでした。 アクセントの位置の違いだと思います。
街全体が、裏拍で動いて回っていました。
外人さんが日本語を話すと、なんか外人訛りの日本語になりがちなのは、外国語と日本語の息継ぎ「ブレス」場所に違いがあるからだと思います。とくに歌がそうですが、外国語がネイティヴなみに話せない日本人が、外国語の曲を歌うと、いくら綺麗に外国語を発音できても、日本語の息継ぎで外国語を歌うことになるので、微妙になんか違うなっと思いますし、でもまたそれは味であって、良いことでもあるとも思います。
話は戻りまして、向こうから日本に帰って来くると、日本ではテレビを見てても、街を歩いてても、日本語用のリズムで構成された音楽がいっぱいで、とくにテレビCMに至ってはそれが顕著で、一時は日本のテレビは見ないように、日本のリズム音を遮断してました。
でも、それでは、いつまでたっても、らちがあかんので、僕はその裏拍の音楽を聴きながら、そのリズムに合わせて、週に散歩がてら10万歩くらい歩いています。それを続けているうちに、風の音も、川の流れの音も、当然日本の日常の音も、裏拍で感じられる(とれる)ようになりました。
つまり、今まではリズムを取ろうとしていたのが、今では自分のリズムでそれを感じようとするスタンスに変わりました。今では、日本の曲を聴いてもぜんぜん平気です。
今回の作品を読ませてもらって、浮かんだひとつの疑念は、
「澤さん、これ書いたあと、音読しはったのかなぁ?」
ということだけです。エリオットの荒野の誰の和訳か忘れましたが、あんまり本読みしない僕が、その内容は忘れてでも、読んだときの詩情が、僕の中で鮮明に今でもが残っている理由は、ゴロゴロ転がっていくような、強烈なテンポとリズムでした。
テンポはリズムを上手に合わせるようにとれて良し、リズムはどんなテンポにでも自分なりの言語に感じられて良し、と僕は分けています。
そこらへんを意識しはって、使い分けしはったら、作中の直喩の連写も、もっと効果的に作用するのではないかと思いました。 ('16/05/10 07:34:58 *1)
- 澤あづさ :
▼北さんへ。
再レスありがとうございます。以下思案の部分は、北さんには無関係な話だったので、語弊のある書き方をしてしまい申し訳ありません。(おかげで批判を頂戴できたのは棚ボタでございます。)改めてその思案を、煽りとして端的に換言すると、以下のようになります。
「『この作品は、自分の自殺した父に関する複数の実体験に基づき制作しました。』などと作者から聞くなり、人様の悲しみには口出しできないと思って罵倒を憚るような罵倒家は、安全圏から作者をしか罵倒できない腑抜けである。まさか天下の文学極道に、そのようなくそ罵倒家はいまい。前作にあれだけ罵倒が来たのだから、今作にも同じように来るはずだ。もし今作に、こんな煽りまで公言したというのに、前作ほどの罵倒が来なかったら、(以下略)」
このように、北さんにはまったく無関係な話だったのです。語弊だらけで申し訳ありません。
***
さてリズムですが、リズムとテンポが別の要素なんだとすれば、たぶん本作は(てかわたしの散文全般が)テンポしか意識していないのでしょう。高校の頃から小説書きのリア友たちに「リズム(※これもテンポでしょう)『だけは』よい。」と罵倒されて育ったので、自分に染みついたテンポを見直す機会に恵まれず、詩人のご意見は目が覚めますね。ありがとうございます。
本作はもちろんむしろ音読しながら書き、自分では本作のテンポが好きなので採用しました。音感は個人差が甚だしいので気にしていたらきりがないのと、なによりエピソードを読んでいただきたかったのとがあって、文章作法はどシンプルにしています。
テンポと詩形も別の事柄なので、話が逸れますが、行わけ詩について考えるところも多くあります。大した内容のない部分を、大した効果もないぶつぎり改行や大きな空行で強調するのは、「自意識過剰でださい。」という考えがまずあり、そのゆえ散文を好みます。特にスマホで閲覧した場合、一行桁数の多い行分け詩は、きわめて見映えが悪いので、散文のほうがましだという考えもあります。前作はそのへん無視しましたが、基本ブロガーなので、CSS的な事柄が非常に気になるのです。文学極道もHTMLを書けたら投稿がより充実するんじゃないかと思うのですが、まあそんな技術革新は、日本からガラケーが消え失せるまで無理でしょう。ブロガーにとってガラケーの存在感は、自動車運転者にとっての原チャリに果てしなく近いです。話が完全に逸れました。
***
そういうわけで、内的必然に添ったテンポを変更することは、本作(てか散文全般)ではできませんが、今後特に行分け詩を書く際に、自分のテンポを見直したく思います。自分の脳内で文極レベルの作品が、ことごとく散文主体なのですが、思い起こせば他サイトで「散文より行わけのほうがうまい」と言われたこともありました。調子こいてみて殴られてを繰り返し、大きくなりたい所存です。ご指摘ありがとうございました。 ('16/05/10 16:27:01)
- すずらん :
いろいろ色のなんと眩しい現出。「わたし」よりムカレタひと粒ひと連の色は、作者の心の「羞明」にうまれたものだろうか。意識の美しいリズムに編綴されたこの詩篇にふれ、私は愉快だった。意識のリフレインを作者の前作で見せていただき言及したが、今回は小説風散文詩ならではのリズムについて思惟する機会に恵まれた。(つづく) ('16/05/13 19:08:08)
- すずらん :
句頭に名辞概念を打拍子し、句尾へと自己を獲得してゆく。このシンプルなパターンの連打の後に、色がひと粒眩しく出現する。この色が作者の心の「羞明」にうまれたものなら、色は作者の「涙」である。ここで私は、作者の明かしたこの詩篇の背景、父親の自殺について考えてみる。重大で、深刻で、不解明な喪失の急襲という制御不能なデキゴトに直面した時、人の自己は眩暈し深部に沈黙するのではないだろうか。この時「死」は名辞概念として打ち込まれ、つづいて自己が表出し、「涙」が現れるのではないだろうか。この心的プロセスを、この意識のリズムは告げてくれているように私は感じた。心情を詳細に描写するのではなく、意識のリズムにより表現する。萩原朔太郎が『人魚詩社宣言』のなかで謳ったリズムを、この詩にふれ、今頃になってより広義に私は捉え始めている。この視点に立てば、ラストの「羞明」は、名辞概念という公的指示をのり越えた、作者の自己表出の言葉あり、詩の言葉である。私にとっては瞠目の詩篇である。 ('16/05/13 21:54:11)
- 澤あづさ :
▼すずらんさんへ。(順不同)
>萩原朔太郎が『人魚詩社宣言』のなかで謳ったリズムを、この詩にふれ、今頃になってより広義に私は捉え始めている。
わたしは朔太郎のいう韻律とかリズムとかが嫌いだと思ってたが、結局朔太郎的なことをしていたのですね。まったく目の覚めるご指摘です。「わたしの好悪など、批評においてはどうでもよすぎる。」ということを、ひさびさに清々しく自覚しました。ありがとうございます。
>いろいろ色のなんと眩しい現出。
>この色が作者の心の「羞明」にうまれたものなら、色は作者の「涙」である。
>ラストの「羞明」は、名辞概念という公的指示をのり越えた、作者の自己表出の言葉あり、詩の言葉である。私にとっては瞠目の詩篇である。
こういう的確な集約を受けることが、作者にとってどれほど栄誉であるか。本作の語り手はモデルからしてわたしではないのですが、わたし自身にも先天性白内障がありまして、羞明の「明るきを羞じる」という語感に感じ入っています。そういう感慨の塊という意味で、本作は作者の分身ですので、心境が伝わったのは僥倖です。
ラストの【やせ細る月を囲ってにじむ羞明。】は、ご指摘どおり、「明るきを羞じる」ことから「目を瞑る(細める)」といった意味合いで書きました。飛躍が大きく伝わりが悪いとは思ったのですが、内的必然のゆえにこうとしか書きようがなかったのでした。そういうのを魂のリズムと、朔太郎は広義に示唆したのですね。この機会にいよいよ朔太郎を(嫌いであるため誤解しているに違いないから)再読しようと思います。
>ここで私は、作者の明かしたこの詩篇の背景、父親の自殺について考えてみる。重大で、深刻で、不解明な喪失の急襲という制御不能なデキゴトに直面した時、人の自己は眩暈し深部に沈黙するのではないだろうか。
ええまったく眩暈がし、(なにせ予期したくもなかったことがいきなり来るわけですからね。)深部に沈黙しますなあ。実際の父の葬儀で、母はまさに「眩暈し」ふだん絶対言わないようなよけいなこと(父の尿管結石を吸いだしてやっていた話とか)まで、親戚相手にべらべらしゃべり倒してましたけど、それも「深部に沈黙」していたかったからそうなったんだろうと思います。浅い理由づけで話を片付けてしまいたいというのは、「深部に沈黙」したいということにほかならないと。ぜんぶすずらんさんのレスを読み、いま思いついたことですけど。
詩中には「語り手の夫は、娘の喪服も仕立てないうちに急逝した」としか書きませんでしたが、(それはお身内の事故死や突然死を経験してらっしゃる読者様に、ご自分に身近な死因を当てはめていただきたかったからなのですが、)やはりこの話は「自殺者の遺族の話」としてしか成立していない、ほかの想定で読んでいただいても意義がないと、すずらんさんの評から確信しました。
となると「自殺者の遺族の話」という趣旨をぼやかすのは、散文として不手際の感を否めないので、うん、、、また修正したくなってきたな、、、これと決めて投稿したものを改訂したがる悪癖は、ほんといい加減にしたいのですけど、、、すずらんさんの感受性が豊かだからそうなるんだよ!(※八つ当たり)月末まで自作と向き合います。 ('16/05/14 06:38:13 *1)
- すずらん :
あづにゃんへ ・・ 私が詩に意識のリズムを読む面白さを覚えたのは、田中宏輔さんの『全行引用詩』を百回以上読むことをもたらしてくれた編集労苦の体験を通してだから、前作と本作に施術された意識のリズムは、あづにゃんの田中宏輔作品研究の成果かなと思ったりしてるの。このアプローチって哲学的で、だから寧ろ小説寄り読み手に評価される気がする。詩の読者の多くは詩情をサウンドの情緒に浸って感受するから、そちらの趣を今より強めれば彼らにもアピールできるかも。と、いま北さんのレスを見たら既に言及されてましたぁ。 ・・ 好きだったのは、終行と第1聯。ステキな詩をありがとう。 ('16/05/14 07:32:21)
- 澤あづさ :
▼いすちゃんへ。
>あづにゃんの田中宏輔作品研究の成果かなと思ったりしてる
たとえば前作の引用コラージュとかは、もちろん全行引用詩を模倣しようとして「あたしには無理。」と結論した結果の自分なりであったが、組詩の精神とかに関してもそうだと思う。影響は読んだぶん疑いなく受けてるけど、意識的な模倣はほんと無理、発想の次元が違いすぎる。が。たったいま、文体トレースなら有用かもしれんと思いついた。もうほんとここんとこ、散文っつうか伏線に拘泥しすぎたせいで、サウンド的な意味でのリズムとかテンポとか、まるでわからなくなっているのだった。ただエピソード読ませるのにへんな小細工が邪魔なのは確実だから、本作に関しては、文章をよりシンプルにする方向を模索したい。なん度もヒントをくれてありがたいよ。。。 ('16/05/14 11:52:15)