間違って、鳥の巣のなかで目を覚ますこともあった。間違って? あなたが間違うことはない。Ghost、あなたは間違わない。転位につぐ転位。さまざまな時間と場所と出来事のあいだを。結合につぐ結合。さまざまな時間と場所と出来事の。Ghost、あなたは仮定の存在である。にもかかわらず、わたしたちは、あなたがそばにいれば気がつく。あなたが近づいてくるときにも、あなたが離れていくときにも、わたしたちには、そのことがわかる。Ghostは足音をさせて近づいてくることがある。Ghostは足音をさせて離れていくことがある。Ghost、あなたは仮定の存在である。かつて詩人が、あなたについて、こういっていた。あなたは、わたしたちが眠っているときにも存在している。わたしたちの夢のなかにもいる。そうして、わたしたちの夢のなかで、さまざまな時間と場所と出来事を結びつけたり、ほどいたりしているのだ、と。Ghost、二つの夜が一つの夜となる。いくつもの夜が、ただ一つの夜となる。いくつもの情景が、ただ一つの情景となる。何人もの恋人たちの顔が、ただ一人の恋人の顔となる。結ばれては、ほどかれ、ほどかれては、結ばれる、いくつもの時間、いくつもの場所、いくつもの出来事。Ghost、あなたは、つねに十分に準備されたものの前にいる。あなたにとって、十分に準備されていないものなど、どのような時間のなかにも、どのような場所のなかにも、どのような出来事のなかにも存在しないからである。Ghost、あなたはけっして間違うことがない。わたしたちはつねに機会を逃す。あなたはあらゆる機会を的確に捉える。Ghost、わたしたちはためらう。あなたはためらわない。わたしたちは嘘をつく。あなたは嘘をつかない。Ghost、わたしたちは否定する。あなたは否定しない。わたしたちは拒絶する。あなたは拒絶しない。Ghost、わたしたちは、ゆがめてものを見る。あなたは、ゆがめてものを見ない。わたしたちは、何事にも値打ちをつける。あなたは、何事にも値打ちをつけない。しかし、Ghost、わたしたちは、わたしたち自身について考えることができる。たとえ、それが間違ったものであっても。あなたは、あなた自身について考えることができない。そもそも、考えるということ自体、あなたにはできないのだから。それにしても、Ghost、わたしたちが夢を見ているときのわたしたちとは、いったい、何ものなのだろうか。それは、目が覚めているときのわたしたちと同じわたしたちなのだろうか。わたしたちは夢と同じものでできているという。何かあるものが、夢になったり、わたしたちになったりするということなのであろうか。しかし、Ghost、あなたは夢ではない。あなたは夢をつくりだすものである。夢を見ているわたしたちと、あなたが結びつけるものとは、同じものからできているのだが、あなたは、その同じものからできているのではないからだ。Ghost、あなたは夢ではない。夢をつくりだすものなのだ。ときに、あなたが結びつけるものが、わたしたちを驚かすことがある。べつに、あなたは、わたしたちを驚かそうとしたわけではない。ただ結びつこうとするものたちを結びつかせただけなのだ。Ghost、ときに、あなたに結びつけられたものが、わたしたちに、わたしたちが見なかったものを見させることがある。わたしたちに、わたしたちが感じなかったことを感じさせることがある。それは、あなたが片時も眠らず起きていて、ずっと、目を見開いているからだ。Ghost、ときに、あなたが結びつけたものに対して、不可解な印象を、わたしたちが持つことがある。そういったものの印象は、結びつけられたものとともに、しばしばすぐに忘れられる。わたしたちには思い出すことができない。あなたは、すべてのことを思い出すことができる。結びつけられるすべての時間と場所と出来事を、それらのものが醸し出すすべての些細な印象までをも。おそらく、わたしたちは、あなたが結びつけた時間や場所や出来事でいっぱいなのだろう。そのうち、どれだけのものをわたしたちが記憶しているのかはわからない。Ghost、あなたが、わたしたちの夢のなかで見せてくれるものが、いくら不可解なものであっても、それはきっと、わたしたちにとって必要なものなのだろう。しかし、どのような結びつきも、あなたにとっては意味のあるものではないのであろう。Ghost、ときおり、あなたのほうが実在の存在で、わたしたちのほうが仮定の存在ではないのかと思わせられる。ときに、わたしたちは、あなたに問いかける。しかし、あなたは、わたしたちに答えない。わたしたちは、わたしたちの問いかけに、みずから答えるしかないのだ。あなたは、わたしたちに問いかけない。そもそも、あなたは問いかけでもなければ、答えでもないからだ。しいていえば、問いかけと答えのあいだに架け渡された橋のようなものだ。Ghostは目ではあるが口ではない。見ることはできるが、しゃべることができない。あなたは、わたしたちの魂の目に、あなたが結んだ時間や場所や出来事を見せてくれるだけだ。Ghost、あなたにとって、あらゆる時間と場所と出来事は素材である。わたしたちには思い出せないことがある。あなたには思い出せないことがない。Ghost、あなたは言葉ではない。しかし、言葉と似ている。言葉というものは、名詞や動詞や形容詞といったものに分類されているが、これらは身長と体重と体温といったもののように、まったく異なるものである。一つのビルディングが建築資材や設計図や施工手順といったものからできているように、Ghostによって、さまざまな時間と場所と出来事が結びつけられる。わたしたちのなかには、わたしたち自身がけっして覗き見ることのできない深い深い深淵がある。あなたは、その深淵のなかからやってきたのであろう。Ghost、詩人は、あなたのことを、あなたがたとはいわなかった。たとえ、たくさんのあなたがいるとしても、結局、それはただ一人のあなただからだ。あらゆる集合の部分集合である空集合φが、ただ一つの空集合φであるように。そうだ、あなたは、あらゆる時間と空間と出来事の背後にいて、あるいは、そのすぐそば、その傍らにいて、それらを結びつけるのだ。既知→未知→既知→未知、あるいは、未知→既知→未知→既知の、出自の異なる別々の連鎖が、いつの間にか一つの輪になってループする。この矢印が自我であろうか。言葉から言葉へと推移するこの矢印。概念から概念へと推移するこの矢印。Ghostは、詩人によって、自我と対比させて考え出された仮定の存在である。わたしたちの身体は、同時にさまざまな場所に存在することができない。あなたは、同時にさまざまな場所に存在することができる。ここだけではなく、他のいかなる場所にも同時に存在することができる。Ghost、わたしたちの身体は、現在というただ一つの時間に拘束されている。あなたは、いくつもの時間に同時に存在することができる。あなたはさまざまな時間や場所や出来事を瞬時に結びつける。それとも、Ghost、さまざまな時間や場所や出来事が瞬時に結びつくということ、そのこと自体が、あなた自身のことなのであろうか、それとも、さまざまな時間や場所や出来事が瞬時に結びつくということ、そのことが、あなたというものを存在させているということなのであろうか。image after image。結ぼれ。結ぼれがつくられること。夢の一部が現実となり、現実の一部が夢となる。真実の一部が虚偽となり、虚偽の一部が真実となるように。Ghost、いつの日か、夢のすべてが現実となることはないのであろうか。いつの日か、現実のすべてが夢となることはないのであろうか。一度存在したものは、いつまでも存在する。いつまでも存在する。ときに、わたしたちは、わたしたちの喜びのために、わたしたちの悲しみのために、何事かをするということがある。あなたは、あるもののために、何事かをするということがない。いっさいない。あなたは、ただ時間と場所と出来事を結びつけるだけだ。それが、あなたのできることのすべてだからだ。Ghost、わたしたちは驚くこともあれば、喜ぶこともある。そして、わたしたちが驚くのも、わたしたちが喜ぶのも、すべて、あなたがつくった結ぼれを通してのことなのだが、あなたは、驚くこともなければ、喜ぶこともない。いっさいないのだ。しかし、Ghost、わたしたちの驚きが大きければ大きいほど、わたしたちの喜びが大きければ大きいほど、わたしたちは、わたしたちがあなたに似たものになるような気がするのだ。なぜなら、わたしたちには、ときによって、あなたが、まるで、驚きそのものであるかのように、喜びそのものであるかのように思われるからである。Ghost、間違って、鳥の巣のなかで眠ることもあった。間違って? あなたが間違うことはない。眠ることもない。けっして、けっして。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20100115_880_4084p
- 清野無果 :
19世紀あたりからのモダニズムの手法で「意識の流れ」というものがありますが、固有性もつきつめていけばコードの集合になるんだな、と思いました。 ('10/01/15 10:48:27)
- 田中宏輔 :
清野無果さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。
固有性の獲得≒コードの獲得
あるいは
コードの獲得≒固有性の獲得
かもしれませんね。
このあいだ、49才になりました。
この齢になりますと、
そろそろ
結びからまったコードを解きほどく過程に入らなければ
という思いもしています。
むかしは、人生 50年って言いましたものね。
いや
無理かもしれません。
よけいに結びからまるさまを呈するかもしれません。
しかし、すてきなお名前。
気を、飲むか? さんですものね。
ぼくは、平凡で、ありふれた田中ですもの。
うらやましいです。
で
恋人の名前が
鈴木なの。
平凡だわ〜。 ('10/01/15 10:55:37 *7)
- んなこたーない :
プログレが苦手なのでタイトルですこし躊躇してしまったけれど、読みはじめると――いやもうこれはどうしようもなくひきこまれてしまう。ところどころ意味のとれない箇所もあるけれど、しかし曖昧なところはまったくない。その点、詩にありがちな曖昧さ、いわば「錯乱」とはすっぱり縁が切れている。また、「あなた」への呼びかけがおのずと抒情を立ち上げるのでそのぶんだけ読みやすいという面もある。
思弁的な内容なので、多面的な読み方といく通りもの注釈が許されるだろうと思う。(「なぜ鳥の巣か?」「『わたしたち』はだれか?」「『詩人』はだれか?」「『鳥の巣のなかで目を覚ま』したのはだれか?」……)しかしなんといっても「Ghost」という存在が読んでいてやはり一番の迫真力がある。
この仮定の存在もまた多面的に読むことができる。「夢」のくだりからせまってみたり、「自我」(との対比)から解きほぐしてみたり……。そのための哲学的思想的な参照枠はいくらでもある。むろんそれによってこの詩が矮小化されて理解されてしまうこともあるだろう。(ぼくはここのところずっとスピノザを勉強しているので、「Ghost」とスピノザの「神」を類比してとらえるという誘惑にかられてしまうが……)
いまパソコンが壊れているので、直りしだいプリントアウトして保存したいと思います。 ('10/01/16 14:46:06)
- 田中宏輔 :
んなこたーないさんへ
お読みくださり、ありがとうございました。
おこころに触れることができましたこと知り、たいへんうれしいです。
スピノザの『エチカ』は、ぼくの思考方法の、
また、インスピレーションの中核にあるかもしれません。
『エチカ』は強力な磁力をもった
霊的な書物の代表的な一冊ではないかと思っております。
そして、もちろん、わたしたち、ひとりひとりの
人間存在そのものも、また。 ('10/01/16 15:25:58 *1)
- snowworks :
田中宏輔さん、こんばんは。
「Ghost」の意味を捉えようと読み進めると迷宮入りしてしまいました。僕にはあまり哲学の知識などもありませんし。しかしこの詩により田中さんの周囲をとりまく霊的なもしく思想背景みたいなものを全体像としてフッと一瞬垣間見ることができる気がしました。不思議な体験でした。 ('10/01/17 01:12:37 *1)
- 田中宏輔 :
snowworks さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。
おこころに触れることが、すこしでもできましたら
とてもうれしいです。
眼が覚めましたら、夜中の2時55分でした。
2時間半ほどの睡眠です。
脳が覚醒してしまって、睡眠導入剤も、精神安定剤も
効力を減じてしまっているのでしょう。
きのう、おとつい、10数冊の詩集と小説と洋書とケルアックの伝記を買って
ちらちらと読んでおりましたから、興奮状態がつづいて
しっかり眠れなくなりました。
まあ、もういまから起きていれば、日曜ははやく眠れるでしょう。
ようやく眼がさめてきたようです。
コーヒーを飲んで、本格的に、眼を覚まそうと思います。
きょうも、一日、元気に読書をしたいと思います。
きょうは、amazon で頼んでおいた洋書が1冊配送されてくる予定です。
その現物を見るのも楽しみ。 ('10/01/17 03:20:29)
- 右肩 :
田中宏輔さん、こんにちは。
どの詩を読んでも感じることですが、田中さんの詩は音楽ですね。
音楽を製造する坩堝の中に、自分自身の私生活を含めて総てを躊躇なく、惜しげもなく投げ入れているような気がします。
今回は、哲学(といっていいのか)、もしくは論理の形式を投げ入れています。
密度高く敷き詰められた文章の形式の中で、たちまち赤く発光し、変形していく語の姿が見えるような気がします。
「Ghost」はその燃えゆくものの熱と影、神を持たぬ人の作り出す神の幻です。それが音楽に合わせてリズミカルに伸張し、収縮しています。
>Ghostは、詩人によって、自我と対比させて考え出された仮定の存在である。
僕の詩はまさにそのとおりGhostを追うものですが、田中さんはもう既にGhostを捉えていて、これを音楽として奏でようとしているのでしょうか?
Ghostを絶やさぬために投げ入れられる「知識」「思考」「愛」「酔」「日常」。とても贅沢な質感があります。
なかなか詩の中に切り込める隙間もないので曖昧な感想となってしまいました。 ('10/01/17 23:20:43)
- 田中宏輔 :
右肩さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。
おこころに触れることができましたみたいで、よかったです。
なによりも音楽を感じていただけたのが、うれしかったです。
けさ、ひさびさに出眠時幻覚があって
こわかったですけれど、きょうは、ひとりでしたから
このあいだまでの2人とか3人とかの人影と違ってこわさが少なく
けさのは、ちょっとひょうし抜けした感じでした。
それでも、身体が硬直して、首を動かせず
横向きに寝ていたので
足もとに立っていた人影の顔を見ることはできませんでした。
二度寝すると、だめですね。
出やすいのでしょうね。
おそらく無意識層のもの、潜在意識のものがつくりだしているものだと思うのですが
まあ、この出眠時幻覚の人影は、この作品の Ghost とは違うものですけれど
Ghost のつくりだしたものだとは思います。
ふつうのひとでも幻覚は見るから、だいじょうぶですよと医者は言ってくれるのですが
あまりに現実感のある幻覚を、そうそう、ひとは見ないと思うのですが
わりとノンキなところのある医師なので
ぼくも相談しやすいことは相談しやすいですけれど
ほんとかなあ、安心させようとして言ってるんじゃないかなあ、なんて思ったりもします。 ('10/01/17 23:43:15)
- 石川順一 :
長いですけど、安定した調子で読む事が出来ました。終始沈黙の神に語りかけて居る見たいで、敬虔な崇高な感じが今の僕の状態、ちょっと鼻汁がひどくてくしゃみも多少多くて多少恍惚気味な、おかしな法悦境の自分との対比で読まなくてはならなかったのが残念でしたが。いえ決して御作をおとしめて居る訳では有りませんが。 ('10/01/18 00:36:57)
- 田中宏輔 :
石川純一さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。
なによりも、一刻も早く、ご体調のほうを、ご回復なさってくださいね。
お身体が、いちばん、大事ですから。
そんななかで、ご感想くださり、うれしかったですよ。
ありがとうございました。 ('10/01/18 06:16:42)
- はかいし :
あ、これいいな、と素直に思える作品でした。こういう形のないものを最後まで書き切るって、実はすごく難しいんですよね。冒頭から僕にはカッコウが浮かび、それから暗黒物質や極地の夜のイメージが浮かんで、延々と回りつづけました。それが、結ぼれ、の一言でひとつに結ばれる。緻密な描写で語り通すのとはまた違った味わいがして、非常に面白かったです。 ('10/01/18 07:46:30)
- 田中宏輔 :
はかいしさんへ
お読みくださり、ありがとうございました。
おこころに触れることができて、よかったです。 ('10/01/18 20:58:29 *2)
- はかいし :
レスレスを消されてしまったようですね。
この作品のGhostは数学で定義や仮定をひとつひとつ置いていくように、説明的に描かれており、そして僕は形のないものを書こうとすると、どうしても情景描写や感情に頼ってしまいがちなのだけど、この作品はそういうものを一切取り去っていながら、ひとつのGhostが完成している、ということが言いたかったのですが。 ('10/01/19 07:38:25)
- 常悟郎 :
こんにちは
拝読いたしました
田中さんにとっても、もはや詩というジャンルに於いて抒情的なるモノには興味はないようだ‥
見えざるモノ (Ghost)霊魂‥その唯一存在を証明できない超越な世界を、あなたはその存在を確信するかのようにあらゆる角度から検証し追及し問いかける
まるで人形劇に出てくるたったひとつの不思議な瞳の世界に足を踏み込んだまま‥抜け出せない少年のように‥純粋にモノだけを見つめるリアリズム
冷静に覚めた視点でひとつの点を目指すあなたに、この日々変貌してゆく世界の謎にあって変わらないリアリズム精神に興味尽きることはない‥ そういう意味ではこの詩はまさに純粋詩だ‥‥
そして‥それが日々変貌してゆく‥あなたのスタイル‥
非常に雑感です 失礼しました 。 ('10/01/19 12:23:53)
- しりかげる :
こんにちは。
拝誦させて戴きました。
主観的意識と客観的事実の相違というか。
僕は仮定することについて考えを掘り下げたことはあるけれど、「仮定」そのものについて深く考えた事がなかったので、なんだかとても新鮮でした。
日常というものは、常に明日の存在を礎として成るものだと思います。
なら、人間は仮定により生かされているのかな? なんて。
死が仮定でしか捉えられず、かつ、仮定がGhostであるのなら、僕たちが生きる意味とはどこに成立するんでしょうか。
哲学的な虚無感がすごく心地いいです。
いつもとはまた違った田中さんワールド、とても美味しかったです。 ('10/01/19 15:17:29)
- 荒木時彦 :
あつすけさま
あつすけさま流・汎神論といったところでしょうか。
僕には、この「Ghost」が「Wasteless」な、豊饒さを極限まで高めたもののように感じました。そして、僕がそのようなものを感じられるようになった(たぶん、年をとったからでしょう)ことに、喜びを感じました。 ('10/01/19 20:40:45)
- 田中宏輔 :
常悟郎さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。
詩は叙景にせよ、そうでないにせよ
抒情でしかないというのが、いまのところのぼくの見解で
だれが、どのように書いても抒情であると思うのですが
はてさて、人間が思うところ
考えるところ、それは、こころのなかでの想起であり
いかなる書かれたものも「抒情の範囲」を超えることはできないものと思いおりますが
いかがでしょうか? ('10/01/19 21:05:04 *1)
- 田中宏輔 :
しりかげるさんへ
お読みくださり、ありがとうございました。
あらゆる表現が、定言的であるにせよ、そうでないにせよ
仮定にしかすぎません。
それは、厳密に数学的な定言においてさえ、そうなのです。
つねに、あらゆる言明は、仮定の上でなされ
咀嚼されます。
そう考えると、なんというおぼつかなさの上に
わたしたちは存在しているのでしょうか?
現実とは、なんというおぼつかなさの上に築かれたものなのでしょうか?
日々、そのおぼつかなさの加減に驚愕する、わたくしです。 ('10/01/19 21:11:39 *1)
- 田中宏輔 :
荒木くんへ
お読みくださり、ありがとう。
どんなにささいなことにも、意味があり
意義を見出すことができるということに気がついたら
そうね。
荒木くんはヴァレリアンだし、プルースト体験もしているからわかると思うけれど
見逃さないでね。
どんなにささいなことにも、人生のすべての光を集める可能性のあることを。
詩人は、作家は
たんに
その一瞬を捉える機会(チャンス)にしか過ぎないのだと。 ('10/01/19 21:16:19 *1)
- 常悟郎 :
今晩は
再レスです
「アリストテレスは‥詩は単に人生の模擬ではない、人間の一般不変なる性質及び傾向を表現するのである‥と説く」詩はエスプリであり‥読者と共鳴しあい、また交感作用により魂へ働きかけ自浄作用を喚起させる‥言語はその概念的符号としての役割から解放する‥ことにより新しい未知の詩的世界を創造する‥‥如何に合理的にデジタル処理された記号であっても、血の流れる人間が書く以上‥概念としての抒情を否定することはできない‥わたしもそのように思います
‥あなたがそうお認めになるならそうでしょう
異論はありません
失礼しました 。 ('10/01/19 22:18:36)
- 常悟郎 :
今晩は
再々レスですが
田中さんやdebaserさんあたりの書くモノがおもしろく興味深いのは‥その独自性ということに於いて、明確な線があるということ‥ではないでしょうか
‥お二人ともかなりの読書家のようだが‥例えばdebaserさんはそれら他者からの影響を打ち消すかのようにためらいなく自己を排出する‥文章でいえば 墨筆で一気に描かれる個性的な一筆書きのように、明瞭でユーモアな無駄のない活き活きとした線を描きながら本質的な意味を探る‥
あなたは 前に僕が書いたように‥逆に他者からの引用をできるだけ持ち出しながら、演繹的且つ帰納的に分析しながら独自のしなやかな文体で、その融合する調和から新たな解釈語法が引き出されるような視点へと、至ってゆく‥
そのどちらも(誰か‥のような‥どこか見たことのあるような‥)これら世にあふれ出ている多くの詩作品のなかで‥明確な特異性(独自性)を持ち得ている‥という意味に於いて、お二人とも一歩抜きんでているのではないか‥
そのような気がいたしますね
寝床から暗闇のなかの雑感です、誤字脱字はご容赦を
失礼しました 。 ('10/01/23 02:59:57)
- 田中宏輔 :
常悟郎さんへ
たぶん、ぼくは、子どものように、そとに関心の目を向けて
毎日、生きているのだろうと思います。
そして、忘れやすいのと同時に、忘れにくい性質を持っています。
忘れやすいというのは、だれが、どこで、どんなことを書いていたのか
ということを正確に思い出せないこと。
これは、一日の読書量が多量であることと無関係ではありませんが
忘れにくいというのは、「この言葉、どこかで読んだことがある」と
漠然とですが、かならず覚えていることです。
20代までは、自分が詩を書くなどとは思いもしなかったのですが
27,8歳のときに、ユリイカに投稿するようになり
読んだものをメモするようになりました。
最初から全行引用のみによる詩を書いていました。
これはフロベールの影響です。
フロベールの未発表の遺作が、最後のシーンが
二人の写字生が、それまで自分たちが写してきた美しい文章を
交互に書いていくというところで小説を終える予定だったそうです。
それと、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』についての
表現に、ある評者は、「ほとんど引用だけで、自分の著作としている。」と書いていました。
そんなことを言えば、プルタルコスや、オウィディウスなんかも、そうですね。
もっとも最初の詩人である、ホメロスの『オデュッセイア』でさえ、引用の織物です。
ぼくは、理系で、参考文献はかならず書いておかなければならないと教え込まれました。
このことも強く影響しているでしょう。
他者の作品を読んで、しばしばがっくりさせられるのが、既視感のあるもので
しかも、本人は、自分の書いたものと似ているものが、すでにあることを
あるいは、似ていて、もっとすぐれているものがあるということを
知らない様子をしている、しかも、平気な顔で。
これは、知的怠惰だと、ぼくには思えます。
知らないことは、ぼくにだって、いっぱいあります。
知っていることなんて、ごくわずかです。
しかし、知的怠惰だとは、思っていません。
そして、もっとも強い理由は
なによりも、書かれた文章や詩句が
すでに、ぼくの思考傾向に取り込まれてしまっていて
ぼくの魂の一部になってしまっていることでしょうか。
引用させてもらっている詩人や作家の魂の一部が、ぼくの魂の一部となっているのです。
これは、ぼくだけのことではなくて、ほかの方でも同じようなことがいえてると思います。
そして、ぼくは、リスペクトの精神で、彼ら・彼女らの名前をあげて引用します。
そして、独身者であるぼくは、ときに孤独感にうちひしがれますが
引用していると、「ぼくは、ひとりじゃない。」という気にさせられるのです。
たくさんの詩人や作家や哲学者たちが、そばにいてくれる。
いや、ぼくのなかにいてくれているという気になるのです。
さいきんは、現実の事物・事象について書き込むようになりました。
ようやく、現実の事物や事象が、ぼくとともに、ぼくのなかで
生きてくれるようになった、いや、生きてくれていることにぼくが気がついた
そんな感じがしています。
齢をいくことは、肉体が衰えることと同時に
精神が、ますます生き生きとした活発なものになるということなのですね。
悪いことばかりじゃないということですね。
一日、一日が、とても大切です。
ぼくはクスリがないと生きていけない身体なので
そのこともあるのでしょう。
いつ死ぬかわからないという思いは、ぼくを
人生の一瞬、一瞬を、克明に観察させるのですね。
ほとんどあらゆることが、きらめく光に満ちています。
そうお思いになられませんか? ('10/01/23 08:01:36 *2)
- 常悟郎 :
おはようございます
人間を彩る多くの格言を見てもわかるように、古代を経てゲーテから19世紀末の産業革命期あたりまでにその本質は、すでに言い尽くされているような気がいたします
現代人はそれらの表層をアレンジしながら時代に耐えてゆくしかない
歌人の俵 万智あたりが評価されたのも、それに尽きるのではないでしょうか
例えば‥少し以前の高名な南米作家たちの詩集を読んでもほとんどに於いて イデオロギーという時代背景に訳されてゆく‥(ガブリエラ、ミストラルは文体がユニークでおもしろそうですが)
どんな芸術でもそうでしょうが、 その数を識れば識るほど 独自性という壁を克服しなければならなくなるようです
詩は一瞬の煌めきと言われます‥然し、そのような時代を超越する優れたイマジネーションなど、 天才でもないかぎり我々の脳裡にそんなに起こり得るはずありません‥
その意味に於いてあなたの詩作は正しいのです 。
どれほど派手に着飾り‥また知覚をむずかしく難渋にしたとしても 描かれている内容の本質に新しい魅力がなければ、直ぐに飽きられ捨て去られてしまうことでしょう
書き物は、はじめから(言葉)という共通の認識を与えられた約束ごとを用いるだけに‥ 尚且つ‥そのような気がいたします 。
雑感で失礼しました 。 ('10/01/23 12:22:41)
- 田中宏輔 :
新しいというのは
主に、新しい器に、新しい盛り付け方をすることなのかもしれません。
たまに、新しい調理方法も考え出されて、新しい味わいのあるものもありますが。
料理に使われる肉や野菜の種類が多少多くなることはありましょうけれど
そんなに種類が異なるわけではないですものね。
人間の悲しい、うれしい、楽しいといった感情が
自分の親を、子を、兄弟を亡くしたときに持つ
自分の子の成長を目にするときに親の持つ
恋人と蜜月を過ごすときに持つ感情が
時代が変わっても、そう変わらないように。 ('10/01/23 12:35:32 *1)
- 田中宏輔 :
エリオットの言葉に即して言えば
芸術は、「その数を識れば識るほど 独自性」を持つのですね。
それが詩人の魂のなかで。 ('10/01/23 13:55:54)
- ゼッケン :
>Ghost、あなたは仮定の存在である。
この一文はいったい何を仮定したと言っているのか? Ghostが存在することを仮定しただけであれば、この一文は、Ghostは仮定の存在である、となる。もとの文と比較してみよう、すると分かる。「Ghost、あなたは仮定の存在である」、この文章の磁力の発生源は呼びかけにある。
Ghostとは因果法則そのものであるが、それに「あなた」と呼びかけてもよい、という仮定である。
実体のない面影に対して「あなた」と呼びかける無為。すなわち片思いである。
この作品は世界への片思いを綴っている。
世界の存在原理が愛であるならば、人は愛を語る必要はない。愛はすでに示されているからである。
人に語ることが許されているものは、この作品のように、恋の熱望だけである。
恋が愛を越える。人が世界に意味を与える可能性はここにしかないであろう。 ('10/01/23 16:21:46)
- 田中宏輔 :
ゼッケンさんへ
お読みくださり、ありがとうございました。
「呼びかけ」に目をとめていただけて、とてもうれしゅうございました。
世界の存在原理が愛であるならば、人は愛を語る必要はない。愛はすでに示されているからである。
ぼくの目は、「愛」の文字を「神」に読み替えて、何度か繰り返し読ませていただきました。
ぼくのひとりの親友がクリスチャンで、そのような言葉を、よく聞かせてくれました。
ただし、イエス・キリストのことは、語る必要があるのだと、友人は言っていました。
ぼくは、自分がクリスチャンにどうしてもなれなかったので、友人の言葉に
ただ、うなずくだけでしたが。 ('10/01/23 17:00:08)