/(一)
手を繋ぎ、互いの心臓をにぎり締めて、あの給水塔へ歩いていく。止まったままの鈍色の空。私たちの街に、行き先が明示された全体はなく、正しいスケールも、形すらない。遥か、中央にあたる円柱の塔には、赤い花が見え、空に埋もれてそれは腐っている。それはとっくに、
腐って、
いるのを
知っているけれど/
後味の悪い、思い出に似てくるうす光りの道を、私とあなたはくるしく急いだ。迷宮めいた建造物の連なり。時おり他人の声が聞こえ、雨に打たれた街灯の柱から、水のしずくが這い下りる。猫が現れ、私やあなたに関心すら示さず、初めの四つ角へ姿を隠す。私は、足もとすら覚束ない曲がりくねった路地で、あなたの耳たぶをきれいだと思う。石畳にころがる、なふたりん、らんぷ、なまごみの類いを、よそ事みたいだと私は言いあて、次の四つ角が近づく前に、胸の何処かがひしゃげる気がする。唐突に姿を見せる黒い街路樹。そこから、落ちかかる脆い葉むら。私たちの街に風なんてなく、遠のいては近づく痛みのような、影が逆さに揺れるばかり。
通りのあちこちで、音を立てる排水のすじ。ちょろちょろ、それは石畳に沿っていて、あなたの歪んだ靴だけを写す。広場を迂回する、左右の逼った坂道に会うときは、あなたの心臓がわずかに萎み、悩ましい息の匂いが届いてくる。私は、あなたの心臓を、
にぎり締め
あなたは、
私の心臓を/
ひき締める。歩くたびに、後ろにずれる建造物の切れ目から、またあの給水塔が見え、赤い花さえ、ちらちら覗く。あなたは不意に眉をひそめ、たちの悪い悪戯のように、私の名前を疚しく繰り返す。私は、そういうあなたの不確かな心が、まるで引き潮のように、私の命を縮めるだろうと思う。
(四つ角に会うたび、
私たちは噴水に驚く。背の低い水の湧出が、私の胸の暗がりを言いあて、あなたの肩の水位を上げていく。目のなかで、零化をつづける揚力とベクトル。他人のざわめきが、私とあなたを親しく脅かし、繋いだ互いの手に、尖った雨が堕ちてくる。)
*
辺りに、打ち棄てられた猫の死体。けれども、その尻尾がしなやかに跳ねるのを、私たちは忘れないだろう。坂道を上りつめ、新たな四つ角をじらしながら曲がると、円柱の塔と、赤い花がなおも現れる。あなたが、手にする私の心臓は、生きているのだろうか。あなたが私の腕に巻きつき、そっと誰にも判らないように、秘めたピンクの腸を見せる。街の回廊を、聞きなれた睦言が濡らし、私の身体はだんだん溶けていく。
途中で、
止めていいのよ
とあなたは言い/
私はそこで初めて、また出発点に戻されたことに気づく。あなたの心臓が腐り、私はあなたの、取り返しのつかない二の腕を探している。壊れた顔を拾い集め、欠けていく心を抱いて集め、あなたがいた石畳の空白に、無駄だと判って並べたてる。遥かに見上げると、動かない給水塔に光りが射していて、うず巻く鈍色の雲のしたで、赤い花が震えている。
/(二)
震えが、
止まらないわ
とあなたは言い/
その震えは、給水塔に見える赤い花のそれと、呪わしく対応している。ほどなく、修復を終えるあなた。ちょろちょろ水が石畳を這い、その靴さきを濡らしはじめる。他人の声がいつの間にか回帰して、私とあなたを遠まきに包囲する。あるいは、粒だつ異物のように、辺りから区別していく。
私たちの街には、正しいスケールも、形すらない。寝覚めの悪い建造物が林立し、いくら歩いても近付くことが出来ない。初めの四つ角を、顔のよごれた猫が通るとき、たまらず、私は自分に問いかける。何をもってあれを、いったい何の中央だと言うのか。歩き出すあなたは、
私の心臓へ
二の腕を
さし込んでくる/
次第に、ぬくい、悔いのような圧迫が、動く私の暗がりを満たし、狂おしくなった私は、路地と坂道と、街路樹のある通りで、意味の判らない嗚咽を繰り返す。石畳にころがる、なふたりん、らんぷ、なまごみの類い。あなたは私の耳たぶを拡げ、肉のもり上がりを痛いほどに圧しあけて、聞き飽きた秘めごとを、引き潮みたいに私に流し込む。たまらず、自分に問いかける私は、次の、四つ角が近づく前に、胸の何処かがひしゃげるのだろう。
(脈絡もなく、
他人の声やざわめきが聞こえ、真新しい噴水が中空をひるがえるたび、路地の何処かから、あなたが呼ぶ声がする。手を、繋いでいたはずなのにと私は混乱し、慌ててあなたの心臓を求めるが、あなたはここにいる。)
*
ふぞろいな建造物の切れ目から、垣間見えるあの円柱の塔と、赤い花。回遊するのは風でなく影で、私とあなたは、どれだけの時間、ここを歩いたのかさっぱり判らない。降りつづく雨の揺れに、しぶきを返す四つ角を越えるとき、私は、疚しい自分じしんの声を聞いた。
給水塔を、
ばくは、
せよ。爆破とは/
つまり中央をなくすことで、広場を迂回するこの坂道の途中でも、あなたの不在を確かめられないことだ。唐突に現れた子供の公園に、四角いベンチがあり、砂のかたまりが板に浮いている。水のしずくが垂れ落ちる遊具には、何かの文字が書かれているが、私には読むことが出来ない。私たちを見下ろす円柱の塔は、鈍色の空のなかで怖ろしく停止していて、未知の、想像もつかない水量を蓄えて、限界ぎりぎりで待ち構えている。
/給水塔を、
ばくは、
せよ。あなたの心臓を手放し、あなたの腕や心などから離れて、街の中央にたどり着くためには、赤い花に触れることが必要だ。/給水塔を、ばくは、せよ。たしかに私たちは再会した。迷宮じみた雲のした、この街の路地や坂道や、街路樹のある通りの何処かで。ふたたび猫の死体を越えていくと、左右の回廊が、後味の悪い、思い出のように連続し、水が溢れている。震えが、止まらないわとあなたは言い、その震えは、給水塔に見える赤い花のそれと、呪わしく対応している。
/(三)
心臓の圧迫がなくなると、雨ざらしの道の外れで、崩れるように屈み込んでしまう。膝を濡らし、粒だつ回廊の砂を惨めだと感じながら、水に写った自分の顔を、目のはしで見ている。だらしなく石畳にころがる、
腐った
あなたの
髪、壊れた/
あなたの二の腕、声、心など。私はひとつずつ拾い集め、斜めの視座から辺りを見上げる。唐突に息を吹きかえす、葉の黒い街路樹。複雑に分岐する路地と、頂点のない坂道。建造物の向こうでは、うず巻く空の雲が止まったままで、この街の全体を生ぬるく見下ろしている。私は、ひとりだと思う。欠けたあなたの顔、弛んだあなたの息、匂い、糸きり歯などを、光る石畳に並べたてながら、軽く、虚しくなった心臓を感じる。たまらず私は、歩きはじめ、この腕にあなたを抱いたまま、行き先も判らず声をあげている。
(修復には、
まだ時間があるし、私には、犯すべき禁忌が残されているはずだ。)
*
/……。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20090331_770_3427p
- 5or6 :
読みました。
中年カップルの禁断の恋のようで、ひとひらの雪なんか思い出しました。
中々のエロスでした。
失礼しました。 ('09/04/01 12:18:11)
- 右肩 :
黒沢さん、こんにちは。
僕も僕の書きたいことを書きたいように書けたらこんなものを書くんだろうな、と思わせる作品でした。
僕の読み方で読むなら、これは意味のないものが意味を模倣しようとするときの苦痛と快感をめぐる詩です。塔だとか女だとか死だとか、今まで意味の領域で語られていた言葉は、もう自明のこととして無意味じゃないですか?でも僕らが意味あるものの前で振る舞うように真剣に手足をバタバタするとき、それは始めて「僕らにとっての何かになるのかもしれません。
実は今、休みをとって奈良の塔とかを見てきたところなので実にタイムリーな詩です。隣に女性がいたらもっとタイムリーなのが残念です!」 ('09/04/01 13:48:13)
- 黒沢 :
5or6さん
gloom、とても面白かったです。
コメントもらえて光栄です。
実をいうと、かつてここでコメントしたことのある、
(注:ケムリさんのコメントに対する私のレスですね)
http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/125.html#20080407_176_2691p
そう、わが借家の玄関に住み着いた二匹ののら猫のうち、
とりわけ身体の弱いほうが、昨日からしばらく行方不明なんですよ。
だいぶ年ですし、もとは体の半分が皮膚病で、
体毛がまだらだったのが、
やっとこの半年くらいで、
不十分ながら生えそろってきたところだったのに。
(それから、まったく私など人間に、
なつかない種類の猫なんで、そんなに可愛いわけではないんですが)
ただそれだけのことなんですけど、
いま、心がぐらぐら揺れておりまして、
感傷<おセンチ>の色魔といいますか、愛情の夜尿症といいますか、
何が理由なのか分かりませんが、私は発作的にそうなることが、
ときどきありまして。
「中年カップルの禁断の恋」
「中々のエロス」
はあ、注意をしないと、
どっぷりハマりそうで、怖いですね、私の場合。
いや、ほんとうに怖いことは、
避けえないゆえに怖くないんですけどね、ほんとは。
のら猫くらいが、ちょどいいはずなんですけどね、
それすら、完全に手に余ってますよ! ('09/04/02 00:38:08 *5)
- ひろかわ文緒 :
黒沢さん、こんばんは。初めまして。
ああ上品な詩を読んだなあという気持ちです。
>たまらず私は、歩きはじめ、この腕にあなたを抱いたまま、行き先も判らず声をあげている。
>(修復には、
>まだ時間があるし、私には、犯すべき禁忌が残されているはずだ。)
ここらへん好きです。割り切れない割り算みたいで。
それでは、失礼しました。 ('09/04/02 22:45:03)
- 黒沢 :
右肩さん
>意味のないものが意味を模倣しようとするときの苦痛と快感をめぐる詩
ああ、創造的で、いい読みですね。
僕などは、性格が悲観的なので、
「意味のないもの」のところに、=で、「意味のない主体であるところの人間の生」といった属性をもつ符号を、代入したくなります。ぼく自身が悦んだり、苦痛にあえいだりしているのは、だいたいそんなところなのかも知れません。
仕事中、嫌なことがあると、ひっそり席を離れて、独りでエレベーターに乗って、思いっきり壁を蹴りまくっていた時期がありました。5年くらい前ですが。くだらん!、くだらん!って、いつもおなじ決まり文句で。
くだらないものに、下らんっていったところで、どうにもならんのですが。そうした自己言及性は、どうにも痛ましくて、いつまで経っても、笑えないままの冗談のようです。
僕は仏像マニアでして、奈良とかと聞くと、ちょっと蘊蓄をたれたくなってしまいますが。ナンパしてみたらどうですか、笑。 ('09/04/02 23:49:11 *2)
- 黒沢 :
ひろかわ文緒さん
「だんぜつの雨」の冒頭四連(洗濯機がまわります、の前まで)は、ぐいぐい、きちゃっている凄い文章ですね。
あれは、凄かったです。
終わり方は、実をいうと、もう1バージョン書いたのですが、中途半端なこちらにしました。割り切れない割り算みたい。そう、そんな感じです。有難い読みです。
この詩に限らず、僕の書くものは、粗<あら>が多くて、冷や冷やもんです。この詩は自分では、思いっ切り、ほぼフルスロットル状態の記述に、なってしまったなあという感触があるので、上品といわれたのは意外でした。ねちっこいとか、不健康だとか、キモイとか、それに下手くそだとか、かなり罵倒を覚悟してましたので。
自分のことは、分らないですね。有難うございます。 ('09/04/03 00:03:03 *1)
- 宮下倉庫 :
どうも、黒沢さん。
事物の捉え方に着目して、読みました。鈍色、迷宮、腐敗、脆い葉むら、猫の死体、噴水…。まだまだ出し尽くされていませんが、これら事物、そしてそれらの話者の捉え方は、確かにひとつの推進力となって、作品をあるひとつの着地点へと導いているんだろうなと感じます。夜間飛行の飛行機を導く誘導灯のように、間違いなく。季節柄、ひとつくらいピンクの電飾があってもいいんじゃないかと思わされるくらい。
給水塔は都市の風景を予感させるモチーフで、作品の後半には「ばくは」されるみたいですが、ばらばらになったのは「あなた」の方で、ほとんど無数とも思えるほどの意思、偶然、あるいは奇跡の交錯、によって形成される都市の風景の中から、話者はどのように取捨選択し、なにを掬い上げ、言葉にするか。そこを思いながら読むと、とても興味深い作品だと思います。というか、僕は人の作品の内容にはほぼまったく興味がないので、そのように手前勝手に、いつも人の作品を読ませてもらっているんですが。
それで、平たく言っちゃうと、女性にふられたんでしょうか、話者は。例えば、あなたの横顔と、遠景の給水塔、無風に震える赤い花の無音。このみっつのショットで、この作品の半分は完結できそうな、そんな気がしているんですが、間違いでしょうか。個人的には、目の前で起きていることが重大であればあるほど、かえって瑣末な事柄が目に入る、いつまでも覚えている、そういうことが多いように思います。
後は、いろいろあり過ぎに思えて、難しい作品でした。 ('09/04/03 10:25:05)
- 鈴屋 :
こんばんは。
この「給水塔」、どうしても「trick or treat?」と比較してしまいます。
まったくの好みでいえば、[trick ・・・・」のほうをとります。わたしはときとして、メインテーマより背景描写に興味を持つのですが、[trick・・・・」のほうがその奥行きの錯綜ぶりにわたしが振り回されたぶん、愛着があるのです。[trick・・・・」で訓練を積んであるぶん、この詩は読めちゃうのです。給水塔という塔、解説すると、間違えるようになっていることも読めちゃうのです。
黒沢さんの詩にわたしは神秘主義の匂いを嗅ぎとります。その退嬰も含めて黒沢さんの故郷なのではないか、とおもっています。
「給水塔」も「trick or treat?」も道行の詩、この先どうなるのか、最終決着を見たいものです。
(修復には、
まだ時間があるし、私には、犯すべき禁忌が残されているはずだ。)
これを切に待っています。
わたしの昨年末の詩「空き室」にコメントを頂いたまま、返信をしていませんでした。ずいぶん経ってから見返したとき発見しましたが、わたしのほかの詩でレスのやり取りがあったあとのことでもあり、いまさらということでそままにしてしまいました。礼を失したこと、ここでお詫びしておきます。
「創造大賞」受賞、心より祝福します。この文極という文学の片隅で黒沢さんの詩に出会っていることを幸福に思います。 ('09/04/06 23:07:54 *1)
- 黒沢 :
宮下さん
返事が遅くなってごめんなさい。コメント頂けてうれしかったです。
>それで、平たく言っちゃうと、女性にふられたんでしょうか、話者は。例えば、あなたの横顔と、遠景の給水塔、無風に震える赤い花の無音。このみっつのショットで、この作品の半分は完結できそうな、そんな気がしているんですが、間違いでしょうか。
うーん、自分じゃこの詩、かなりベタな内容、構造だなあと思っています。そのへん、宮下さんの読みとの間に齟齬があるのでしょうか。自作を変に神秘めかしてもばかみたいなので。ちょっとだけ。
「のぞましくない刹那/時間/事実が永劫回帰する」
>いろいろあり過ぎに思えて、難しい作品でした
これも、わたしの力不足です。せっかく読んでいただいたのに、申し訳ないです。 ('09/04/11 20:42:13 *1)
- 黒沢 :
鈴屋さん こんばんわ。
「Tick or Treat?」は、ここでは、あまり評判のよくない作品でした。コメントもあまり頂けなかった。自分ではそれがとても残念で、へこんだ、というかやはり残念だったのを覚えています。昨年、わたしがここに投げ込んだ詩のなかでは、いちばん気に入っています。あの詩、書いてて自分が壊れそうだった。
過去ログにある「不眠温度」と、この「給水塔」とを、まとめてリライトした/記述しなおした、のが「Tick or Treat?」だったようにおもいます。鈴屋さんの目にとまって、本当に幸運だと思う。うれしく思います。
さて、この「給水塔」は、そろそろ四年くらい前の作品です。一生けんめい書いた詩です。ごまかしの難しい書き方をしたので、書いてて苦しかったですね。
>この文極という文学の片隅で黒沢さんの詩に出会っていることを幸福に思います。
うん、賞をもらえたのは嬉しかったですし、このような言葉をもらえるのは、ほんとうに嬉しいですね。
わたしには(本気で)詩を読んでくれる知人がなく、自作の詩を、ひと目につくところにさらすことにも、昔からとても引っ込み思案でして。ある程度の数の作品をまとめて、継続的に、どこかに発表するというのは、ここ文学極道が、わたしにとってのはじめての場所だなあと、思います。
鈴屋さんは、まだまだ完成していない、伸び代のふんだんにある書き手だと思います。凄い詩を書いて、わたしを完膚なきまでにノックアウトしてほしいですね。それができそうに思える、非常に数少ない書き手だと感じています、ほんとうに。 ('09/04/11 21:02:23 *1)
- 凪葉 :
こんにちは。
黒沢さんの作品を読む度に感じるのは、大人だなぁ、というのです。
言葉の扱い方がわたしとは大分違う気がします。だからかな、新鮮でもあり、やはり難しくもある。
この作品、正直に言いますと最後まで集中力が続きませんでした。
所々はっとするような部分も多々あるのですが、なんでだろう、ちょっと重すぎたのかな。ちょっとした変化があればよかったのかもしれません。わたしには。
でもプラタナスとかは、最後までばしっと読めて、あぁ良いなぁって胸があたたかくなったので、黒沢さんの作品はほんと、全般的に好きなんですよね。
奥行きがあって、つかみどころのない、暗く、あたたかい海を泳いでいるような感覚。
オフィーリアとか、終わり方素晴らしいです。
と、他の作品のコメントまで言ってしまいました。
賞おめでとうございます。 ('09/04/11 22:52:14)
- ミドリ :
こんにちは、黒沢さん。
これはちょっとしたもんだと思いますね。但し文体はもう少し読みやすい形に直すべきだと思います。もっと滑らかに、もっとナチュラルに、心に食い込んでくる文体を選ぶべきだ。そういうことです。もう一点付け加えると、具体的なイマジネーションを読者に喚起させる単語を、要所に散りばめることで更に良くなる筈だ。そういうところですね。ぼくが気になったのは。
で、このテクストは2人の男女の間に交錯する(夢の中にいるような混濁した)心象風景に、できるだけ忠実にフレームを与えようとする、そういうポエムですが、非常に難しい話をしなければならない。例えば、人生の道行きの途上で出会う。恋愛関係に於ける恋人同士、あるいは(むしろこのポエムではこっちの方だ→)契約を結んだ夫婦のその心の奥底に眠るドグマに迫る一方で、互いに互いの「心臓をギュッとつかみ合う」ような絆を必要とする、そういう厳しい環境化に置かれた2人の道行きが、このテクストに書かれてあるわけです。天才だな、黒沢!ボケっ!
(*^^*)b
でだ。
「給水塔」は都市に於けるオアシスの譬えとして描かれていますね。そこは人間が仕事をする場所でもなく、更には生活する場所ですらない。だけども2人はそこへ逃れていこうとするわけです。何故か?「街の中央」へ行けば危険を避けることができる。目印のない世界に唯一、それらしき標としての「給水塔」があるわけです。
このテクストにもっと忠実に言うと、2人は「街の中央」を目指しているわけですが。それはそこが、2人にとって安心して暮らせる場所だという、2人の間に存在する唯一の共通理解・認識がそれであり、だからこそ2人はそこを目指すわけです。
しかし、男は「給水塔」こそがそこだ(街の中央だ)と女に語り、「俺についてくればいい」と言っているわけです。ところが、男は女の挙動にこういう告白を漏らすわけです。
>そういうあなたの不確かな心が、まるで引き潮のように、私の命を縮める
つまり男は女に”自信を持って”方向を指し示し「あそこだ」と女の手を引くわけです。だがそれは男の「嘘」なわけです。女を安心させる為の嘘なわけです。むしろ「ここから」逃れていく確か場所を知りたいのは、むしろ俺の方だと心のそこでそう叫んでいるわけですよ!
男のポエムです。燃えますな。はっきり言って。(´ー`;)y−゜
それから付け加えると、特にラストにかかってくる音律は、上質なポップスのリズムを刻んでいて、言語芸術の世界では、他に類例をみない語り口を作り出している。 ('09/04/12 14:44:28 *1)
- 浅井康浩 :
目的地へ歩く、ということは、日常的にだれもがしていることだし、ここでは、とりたてていうこともないだろう。
しかし、あるきながらもたどりつけない、ということに関しては、すこし、気をつける必要がある。
目的地は見えていながらもたどりつけないということ。
たとえば、円環状の都市アムステルダムでさまようならば、目的地は、近付きつつあり、しかし、それとは知らないうちに遠ざかってゆく構造をもつだろうし、
たとえば、猫町ならば、それは路地を一つはいれば、まったくの異世界がひろがってゆき目的地すらおぼつかなくなる。
見覚えがある街をさまようのならば、おそらく、パリのように、たどりつく予感はあるものの、群衆にはばまれつつ、到着する瞬間をなしくずしに遅延させられる構造をもってくる。
到着を予感しつつ、しかしそれに至るまでの歩く歩調とともに高鳴るこころのざわめきを書いてきた小説は、だれでもひとつやふたつはしっているだろうし、そのささいな出来事にこころをあたためるひとは、このような、あるけども到着できない、というべき構造に、カフカの城なんかをしてしまい、あの、分厚くも退屈な内容のくりかえしにげんなりしているとも思う。
>「行き先が明示された全体はなく、正しいスケールも、形すらない。」
といい、永遠にたとりつけない空白の中心をもつのならば、
その構造を仮構しつつも、とりうる最良の手段が
>ばくはせよ
であることは、どのようにかんがえても、うなづくことができない。
もちろん、それは丸善におかれた檸檬のような緊張もなければ、AKIRAのように、破壊の映像とその音がずれてしまうことによっておこる静寂を感じさせることもない。
もちろん、
>私とあなたは、どれだけの時間、ここを歩いたのかさっぱり判らない
という時間性のなかで、繰り返し登場する「なふたりん」などがリピートしてしまう果てなさに、倦んでしまうことが、「ばくは」につながるのだとしたら、それは、早計であろうとも思う。
では、このような世界が、どのような性質を持つのかにいては、さまざまな解釈が可能であろうけれども、
>猫が現れ、私やあなたに関心すら示さず
という一文はおそらく、この街が、わたしたちにとって全く見知らぬ街、「正しいスケール」を知らないことからくるものでなく、
「わたしたち」に近すぎるゆえにおこってくる一文と解釈したい、という気持ちになる。
それは、たとえば、「トゥルーマン・ショー」のような設定であり、
そして、永遠にたどり着けないのは、デルヴォーの「森の駅」の世界に似ている
そこは決して、廃墟などではなく、
>音を立てる排水のすじ。ちょろちょろ だの
>私たちは噴水に驚く だの
>辺りに、打ち棄てられた猫の死体
だのに、「わざと」おどろくための映画の書き割りのセットのようなものに思える
そのような、わざわざな演技の果ての「爆破」のくりのばしと夢幻性をここによんでしまうのは、あまりにももったいなく、
ここは、回廊となってしまった世界を徒歩で歩くその幼児回帰性をかたすみでとらえつつ、
そのここちよさに依拠して、
>闇と感じられるものの力からエロティズムの威力を汲み上げるこの絵の放つ光は、まさにこの女から、この捧げられた肉体からやってくる
といったデルヴォーの言葉のように、
>そっと誰にも判らないように、秘めたピンクの腸を見せる
ような、なんでもない一節に、マザーコンプレックスの発露を読んで、こころを奪われるのが、ひとつの、(それでも徒労のおおい)読み方ではないか、と思う。 ('09/04/12 20:35:02)
- 黒沢 :
凪葉さん
そうですね。言葉の扱い方、かなり違いますね。多分に、何が美しく感じられるか、という美意識のところと、何が信用できるか、という信頼のところと、この二つに対するスタンスの違いから来ているように思います。わたしは、こう見えて、両刀使いのつもりです。童話を書くときに は、凪葉さんとそう変わらないやり方をしているんじゃないかな。詩においては、それとは異なる種類の言葉の走らせ方、ずらし方、かさね方を、選択することが多くなりました。何でなのだろう。
ひとついえることは、わたしは童話より、詩に対しての方がより生真面目なのだろう、と。童話は伝 えることを主眼に置くため、事実関係を(分かりやすく)整理して書きますし、その土台の上で、言葉をマテリアルにして働かせていくような、凪葉さんににた感覚的なやり方を多用するように思います。詩の場合(これは、今のぼくに限ってのことですが)、深めることを主眼に置くため、言葉をマテリアルにして扱うこと、−そのある種、装飾性のようなものに、思いっきって乗りかかることを、危険な誘惑としてわたしは制御するようにしています。おぼれない程度に、かなり節度を持って言葉を働かせようとしていますね。過度の色気/質感/ひらめかせ方は、メインテーマやモチーフへの切り込みを、結果として甘くさせるケースがあります。これが、怖いんだろうな。才能が足りないんですよ、笑。
要するにまあ、わたしの詩は、地味な出来になってしまいますよねえ。ハイ、自覚しています。こう見えても、わかいときは、結構、きらきらした詩を書いていたんですよ。ああ、典型的な、おじさんのものいい、ですね、苦笑。
そろそろ、凪葉さんの詩にコメントを入れようと思っていたところです。後日、辛口にいってみますか!? ('09/04/14 16:03:46 *2)
- 黒沢 :
ミドリさん
以下の二点の指摘、非常に建設的で、ごもっともです。
>但し文体はもう少し読みやすい形に直すべきだと思います。もっと滑らかに、もっとナチュラルに、心に食い込んでくる文体を選ぶべきだ。
>具体的なイマジネーションを読者に喚起させる単語を、要所に散りばめることで更に良くなる筈だ。
最近、新しい詩を書かず、昔の作品をちょこちょこいじるくらいのことしか出来ないんですが、そのせいか、こういう駄目だしが、すーっと胸に落ちてきます。今、停滞期なんですよね。文体は、かくあらなければならない、などということを、美意識としてはぼくは結構もっているのですが、↑この指摘、もっと柔らかい頭で、今後は取り入れることが出来るかもしれません。もっと、自由に書こうかな。
>恋愛関係に於ける恋人同士、あるいは(むしろこのポエムではこっちの方だ→)契約を結んだ夫婦のその心の奥底に眠るドグマ
これ、ぼくにとっては、オンナ一般だとおもいます。
好きだけど、キモイ。哭きながら、嗤っている。接触するだけで、非常にアンビバレントなところに落ち込みそうになります。あぶない、MOERU! そういうことです。つねにあぶないのは、「世界」のほうかもしれませんが。
非常に好意的な評をもらって、こわいほどです。なれて尻尾をふりはじめると、頭から真水をあびせられそうです。冒頭の駄目だしに戻りますが、確立され、安定した文章力、これが足りないですね。ミドリさんに、全然およばない。そういうことだと、やはり思います。 ('09/04/14 16:41:53 *1)
- 黒沢 :
浅井さん
どうお返事しようかと考えていたため、遅れてしまいました。ぼくの身の回りが相当、いろいろ大変だったというのも、ありましたが。
まずは、丁寧な評、有難うございます。
>その構造を仮構しつつも、とりうる最良の手段が
>ばくはせよ
>であることは、どのようにかんがえても、うなづくことができない。
そうですね。ぼくの意図としても、爆破、というのは対峙、或いは徘徊の様式として最良の手段であるはずはないです。<やれるものならやってみよ>、という、符牒としてのあの給水塔から、のっぴきならぬ挑発を受けているような、感じでしょうか。誘惑を受けているような。舞台裏を話すと、このあたり、書きながら、じぶんの声が聞こえたとしか、言いようがないですね。ばくは、など、できるはずがないんです。なのに、浅井さんにとってそれが引っかかる形になったとすれば、ここはぼくの失敗のようです。
>回廊となってしまった世界を徒歩で歩くその幼児回帰性をかたすみでとらえつつ、
>そのここちよさに依拠して、
>なんでもない一節に、マザーコンプレックスの発露を読んで、こころを奪われるのが、
>ひとつの、(それでも徒労のおおい)読み方ではないか、と思う。
このような精神分析的な読みから、できれば逃れたいというのが、作者の意識には確かにあるのですが、逆にそこに絡めとらえるような感覚が、まま、あり、常に不安な緊張感、のようなものを、感じながら書いています。すなわち、このような読みはぼくのおそらく想定内だといえるでしょう。そして、そのような読みが「徒労の多い」何ものか、という身体性=徘徊として浅井さんに現出したのならば、これは大変ありがたい、成功のように思えてきました。
ところで、浅井さんの詩、ここで読めるものはほぼ全て読んでいます。ひとつ、ずっと聞きたかったのですが、浅井さんは、松浦寿輝さんや、朝吹亮二さんなどの詩人をお好きでしょうか? ぼくは日本の現代詩の、ある種の極北というべき成果がここにあり、浅井さんの作品を、彼らの言語的冒険の系譜の上に、どうしても置いてしまいたくなる、気持ちによくなります(何度か、時間をあけて読み直したことがあります)。「痕跡」としての言語、「言語としての痕跡性?」、こうした淡いに破線で囲いをたてながら、自らの語りに肉体性を与えていくあたり、大変印象的な詩人だなあと、浅井さんのことを思っていました。
ので、評を頂けて光栄でした。うれしかったです。ありがとう。 ('09/04/18 00:36:17 *4)
- 浅井康浩 :
黒沢さんへ。
>浅井さんは、松浦寿輝さんや、朝吹亮二さんなどの詩人をお好きでしょうか?
好きですね。
正確にいえば、朝吹亮二の「opus」、平出隆の「胡桃の戦意のために」、荒川洋治「娼婦論」
の3つです。
松浦寿輝は「ウサギのダンス」よりも「口唇論」のほうにより詩的なものをかんじてしまいますが。
ここらへんの魅力は、かたりつくせないだろうと感じています。 ('09/04/18 19:33:55)
- 黒沢 :
なるほど。opusを読んで、ぼくは或る時期、詩の世界にのめりこんだ記憶があります。朝吹さんの詩は、ほとんど好きです。松浦さんの作品を読んだのは、朝吹さんのずっとあとで、冬の本や、エッフェル塔が好みです。口唇論は、力作ですね。つらくなるほど、強い作品だった。いま思うと、彼らの言語的実験は、まるであの時代の流行だったかのように、その後、完膚なきまでに死に絶えてしまった感がありますね。あの冒険、系譜を継ぐ詩人が出なかったのは、残念でした。ここで読める、特に浅井さんの初期作品を読んだとき、あれっ、という新鮮な驚きがあった。雑談失礼しました。 ('09/04/18 22:31:18)