わたしの胸は平らにならされ
転がっていく気などないと言った
そしてなにもわからなくなった
柳がさらさら揺れた
井の頭の夏はとてもきれい
友だちも皆きれい
わたしは黙って自転車をひく
天国はここまで
暗い部屋で
化粧の崩れをなおしている
服を脱いで
腕や脚を確かめている
電車はすばらしい速さですすみ
わたしの足下を揺らし
窓の向こうの景色は
すべて覚えていなくてはいけない
除草剤の野原がひろがり
枯れ落ちた草の茎を
ひたすら噛みしめている
夢をみた
そしてわたしはかれと
バスキンロビンスを食べにいく
わたしは素直に制服を着ている
風ですこしだけ襟がもちあがる
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20070502_047_2037p
- 藤坂 :
春の香りを感じました。ウズウズして、何かしたいけど何にもなくて、何にも
ないことが、ズーッと遠くに感じました。夢みたいな現実だな、と思いました。 ('07/05/02 21:11:30)
- ダーザイン :
ほっとしました。こういうまっとうな詩の投稿がもっと欲しい。やわらかい春の風光。新しい季節の描写、その季節の中で、自身の存在を確かめる描写、除草剤の件が不穏な気配で、作品に立体感を与えていますね。こういうことをさらっと書ける筆力はさすがだと思います。
ところで彼ができたのかな? ('07/05/04 22:09:51)
- 軽谷佑子 :
藤坂さん、ダーザインさん、ありがとうございます。
springtime、というのは、人生の春のとき、いわゆる「青春」という
意味だと高校のライティングの先生に教わりました。
いちど使ってみたかった単語でした。
>夢みたいな現実だな、と思いました。
どちらかといえば現実っぽい夢だと思います。
制服も着てみたかったし、男の子とアイスクリームを食べに行くってのも
してみたかったな、っていう、まあ、なんというか。
>ところで彼ができたのかな?
かいてある風景が上に書いたようなありさまなので、残念ながら。
職場も出会いを求めるには絶望的な場所ですし。笑 ('07/05/04 22:46:30)
- 丘 光平 :
各連、作品全体ともに、その気負いのない美しさ、ぶれのない筆致に好感をもちました。
鮮明なイメージの明示でありつつ、そのイメージの身投げ(w)というか、読者にゆだねられてもいる点、詩のスパイラル現象とでもいうようなところや、また、現在時制でつづられているところなど、この作品の生命線なのだなと思いました。 ('07/05/05 15:12:51 *1)
- 軽谷佑子 :
丘さん、お久しぶりです。
イメージの身投げ、とは。笑 いいっすね。
ありがとうございます。 ('07/05/05 21:37:24)
- みつとみ :
読み:
意味とイメージでたどってみる。
タイトル:春の時。作品世界の自然の春の季節と、話者の少女の青春期とを示す。
1連:不可解な冒頭三行だが、「胸は平らにならされ」は身体的にも精神的にも胸がふくらむ(成長でもあり、期待でもあり)ことが、他者・外部により抑制されるともとれる。話者の「わたし」は周囲の流れに転がる気はない=流される気はないと主張している。四行目で自然の美しさを現しているが、柳は風にそよいでいる。それは自然の流れに身を任せてみてはどうかと何かが言っているようにもとれる。それは周囲・外部の流れに任せるということでもある。ここでいう何かとは何か? 自然のあり方・柳であるかもしれないし、話者自身かもしれない。(まだはっきりとは自覚はしてはいないか、気づいてはいるけれども、まよっている・とまどっているということかもしれない)
2連:井の頭という地(公園付近?)まで友だちと自転車をひきながら、楽しいときを過ごす。この地の夏はきれいで、友だちもきれいであるという。「天国はここまで」と次の行で書かれているので、ここで区切りだが、ここは暗転を予告しているとも、「天国」という願望を現してみたともとれる。
3連:自分の部屋なのだろう、暗がりのなかで、鏡に向かい、化粧を直し、裸の手足を確認する。内省の時間でもあるようだし、身体性・自己の存在の確認でもあるように思える。化粧とは仮面でもあり、その作業は儀式の行為でもあるかにもとれる。2連の明るさとは対照的な暗さの場面。
4連:揺れる電車の中から(話者の気持ちやあり方も現している)、外の流れる景色を見覚えようとしている。記憶、生きていることの証。
5連:除草剤で枯れた野原に立って「草の茎」をかみしめている夢をみた。それは、現実は他者の意図により不毛であり、「草の茎」とは青春に関連しているとも生命の茎ともとれるので、話者は押しつぶされそうとも、なにかうっ屈しているともとれる。
6連:話者の「わたし」はボーイフレンドとバスキンロビンズ(アイスクリームの社名・あるいはここではアイスクリームのことでもいいのかも)を食べにでかける。大人しく春の季節(自身の青春の季節)の象徴でもある制服を着て、その制服の襟が風ですこしもちあがる、それは自身の気持ちもあり方も、軽くあがっているということでもある。気持ちが風に身を任すように、すこし上がっている。
まとめ:
はじめの連は不可解ではあるが、それは自身にとっても、周囲にとっても、青春期(14、15歳から24、25歳ぐらい)の少女の気持ちやあり方は、不可解ということでもある。性に関して顕著な発達時期でもあり、自我の発達が著しい時期でもあり、不安定・難しい時期でもある。当人にとっても、周囲にとっても。自然や周囲の流れに身をまかすべきかどうか。そして2連の友だちと過ごす(会話をしていない時もあろうが)明るさと3連の自分の部屋で化粧を直す暗がりの時間と空間との対比。4連の電車のすばらしい速さは、青春の加速度の速さでもあり、その時期・時間を充実させたいという気持ちも描かれている。5連でしかし不毛の草原の草の茎をかみしめる夢をみる、など、現実への無力感・失望感さえ感じられる、これも4連と5連は対照的だと思う。そして最終連において、いまの時期を自然・風の流れにまかせているという(あるいはそういう願望)ことで気分(テンション)がすこし上がっている、ということを描いている。最終連は冒頭連への回答でもあるようだ。そのように一人の読み手として解釈してみたのだが。青春期の少女の心理・抒情というものを、外部の短い描写そしてきれいなイメージによって現しているという点において、佳い作品であると思われる。 ('07/05/06 07:37:29 *1)
- リップヴァンウィンクル :
俺の脳味噌に伝達された微香性イマージュ。そんな風に聞いてもらえたなら、と思うんだが。一連目から六連目まで、概ね、暗、明、暗、明、暗、明、さらさらと流れる風、木漏れ日が降り注ぐ。木の葉が揺れベンチに横たわるうたた寝の瞼へ降り注ぐような感触といった。そのさらさらとした木漏れ日の心地よい刺激と若しくは心境のね。
まず題意を「春が来たら」とするなら。一連目。俺は「春が来たら」を念頭に置き、読んでいくとね。明確に光と陰の小刻みな葉を揺らす風へと心が吹かれていくのを感じる。その風は憧憬と反意のよう。反意とは憧憬の心に自ら嫉妬するような、いやもっと曖昧なもの…。「春が来たら、胸は平らにならされ、それでもその気はなく、次第にわからなくなる。ただ柳が風に揺らいでいた。」
やがて俺のなかで「春が着たら」、は通底と化しドローン効果を生むと。「天国はここまで、化粧の崩れるのを直し、足下を揺らす。」といった反意とは何かをもっと疑う。
「井の頭の夏も皆も美しいのに、私は押し黙り、暗い部屋で化粧の崩れを直し、服を脱ぎ、別の場所をみている。」「電車の外は素晴らしい景色に満ち溢れているはずなのに、私の心は揺れながらも、やはりその景色たちを覚えておくべきである。」
特に五連目と六連目。除草剤の夢とバスキンロビンスの夢。バスキンロビンスはアメリカの世界最大アイスクリームチェーン。日本ではサーティワンとして馴染みある。サーティワンとは1ヶ月(31日間)毎日違うアイスクリームが楽しめるということらしいのだが。根絶やしにする除草剤の夢とは…。
さらさらとした流麗な描写に織り込まれ、そして「天国はここまで」、としながら到達していく暗やみというまたひとつの心の現実。見当違いなことかもしれないが。俺の感じたものは以上で、行ごとに連ごとに、風が吹き木の葉が揺れる心の印象を受けた。 ('07/05/06 12:51:22)
- シンジロウ :
バスキンロビンスは、俺も食べましたが、ほろ苦かったです・・・ほろ苦さわやかな詩です。 ('07/05/06 13:24:24)
- かがみ :
せりふのない短編映画を昼間地下で上映するような印象を受けました。
>友だちも皆きれい
>わたしは黙って自転車をひく
>天国はここまで
>服を脱いで
>腕や脚を確かめている
あたりが好きです。終わり方も好きです。 ('07/05/06 18:14:16)
- 桜月夜緋那 :
はじめまして、軽谷佑子さん。ヒナと申します。
春のさわやかなイメージを纏った詩で、すごく好きです。
水彩で描いた春のワンシーンのようですごくキレイだと思います。
余談ですが、私の所属する文芸部にこんな綺麗な詩を書く人がいないのでとても印象に残りました。 ('07/05/06 23:36:42)
- 軽谷佑子 :
みつとみさん、リップヴァンウィンクルさん、シンジロウさん、かがみさん、
桜月夜緋那さん、ありがとうございます。
うえで丘さんがおっしゃってくださってますが、わたしは自分の作品の解釈を
かなりの部分読み手に投げています。(かなり意識的に投げています)
もちろん、書いたときの自分には確固とした解釈、というか書かんとすることは
ありますが、それを読み手に伝えようとは思わないし、伝わるようには書きません。
丁寧に読んでくださるかたがいて、その人なりの解釈をきかせてもらえることは
とても嬉しいことです。
>2連:井の頭という地(公園付近?)まで友だちと自転車をひきながら、
>楽しいときを過ごす。この地の夏はきれいで、友だちもきれいであるという。
そうです、井の頭公園の中。
今時期から夏にかけていちばんきれいだと思います。
この作品は比較的実際の風景を風景として書いてみたものが多いです。
青春期っていうのは比較的長いものなんですね。
>「電車の外は素晴らしい景色に満ち溢れているはずなのに、私の心は揺れながらも、
>やはりその景色たちを覚えておくべきである。」
そんなような感じです。
>行ごとに連ごとに、風が吹き木の葉が揺れる心の印象を受けた。
ありがとうございます。風薫る五月ですね。
>せりふのない短編映画を昼間地下で上映するような印象を受けました。
とても嬉しいです。
>余談ですが、私の所属する文芸部
わたしの通った高校には文芸部あるいはそれに類するものがなく、
わたしは理科部で食糧確保や屋上のアヒルの世話なんかをしていました。
どうも文芸部ってあこがれがあります。
詩を書いていると言ってためらいのない文芸部。うらやましい。
大学にもなかったな。 ('07/05/07 12:27:56)
- 軽谷佑子 :
あらら、昼間みて帰ったらレス返そと思っていたのに。
おそかりしゆらのすけだ。 ('07/05/07 21:43:26 *1)
- りす :
軽谷さん、すみません。すでにお目に触れていたとは知りませんで、申し訳ないことをしました。書いたあと、相当な自己嫌悪に陥ったので削除しました。最近、自分の「読み」に相当な不信感を持っているので、どうもいけません。出直してきます。 ('07/05/07 22:25:01)
- 流離いジロウ :
軽谷さん 初めまして
読み終えたあと、柳が流れる感覚や、草の根の味、覚束ない身体の感覚の交差などが、ずっと残りました。とても印象的で、感動しました。
どうしてこう、次の日までも印象が残るんだろうと考えたところ、各連が緩急を交えながらうまく作用しあっているのが、気持ちいいのかなと思いました。
例えば、「天国はここまで」→「暗い部屋で」とか、一連飛ばしての「柳がさらさら揺れた」→「電車はすばらしい速さですすみ」とか、「腕や足を確かめている」→「枯れ落ちた草の根をひたすら噛みしめている」あたりの、イメージの直接的、或いは間接的な連携プレーが、とても上手く機能していて、脳内を刺激するんだろうなあと。
感覚の連鎖というか、非常に危ういところを、綱渡りながら確実な手つきでトレースしていっているのが、何とも気持ちいいです。男女の違いを、意識させる作品を、僕は一般的に好きでなかったりするのですが、この作品については、女性のいちばん柔らかくていいところを、感じさせていただき、僕は男なのですが、軽い憧れを抱いてしまったりしました(笑)。わりとアクのある、その特有の暗がりの部分まで含めまして。
ただ、軽谷さんはしっかりした何かをお持ちですし、これだけの書き手なら、もうひとつ上を目指せるんじゃねえか、ってのを、正直、感じました。勿論、この詩についてはこれで抜群ですし、過不足ない良作であるので、この作品についての評としては正等でないことはわかっています。っていうか、この作品は、断固としてこれでいいんだと思いますけど。でも、青春みたいなものは、だんだん変色しながら続くものにしても、その危うさ具合は年々、もっと暗くなっていくものなんじゃないかな、って気がして。これ以上は、言葉にする自信が無いので、止めます(笑)。勿論、過去作でそんな一言でいえない暗みみたいなところへ、軽谷さんが切り込まれてる(ような気が僕にはする)作品も、ここで拝読させて頂いていますので、そういう方向に、より勝手に期待しちゃっているだけなんでしょうね。
下手なコメントで、恥ずかしいですが。読ませて頂き有難うございました。 ('07/05/08 00:11:57 *9)
- 軽谷佑子 :
りすさん、
覚えているかぎり特に後半部分、思うところが多かったです。
作品に対するりすさんの読みを、わたしはとても信頼しています。
流離いジロウさん、はじめまして。
評いただけて嬉しい、
>もうひとつ上を目指せるんじゃねえか、
じつはここで発表するほとんどの作品に同じようなニュアンスの講評を
頂き続けています。
目指したいけれども目指すには失わなければいけない、
上で、書き手の書かんとするところを伝わるように書かない、と言っている
理由は、
作品一つ一つのモチーフが自分にとって非常に大切なものであるからなんですが、
あまり大切にしすぎるのもどんなもんだろう、と考える機会が最近多いです。
守りから攻めへ転じる、まず構えを解くところからはじめなければならない
んじゃないかと思うんですが、その解き方もまだわからない。
書かなければね、
>感覚の連鎖というか、非常に危ういところを、綱渡りながら確実な手つきで
ここです。
綱渡りに確実さがあったらだめな気がする。
ありがとうございます、 ('07/05/09 01:14:43 *2)
- ミドリ :
こんばんは、軽谷さん。
なんか無駄にエロいって感じがしますね。
>わたしの胸は平らにならされ
つまり小3並みだと・・・。
>転がっていく気などないと言った
つまり体育の授業で、前転と後転とか、ましてや!開脚前転なんて!きゃっ。みたいな。いかん・・。
>そしてなにもわからなくなった
三半規管がチビっと、弱いんでしょか。ブルマ姿の軽谷は、性的な体罰を。つまり、開脚前転を居残りで、52回もさせられたわけですね。
給食のひじきが食べられなくて、放課後居残りさせられるのとは、ちょいと、ソコは訳が違いますな。
>柳がさらさら揺れた
つまり、処女喪失の場面ですね。
>井の頭の夏はとてもきれい
あんなとこのどこが綺麗なのかさっぱりわかりませんが。処女喪失の後では、まったく仕方のないところです。
>友だちも皆きれい
マァ、そんなことは当方、知る由もありませんが。ナンならちょっと2、3人斡旋しろや!ぐらいの?色んな部分がギンギンに固くなる感じはありますはな〜。
従って、ムダにエロい。
この、らぶぅ・ぽえむが、「ソープランド=ヘルス」的な、りゾームに於ける。云わば必要悪としてのエロチズムを、あるいは、さしあたり、生と死の裂け目に断絶するヘーゲル的な意味での弁証法として。人間とその外部環境(差異なるもの)を媒介するものとして、屹立する表現を獲得していたならば。個、及び集団の上位概念としての、ナラティブの発見に接近しうる叶野姉妹。もとい!可能性があるという点で、惜しまれるところだ。そいうことですな。 ('07/05/09 23:04:21)
- 軽谷佑子 :
ミドリさん、こんばんは。
>なんか無駄にエロいって感じがしますね。
ミドリさんの評はいつもはっとさせられる部分があるんですが、
そうか、
>あんなとこのどこが綺麗なのかさっぱりわかりませんが
高校があのへんだったので、思い出が美しくてしょうがないんすよ、
勘弁してください。笑
>この、らぶぅ・ぽえむが〜
わかる単語がソープランドとヘルスしかないです、どうしよう。
読んでいただけてとても嬉しい、
ありがとうございます。 ('07/05/10 00:55:54)
- 平川綾真智 :
拝読させていただきました。
こんにちは。
ものっすごく詩情の使い方が上手いとしか言いようがない作品だと感じました。
一連一連、時間軸の飛ばし方なども含めて(特に一連過去形からの二連へのつなぎ、「天国はここまで」の区切り。その後落とす陰は秀逸だと思いました。)、
フレーズをなんなく流しながらも重心が偏ってない。
お見事だと思います。
夢をみた
そしてわたしはかれと
この部分、とても個人的に、イメージと詩情の流れ、時間軸の使い方、学ぶ点多かったです。
タイトルこんだけ上手く使いこなせている方も珍しいですね。
以上です。
失礼します。 ('07/05/12 14:36:17)
- 軽谷佑子 :
平川さん、ありがとうございます。 ('07/05/12 16:33:38)
- りす :
こんにちは、軽谷さん。
先日は一度書いたコメントを削除してしまい、申し訳ありませんでした。前回書いたことを敷衍しつつ、再度書かせて頂きます。まず、削除したコメントの冒頭で、この作品について「男心をくすぐるチラリズム」と僕は書きました。これについてはミドリさんが、「なんか無駄にエロいって感じがしますね」と一流の言い方で書いていたのとほぼ同じ意味です。「軽谷さんて、とても素敵で清楚なお嬢さんなんだろうな」という妄想(現実にそうかもしれませんが)を抱かせるような作品になっており、それは作者の意図とは遠く離れた受け取られ方だと思うのです。軽谷さんに対して、端々の言葉の折りたたみの上手さ、「除草剤」なんて禍々しさをそっと組み込んでくるソツのなさ、そのあたりを褒めるのも今更の感があり、実は逆に、そのあたりの体裁の良さを極めてくることによって、ナマの軽谷佑子が見えにくくなっているように思い、「チラリズム」などという、多少の悪意もないではない言葉を僕は書いたのだと思います。それで、もっと飾り気の無い、オーガニックな言葉を使ったらどうでしょう、みたいなことを書きました。
問題はここからです。果たして、ナマの軽谷佑子って、何すかね? そんなもん、ホントにあるすかね? と、軽谷さんは思ったでしょう。僕もあとから考えて、そう思いました。それが、削除したコメントの後半部分、軽谷佑子と「自失」のテーマに繋がってくるのだと思います。
軽谷作品に繰り返し出てくる「自失」の表現。例えば、この作品でいえば、「そしてなにもわからなくなった」 『挽歌』では「あらゆる制約のなかで/途方にくれる」 『別離』では「腕はもうとうに/自由がきかない」 怪作『土底浜で』は「わたしはきちんと/めをとじてよこたわっている/かおにはぬのがかけられ/うえをひかりがすぎていく」という奇怪な導入から始まり、作品それ自体が「自失」。どうして、こうも度々、自分が「わからなくなって」しまうのか。とても際立った特徴だと思います。おそらく「わからない」ということが、作品の中で、何かの契機になっていて、全ての詩は、そこから始まっているのではないか、そんなふうに思います。自分の姿を限りなく遠景から眺めているような視線、自分が自分で無くなるような瞬間、そこにこだわっているというか、そう書かざるえない作者に、ナマの軽谷佑子、なんて簡単に言っても、なにか見当違いなんじゃないかと思ったのです。前回のコメントで、軽谷さんの詩は、その限りない自己の内部の遠景に、ポツリポツリと言葉を置いていくこと、あるいは地雷を仕掛けるように言葉を隠していくこと、そんな感じがすると書きました。流離いジロウさんが「非常に危ういところを、綱渡りながら確実な手つきでトレースしていっている」という感想を持ったのは、その地雷が、作者にとっても読者にとっても、けして不発弾ではないからでしょうね。だから作者はとても慎重に歩いている。その慎重さが、この『SPRINGTIME」という作品の、ある種のもの足りなさなのかもしれません。読者はえてして、すすんで地雷を踏みたがるものですからね。
それにしても軽谷さんは、読ませない書き手ですから、読むのは難しいですね。ずいぶん前に僕は、「軽谷さんは、書かないでおくことが多すぎる」とコメントしたことがありますが、その姿勢は変わりませんね。でも少しずつ、ほぐれてきている感じはします。その変化を、言葉の出し方から微妙に感じとる、それは作者にとっても読者にとっても、ちょっと面妖な経験ですね。 ('07/05/12 17:51:55 *1)
- 軽谷佑子 :
りすさん、どうもありがとうございます。
>「男心をくすぐるチラリズム」〜
このあたりがいつも、少々不思議に思うところなんですが。
なんというか、詩を読んで、その作品を書いた人がどんな人かを想像やら妄想するのは
普通だと思うんですが、いやわたしも相当しますが、
わたしの書きものはそんなに「女の子」らしいんすかね。
妄想想像させる力も作品の魅力のうちだと開き直りたいところですが、清楚だのお嬢はんだのエロいだのと
いわれるたび自分をかえりみて、その形容詞とのギャップの大きさに落ち込んでおりますよ、まったく。笑
で、真面目になりますが、
>ナマの軽谷佑子って、何すかね? そんなもん、ホントにあるすかね?
>自分の姿を限りなく遠景から眺めているような視線、自分が自分で無くなるような瞬間、
>そこにこだわっているというか、そう書かざるえない
自分の作品に自分を置く余地はほとんどないと思っています。
こういうことがあった、こういうものがあった、こう感じた、ということを(語弊を承知で言えば)
伝えるときに、わたし自身の存在は邪魔以外のなにものでもありません。
絵をみるときに、作品だけ飾ってあるのと、作品と解説文がついているのと、さらに作者の顔写真が
ついているのとでは、だいぶ絵の印象が違うと思うんですが、わたしは自分の作品について、タイトルと
制作年と、せいぜい主要なモチーフは何か、ということくらいが書いてあればあとは観るに任せたい、
と考えていて、こういうようなことを考えて描いたんだとか顔写真だとかは不必要だとしているわけです。
ただ、タイトルを描いてある字が汚すぎて判読不能とか、印刷が薄くて読めない、ということは避けたい。
だから、
>書かないでおくことが多すぎる
と言われると、展示形態を変えることこそしませんが、仕事内容の見直しは徹底しなくちゃと思うわけです。
>繰り返し出てくる「自失」の表現
自分を失っているわけではないんですけどね。
嫌な言い方をすれば、ものすごく上から見ている、かつ傍観を決め込んでいるわけです。
>でも少しずつ、ほぐれてきている感じはします
流離いジロウさんのレスに書いたとおり、それでいいのかな、という問いかけを
自分自身にむけかけています。
ああ恐ろしい。
丁寧な評をありがとうございます。
だんだんするどくなっていく気がしてこれまた怖いところです。 ('07/05/13 21:27:16)