繋音
林を包む曲が聞こえる
茂みの奥から草へ草へと、大きく輪をひらき渉っていく
鳥達の息を吸い声を建て、なびく風音をフラットにする
静かに肌の表面をさらい
薄色のまっさらな、君の皮膚に触れていく
わたしは、どこまでも見ている
くさばらの廃虚に横たわり眠る君の、風に透かさればたつくyシャツ
曲の鼓動に揺られ重なりあいながら、心臓から草が伸びやかに生えてくるのを
一瞬の永遠として見つめていた
一日ずつ一日ずつ、君から生えた草は長さと根の数を伸ばしていき、
花なども眼の孔から息衝かせ、集まる虫はからからと君の真上で飛び回っていた
すでに草花に埋もれまみれた体は、かろうじて表情が伺える
無心の瞳はまっすぐに空いた空をみる
そんな君をわたしは無心でみつめた
林を包む曲が聞こえる
いつまでも透き通る冷えた肌へ
しらしらと半音の色が落とされ、
手の付けようもない透明な君が、
少しだけ色付き動いた気がした。
君はまだまだ空をみている
曲はさらに半音をゆるめず、和音の苛立ちを低調にかなでる
林から林へと渉る時、君の体に生えた草がざらざらと天に伸び始める
林から林との中心で一本の枝になりながら、
さらにさらに澄み切った薄色の肌になっていった。
曲が一瞬鳴り止み、一本の道がひらくと、
君が少し微笑み、消えていった
林はざわつきを残したまま、風に生まれ、生まれては昇っていく
君がいた所の君から生えた草も、そこら中にぼうぼうと茂り、どこもかしこも森になった
残った曲から君の声がぼんやりと聞こえてきては、
果てなく柔らかなはじめての微笑みを
目の裏の残像の中で幾度も幾度もかなでている
定まらない足つきで私は、虚ろに大声で唄っていた
唄というよりも、叫びのような唄が、
誰一人としていない森へ知れ渉る。
ただあるのは、ここから見えるのは、一本の遠く続く走る道
君の心臓でひらかれた道
通るのか
光へ向かうのか
声を放つのか
君の冷たさが微かに残った、半音の余韻で包まれる孤高の森の下で、
風が終わり、
もうどこにも、
生という名の声は
聞くことができない
森が、記憶として
残るのみ
初めまして。これは、二年以上前に書いた詩です。
自分自身で、読み返したいです。
- ダーザイン :
加藤さんおはよう。来て頂いてとても嬉しいです。
加藤さんに、この場に来ていただけることは最大の光栄です。
この詩は、文学極道発起当初に、前年の年間各賞として、
animicaさんhttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6565/の
「頭蓋骨探検」の創造大賞と共に、
存在論的文学賞に個人的にノミネートさせていただいた詩です。
2004年、最も深遠な二つの詩でした。
for youで初読した時は、加藤さんが森に融け込んでいく様が怖く感じられて、
死への誘惑に引き込まれないようにと、余計なレスをした記憶がありますが、
この詩は、世界内存在たることを肯定する詩なのですね。
人は、発端と終末で、死にくるまれている。
哲学者のハイデガーは、時間は死から到来するという。
死とは無限である存在そのものの、有限なものである人間が感知する可能性に於いて与えられた顔だとも。
(キルケゴール流の物言いに変換しましたが)
そしてまた本来的な詩も、存在そのものから到来すると。
ハイデガーは私の師匠だが、私はハイデガーが言う本来的な詩をほとんど書いてこなかった。
言葉が到来することもあったが、手わざ、離れ業のあざとい文学遊戯に明け暮れていたのかもしれない。
そうやって、ひとつの詩、例えば青い花を、5年もかけてもまだ完成させていないのだが、
完成したと思えないのは、本来的なことから離れてしまったからだろう。
加藤さんの詩を読むと、俺のあざとさも含めて、多くの詩人が本来的には詩人ではないと思う。
あざとい離れ業、自虐、リスカポエム、日記詩、自意識詩。太平洋戦争懐古日記詩なんてものまである。
かつて、加藤さんを存在の巫女だといって、当惑させたようだけれども、もう一度。
神のいない世界に、
巫女として産まれ出てしまった少女は、
打ち捨てられた孤独な異郷の神像のように
ひとり野辺に立つ
風が、
彼女の髪を梳いて行く
光が、
彼女の髪を梳いて行く
桜色のワンピースが
はたはたと風をはらみ
少女は唄う
風を、
雲を、
光を
ちょいときつい労働を終え、一杯飲んでくたびれています。
加藤さんの詩を読むと癒されます。
癌と闘っている僕の連れも、加藤さんのこの詩は、命の肯定の詩だと読みました。
# 人称について、ちょっと聞きたいことがあります。
記憶では、全部一人称で書かれていたような気がしたのですが、
前半、「君」になっていますね。
直したのかなと思って、以前頂いた物を読み返してみたのですが、
やはり「君」なのだな。
私が森の中に、死をも含んだ世界の中に融け入るという、
圧倒的なイメージの中で、
君との対話は、まるで、神様との対話のようです。
どんな情態性の中でこの詩は書かれたのか、
俺ごとき凡人にはうかがい知れないところだが、
やはり、聞いてみたいです。
夜勤明けに酒を飲んでいるので眠くなってきました。
また後日レスします。今日明日は連休だし。
神様にも、鬼畜のダーザインにも愛されている類まれなる少女、加藤さんへ。
来て下さって、ほんとうにありがとうヽ(´ー`)ノ ('07/01/06 08:55:16)
- 加藤紗知子 :
ダーザインさん
感想をありがとうございます。
ここでもよろしくお願いします。
いつでも詩は、肯定したくて書いているのだと思います。
時と死のことも、考えればあたりまえですが、あたりまえにのことに答えは出ないのです。
この詩を書いたときは、気が楽だったことを覚えています。
「詩」の中と「絵」の中にいるのが自分のすべてでした。
こちらこそ、ありがとうございました。
加藤 ('07/01/06 11:30:05 *1)
- みつとみ :
感想:
タイトルの「繋音」は読み方がわからないけれど(ケイオン?)、意味はわかるような気がする。
1連:舞台は林。鳥達の鳴き声がきこえてくる。「鳥達の息を吸い声を建て」の「建て」は通常建築物に使うので「立て」が普通の使い方と思われる。「君」という話者が詩を詠う対象者がでてくる。
2連:「わたし」という話者がでてくる。次の行の「くさばら」というのは「くさはら」のことだろう。その廃墟に横たわる君の姿の描写はうまい。「yシャツ」とあるが表記は「Yシャツ」でいいのだろう。「心臓から草が伸びやかに生えてくるのを一瞬の永遠として」とあるのが、最初は比喩的ととらえたが、もちろんこの作品全体が比喩であってもよいのだが、「君」がじつは死骸らしいというのがだんだんとわかってくる。
3連:「君」は自然物なのかとも思ったのだが、死骸ととるのが、適していると思われる。が、死骸もまた自然に属するともとれる。死骸に草が生え、虫がたかるというのは、実際はむごたらしい姿ではあるが、ここでは美しく表現されている。美しいというのは、ときに壮絶なものでもありえる。通常の価値観・判断基準でいえば「醜い」ものを、「美しい」ものとして再構築できるのは、おおげさにいえば文芸や芸術の極み(もしくはひとつの転換)であり、この作品にもそれに達しているものと思われる。
4連:死骸が別の生命の息吹として描かれている。生命のつながり。これがタイトルの「繋音」の意味するものであろう。小さな死骸「君」から映えた草が天にまでとどきそうなスケール感の大きさが伝わる。
5連:森の中で話者の「わたし」の唄(歌)が叫びのように響いてくる。そしてラストのひっそりとしてものさびしいさま。寂寥感は見事であると思われる。
*
・・・・・・ちょっと褒めすぎたかな。感想だからいいでしょう。すばらしいという部類の作品だと思いました。 ('07/01/06 16:57:11 *1)
- 加藤紗知子 :
初めまして。感想をありがとうございます。
むごいものが美しく・・・・・・というのは、これを書いた時期の感覚そのものでした。
漢字もそれと同じです。くさはらをくさばらといじったり、繋音という造語を作ったり、へそ曲がりだったと思い出します。
でも、そのちぐはぐさがいいのではと今は思います。
繋音はケイオンと読みます。
丁寧に、ありがとうございました。 ('07/01/06 18:53:47 *1)
- 平川綾真智 :
拝読させていただきました。
はじめまして。
初読から、2007年、良い年になる気がしました。
3回くらい読んでからとても作品の滋味が来ました。
今日は、すみません。時間がないのでいずれ、ゆっくり書かせていただきます。
少し楽典方面からアプローチしてみたいな、と思っています。
これからの作品もかなり期待が高まります。
では、また後日。
失礼致します。 ('07/01/07 16:26:31)
- 加藤紗知子 :
初めまして。
自分では理解できますが、人が読めば中々伝わらないだろうと思います。
メッセージをありがとうございました。 ('07/01/07 17:03:25)
- 千鳥 :
はじめまして。
詩を拝見いたしました。
この詩は個人的にとても好きです。
特に比喩がこの詩の中での見せ場ではないでしょうか。
出だしの
>林を包む曲が聞こえる
この一文がこの詩を創り出していると感じました。
私の気に入っているのは
>一日ずつ一日ずつ、君から生えた草は長さと根の数を伸ばしていき、
花なども眼の孔から息衝かせ、集まる虫はからからと君の真上で飛び回って いた
頭の中にブワーッと広がっていきました。
初めての感覚です。
素晴らしい詩を本当にありがとうございました。
それでは。 ('07/01/08 14:41:54)
- 稲村つぐ :
私の全身を美しさが過ぎていきました。
振り返ると闇、もう一度前を向いたときには、あの美しさは遠くへ見えなくなって。
けれど、この詩とともにあった時間に私は透析され、心に何かを残していきました。
美しさという点ではいくつもの作品を読みましたが、この作品は不思議な感触
を持たせてくれるものでした。 ('07/01/08 15:43:18)
- kk :
繋がりが、見えました。生命力がさまざまと
開かれた言葉の隅々に生じていました。どこか触れると傷物になってしまいそうな繊細な生をすみずみまできれいに貫いてあって、いたく感動しました。加藤さんの作品がまた読みたいです。 ('07/01/08 18:40:51)
- ミドリ :
はじめまして、加藤紗知子さん。
読み通すのにちょっと骨が折れるな。一読した率直な感想はそんなところですが。
内容的なところでは、身体と自然の調和。そんなところがモチーフとして顔を出してくるのかな。なんて思いましたが。
ぼく自身の体験を話すと、自然の生い茂る場所へ出かけていって。心身ともにリフレッシュしたい。
そんな目的をもって旅行したりしますが。つまり癒しのある環境へ、身を置きたいという願望ですね。
その実どこへ行っても、結局は同じだ。なにも変らないというのが、ぼく結論で。
要は環境に求められるものはそんなに多くはなくて、心が決めていく部分が多い。そんな感じがするんですが。
加藤さんのこの詩に話を戻すと。
「君」「わたし」という、この他者と自己の関係を通して語られる、心の中にうずくまるように臥せっている、このユートピア的な景色を、この作品では、そんなに巧く、言葉を尽くして語られているわけでもなく。
まばらな単語を、あちこちからチョイスしたように書かれていて。書く自分がいて、読んで下さる人がいる。さてそこにどんな「橋」をかけようか?
そういう配慮に対して、加藤さん自身が、この作品の中に自覚的な投げかけをどこまでやり遂げて書かれたのか。
そこに大きな疑問符がつく作品だという気がしました。
最後の。
>生という名の声は
>聞くことはできない
>森が、記憶として
>残るのみ
この作品で一番、含みの残る部分でもあり、ここに至るまでの詩中の描写が、結実をみる”場面”だという気がするんですが。
どうにも、ぼく個人の印象としては、作品を読みきって、そこに至る「納得」感に、今ひとつ欠ける。そんな感じがしました。 ('07/01/08 19:27:28 *2)
- 加藤紗知子 :
千鳥さん
初めまして。感想ありがとうございます。
その三連は、少しむごいところです。
書いていて涙が出そうだったところです。
少し怖いと思います。
感想ありがとうございました。
稲村つぐさん
初めまして。感想ありがとうございます。
きっと、「不思議な感触」は、何も残らないからだと思います。
信じられないことがあったのに、中は空っぽというのか・・・・・・。
信じられないことのほうが、やっぱり多いです。
感想ありがとうございました。
kkさん
初めまして。感想ありがとうございます。
つらぬいているというのは、嬉しいです。
繋がりや開かれた、というのが広がったようでまた嬉しいです。
感想ありがとうございました。
ミドリさん
初めまして。感想ありがとうございます。
心のことでいうと、心は語っていると自分では思います。
心がなければ、きっとこの詩は書けなかったです。
配慮は全然なくて、特に最後の四列は、自己完結でした。
感想ありがとうございました。 ('07/01/08 21:16:01)
- 蛍 :
加藤さん。
お久しぶりです。(おぼえていらっしゃるかな?)
私にとってもこの作品は初読ではないのですが、
再読させていただいて以前に読んだときと違う印象を持ちました。
初めてこの詩を拝見したときはもっと荒々しく強いイメージであったような気がします。
それが今回はとてもやわらかなイメージでした。
これは私の精神的な状況の違いとも言えるかもしれませんが、
この詩が生きている証しでもあるように思います。
たとえば血がながれ、息をしているように。
命のおわりから生まれる新たな生命。
その過程の心像描写が美しいというよりも、
神々しいとすら感じました。
命の終わりがあって、
そこから繋がってゆく新たな生命のはじまりがある、という思い。
それを見つめ、認め、受け入れても尚、
残された者にとっては「失う」ということには変わりはないのだと、
今回、そんなことも感じました。
>唄というよりも、叫びのような唄が、
>誰一人としていない森へ知れ渉る
>もうどこにも、
>生という名の声は
>聞くことができない
>森が、記憶として
>残るのみ
命のめぐりと再生をどんなに昇華させても、
この孤独と悲しみを残された者に課してしまうということ。
何度読んでも胸が塞がれ涙がでます。
魂の伝わってくる詩だと思いました。 ('07/01/08 22:27:46)
- 砂木 :
こんばんは さちこちゃん
前に読んだ時 半音は 半身というような話を
したように思います。
脱皮した自分の殻から森が繁る。
抜け殻は 記憶
定まらない足つきで私は、虚ろに大声で唄っていた
ほんとそのまま 朗読へ行ったね。
私も是非 聞きたかった。
もう この頃からすでに 唄っていたのだからね。
心が行動力になっているのだなあと 改めて思います。
残るのみ すすめだね。 ('07/01/08 23:19:23)
- 池中茉莉花 :
加藤様
はじめまして。高い生活年齢の割に精神年齢が小学生以下という未熟者、池中茉莉花と申します。
わたしは大切な人を5人喪いました。
「時がたてば喪失感は薄らぐ」
ひとはそういうかもしれません。
でも、いつまでたっても埋まらない喪失感。
とくにそのうち4人は思い通りの人生を生ききることができたのか
分からないのです。「道半ば」という年齢でしたから。
わたしの心がまだ、冷たくなったその人々を否定し続けています。
ただ、その人達の体が暖かい頃、おき残していった分身が
わたしの中に残っています。言葉、形見の品、音楽、映画、文学・・・
あらゆる形で。
しかし、それでも喪失感は埋まらないものですね。
ほんとうに感動をありがとうございました。
どうぞよろしくお願いします。 ('07/01/09 11:14:02)
- 苺森 :
すみません、退屈でした。まだリスカサイトやドラえもん見てるほうが楽しいです個人的には。私、二十代ですが、この詩から拾い上げていくべきものがわかんないし、意味やなんやらを拾い上げていく、その作業すら煩わしく思える。あえて見つける必要性も感じなかった。
何を狙った何のコマーシャルなのか。幅広い年齢層の、あらゆる境遇にある人間へ向けてのエンターテイメントという面から見たらあまり食い付きに期待できるものとも思えない。いわゆる同人向け、R指定、〇〇限定といったような、押し付けがましい窮屈さを覚える。
定年退職してから読んでみたいジャンルですか、詩ってのは。一気に老けこみそうな話だ。詩や詩人の定義があるとするならば。“詩=美しい”やら“詩的=ロマンチック”など。きれいだけで生きてけるのは昔の人の強みですかね。
話が飛ぶけれども、人間には欲求階層ってのがある。低次(衣食住)のものから高次(自己実現)のものへ、本能的なものから理性的なものへ、動物から人間へと昇っていく。不況の平成を生きる現代人、また大多数の一般庶民はまず低次のものから満たすところであくせくしているので、文学、ましてや詩なんて貴族趣味めいたものは実用性に欠いた無用の長物とされ、当然のように 忘れていく。
今の若者がほんとに欲しいものは何だろって考えて詩を書いている人こそ実質、時代に求められる詩人だと思う。私は何を得たいか。先代ならではの画一的な芸術か、手垢のついたドグマか、様式美か、古びれた感動か。需要をないがしろに、需要をなくしてどう生き残れってんだろ現代詩は。
そういう点で、無駄を最大限に省きコンパクトにスマートに仕上げられた、りすさんやミドリさんの詩などは現代人に呼び掛ける力・現代人の心をつかむ力があるし、また時代にやさしい詩だとも思う。
しかしこの詩が私を、誰を揺することはまずない。偉そうに上からの物言いだが、退屈極まりない。充分に間に合ってるんで懲り懲りだ。飽和状態だ。
私たちはサラリーマンであろうと、社長であろうと、学者であろうと、女子高生であろうと、ニートであろうと、ホームレスであろうと、健常者であろうと障害者であろうと、詩を書く限りは詩人以外の何者でもないが、読者は詩人ではない。当たり前に読者だ。詩人を対象にした詩が書けるから詩人かよ。詩などまったく知らない、なんらかの経緯によって詩というものから遠ざかっている人達だって引き込むぐらいの詩、魅了するぐらいの詩を書いて詩人と言ってほしいな。
ときどき、ダーザインさんこそが老害じゃなかろうかと自分を、極道を、疑ってしまうことがありますよ。この作品においては賛同できない私。明らかに罵倒の対象っていうものでもなかったけど。好き勝手書きなぐってすみません。レスは要りません。削除やなんだされても全然構いません。場違いなら場違いで出てくし。はい。この場に執着する気もない。とくに最近の極道はひどすぎて脱力ものだし。長々とすみませんでした、これ読んだ方々。 ('07/01/09 11:46:07)
- 加藤紗知子 :
蛍さん
お久しぶりです。感想をありがとうございます。
私も投稿してからこの詩を読み返しましたが、同じ感覚を持ちました。
やわらかいまではいかなくとも、刺さってくる感じはしなかったです。
生きることと同じく、死は訪れます。
死んでからのことは分かりませんが、ただ死ぬまで失いを感じ、死ぬまで希望は残ります。
感想ありがとうございました。
砂木さん
砂木さんこんにちは。感想をありがとうございます。
気づかずに進んでいることも多いですが、実感して止まることも多いです。
書いて、走って、書いて走っているのかもしれません。
感想ありがとうございました。
池中茉莉花さん
初めまして。感想をありがとうございます。
そんなことを、ここで打ち明けてよかったのですか。
聞いてしまった、という感じです。
死んだ人の音楽を、たまにかけてやるといいですよ。
喪失感は自分のものでも、相手にできるのはそれくらいだと思います。
なんだかすみません。感想ありがとうございました。
苺森さん
初めまして。感想をありがとうございます。
この詩は、意味はありません。
あるとするなら一人の人間がいる、というくらいです。
この時の自分の視野は、部屋の中だけでした。
なんとか指定というのは、そのことだと思います。
私は、詩人になりたい願望はないことはないですが、最近は無茶苦茶でもいい、分からなくてもいいと思っています。
自分の必要性も、世間ではないと思うし、風に吹かれて消えていくものだと思っています。
苺森さんのいうところに、私の必要性はありません。
感想ありがとうございました。 ('07/01/09 13:08:05 *1)
- 池中茉莉花 :
何度もよんで改めて思いました。
「埋まらない喪失感」も逝ってしまった人々への、1つの捧げものでは
ないでしょうか。
加藤さんのおっしゃるとおり、最近は、好きだった音楽を頭の中で
奏でて祈りを捧げています。
また、宜しくお願いします。 ('07/01/09 21:51:29)
- 加藤紗知子 :
返信をありがとうございます。
ささげられるものがあるというのは、糧になると思いました。
ありがとうございました。 ('07/01/09 22:30:47)
- 平川綾真智 :
遅くなりました。
鳥達の息を吸い声を建て、
で、もうのめり込んでしまいました。
集まる虫はからからと君の真上で飛び回っていた
この部分とかも好きですね。
曲はさらに半音をゆるめず、和音の苛立ちを低調にかなでる
上手いなと。durの真ん中半音下げたらmollなりますものね。
奇妙に納得いたしました。
音の要素が物凄く丁重に扱われているので、まずは本当にすんだ世界観を確立している点に圧倒されました。
内容も、タイトルがここまで作品支え上げる例は稀だと思います。
気になった点なんですが、最終連は個人的にはしっくりきませんでした。
全て枯れて崩れきるのかな、と思いながら読んでしまった私が悪いのですが、
通るのか
光へ向かうのか
声を放つのか
や
風が終わり、
もうどこにも、
生という名の声は
聞くことができない
が、
君の冷たさが微かに残った、半音の余韻で包まれる孤高の森の下で、
と
森が、記憶として
残るのみ
の素晴らしさに比べて生過ぎるように感じたんですね。
最後、木の葉に溶かしていく一語一語にそれこそ葉脈の音と余韻が重なるような印象だったらもっと良かったのかな、と漠然と思いました。
何週間か経ってから効いてくる作品だと思います。
私、すきです。
以上です。
失礼します。 ('07/01/19 21:21:13)
- 加藤紗知子 :
お久しぶりです。丁寧な感想を本当にありがとうございました。
この詩にかぎらず、配慮して書くことがあまりできずそしてやらないので、丁重に思われたのには驚き、ありがたいことだと受けとりました。
半音やフラットなどが細かく書いているのは、もしかするとですけれど、幼少の頃にピアノを習っていたためかもしれません。
最後は平川さんのいうように、始めと同じく細かく描けていれば、もっと表現が豊かな詩になったと思います。「通るのか〜」や「風が終わり〜」の連は本当に生すぎましたね。けれどもこれが私の書ける精一杯の表現だと思います。これから書き直すのも、少し難儀なことだと思います。
良心的に受けていただいてうれしかったです。本当にありがとうございました。 ('07/01/19 23:01:53 *1)
- 過去からの旅人 :
批評をできる 自分ではないですが 嫌な言葉がなく すんなり読めました 何となく思っていることですが そんな詩が目標なんです もう少し 読んでみたいと思います ('07/01/20 12:42:57)
- 加藤紗知子 :
初めまして。感想をありがとうございます。詩が自分を肯定することはあるのですが、人から言われて、そう思えたのは久しぶりでした。読んでみたいというのはありがたいことです。ありがとうございました。 ('07/01/20 20:13:12)
- コラコラ :
大したことが言えそうにないのに書いてしまう自分がいます;
やっぱり加藤紗知子さんという人は言葉に愛されていると思う。
3連目あたりでは、もう少し整理された方が良いかなあ、とか考えながら読んでいるのですが、そのあとは圧倒的でもう何も言えなくなります。
加藤さんの言葉の世界に胸のあたりを支配されてしまうから。
いつかきっとまた書いて見せてくれる詩はどんな詩なのでしょう。楽しみだなあ。 ('07/02/03 04:41:46)
- 藤坂知子 :
加藤紗知子です。ハンドルネームを変えました。
うる覚えですが、FYでもこの詩に感想をもらった気がします。そのときと今では多少感じる所が変わっています、私は。言葉は一体何なのだろうと最近よく考えます。引っぱっても出てこないときがあり、嫌っているのに組み立て組み立てしているときがあり、絶対に自分の言う通りに働いてくれないのです。
当たり前ですが、生活も絶対に思い通りに動いてくれなく、「思う通り」とは一体どんな通りなのだろうと自問します。何でもかんでも思う通りに行かないことばかりだから、もしかしたら詩や絵を書くのかもしれないと思います。思い通りに行かないことも十分面白く、けれどよく行かないから「何じゃこりゃ」と思いながら、もがいています。
もがいているのが詩に出ているのかもしれないと思いました。自分の詩に支配されるときがあります。怖いのですが、支配されているときは結構生き生きしているのです。不思議と。感想をありがとうございました。 ('07/02/03 12:57:38)