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前田ふむふむ - 2006年分

選出作品 (投稿日時順 / 全3作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


海の風景

  前田ふむふむ

海の風景

律動している自然の怒りを蔽う、薄皮で出来ている海の形象を、剥いで、赤裸々な実像を曝け出せば、煮えたぎる本質が、渇きの水を、欲して、知恵の回廊で語りかけるが、気づくものはいない。
風でさえ、空でさえ、ひかりでさえ。
誰も海の全貌を捕らえぬ儘、海の始めの半分は血まみれの海の意識を、世界の意識の外で隠している。
おぞましい生身の顔を見たものはいない。
海のあとの半分は痛みを持つ季節で成り立つ。
自然の美しき生と死との葛藤を、展開して、一度、海の眼の黒点に、集約されてから、いっせいに解き放たれた、
現在という海の景色。
その細胞を塩の臭いの濃い窓辺で老婆が、眺めている。
沖から一隻の船が戻ってくる。
老婆の人生の苦悩で痛んだ血管の中へ。

島に向かって歩く海鳥の夕暮れは、
欠落した空の形状を立ち上げて、浮かぶ船のほさきに、
繰り返しながら、港をつくる波は 
凪いだ水平線を飲み込んでゆく。
昇天する午後は 冷たい唇を海風に浸して、
錆付いた窓の中を抱擁する。
放浪する時間が海の濃厚な音律の中で、泳ぎだして、
黄色いひかりの、結晶体を産み出す。
そのひかりを浴びた老婆の住む海の家のドアノブに、
少年の手はいつまでも固定されている。
甲高い声をあげて、引き綱を船に乗せる、少年の背中を夕陽が照らして、細かく金色を撒き散らす。
遥か海の形相の上を、波に揉まれている色濃い魚影が、生臭い風に乗って、少年の腕の周りを勢い良く叩く。
期待に満ちた漁師たちの熱気が、船のいろどりを艶やかにする空隙を、勇ましい汽笛が埋める。次々と港を離れる船。また船。荒れ狂う戦場に向かう儀式か。
妻や家族たちが手を振り見送る。微笑ましい笑顔と不安。
見送る者のこころに闇が蠢く。

海に灯りが点滅すると、月が煌々とする海辺では、色彩を攪拌して黒くする瞑想の風景が、渇き出す抽象を燃やして、潮の香りを充たしている、ひかりが切断して裂けたベッドは、老婆の棲家を取り返す。
波の静けさが醒めた音を鳴らして、町並みを蔽い、細微な事柄を夜の卵の殻の中に仕舞い込み、
地上から封印してゆく。
夜は闇の手助けを受けて、海を波の上から、
少しずつ固めてゆく。
音だけが空に融けている。


いのちの情景

  前田ふむふむ

たえず流れゆく虚飾で彩られた十字路たちの、
過去の足音が、夜明けのしじまを、
気まずそうに囁いている。
燃え上がる水仙の咲き誇る彼岸は、
すでに、水底の夢の中に葬ってある。
落下する時をささえ続ける幼子が、
やさしく言葉で綾とりをする聖職者の午後が、
さりげなく黄ばんだモノクロの映像で充たされてゆく。

わたしは、溢れ出る、そして枯れてゆく出自が、
白骨のように、潔いまなざしで、
真夏を咀嚼する荒野を駆け抜けてゆくとき、
今日も、当て所も無く、
氾濫する炎をもてあます道化師のように、
偽りのみずうみをさ迷っている。
そして、爪垢ほどの重さの無いわずかの名声は、
絶えず枯葉のように舞い落ちて、
都会の妖婦に、いつか埋もれてゆくのだ。

静寂が波打っている。― 赤い血はまだ居るのか。
混沌が朽ち果ててゆく。― 青い息は、まだ聞いているのか。
わたしは、まだ、此処にいる。

見捨てられた世界の
止め処なく、沈みゆく地平線のはてに、
置き忘れた栞の一行のきらめきの中で、萌え出す、
手を差し伸べるあなたが、津波のようにどよめきを上げて、
押し寄せてから、凪いだ鬱蒼とした森の灯台になり、
垂直に横たわってゆく。

わたしは、運命が軋みをあげて、綻びる古城の季節に、
たとえ、抜け出せない寂寞とした厳寒の沼地のなかで、
もはや言葉を失った棒状の鉄杭になった足を束ねられても、
あなたの手を、しっかりと抱きしめて、
このいのちの絶えることの無い激痛を携えて、
瞳孔の暗闇の中に広がる、赤く染まる夕暮れを、
いつまでも、諦めることなく歩いていくのだ。
生まれ変わる瑞々しいいのちが一滴の源泉を射抜く
黎明の大鳥が訪れる、その時のために。


冷たい春

  前田ふむふむ

どんよりとした鉛色の雨が、わたしの空洞の胸を
突き刺して、滔々と流れてゆく冷たさが、
大きなみずたまりを溢れさせている。
みずたまりには、弱々しい街灯の温もりによって、
歪んだ姿のわたしの言葉が、硬直して映りこんでいる。
それは、無造作に鋏で切り抜かれた真冬の風景―― 、
コンクリートを覆うスクリーンで青白く燃えている。

わたしの内壁をわずかに点滅する、もがくような灯火が、
あっけなく消える一瞬に、
予告のない、手の届かない充たされた時間が
多くの歓喜とともに、強引に過ぎてゆく。
羨みながら、濃厚に、
かなしみの旋律の色を染めてゆく、わたしは、
骨だらけの過去を引き摺りながら
唾さえ出ない口で、乾いた砂粒を噛もうとしている。

幼かった頃、失われた純白の月が、
かならず見えた懐かしい場所に立って
悔悟のおもいを、行く先の見えない脳裏に、描いても、
槍のように尖った雨は、
わたしの衣服を突き破り、冷えている青ざめた肌を
滲んだ血で書いた古びた日記の切れ端の紙に変えてゆく。

わたしは、この春を、
美しく雨の中に咲く桜の花を
溢れる涙のはく膜で、ろ過しながら、
挫折した春を今年も見なければならないのか。

未来の呼吸を頑なに遮断している、春の雨を
この細く、やつれきった手で、掻き分けても
わたしの手には淀んだ赤い血液すらも掴めない。
唯、もがくばかりの、指先に
すれ違うわずかの暖かい季節の眼差しが、諦めるなと呟く。

文学極道

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