記憶の中で
震える星の
架かる空
冷たい雫に
映る顔
爬虫類のまなこ
瞼の無い
切り結ぶ唇に
寥々と灰色を這わせ
紅を除いた白い頬を浮かべ
寒気が躍る
記憶の下で
寒気が躍る
灰色の雲が
渦を巻く
セーターもマフラーも
そこだけが鮮やかで
スカートもブーツも
どこか緩い
昼だったような
夜だったような
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19
草原の少女
しがらみ
絆と書かれた壁面を見るにズタズタのボロ切れを思い、かえってその使い込まれた経緯が赤い塗料に十二分に滲み出ているのだろうかと訝る。
通例決して見る事の出来ない言葉だ。屋外野ざらしの壁面上には。目にする内のありふれた大半は自己顕示というか、まあマーキングであり、あるいはアート、いずれにしても自らの成功を固く期するところの、自分を恃む地点からの意思の発露であり、ソレを直接的に描いた筆は覚えている限りはそう多くない。これもよくある相合傘や交際記録の類については、思いのままに並べられるのが常であり、今見る絆の一字のような、訴え掛ける風情は刻まれていない。
ここまで考えを巡らせた事による人情、あるいは義理として、「どのような人物がこれをここに描いたのだろう」と考え掛けて、止める。すぐに遮断されるのだ。これが俺流、などとふざけて自嘲してみるも、他者を想像しない事を自分が自分に課している事は事実であるし、それを作法として遵守してきているのも事実だったりする。大げさに世界に対する作法と称しても、表現上滑稽なだけで当人にとっては誇張でも何でもない程に重々しく、原理的ともいえる程比重の置かれたこの姿勢、が、外なる外界への圧倒的な恐怖の念、の向こう側にある世界との数少ない接点となっているのだ。壁の上の一字を踏まえて言うなら、我が「世界との絆」になっているのだ。
一期一会、縁また縁の時間軸上に見える誉れに浴した事により、絆の一字は目の前に悲鳴を上げる。怪鳥の鳴くような異質な主張がスプレー殴り書きの赤いフォルムから放たれて、「ほう」と応えるのが礼儀であるかと思わせる。
AはBと話をしていた。アイドルグループの絆の固さについてのものだった。その結束は、Aを興奮させるものだった。AはテレビやライブVの映像からその絆に接していた。円陣を組むという事の効果と意味を、「トーク」の多層が「絆」の深層に届く希有なる瞬間とそれを可能にする場と舞台とを、AとBは暑く語らっていた。実際暑かった。室温は三十九度だった。うだるような暑さにAの頬から滴が滴り、顎に伝って胡坐をかいた畳に落ちた。共にうだり、共に語勢はうわごとに近く、Aの目は興奮に血走っていたので滴はあるいは涙でも良かったのだが、面と向かうBとしては「『コレ』が涙は無いな。汗の方が良いな」と、Aではなく、染みを作った滴自体を見て思う。
そうして口角泡を飛ばす。
白鳥は水面の下で足をばたつかせているというが、壁の「絆」は何を負っているのだろう。
人間味のあるなしを描き分ける困難を、壁が和らげている。
絆と書かれた落書きが鳴いているように見え、「ほう」と応えた。と、一行で片付けるのも吝かでない。
それがアイドルグループの組んだ円陣なら、話は違ってくるのだろうが、
そんなものはテレビでしか拝む事は出来ない。
収拾がつかない。
けれどもそれも、アイドルグループの円陣について終わりの無い長談義するのとはまた違うように思った。