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作品 - 20201001_270_12133p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一八年十三月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一八年十三月一日 「記憶」

 感情の発展過程で、ある点以上には絶対成長しない人がある。かれら
は、セックスの相手と、ふつうの気楽で自由な、そしてギブ・アンド・
テイクの関係をほんの短いあいだしか続けられない。内なる何かが、幸
福に耐えられないのだ。幸福になればなるほど、破壊せずにはおけなく
なる。
(フレデリック・ポール『ゲイトウエイ』20、矢野 徹訳)

同じような文章をほかでも読んだ経験がある。
ぼくや、エイジくんが、そういった性質なのだと思う。
どちらか一方ではなくて、両方とも、そうやったんやから
とうぜん、うまくいくわけなかったのだけれど。

二〇一八年十三月二日 「千本日活にて/31。」

「自分からアプローチするほうのひと、勇気あるなあと思う。」
「えっ?」
「だって、断られるかもしれないじゃないですか?」
「まあね、それはそうだね。」
「断られたらショックでしょう?」
「ショック受けるかもね。」
「ぼくは、アプローチするのは無理ですわ。」
「でも、まえは、きみのほうからアプローチしてきたんやで。」
「そうでした。」
「ええっ? って、思ったもの。
 おぼえてる?」
「おぼえてますよ。」
「どれぐらいまえだっけ?」
「一年ぐらいじゃないですか?」
「そんなにまえ?」
「たしか、そうでしたよ。」
「うそみたい。」
ほんとだ。
うそみたいに時間が過ぎていく。
「思い出した。
 夏ごろやったね。」
うなずきながら笑う彼。
笑い顔が子どもみたいやった。
「このあいだ、ミクシィで
 キッスについて書いてね。
 フィリピンのゲイ・ビデオの一部がチューブになってて
 それを貼り付けてね。
 子どもみたいな顔をした青年が
 ウィンナーのはしっこをくわえてね。
 それを口にくわえながら
 相手の口元にそれをもっていって
 もう一方のはしっこをくわえさせるときに
 半分、笑っててね。 
 それ見て、
 ゲイのセックスって、
 友だちの延長みたいなもので
 まるでゲームみたいなものだなって思って。
 ふざけてるけど、
 真剣だということね。」
「わかります。
 フィニッシュがゲームの終わりみたいな。」
「言えてる。」
近くで悲鳴に近いあえぎ声がしている。
ふたりで顔を見合わせて笑った。
「はじめてきたのはいくつのとき?」
「26かなあ。」
「そなんや。
 じゃあ、まだ10年たってないね。」
「たってませんよ。」
「いま、いくつなん?」
「31。」
「いちばん、ええ時期かな。」
「そうなんですか?」
「うん。」
悲鳴の本体が移動した。
ふたりがはじめて会ったのは2年まえってことか。
ぼくは、もうちょっとのところで
こう言いそうになった。
「このあいだ、チューブで見た
 フィリピンのゲイ・ビデオに出てくる、かわいい男の子に似てるよ。」
って。
そう言わなかった。
そのかわり、こう言った。
「これまでで、最高のセックスって、どんなのだった?」
「おなじひとと
 おなじことしても
 こちらの気分で、ぜんぜん違った感じに思えますし。」
くびをひねるぼく。
「でも、こういうのがよかったとか、あるんちゃう?」
と、ひつこく食い下がるのであった。

その話を聞きながら、ゲラゲラ笑って
「じゃあ、こんど会ったら
 ぼくとのセックスがいちばんって言われるようにしよう。」
と言って、また笑った。
いつまで笑っていられるんだろう?
ずっと?
そんなわけないか。
そんなわけないやろなあ。
こわい、こわい。
「知ってるひとがいてるって
 ほっとしますね。」
「そうやろね。
 知らんひとばっかりやったら
 緊張するやろね。
 こころって同調するものやから
 過去に同調した経験があると
 すっとなじんでしまうのかもしれへんね。」
グレゴリイ・ベンフォードの『輝く永遠への航海』という
とんでもないSFを読んでいたせいで、
こんな言葉遣いになったのだと思う。
専門の物理学者が叙述するブラックホール内での
人類を含める有機生命体とメカニックスとの死闘を描いたSF小説で
とんでもない風景描写の連続で
サイバー・パンクを読んでいるような気がした。
「はじめてきたときには、できた?」
「いえ、かえりました。」
「やっぱり、びっくりして?」
「ええ、抵抗感ありました。」
「そだよね。ぼくもはじめの3回ぐらい
 なにもせんと帰ったもの。」
「自分の父親ぐらいの年齢のひとには
 ちょっと。」
ぼくももう49歳で、オジンなんだけどなあって思いつつ
「アリストテレスの言葉に
 同じ年同士は楽しいってことわざを入れたものがあってね。
 たしか共感について書いてたとこかなあ。
 共感する
 こころを寄せるってことね。」
「ずっと興味があったんですけど。」
「なにに?」
「ここにきはるひとって
 カミングアウトしてないひとは
 ふだんは普通に仕事してはるわけじゃないですか?
 でも、ここでは、おねえになったり、Mになったり
 それで、会社では、部下に命令してたりするわけじゃないですか?」
「厳しい顔、してたりしてね。」
顔を見合わせて笑った。
「どんなふうに仕事、してはるんかなあって思ったら
 知りたいなあって思って。」
「ぼくはカミングアウトしてるけど
 いつも、こんな感じで
 だらだら。」
ほんとに、だらだらなのだ。
しゃべり方はね。
「でも、みんな、ちょっと後ろ暗くて
 秘密があるってことでも昂奮してるんじゃないのかな?」
「あ、わかります、それ。」
「後ろめたさが
 平凡な人生を刺激してるって感じがして。」
ううん、と言ってえくぼをつくる彼。
「うつくしいときなんて
 たかだか数十年だよ。
 あっという間に過ぎちゃう。
 その目でいろいろ見たらいいよ。
 いろいろ体験するといいと思うよ。
 ふつうのひとには、想像できないことが
 いっぱい起こるからね。
 たとえば、そうだな
 ゲイの社会では
 社会的な地位による身分差がないのね。
 貧乏でも、若くてかわいければ
 たとえ相手が社長や医者でもタイプじゃなきゃ
 振り向きもしないんだ。」
「やっぱり、わかさですか?」
「そうだね、それとかわいらしさかな。
 きみは、わかくて、かわいいから身分が高いよ。」
「だれもそばに来てくれなくて
 期待はずれで帰ったことがありますよ。」
「それはね、
 そのときいたひとたちが
 みんな待つひとだったからだと思うよ。
 自分からアプローチするひとじゃなかったら
 動かないでしょ?
 でも、そんなことあるんやあ。」
「ありましたよ。
 なんか、さびしかったですよ。」
「なんやろ、
 偶然かな。
 こうやってふたりが会ってるのも
 しゃべってるのも
 気が合うってのも偶然だし。」
「ぼくも、こんなふうにふつうにしゃべること
 なかったなあ。」
ひとりごとのように言う彼。
こういった時間流のなかでも
さまざまな事物や事象が生成し変化し消滅していく。
ぼくたちの声、微笑み、気持ちも
瞬間瞬間に変化し消滅していく。
詩人の役目は、その生成し変化し消滅する事物や事象を
マトリックスの形で残していくこと
それに尽きると思う。
そのうえで、現実には起こりえない事物・事象についての
概念的な操作を暴力的に行なうこと。
それが理想かな。
好きだとは言わなかった。
付き合いたいとは言わなかった。
言葉ではないもので、通じ合っていたのだし
1年も会っていなくても、愛し合えたのだから。
もしもそれを愛というのならば。

二〇一八年十三月三日 「タレこみ上手。 転んでも、起きない。転んだら、起きない。コロンでも起きない。」

ストローのなかを行き来する金魚
小さいときに
ストローのなかを
2、3センチになるように
ジュースを行き来させて
口のなかのちょっとした量の空気を出し入れして
遊んだことがある。
とても小さな食用金魚が
透明なストローのなかを行き来する。

二〇一八年十三月四日 「さまざまな大きさの食用金魚がつくられている。」

さまざまな食感の食用金魚がつくられている。
グミより食感が楽しいし、味が何よりもおいしい金魚。
金魚バーグに金魚シェイク
食用金魚の原材料は、不安や恐怖や怒りである。
ひとびとの不安や恐怖や怒りを金魚化させたのである。
金魚処理された不安や恐怖や怒りは
感情浄化作用のある金魚鉢のなかで金魚化する。
金魚化した感情をさまざまな大きさのものにし
さまざまな味のものにし、さまざまな食感のものにして
加工食品として、国営金魚フーズが日々大量に生産している。
国民はただ毎日、不安や恐怖や怒りを
配送されてきた金魚鉢に入れておいて
コンビニから送り返すだけでいいのだ。
すると、その不安や恐怖や怒りの質量に応じた枚数の
金魚券が送られてくるという仕組みである。
その金魚券によって、スーパーやコンビニやレストランなどで
さまざまな食用金魚を手に入れられるのだ。

二〇一八年十三月五日 「金魚蜂。」

金魚と蜂のキメラである。
水中でも空中でも自由に浮遊することができる。
金魚に刺されないように
注意しましょうね。
転んでも、起きない。
起きてたまるもんですか
金魚をすると咳がでませんか。
ぶりぶりっと金魚する。

二〇一八年十三月六日 「金魚尾行。」

金魚尾行。
ひとびとが歩いていると
そのあとを、金魚がひゅるひゅると追いかける。

二〇一八年十三月七日 「金魚顔の彼女と。」

金魚顔の彼女と。

二〇一八年十三月八日 「近所尾行。」

地下金魚。
金魚サービス。
浮遊する金魚。
金魚爆弾。
近所備考。
近所鼻孔。
近所尾行。
ひとが歩いていると
そのあとを、近所がぞろぞろとついてくるのね。
近所尾行。
ありえる、笑。

二〇一八年十三月九日 「自由金魚」

世界最強の顕微鏡が発明されて
金属結晶格子の合間を自由に動く電子の姿が公開された。
これまで、自由電子と思われていたものが
じつは金魚だったのである。
自由金魚は、金魚鉢たる金属結晶格子の合間を通り抜け
いわば、金属全体を金魚鉢とみなして
まるで金魚すくいの網を逃れるようにして
ひょいひょいと泳いでいたのである。
電子密度は、これからは金魚密度と呼ばれることにもなり
物理化学の教科書や参考書がよりカラフルなものになると予想されている。

ベンゼン環の上下にも、金魚がくるくる廻ってるのね。
単純なモデルだとね。
すべて金魚雲の金魚密度なんだけど。

二〇一八年十三月十日 「絵本 『トンでもない!』 到着しました。」

一乗寺商店街に
「トン吉」というトンカツ屋さんがあって
下鴨にいたころ
また北山にいたころに
一ヶ月に一、二度は行ってたんだけど
ほんとにおいしかった。
ただ、何年まえからかなあ
少しトンカツの質が落ちたような気がする。
カツにジューシーさがない日が何度かつづいて
それで行かなくなったけれど
ときたま
一乗寺商店街の古本屋「荻書房」に行くときとか
おされな書店「啓文社」に行くときとかに
なつかしくって寄ることはあるけれど
やっぱり味は落ちてる。
でも、豚肉の細切れの入った味噌汁は相変わらずおいしい。
山椒が少し入ってて、鼻にも栄養がいくような気がする。
トン吉のなかには、大将とその息子さん二人と女将さんが働いてらして
ふだんは大将と長男が働いてらして

その長男が、チョー・ガチムチで
柔道選手だったらしくって
そうね
007のゴールドフィンガー
に出てくる、あのシルクハットをビュンッって飛ばして
いろんなものを切ってく元プロレスラーの俳優に似ていて
その彼を見に行ってるって感じもあって
トンカツを食べるってだけじゃなくてね。
不純だわ、笑。
次男の男の子も
ぼくがよく行ってたころは
まだ高校生だったのかな
ころころと太って
ほんとにかわいかった。
その高校って
むかし、ぼくが非常勤で教えてたことがある高校で
南京都学院高校って言ったかな
すごい荒れた高校で
1年契約でしたが
1学期でやめさせていただきました、笑。
だって、授業中に椅子を振り上げて
ほんとにそれを振り下ろして喧嘩してたりしてたんだもん。
身の危険を感じてやめました。
先生が、生徒が悪いことしたら、土下座させたりするヘンな学校だったし
日の丸に頭を下げなくてはいけなかったので
アホらしくて
初日にやめようとも思った学校でしたが
つぎの数学の先生が見つかるまで
というのと、紹介してくださった先生の顔もあって
1学期だけ勤めましたが
あの学校にいたら
ぼくの頭、いまよりおかしくなってると思うわ。
生徒は、かわいかったけど。
偏差値の低い学校って
体格がよくて
無防備な子が多いのね。
夏前の授業では
ズボンをおろして
下敷きで下半身を仰ぎながら授業受けてたり。
あ、見えてるんだけれど。
って、思わず口にしてしまった、笑。
ぼくも20代だったから
ガマンのできないひとだったんだろうね。
いまだったら、どうかなあ。
つづけてるかなあ。

二〇一八年十三月十一日 「けさ、太った女の子といっしょに暮らしてる夢を見た。」

女の子って言っても
20代半ばかな
たまに女の子の夢を見るけれど
たしかに
さいしょに好きになったのは女の子だったし
中学生までは
ぼくの時代の女の子は純情だったような印象だけど
女の子とはなにを話していいかもわからなかったし
男のほうが付き合いやすかったし
わかりやすかったから
ここ数日
バーセルミとル=グインの小説を読んでて
心理学用語が出てきて
その言葉が頭骨に突き刺さっている。
規制
「ほんとうに愛するものに出会うのを怖れている」
「どう振る舞えば、うまくいくかわかっているのに、わざとそう振る舞わない」
でも、人生はやりなおすことができないものだし
ぼくが付き合ってきた恋人たちに愛情をもってたのも確信してるし
とてもへたな付き合い方だったろうけど
もうすべて過ぎたことなのだから
けっして尊敬されるような生き方はしてこなかったし
どちらかといえば、目をしかめて見られるような生き方だったけれど
感心されるような
一部のひとにでいいから
感心されるような作品を書かなくちゃね。
どのような生にも意味があるのだけれど
ぼくが
ぼくの人生に意味があったということが
いつか確認できるために
いい作品書かなくちゃ
いまからエースコックのワンタンメンを食べます。
ひと月ちょいまえに出会った青年がいて
その青年はゲイでもバイでもなくって
ストレートなんだけど
でも、ぼくといっしょにいたいって思うらしくて
ぼくになついてくれていたのだけれど
ぼくは、わざと彼に冷たく接してしまった。
規制
まさしく規制

何度も同じことをしてしまう。

別れ際の彼のさびしそうな顔が
何度も目に浮かぶ。
ぼくに思いやりがあったら
やさしく接することができたと思う
どうして、やさしくなれないのだろう
彼の顔を見てるだけで
それだけで
ぼくも幸せな気分だったからだろうか
それがいつか自分を悲しい気持ちにさせるからと直感したからだろうか
規制かな
やっぱり
忘れられない。
しなかったことの後悔ほど
忘れられないものはない。

二〇一八年十三月十二日 「意味なしに、バカ。」

このとき考えたというのは
このときよりまえには考えたことのないことについて考えるという場合と
このときよりまえに考えたときとは違う方向から眺めたり
その思考対象に対して考えたことのない考えを思いめぐらすことであって
けっして
以前に考えたようには考えたということではなかった。
以前に考えたように考えるというのであれば
それは、たんなる追走にしか過ぎないであろう。
追想ね、バカ。
六波羅小学校。
運動場の
そと
路地だった。
彼は
足が3分の1で
ハハ
小学校だった
のではなかった
中学校だった
そいつも不良だった
ぼくは不良じゃなかったと思うのだけれど
学校や
家では

親のいるまえでは
バカ
そいつのことが好きだったけど
好きだって言わなかった
そういえば
ぼくは
学校では
だれのことも好きだって言わなかった
中学のとき
塾で
女の子に
告白されたけど
ぼくは好きだって言わなかった
かわいい子だったけど
好きになるかもしれないって思ったけど
3分の1

みじけえ
でも
なんか
まるまるとして
でも
ぜんぶ筋肉でできてるみたいな
バカ
ぼくも
デブだったけど、わら
このとき考えたのは
なんだったんだろう。
遡行する光
ぼくの詩は
詩って言っていい? わら
きっと
箱のなかの
頭のなかに
閉じ込められた光
さかのぼる光
箱のなかで
反射し
屈折し
過去に向かって遡行する光
ぼくの見たものは
きっと
ぼくの見たものが
ぼくのなかを遡行する光だったんだ
ぼくのなかで
遡行し
走行し
反射し
屈折する光
考える光
苦しんだ光
笑った光
きみの手が触れた光だった
先輩が触れた
ぼくの手が見てる
ぼくの光
光が光を追いかける
名前も忘れてしまった
ぼくの光
光が回想する
光にも耳があってね
音が耳を思い出すたびに
ぼくは
そこにいて
六波羅小学校の
そばの
路地
きみのシルエットはすてきだった
大好きだった
大好きだったけど
好きだって言わなかった
きみは
遠いところに引っ越したぼくのところに自転車で来てくれて
遡行する光
反射し
屈折する光
光が思い出す




何度も
光は
遡行し
反射し
屈折し
思い出す。
あんにゃん
一度だけ
きみの腰に手を回した
自転車の後ろに乗って
昼休み
堀川高校
いま
すげえ進学校だけど
ぼくのいたときは
ふつうの高校で
抜け出して
四条大宮で
パチンコ
ありゃ
不良だったのかな、わら
バカ
意味なしに、バカ。
どうして光は思い出すんだろう
どうして光は忘れないのだろう
光はすべてを憶えてる
光はなにひとつ忘れない
なぜなら、光はけっして直進しないからである。

二〇一八年十三月十三日 「暇だと、現実に溺れてしまう。」

暇じゃないけど
暇みたいに見えるだろうなあ。
「この夏は
 詩を書いてらっしゃったの?」
そんなことないですよ。
夏は
ぼく
ぜんぜんダメだし
ゲヘヘ
これから秋じゃ〜ん
頭が冴えてくるハズゥ

ここまでは言わへんかったけど
「夏は
 ぼくの敵です。」
敵は
ぼくのさぼり癖だよ。
ちょっと耽溺するはずが
ずいぶん耽溺して
現実に溺れてしまうのだ。
でも
先週
二杯目の焼酎
ロック
ひとくち
口をつけただけで
もう飲めなかった
タバコにも
またアレルギーで
吐き気がするし
でも
もう秋じゃ〜ん
ぼくの頭が冴えてくるハズゥ
読書の秋って
よく言うな
ぼくにとって
よい読書がいちばん
元気のもと
去勢
すごい博学だけど
まるでキチガイじみた博学さ
好きだけど、わら
現実に溺れる
非現実に溺れるぐらいに、わら。
わらら。
プッ。

二〇一八年十三月十四日 「どろどろになる夢を見た。」

焼死と
変死と
飢え死にとだったら
どれがいい?
って、たずねたら
魚人くんが
変死ですね。
って、

ぼくも。

言うと
アラちゃんが
勝手に
「ぼく安楽死」と名言。
じゃない
明言。
フンッ。
目に入れたら痛いわ。
そこまで考えてへんねんけど
どなると
フェイド・アウト
錯覚します
割れた爪なら
そのうち、もとにもどる
どろどろになる夢を見た
目にさわるひと
耳にさわるひと
鼻にさわるひと
手にさわるひと
足にさわるひと
目にかける
耳にかける
鼻にかける
手にかける
足にかける
満面のお手上げ状態
天空のごぼう抜き
乳は乱してるし
ちゃう

はみだしてるし
そんなに
はみだしてはるんですか
抜きどころじゃないですか?
そんな
いきなり乳首見せられても
なんで電話してきてくれへんの?
やることいっぱいあるもの。
あんまり暇やからって
あんたみたいに飛行機のなかでセックスしたりせえへんちゅうの!
ディッ
ディルド8本?
ちゃうわよ。
ビデオとディルドと同じ金額やのね。
あたし、ほんとに心配したんだから
ワシントン条約でとめられてるのよ
あんたが?
ビデオがよ
ビデオが?
ディルドもよ
ロスから帰るとき
あなたがいなくなってびっくりしたわ
16年前の話を持ち出さないで!
ビデオ7本とディルド1本で
合計16万円の罰金よ
空港の職員ったら
CDまでついてくんのよ
カードで現金引き出すからだけど
なによ
さいしょ、あんたディルド8本で
つかまったのかしらって思ったのよ
は?
8本の種類って
あんた
どんだけド淫乱なのかしらって、わら
大きさとか形とかさ、わら
それはまるで蜜蜂と花が愛し合うよう
それは
必要
かつ
美しいものであった
それは
ほかのものたちに
したたる黄金の輝きと
満たされていないものが
いっぱいになるという
充溢感をもたらせるもの
生き生きとしたライブなものにすることのできる
イマージュ
太字と
細字の
単位は不明の
イマージュ
読みにくいけれど、わら
ふんで

二〇一八年十三月十五日 「132センチの世界」

ドハゲ
ドチビ
ドブス
ド近眼
ゲイ
統合失調症のぼく
それでも、めげない!

二〇一八年十三月十六日 「232キロの世界」

たんなるハゲ
たんなるデブ
たんなるブス
たんなる近眼
たんなる統合失調症
たんなるゲイのぼく
部屋にはいるのに半日かかり
部屋から出るのに半日かかるぼく
それでも脱げない!
じゃない
めげない!

二〇一八年十三月十七日 「友だちのいないひと」

シンちゃんも
ちょっとおかしいし
ジミーちゃんもいまダウンしてるし
まえに付き合ってた恋人はブッチしてるし
ぼくもいま友だちがアライブじゃないんだけど
きょう
友だちのいないひとが
ぼくの部屋にきた
ぼくはきみの友だちじゃないんだから
ぼくのこと
友だちだと思わないでねって言って
ぼくには頼らないでねって言った
きみは
ぼくが幸せにしたいひとじゃないんだから
きのう
じゃないや
けさ
何度も起きた
4時とか
5時とか
6時前に
そしたら
近くにおられる先生が
ぼくと同じように
あさ
何度も起きたって
目が覚めたって
きょうから授業だったから。
ぼくと同じように
緊張するんやなあって思って
「ぼくもですよ。
 けさ
 何度もおきちゃって
 緊張してたのですね。
 こころって
 身体に
 ほんとに影響しますね。
 ちゃんと
 あさ
 起きなさいって
 言うんですね。
 あ
 命じるのかな。」
って言って。
ごめんなさい。
ぼくは
きみの友だちじゃないから
ぼくの顔を見にこないで。
「すいません。
 うっとうしいですか?」
まあね。
きみは
ぼくが幸せにしたいひとじゃないんだもの。
ぼくってケチなんだ。
わけると増えるのが愛かもしれないけれど。
きみに、わけるつもりはなくって。
きみを愛することも
憎むこともできそうにないし
しないよ。
きょう
友だちのいないひとが部屋にきた。
ぼくはずっと
ほとんどずっと
ミクシィと
チューブに集中して
友だちのいないひとの顔を見ないようにしてた。
そろそろお風呂にしようかな。
きょうは、いいチューブをたくさん見たよ。
いい映像がいっぱい。
いい音楽がいっぱい。
いいジョークがいっぱい。
画像のなかでは
愛がいっぱい。
愛がいっぱいだった。
きょうは、いいチューブをいっぱい見たよ。
いい映像がいっぱい。
いい音楽がいっぱい。
いいジョークがいっぱい
How About Love?

二〇一八年十三月十八日 「ケイト・ウイルヘルムの『杜松の時』を読み終わって、基本的なことの振り返りを。」

引用から。(サンリオSF文庫・友枝康子訳、84ページ)

 始まりは簡単だった、とジーンは思った。何事も始まりは簡単なもの
だ。表面は簡単だ。しかし深く入ると複雑なものだ。その表面をジーン
がごく当り前に受け入れることができる間は、生活は容易だった。何事
でも、誰にでも非常に感じやすい表面張力というものがあり、それを動
揺させることなくその近くをすれすれに通っていくのが安全だと彼女は
悟った。表面張力を破ることなく見ることは、人が見ることを選んだも
の、理解しうることなのだった。投影された自分だからだ。しかし一た
びその表面が攪乱されると、流れや横流、波の逆巻く水域などの渦中に
引きずりこまれて、透明なもの、簡単なもの、扱いやすいものは跡形も
なくなる。

 一年まえまで付き合っていた恋人とは、5年くらいのあいだ付き合って
いたのだが、それまで付き合っていた恋人とは違って、ほぼ毎日会って
いた。付き合って3年目くらいかな。それまでに見たことのない表情で
ぼくを非難したことがあって、びっくりしたことがある。でも、それが
きっと、彼についてのイメージのなかで、ぼくの持っていなかったもの
だったのだろう。
 ぼくの持っていた、彼についてのイメージ。ぼくの自我の範囲のなか
で形成されたイメージ。ぼくの自我が推測して形成したイメージ。
 ということは、ぼくが驚いたときにはじめて、ぼくの自我が形成した
ものではない彼に出会ったことになる。
 このときのショックほどではないが、だれかと会うような機会がある
と、よく驚かされることがあるのだが、人生は驚きの連続だなと、陳腐
な言い回しがよく思い浮かぶ。
 
 しかし、ここで皮肉なことに、ワイルドの言葉を思い出してしまっ
た。あるいは、三島由紀夫だったかな。

皮膚がいちばん深い。

二〇一八年十三月十九日 「こんな詩があったらいいな。」

内容がなく
意味がなく
音も声もなく
形もない詩。
あるいは
内容があり
意味があり
音も声もあり
形がない詩。
あるいは
内容がなく
意味がなく
音も声もなく
形がある詩。

二〇一八年十三月二十日 「いっしょに痛い。」

いっしょに痛い。
ずっと、いっしょに痛い。

ポンポンと恩をあだで返すひと。

するすると穴があったら入るひと。

サイズが合わない。

靴は大きめに買っておくように言われた。

こどものとき。

死んだ●●と●●するのは恥ずかしい。

二〇一八年十三月二十一日 「誤解を誤解すると」

誤解を誤解すると
誤解じゃなくなる

なんてことはないね。

二〇一八年十三月二十二日 「すぐに通報します。」

韓国テレビの『魔王』のなかでのセリフ

「おれは知っている、
 ひとは過去を忘れても、
 過去はけっしてひとを忘れない。」

そやろうか。

ロバート・バーンズの言葉

「他人の目に映るように、自分を見れたら。」

そうやね。

かつて人間は
無意識の自分
あるいは
内心の声を
神の存在と結びつけていたのではないか。

二〇一八年十三月二十三日 「詩論」

詩と散文の違いは
改行とか、改行していないとかだけではなくて
根本的には
詩は
鋭さなのだということを
考えています。

それを
狭さ
という言葉にしてもよいと思います。

ウィリアム・カーロス・ウィリアムズは
具体物
と言いました。

経験を背景としない詩は
まずしい。

しかし、経験だけを背景にした詩も
けっして豊かなわけではないのですね。

才能というものが
たくさん知っていることでもなければ
たくさん知っていることを書くことでもないと思うのですが
たくさん知っていて
そんなところはうっちゃっておいて書く
ということが大事なのかなあって思っています。

きのうもお話したように
もう雑誌や同人誌の時代は完全に終わっています。
ネットで下書きを書き
詩集で完成形にいたらせる
ということで
これからの数十年は過ぎていくでしょう。

それからあとのことはわかりません。
ただ、文学を楽しむことのできる人間の数が極度に減っていくと思います。

二〇一八年十三月二十四日 「近所の大国屋で、きのうの夜の10時過ぎに夜食を買いに行ったら」

レジ係の女性が、ぼくに話しかけてきた。
「日曜もお仕事なんですね。」
ぼくは、このひと、勘違いしてるなと思ったから
あいまいに、うなずいた。
ぼくと似てるひとと間違えたのかな。
でも、ぼくに似てるひとなんて、いなさそうなのにね。
なぞやあ。
おもろいけど。
こんどは、あのリストカッターの男の子に話かけられたいよう。
あごひげの短髪の体格のいい、童顔の男の子やった。

二〇一八年十三月二十五日 「『スプーンリバー詞花集』、到着しました。」

ネット古書店は、すごい。
注文して2日後に到着。
およそ半額で購入しましたが
まっさらでした。
よかった。
詩集って、古書店で買うもの
ほとんどが新品同様だったのだけれど
これって、贈られたひとが売ったものなんやろうか。
このあいだのジェイムズ・メリルといい
作品の質は高くて、資料的にも必要なもので
ふつう、詩人なら手放さないような気がするんやけど
ちがうかな。
『スプーンリバー詞花集』、パラ読みしたら、訳文に
不満が。
訳文自体の文体がおかしい日本語で
句読点の打ち方もおかしいところがあり
びっくりしました。
……だそうだ。
にするべきなのに
……だ、そうだ。
なんて、ぜったいにおかしいし
口語と文語がぐっちゃぐちゃ。
むかし読んだものと違う印象がある。
翻訳者が違うのかなあ。

二〇一八年十三月二十六日 「リストカット」

近所の大国屋でバイトしている男の子は
たいてい体育会系の子が多くて
ガタイがよくて、肌が日に灼けてて
スーパーの店員らしくないんだけど
なかには、ぼくと目が合って
なにやら、あやしい雰囲気をかもし出す子もいて、笑

そのなかのひとり
その子がレジ係のときに
ぼくの目をあまりにきつい目で見返すものだから
ああ、きっと、この子って、ぼくに興味があるんだなあって
2、3週間思っていたのだけれど
先週だったかな
レジで作業している
その子の左手首を見たら
たくさんの切り傷があって

ぼくの左手首にもリストカットの傷痕があって
でも
その子の傷痕は、ぼくのよりも太くって長くって
たくさんで、びっくりした。
ぼくのは、包丁だったけど
その子のは、包丁とは思われない太さだったから
あれは、なんで切ったんやろうか。
登山ナイフか何かかなあ。
包丁とは思われない太さの傷痕やった。
でも
その男の子
顔はかわいくて
体格もよくって
女の子にもモテル感じやったから
なんか
こころのなかに持ってるんやろうね。
ぼくが彼の左手首の傷痕を見てから
ぼくとその子は
ぼくが大国で買い物をするたびに
何度も見つめ合ってるんやけど
言葉は交わせられへんね。
きっと、ずっと。
言葉を交わしたら、アカンような気がする。
見つめ合ってるだけで、わかるところがあるような気がする。
こころのなかに持ってるってこと。
こころのなかに持っていて
持っているのがいやなものを。
きっと、ね。

二〇一八年十三月二十七日 「いま、ヨッパで帰ってきたところでした。」

まえに付き合っていた恋人と飲みに行きました。

こんなこと言われて、ドボン→
「けっきょく、あっちゃんって、放任主義やからなあ。
 いまの恋人って、おれのこと、束縛してきよるんやけど
 そこかな。
 心配されてるって感じがするやろ。」
「えっ?」
むっちゃ腹が立ったので
嘘をついてやりました。
「ぼくにも恋人ができたんやで。」
「どこで見つけたん?」
「ぜったい言わへん。」

前恋人は12時過ぎに帰りましたが
ぼくは2時過ぎまで飲んでました。
店を出て、ヨッパでぶらぶら
立ち並木にぶつかって
ヘッドフォンこわして
半泣きで帰りました、笑。

二〇一八年十三月二十八日 「詩論」

わたしとは、なにか。わたしとは、どこにあるのか。

ということに、とても興味があった。
20代から、ずっと。
引用のみによる実験的な作品も
それを明らかにしたいという気持ちから、つくったものでもあった。
だれひとり、引用のみによる詩をぼくがつくった動機について
このように考えたひとはいなかったけれど。
いま、ぼくは、「わたし」とは、形成力としてのロゴスであると思っている。
意味形成という側面からだけではなく
意味の希薄な情景や情感の形成にもロゴスが関与していると思っている。
このときのロゴスとは、引力のようなもので
引き付け合う力である。
もちろん、これは何も新しい考え方ではなくて
ソクラテス以前のギリシア哲学にあるもので
「何を、いまさら」というものであるが
「何を、いまさら」ということをはっきり検証したのが
引用のみによる詩であった。
ふつうの書法では、自明的でないからである。
また、コラージュでもわかったことだが
ひとつひとつの言葉や、さまざまな情景や、いろんな音が
それぞれロゴスを持っていて
互いに結びつこうとしていること。
その場所が「わたし」であるということだった。
もちろん、そのロゴスは、たとえば
同じ語であっても、ぼくのなかに飛び込んできたとき
ぼくのなかの他の語や感情といったものが作用するとき
同じ語が、それまで持たなかった違った引力を持ったりするのだけれど、
まあ、はやい話が
部分が寄り集まって、場と実体を持つとして
それが、「ぼくというもの」になると考えるのだけれど
だから、容易に
「わたしでないもの」が「わたし」になることができるのである。
洗脳が良い例である。
単純な話だと思うのだけれど
どうして、世のなかに氾濫している自我論って
むずかしく書かれてあるのだろうか。
むずかしく(見せて)書くことに意義があるとでも思っているのかもしれない。
ひさびさの日記は
つまらないことを書いてしまったように思うが
このぼくの日記よりもつまらないものを
ここ1週間ほど読んだ気がする。
みんなまとめて、さっき捨てました。

二〇一八年十三月二十九日 「詩論」

きのう
キム・イングォンくんが弟で
ぼくといっしょに暮らしている夢を見ました。
夢をつくっているわたしと
夢を見ているわたしが同じものなのかどうかは
いまだにわからないのだけれど
ロゴスという点で
意味形成・情景形成と
意味把握・解釈という
点で
結びつける力が
わたしなのだと思った。
きょうは、キム・イングォンくんに会えるかな。

二〇一八年十三月三十日 「文体」

ここ1週間で読み終わったSF文庫本。

『エデンの授粉者』 ジョン・ボイド
『異次元を覗く家』 ウィリアム・ホープ・ホジスン
『黄金卿の蛇母神』 A・メリット
『窒素固定世界』 ハル・クレメント
『サンダイバー』 デイヴィッド・ブリン
『謎の大陸』 アトランティス  デル・リー
『第十番惑星』 ベリャーエフ
『テラの秘密調査官』 ジョン・ブラナー
『呪われた村』 ジョン・ウィンダム

どれもカヴァーの絵がすばらしかったので買っておいたものだが
中身がカヴァーに釣り合うくらいによかったものは
『エデンの授粉者』と『呪われた村』くらいかなあ。
なつかしく、かわいいジュブナイルSFとしてなら
ベリャーエフの『第十番惑星』もいいかもしれない。
『異次元を覗く家』なんて
100年まえの小説で、文体が古臭かった。
しかし、ジョン・ウィンダムは、
古くならない作家だと思った。
なんでやろうか。
詩でも、ぜんぜん古くならないものってある。
古くなるものって、どこが古くなるんやろうか。
やっぱり文体なんやろうね。

二〇一八年十三月三十一日 「100人のダリが、曲がっている。」

のだ。
を。
連続
べつにこれが
ここ?
お惣菜 眉毛
詩を書く権利を買う。
詩を買う権利を書く。
そんなお茶にしても
また天国から来る
改訂版。
グリーンの
小鉢のなかの小人たち
自転車も
とまります。
ここ?
コロ
ぼくも
「あそこんちって
 いつも、お母さんが怒鳴ってるね。」
お土産ですか?
発砲しなさい。
なに?
アッポーしなさい。
なになに?
すごいですね。
なになになに?
神です。
行け!
日曜日には、まっすぐ
タトゥー・サラダ
夜には、まさかの
タトゥー・サラダ
ZZT。
ずずっと。
感情と情感は間違い
てんかんとかんてんは勘違い
ピーッ
トコロテン。
「おれ?
 トラックの運転してる。」
毎日もとめてる
公衆の口臭?
公衆は
「5分くらい?」
「おととい?」
ケビン・マルゲッタ。
半分だけのあそ
ピーッ
「八ヶ月、仕事なかったんや。
 そんときにできた借金があってな。
 いまも返してる。」
「じゃあ、はじめて会うたときは
 しんどいときやったんやね。」
たんたんと
だんだん
もうすぐ
だんだんと
たんたん
一面
どろどろになるまで
すり鉢で、こねる。
印象は、かわいい。
「風俗には、金、つこたなあ。
 でも、女には、よろこばれたで。
 おれのこんなぐらいでな(親指と人差し指で長さをあらわす=小さい)
 糖尿で、ぜんぜんかたくならへんから
 おれの方が口でしたるねん。
 あそ
 ピーッ
めっちゃ、じょうずや言われる。」
イエイッ!
とりあえず、かわいい。
マジで?
梅肉がね。
発砲しなさい。
あそ
ピーッ
お土産ですか?
説明いりません。
どれぐらいのスピードで?
まえにも
あそ
ピーッ
見えてくる。
「選びなさい。」
曲がろうとしている。
間違おうとしている。
見えてくる。
「選びなさい。」
まさかの
トコロテン。
ピーッ
あそ
ピーッ
見えてくる。
「上から」
ピーッ
見えてくる
「下から。」
のだ。
を。
連続
ピーッ
唇よりも先に
指先が
のだ。
を。
連続
ピーッ
行きます。
「選びなさい。」
「からから。」
「選びなさい。」
「からから。」
たまに
そんなん入れたら
なにかもう
ん?
隠れる。
指の幅だけ
ピーッ
真っ先に
あそ
ピーッ
みんな
ネバネバしているね。
バネがね。
蟻がね。
雨が
モモンガ
掲載させていただきました。

文学極道

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