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作品 - 20200901_414_12079p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一八年十一月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一八年十一月一日 「現実」

現実はきびしいね。だけど、がんばろう。がんばる仲間がいれば、だいじょうぶ。

二〇一八年十一月二日 「考察」

ぼくというものを媒体として、さまざまなものが結びついていく。
ぼく自身も結びつけるものであると同時に結び付けられるものである。

二〇一八年十一月三日 「詩論」

イメージが言葉をさがしていたのか、言葉がイメージをさがしていたのか。

二〇一八年十一月四日 「ルーシャス・シェパード」

ルーシャス・シェパードの短篇集『竜のグリオールに絵を描いた男』を読み終わった。これから、寝るまで、シェパードの処女長篇『緑の瞳』のつづきを読もう。それとも、マーガ・ラナガンの短篇集『ブラックジュース』のつづきを読むか。クスリをのんでから決めよう。おやすみ、グッジョブ!

詩人で翻訳家のジェフリー・アングルスさんに、『ゲイ・ポエムズ』の一部を英訳してアメリカの雑誌に掲載していただいたものがある。これね。

https://queenmobs.com/2016/11/22392/

二〇一八年十一月五日 「ブライアン・オールディス」

ブライアン・オールディスは、ぼくの大好きなSF作家である。数年前に買った『寄港地のない船』を、きょうから読む。ルーシャス・シェパードの『竜のグリオールに絵を描いた男』よりずっとまえに買った本だけれど、同じ竹書房文庫から出た本だけど、きょうから読むことにする。おやすみ、グッジョブ!

二〇一八年十一月六日 「長尾高弘さん」

本棚になかったので、チャールズ・シェフィールドの『ニムロデ狩り』を、Amazon で買い直した。

長尾高弘さんから『抒情詩試論?』を送っていただいた。著者とはネット上の付き合い以前からのお付き合いで、いろいろお世話になっている。詩のタイトルがページはじめの中ごろにかかれてあって、新鮮だった。作品は穏当なものが多く、落ち着いて読めた。「報い」など、こころにしみるものが多かった。

二〇一八年十一月七日 「フレドリック・ブラウン」

手近の本棚に、なにがあるのか(昨年、多数、ひとに譲ったので、なにが残っているのか正確には知らないのだ)見ていると、フレドリック・ブラウン編のSFアンソロジー、『SFカーニバル』があったので、なつかしくて、つい読み始めたのだった。まださいしょのものだが、読んだことだけは憶えていた。

いま読んでる短篇、38ページだ。あと7ページで読み終わる。結末は憶えていない。けれど、雰囲気はよさそうだ。というか、いまそのページを額の脂で汚してしまった。ときどきそういうことになる。不器用な自分を呪う。まあ、いいか。ずっと手元に置いておくつもりの本なのだから。クスリをのんだ。寝る。おやすみ。グッジョブ!

二〇一八年十一月八日 「晩年」

齢を取ったらやりたかったことが、いま57歳と9カ月でできている。というか、57歳は、齢を取ったことになるのかな。好きな本を読んで、じっくりとその作品を味わいたいという気持ちが満たされている。このうえない喜びだ。もっと齢を取ったら、すべての時間をそれに注げることができる。楽しみだ。

二〇一八年十一月九日 「チャールズ・シェフィールド」

神経科医院の待合室で数時間、ブライアン・オールディスの『寄港地のない船』を読んでいた。で、診療のあと、まだ読み終わらなかったので、待合室でさいごまで読んだ。大好きな作家の処女長篇である。よかった。帰ると、注文していた、チャールズ・シェフィールドの『ニムロデ狩り』が届いていていた。

『ニムロデ狩り』はまだ読まない。昨年、ひとに譲った小説だったので(自分の本棚を軽く見てなかった本なので)買っただけの本である。本って、いつ、どんな金額になるかわからないので、買っておいたのだ。むかし読んだとき、B級SFで、でも、おもしろかった記憶があるので、買っておいたのだった。

『ニムロデ狩り』を、なぜ手放したかというと、たぶん、カヴァーが気に入らなかったんだと思う。でも、きょう届いた本を見ると、手放さなくてもよかったのではないかというくらいの出来のカヴァーだったので、これが、ぼくのカヴァーの評価軸の基準線なんだな、と思った。きょう見たら、よかったのだ。

二〇一八年十一月十日 「考察」

 好きな形になってくれる雲のように、もしも、ぼくたちの思い出を、ぼくが好きなようにつくりかえることができるものならば、ぼくは、きっと苦しまなかっただろう。けれど、きっと愛しもしなかっただろう。

二〇一八年十一月十一日 「考察」

 星たちは、天体の法則など知らないけれど、従うべきものに従って動いているのである。ひとのこころや気持ちもまた、理由が何であるかを知らずに、従うべきものに従って動いているのである。と、こう考えてやることもできる。

二〇一八年十一月十二日 「アザー・エデン」

イギリスSF傑作選『アザー・エデン』をひさしぶりに手にしてみた。冒頭に収められている、タニス・リーの『雨にうたれて』を読み直した。放射能汚染が軸にあり、その影響下にある人々のあいだに、汚染度の違いによる階級差が生まれている国家の物語だ。現代日本のある都道府県のことが頭に浮かんだ。

二〇一八年十一月十三日 「海東セラさん」

海東セラさんから、同人詩誌『グッフォー』の69号と70号を送っていただいた。69号に収められた海東セラさんの「ドールハウス」も、70号に収められた「塊」も散文詩で、言葉が流れるようになめらかだった。よどみがないというのは、海東セラさんの文体のようなものを指して言うのだと思った。

パソコンのない時代に、自分の全作品を2冊の私家版の詩集にして50部ずつつくったことがあった。『陽の埋葬』と『ふわおちよおれしあ』である。A4サイズで電話帳のように分厚いものだが、ぼく自身がある意味、辞典として利用している。中原中也や村野四郎や会田綱雄の詩のパロディーを書いたものが、文学極道の詩投稿掲示板ではまだ発表していなかったので、それを電子データにしておこう。未発表といえば、未発表の「陽の埋葬」もたくさんあった。面倒だが、そのうちそれらも電子データにしておこう。

二〇一八年十一月十四日 「クリストファー・エヴァンズ」

きのう寝るまえに、イギリスSF傑作選『アザー・エデン』に収められている、クリストファー・エヴァンズの「人生の事実」を読んで眠った。作品は、女権が異様に貶められている惑星のなかで、ひとりの少年が取る言動を通じて、人間について考えさせるものだったのだが、差別というものの気持ち悪さに、ぞっとさせられた。ぞっとさせるのが目的に書かれたであろう、その着想に、作者のイノセントさがあるのだろうが、あらゆる差別について、気持ち悪い、ぞっとさせるようなものがあるのだなと思った。

二〇一八年十一月十五日 「内島菫さん」

内島菫さんが書いてくださった、ぼくの詩集『Still Falls The Rain。』評

https://bookmeter.com/books/12753547

内島菫さんが書いてくださった、ぼくの詩集『The Wasteless Land.』評

https://bookmeter.com/books/1088250

内島菫さんが書いてくださった、ぼくの詩集『The Wasteless Land.II』評

https://bookmeter.com/books/1599270

内島菫さんが書いてくださった、ぼくの詩集『The Wasteless Land.IV』評

https://bookmeter.com/reviews/71450425

内島菫さんが書いてくださった、ぼくの詩集『The Wasteless Land.V』評

https://bookmeter.com/reviews/76405448

内島菫さんが書いてくださった、ぼくの詩集『The Wasteless Land.VI』評

https://bookmeter.com/reviews/76379848

二〇一八年十一月十六日 「ものすごい忘却力」

きのうは、イギリスSF傑作選『アザー・エデン』に収録されている、2篇、M・ジョン・ハリスンの「ささやかな遺産」と、イアン・ワトスンの「アミールの時計」を読んで眠った。いま、両方とも、読んだ記憶が吹っ飛んでいる。内容がまったく思い出せない。ちょっと読み直そうかな。ものすごい忘却力。

二〇一八年十一月十七日 「天使の羽根に重さはあるのか?」

天使の羽根に重さはあるのか?

二〇一八年十一月十八日 「冷たい方程式」

きのうは、寝るまえに、イギリスSF傑作選『アザー・エデン』に収録されている、ブライアン・オールディスの「キャベツの代価」を読んで寝た。時間SFによくあるウラシマ効果を扱った作品で、近親相姦を採り上げたもの。わかりやすかった。イギリス人作家らしい、書き込みの濃い叙述のSF小説だった。

東寺のブックオフで、SFマガジン・ベスト1『冷たい方程式』を108円で買ってきた。持ってるものより、状態がいい可能性があったからである。帰ってきて、本棚から『冷たい方程式』を出すと、もともと持ってるもののほうがきれいだった。108円、損しちゃった。ほかの本でも買えばよかったのにね。

あたらしく編集し直されたSFマガジン・ベスト1『冷たい方程式』には、キャサリン・マクレインの「接触汚染」が入っていないのだが、これは冒頭におかれるほどの傑作だった。

日知庵からの帰り道、丸善で、ハヤカワSF文庫の『冷たい方程式』を買った。これは、昼に、ブックオフで買った『冷たい方程式』と異なる、新編集版のSFアンソロジーであり、かぶっているのは2作だけで、7作が新訳だそうである。きょうから、新編の『冷たい方程式』から読んでいこうと思う。

二〇一八年十一月十九日 「冷たい方程式」

イギリスSFのアンソロジー『アザー・エデン』の重苦しい描写からうってかわって、ロバート・シェクリイの「徘徊許可証」が冒頭に収められている新版のSFアンソロジー『冷たい方程式』を読むと、なんとのどかな雰囲気なのだと呟かずにはいられない。イギリス人作家の重苦しい描写も好きなんだけどね。

いま、アシモフの「信念」を読み終わったところだ。冒頭のシェクリイの「徘徊許可証」とアシモフのまえに置かれた、ウォルター・テヴィスの「ふるさと遠く」と、ジョン・クリストファーを除くとアメリカ人作家だったことに気がついた。読みやすかった。アシモフとテヴィスは再読か再々読の短篇だった。

『アザー・エデン』は、ひじょうによい短篇集だったが、叙述も内容も重苦しかった。イギリス人作家は大好きだけど、読むと、ときどき、へとへとになる。アメリカ人のSFは読みやすい。まあ、だいたいのところで、例外はあるけれど。

二〇一八年十一月二十日 「じっさいは、もうゼロなのに。」

じっさいは、もうゼロなのに。

二〇一八年十一月二十一日 「考察」

それはよくあることだった。外部の刺激、この場合は音だったのだが、それが原因で目が覚めるのだが、夢のなかで、その音が出てきて覚めるのだった。ホテルのなかで、「パイナップル」と連呼しながら太った男が二階から一顔に階段を下りてきたのだが、現実世界でうえの階のひとが「パイナップル」と連呼するCDをかけていたのであった。このことを記憶しておこうとして、ぼくはふたたび眠り、ホテルの4階の自分が泊まっている部屋に行くイメージを頭に描いて横になって、ふたたび夢のなかに没入し、部屋においてあるパソコンをあけて、スイッチを入れたのだった。とそこでふたたび目が覚めてしまったのだった。

二〇一八年十一月二十二日 「詩論」

 言葉の断片を眺めていると、つぎつぎとイメージが想起され、そのイメージが、さらなる複合的なイメージを想起させていくのである。それは、さながら、言葉自ら、思考を形成し、順序を整えて並びはじめたかのように。

二〇一八年十一月二十三日 「詩論」

 一つ一つの言葉は、だれもがふだん使う言葉なのだが、それらが詩人によって選び出され、並べられ、刈り込まれ、またふたたび手直しされて書き付けられると、それらの言葉が詩人個人の体験を超えたものになることがある。それまで考え出されたこともないようなものが考え出されたとき、その作品は、詩人にとって、真の作品になっているのである。

二〇一八年十一月二十四日 「ミンちゃん」

ミンちゃんが、SF小説にはまりだしたようだ。この間、ブックオフで買ってダブってしまった、SFマガジン・ベスト1の『冷たい方程式』をプレゼントしよう。

二〇一八年十一月二十五日 「箴言」」

真の暗闇はけっして見ることができない。

二〇一八年十一月二十六日 「実感」

パンを食べている映像を見て、おなかも空いていたので、セブイレに行って、パンを買ってきて食べた。ひとが食べていると、自分も食べたくなるのは、どうしてだろう?

二〇一八年十一月二十七日 「断片」

 ぼくは、生まれつき、おそらくは生まれつき、他人がどう感じ、どう考えているのか、その他人が使う言葉と表情を前にしながら、その言葉の順番を入れ換えたり、そのときのその人の表情に、違った日のその人の表情を補ったりして、推測するような人間だった。だから、自分の気持ちよりもずっと容易に他人の気持ちを推測することができたのであった。これが、異星人の通訳に、ぼくが選ばれた理由だ。

二〇一八年十一月二十八日 「ウォルター・テヴィス」

新編のSF短篇アンソロジー『冷たい方程式』を読み終わった。わかりやすい作品ばかりだった。いちばん好きなのは、ウォルター・テヴィスの「ふるさと遠く」だった。アイデアもすばらしいし、叙述もすばらしい。「ふるさと遠く」は、そのタイトルのテヴィスの短篇集ももっていて、既読ではあったのだが。

二〇一八年十一月二十九日 「キャサリン・マクレイン」

旧版のアンソロジー『冷たい方程式』(ハヤカワSF文庫)を読みながら寝よう。冒頭に収められた、キャサリン・マクレインの「接触汚染」は、ほんとに傑作だと思う。新編には収められていないのだが、版権の関係だと思うんだけど、新版に収録されていないのは、ほんとに惜しい。おやすみ、グッジョブ!

二〇一八年十一月三十日 「詩論」

 詩人は、自分の書いたメモをつぎつぎと取り出しては読んでいった。必ずしも取り出された順番ではないのだが、それらのメモにある言葉のうち、いくつものものが言葉同士、つぎつぎと結びついていった。まるで、そういった言葉自体が意識を持って、最初からその順番で結びつけられることを知っていて、詩人の目を通り、詩人の無意識層に働きかけ、詩人の関心をひき、詩人のこころにイメージを結びつかせたかのように思われたのであった。

二〇一八年十一月三十一日 「断片」

 ぼくは、彼を憎んでいた。彼がけっして、ぼくのものにならないことを知っていたからである。もちろん、ぼくのものになるとしても、それは、ぼくがつくりだした彼のイメージというものであり、そこには、もしかしたら、彼自体がつくりだした彼のイメージの一部分が含まれているかもしれないのだけれど、しかし、彼のイメージというものは、その大部分は、おそらく、ぼくがつくりだしたものであり、そのイメージが、彼本来の真の姿とは似ても似つかぬものであるということをも、ぼくにはわかっていたのである。数多くの欲情の記憶があるが、どの欲情の記憶も数え上げるのがそれほど困難ではない数の記憶に収束される。それに加えられるのは、直近のものを除けば、ごくわずかなものだ。

文学極道

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