二〇一七年九月一日 「陽の埋葬」
文学極道の詩投稿掲示板に、作品「陽の埋葬」を投稿しました。よろしければ、ごらんください。
二〇一七年九月二日 「2010年11月19日のメモ 」
無意識層の記憶たちが
肉体のそこここのすきまに姿を消していくと
空っぽの肉体に
外界の時間と場所が接触し
肉体の目をさまさせる。
目があいた瞬間に
世界が肉体のなかに流れ込んでくる。
肉体は世界でいっぱいになってから
ようやく、わたしや、あなたになる。
けさ、わたしの肉体に流れ込んできた世界は
少々、混乱していたようだった。
病院に予約の電話を入れたのだが
曜日が違っていたのだった。
きょうは金曜日ではなくて
休診日の木曜日だったのだ。
金曜日だと思い込んでいたのだった。
それとも、わたしのなかに流れ込んできた世界は
あなたに流れ込むはずだったものであったのだろうか。
それとも、理屈から言えば、地球の裏側にいるひと、
曜日の異なる国にいるひとのところに流れ込むはずだった世界だったのだろうか。
二〇一七年九月三日 「いつもの梯子」
いま、日知庵→きみや→日知庵の梯子から帰った。クスリのんで寝る。おやすみ、グッジョブ!
二〇一七年九月四日 「陽の埋葬」
文学極道の詩投稿掲示板に、作品「陽の埋葬」を投稿しました。よろしければ、ごらんください。
二〇一七年九月五日 「かつて人間だったウーピー・ウーパー」
マイミクのえいちゃんの日記に
帰ってまた
ってタイトルで
食べてしまったサラダとご飯と豚汁と ヨモギ団子1本あかんな〜 ついつい食べてまうわ でも 幸せやで皆もたまにはガッツリ食べようね 帰りに考えてた ウーパールーパーに似てるって昔いわれた 可愛いさわ認めるけど 見た目は認めないもんね でも こないだテレビでウーパーを食べてたなんか複雑やったなやっぱり認めるかな 俺似てないよねどう思いますか? 素直によろしくお願いします
って、あったから
似てないよ。
目元がくっきりしてるだけやん。
って書いたんだけど、あとで気がついて
ウーピー・ゴールドバーグと間違えてた。
動物のほうか。
かわいらしさが共通してるかな。
共通してると似てるは違うよ。
って書き足したんだけど、そしたら、えいちゃんから返事があって
間違えないで ウーピー食べれないでしょ 間違うのあっちゃんらしいね
目はウーピー・ゴールドバーグに似てるんや これまた 複雑やわ ありがとう
って。なんか、めっちゃおもしろかったから、ここにコピペした。
えいちゃん、ごめりんこ。
あ
ちなみに、えいちゃんの日記やコメントにある絵文字は、コピペできんかった。
どういうわけで?
わからん。
なぜだ?
なぜかしらねえ。
「みんなの病気が治したくて」 by ナウシカ
二〇一七年九月六日 「捨てなさい。」
というタイトルで、寝るまえに
なにか書こうと思った。
これから横になりながら
ルーズリーフ作業を。
なにをしとったんじゃ、おまえは!
って感じ。
だらしないなあ、ぼくは。
だって、おもしろいこと、蟻すぎなんだもの。
追記 2010年11月20日11時02〜14分
なにも思いつかなかったので、俳句もどきのもの、即席で書いた。
捨ててもまた買っちゃったりする古本かな
なにもかもありすぎる捨てるものなしの国
あのひとはトイレで音だけ捨てる癖がある
目がかゆい目がかゆいこれは人を捨てた罰
捨て台詞誰も拾う者なし拾う者なし者なし
右の手が悪いことをすれば右の手を捨てよ
二〇一七年九月七日 「進野くん」
いま日知庵から帰ってきた。日知庵では、進野くんと1年ぶりに出あって、笑い合った。
二〇一七年九月八日 「ノイローゼ占い。」
ノイローゼにかかっている人だけで
ノイローゼの原因になっていることがらを
お互いに言い当て合うゲームのこと。
気合いが入ったノイローゼの持ち主が言い当てることが多い。
なぜかしら?
で、言い当てた人から抜けていくというもの。
じっさい、最初に言い当てた人は
次の回から参加できないことが多い。
兵隊さんと団栗さん。
二〇一七年九月九日 「若干の小さなメモ。」
2010年11月12日のメモ
読む人間が違えば、本の意味も異なったものになる。
2010年11月12日のメモ
首尾一貫した意見を持つというのは、一見、りっぱなことのように見えるが
個々の状況に即して考えていないということの証左でもある。
2010年11月12日のメモ
書くという行為は、ひじょうに女々しい。
いや、これは現代においては、雄々しいと書く方がいいかもしれない。
意味の逆転が起こっている。
男のほうが潔くないのだ。
美輪明弘の言葉が思い出される。
「わたしはいまだかつて
強い男と弱い女に出会ったことがありません。」
しかり、しかり、しかり。
ぼくも、そう思う。
あ、フローベールの紋切型辞典って
おもしろいよ。
用語の下に
「よくわからない。」
って、たくさんあるの。
読者を楽しませてくれるよね。
ぼくも
「ここのところ、忘れちゃった〜、ごめんなさい。」
って、何度も書いたけど、笑。
二〇一七年九月十日 「繰り返しの梯子」
いま、日知庵→きみや→日知庵の梯子から帰った。あしたは、大谷良太くんと、喫茶店で待ち合わせをしている。神経科に午前中に行く予定だ。
二〇一七年九月十一日 「チゲ鍋」
大谷良太くんちで、チゲ鍋をご馳走になって帰ってきた。とてもおいしかった。ありがとね。
あしたは雨らしい。洗濯いまやってるの部屋干しだな。きょうは、なにを読んで眠ろうか。文春文庫の『ミステリーゾーン』のシリーズ全4作はすべて傑作で、なにを読んでもおもしろかった記憶がある。それとも、ひさしぶりにジュディス・メリル女史の年間ベストSFにしようかな。
二〇一七年九月十二日 「おじいちゃんの秘密。」
たいてい、ゾウを着る。
ときどき、サルを着る。
ときには、キリンを着る。
おじいちゃんの仕事は
動物園だ。
だれにも言っちゃダメだよって言ってた。
たま〜に、空を着て鳥を飛んだり
あ
鳥を着て空を飛んだりすることもある
って言ってた。
動物園の仕事って
たいへんだけど
楽しいよ
って言ってた。
でも、だれにも言っちゃダメだよって言ってた。
言ったらダメだよって言われたら
よけいに言いたくなるのにね。
きのう、ぶよぶよした白いものが
おじいちゃんを着るところを見てしまった。
博物館にいるミイラみたいだったおじいちゃんが
とつぜん、いつものおじいちゃんになってた。
おじいちゃんと目が合った。
どれぐらいのあいだ見つめ合ってたのか
わからないけれど
おじいちゃんは
杖を着たぼくを手に握ると
部屋を出た。
二〇一七年九月十三日 「ひまわり。」
ひまわりの花がいたよ。
ブンブン、ブンブン
飛び回っていたよ。
黄色い、黄色い
ひまわりの花がいたよ。
お部屋のなかで
ブンブン、ブンブン
飛び回っていたよ。
たくさん、たくさん
飛び回っていたよ。
あははは。
あははは。
ブンブン、ブンブン
飛び回っていたよ。
たくさん、たくさん
飛び回っていたよ。
あははは。
あははは。
二〇一七年九月十四日 「ひさびさに友だちんちに。」
むかし恋人として付き合ってた友だちんちに行くことに。
この友だちもノイローゼ気味で
頭がおかしいのだけれど
まあ、ぼくもおかしいから
べつに、どうってことなくて
彼が住んでいるマンションの8階の部屋から見える学校のグラウンドは
ちょうどスポッと魂が吸い込まれそうになるロケーションで
彼の机のうえに散らばった写真のコラージュが
きょうも見れるかと思うと
たいへんうれしい。
詩集、まだプレゼントしてなかったので
持って行こう。
これからお風呂に。
「フライパンは手を使うよ。」 by 今野浩喜(キングオブコメディ)
二〇一七年九月十五日 「へんな趣味。」
むかし付き合ったことのある子が
すっごいへんな趣味をもつようになって
きょうは、びっくらこいた。
ああ、純情な青年だったのにな〜
って感じ。
そんなことで萌えなわけ?
ええ!
ってことがあって。
写真ね〜。
で
露出ね〜。
は〜
もう、ぜんぜん純情じゃないじゃん!
まあ、いいか。
なにを、いまさら、ね〜。
でも、ひさしぶりやから、興奮したって
きみね〜
って感じやった。
きょうは、ビールの飲み過ぎで
クスリ、どうかな。
効くかな。
*
露出といっても
犯罪にはならない程度だから、安心して、笑。
だれもこない、だれもいない、プライベートなところでだから。
しかし、自分の写真見て興奮するのって
ぼくには、わからんわ〜。
趣味がもっと昂じてきたら
ぼくは知らん顔するつもりやけど
ほんと、むかしは純朴な感じの好青年そのものやったのにね。
いまも見かけは純朴な感じで、ぼくの目から見ても
めっちゃもてる感じやのに。
なにが人を孤独にするんやろうか。
孤独でなければ、へんな趣味に走らないと思うんやけど。
二〇一七年九月十六日 「大きな熊のぬいぐるみ。」
P・D・ジェイムズって
クマのプーさんが好きなのかな。
彼女の作品を読んでいると
かならずといっていいほど大きな熊のぬいぐるみが出てくる。
いま、引用だけの長篇詩のためのメモも同時にとっているのだけれど
ジェイムズの本からは、いくつも
「大きな熊のぬいぐるみ」のところをとっている。
ジェイムズの小説は密度が高いから読むのが時間かかるけれど
時間をかけたぶん、得るところはあって
ぼくがまだ知らなかったレトリックや表現を学ぶことができるのだった。
やっぱり、ぼくは勉強が好きなのだなあと思った。
『わが職業は死』読了。
憎しみよりも愛が破壊的であるとは
ぼくは思いもしなかったので
自分の経験をいくつか振り返って考えてみた。
たしかに、そうだったかもしれない。
こわいことだなあ。
二〇一七年九月十七日 「Amazonで、パウンドの『詩学入門』を買った。
」
2400円+送料250円。
こんな状態の説明があった。
昭和54年初版。経年のヤケ全体濃いです。書き込みなし。そこそこしっかりした新書ですが、やけてます。
ヤケがこわいけれど、まあ、いいかな。一度読んでるので、また全ページ、コピーを取ってるので、ただ、「持ってる」という感覚だけが欲しかったのかも。
これもまた、ジェイムズが書いていた
「愛が破壊的である」ことの一つの証左かもしれない。
コレクションは、余裕のある人がするべきもので
ぼくのような貧乏人が、コレクションしたがるのは
まあ、いろんな作家や詩人のものを集める癖があるのだけれど
身分不相応なことだと思う。
死ぬまで治らないとも思うけれど。
二〇一七年九月十八日 「きょうは、テスト問題つくりに半日を費やす予定。夕方からは塾。あとヤフオク、10冊ほど。」
ヤフオクで入手したい本が10冊ほど。
グラシアンの賢人の智恵、もうほとんど読んだ。
まあ、処世術指南の書ね。
実行できたら、そこそこの地位に行けるってことだろうけど
芸術家は、ひとりで、自分の方法で
自分が行くべき道を歩むべきものだと思うから
他人には無駄に思えるような道草も道草じゃないんだよね。
失敗が失敗じゃないというか。
へたくそな生き方をこそして芸術家だと思うのだけれど
詩人もしかりでね。
生きてるうちに成功してる詩人たちの胡散臭いこと。
外国の詩人に、その胡散臭さがないのは
自分の身を危険にさらしながら生きているからだと思う。
日本の詩人で
「自分の(経済・政治)生活の危険を顧みずに詩を書いてる」ひとって
いるのかしら?
ウラタロウさんのコメント
成功したいなあ。(おそらく一般社会的な成功のことだとおもう。)
そこそこに。
成功しすぎると大変そうだし。(というのは成功なのかわからないけれど。)
成功のほうはとりあえず、暮らしていければいいやと思うけれど、危険は避けたい。
本能に刻まれているんじゃないかというほど避けたい。
成功しなくてもいいですよ、というひとは、きっと一般社会的な成功ではないけれど自分にとっての成功があるのだろうな、と思う。それがどんなことで、それが当人のなかでどのように認識されていて、当人の精神にどのように作用しているのかわからないけれど。
危険は避けたい。大きな成功がまっていても危険は避けたい。危険を顧みないひとは、自分の理想とする成功のためなら危険を冒せるのだろうか。それとも危険を冒しても成功する、もしくはそれなりにでも自身は安泰であるという自信があるのだろうか、と思う。
わたしには怖すぎる。
そもそも、そこまで考えがとどかないのだけれど。
もしかすると、他の人も、そこまで考えがとどかなくて、ごく一般的な成功と安泰を目指すのかな。
ぼくの返事
詩人ならば
安泰とかいったものから遠いところにいないといけないような気がします。
ぼくは、です。
他の書き手に、それを期待してはいません。
まったく期待していないといったほうがいいでしょう。
ぼくの偏見ですが。
もうじき50歳になりますが
独身で
貯蓄がゼロに近く
いつ仕事を失うかもしれない
貧乏な
ゲイだとカムアウトしてる
脅迫神経症で
母親と弟が精神病者で
母親が被差別部落出身者で
父親から愛されたことのない詩人。
けっこう、いいでしょ? 笑。
二〇一七年九月十九日 「夢」
夢を見た。ぼくは仏教の修行僧になり立てで、仏の実になにが書いてあるか高僧に訊かれて答えられなかった。夢のなかで、それは「ジオン」であると言われた。どんな字かまでは教えられなかった。そこで目が覚めたからである。実には文字など書かれていないが、その文字を解き明かすのが仏の弟子の役目であると言われた。
二〇一七年九月二十日 「グッジョブ!」
セブイレで、おでんを4つ買って食べて、お腹いっぱい。クスリのんで寝る。おやすみ、グッジョブ!
ノーナの『二十歳の夏』を聴きながらクスリをのむ。二度目のおやすみ、グッジョブ!
二〇一七年九月二十一日 「SFの黄金期」
きょうも、短篇SFをひとつ読んで寝よう。年代別からかな。1950年代か1960年代かな。SFの黄金期やね。おやすみ、グッジョブ!
歯が痛み
湯にはつからぬ
午前かな
セブイレで、おでんを4つ買って帰った。きょうは食べ過ぎかな。
二〇一七年九月二十二日 「蝶を見なくなった。」
それは季節ではない。
季節ならば
あらゆる季節が
ぼくのなかにあるのだから。
それは道ではない。
道ならば
あらゆる道が
ぼくのなかにあるのだから。
それは出合いではない。
出合いならば
あらゆる出合いが
ぼくのなかにあるのだから。
二〇一七年九月二十三日 「夢」
日知庵の帰りに、セブイレで、どん兵衛・天ぷらそば・大盛りを買って食べた。きのう読んだ短篇SFが、途中で寝てしまったから、きょうは、そのつづきを読んで寝ようと思う。夢を一日に、4つか5つ見るようになった。このごろ、だんだん夢と現実の区別がつかなくなりつつある。まだだいじょうぶだけど。
二〇一七年九月二十四日 「おでん」
帰りに、セブイレで、おでん5個買って帰って食べたぼくは化け物だろうか。
二〇一七年九月二十五日 「池ちゃん」
池ちゃん、まだフォロー許可待ちだからね。
二〇一七年九月二十六日 「詩集」
ここ1週間か2週間のあいだに、読み切れないほどの詩集が届く。ありがたいことだと思う。読んだ順に(着いた順に)感想を書いていきたい。きょうは、もう寝るけど。
いま日知庵から帰ってきた。帰りの車内、暖房やった。びっくり。行きしなは冷房やったのに。
二〇一七年九月二十七日 「もうひとつ夢を見た。」
残したくない過去ばかりが残る。
永遠に赤は来い!
もうひとつ夢を見た。修道院での少年たちの話だ。「彼女たちは、どうしてぼくたちのことをきれいだと言うのだろう?」とひとりの少年がつぶやくように訊くのだった。
そして、ワンはフレッドを撃つと
トムを撃って
ジョンを撃って
スウェンを撃って
腰かけて泣きはじめた。
ぼくの見た夢の中の1冊200数十万円もする木彫りの翻訳本の一節。
223万円だと店員が言ったので、本をもとの場所にそっと置いたことを憶えている。
いや、違う。ぼくが裏に書かれた定価を見たのだった。店員は、ぼくが戻した本の位置を正確に戻そうとしただけだったのだ。
二〇一七年九月二十八日 「H・G・ウェルズ」
阪急電車で、いま帰ってきたのだが、送風だけで、とくに冷房も暖房もかかっていなかった。午後10時まえに乗ったときには、蒸し暑かったためにか、冷房がかかっていた。きのう、日知庵からの帰りは暖房だったのにね。気が利いているというのか、切り替えが速い。それはとてもよいことだと思う。
きのうは、H・G・ウェルズの『タイムマシン』の後半を読んで眠った。きょうも、ウェルズの短篇を読んで寝よう。『盗まれた細菌』というタイトル。読んだはずだが、まったく記憶にない。部屋にある本のうち、ぼくの記憶にあるのは、ほんの少しだけなのかな。ほとんど読んだ本たちなのにね。
近いうちに、ラテンアメリカ文学を読み直したい。おやすみ、グッジョブ!
二〇一七年九月二十九日 「けさ見た夢のなかで渡されたカードに書かれた言葉」
京都市役所
花のなかに手紙を入れておきました。
まどかめぐみ
野獣科
二〇一七年九月三十日 「出来事。」
同じ時間の同じ場所の同じ出来事。
同じ時間の同じ場所の異なる出来事。
同じ時間の異なる場所の同じ出来事。
同じ時間の異なる場所の異なる出来事。
異なる時間の同じ場所の同じ出来事。
異なる時間の同じ場所の異なる出来事。
異なる時間の異なる場所の同じ出来事。
異なる時間の異なる場所の異なる出来事。
二〇一七年九月三十一日 「フー?」
いままで出会ったひとのなかで、いちばん深い付き合いをしたひとは、だれ?
最新情報
選出作品
作品 - 20200106_694_11664p
- [優] 詩の日めくり 二〇一七年九月一日─三十一日 - 田中宏輔 (2020-01)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
詩の日めくり 二〇一七年九月一日─三十一日
田中宏輔