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作品 - 20190422_727_11181p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


屈折率

  霜田明

   I 

   悔恨のようなものが僕の心をくじく
              (『九月の風』黒田三郎)

   II


 悔恨のようなものが
 僕の心を訪れたとき
 僕は浴槽のなかで
 水という存在の
 不思議さについて考えていた

 友部正人の歌に

   両手ですくった川の水
   油のように燃えてるよ
              (『奇跡の果実』友部正人)

 という詞がある
 油のようにと言うけれど、
 水は油より火に近い
 水は燃えていないときにも
 燃えているようにみえる

   とおいむかし
   白々しいウソをついたことがある
   愛するひとに
   とおいむかし
              (『苦業』黒田三郎)

   III

 人生には
 死にどきというものがある
 ヒトラーを思い浮かべてもいいし
 ディオゲネスを思い浮かべてもいい
 もちろんゴッホを思い浮かべてもいい

 ゴッホの死に方は異端だった
 その異端さにこそ自殺というものがあった
 夕方、ひとり丘から帰ってきたゴッホは
 腹に銃創を負ったまま丸一日生き延びた

 既に自殺を済ませて
 ベッドの上でパイプをくゆらせながら
 「このまま死ねたらいいのだが」
 と、駆けつけた弟に語ったという

   IV

 とおい昔から思っていた
 どうしてこれほど価値ある日常が
 惜しみなく捨てられていくのだろうと
 僕がベッドに寝転んでいれば
 寝転んでいる姿には価値があった
 誰かがベンチで休んでいれば
 休んでいる姿には価値があった
 この世はあまりに豊かに時間を捨てていた

   V

 死を受け入れるということが
 小さな子供のように やってきて
 寝転んでいる僕の顔を
 覗き込んだとき

 小さな子供に見られるように
 僕はだれかに告げられた
 死を受け入れるなら、いつか必ず
 生を受け入れないとならないよ

   ゴッホは
   ベッドの上でパイプをくゆらせながら

 そのとき僕は 脱力した
 豊かな現在がいとも容易く
 捨てられていくことの意味が
 強く 解かれたから

   VI

   ぬくい 丘で
   かへるがなくのを きいてる
   いくらかんがへても
   かなしいことがない
              (『丘』八木重吉)

   VII

 悔恨のようなものが
 僕の心を訪れたとき
 僕は浴槽のなかで
 水という存在の
 不思議さについて考えていた

文学極道

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