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作品 - 20190307_143_11108p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


開拓村

  山人

 父は二十代前半にO地に入植。
三十三年に私が生まれ、開拓村で生まれたので隣人が拓也と名ずけたと聞く。
妹は五年後、自宅で産婆のもと生まれたのを記憶している。
 あまり幼いころは記憶に無いが、四歳くらいの頃私はマムシに噛まれたようだ。体が浮腫んでいる中、母の背中で祭りに連れて行ってもらった記憶がある。その後、その毒が原因なのかどうかわからないが半年の入院となった。病院は薄暗く、ただただ広く、いつまでも悪夢の中に出てきた負のイメージである。
 小学校は開拓村から四キロ下方にあり、朝六時半に開拓村の子供たち数人で出発し一時間掛けて歩いて通った。
文字通り、子供らばかりの通学は道草を食いながらであり、春にはスカンポ・ツツジの花・ウラジロウヨウラクの花弁などを食した。
当然帰りも歩くわけで、少しでも歩きの負担を減らそうと砕石工場のダンプカーの後ろを追いかけ、つかまって飛び乗ったりした。当時はすべて砂利道で急坂が多く、走るとダンプに乗れた。
 初夏には、おいしい果実が豊富だった。クワイチゴが一番糖度があったが、紫色の果汁で衣服を汚し、母に怒られていた。クワイチゴ>クマイチゴ>ナワシロイチゴ>イワナシと糖度が落ち、代わりに酸味が増した。
 今では考えられないが、昔は土木工事も盛んに行われ、女性も働き背中に大きな石を背負い働いたものである。安全管理もずさんで、土木工事のみならず林業の伐採でも多くの人が事故死したり重傷をうけた人もいたのである。
ひとりで帰り道を歩いていると、突然河原から発破が鳴り響き、私の周辺にリンゴ大の岩石がバラバラと降ってきたことがあった。運良く当たることがなかったからこうして生きている。
 冬はきちがいのように雪が降り、五〜六メートルはあたりまえに降った。そして今より寒かった。十二月初旬からすでに根雪となるため、私たち開拓部落の子供五人は小学校の近くの幼稚園と集会所と僻地診療所が兼用されている施設の二部屋を寮として提供されていた。そこに私達O地区とG地区の子供たちがそれぞれ一部屋づつに別れ入寮していた。
 クリスマスごろになると学校の先生がささやかなケーキなどを持ってきてくれた。初めてシュークリームを食べた時、こんなに美味いものがこの世にあったんだと思った。
 夜中の尿意が嫌だった。トイレは一階にあり、昔墓だったとされたところで、下はコンクリの冷ややかな場所だった。薄暗い白熱電球をそそくさと点け、パンツに残った尿を気にもせずダッシュで二階に駆け上がった。
 土曜の午後になると開拓村の父たちが迎えに来る。父達の踏み跡は広く、カンジキの無い私たちはそこを踏み抜くと深い深雪に潜ってしまう。長靴の中には幾度となく雪が入り、泣きながら家にたどり着いたのである。
たらいに湯を入れたものを母が準備し、そこに足を入れるのだが軽い凍傷で足が痛んだ。痛みが引くと父の獲ってきた兎汁を食らう。特によく煮込んだ頭部は美味で、頬肉や歯茎の肉、最後に食べるのが脳みそであった。
一週間に一度だけ、家族で過ごし、日曜日の午後には再び寮に戻った。天気が悪くなければ子供たちだけで雪道のトレースを辿り下山するのである。私たちが見えなくなるまで母は外に立っていた。
 
 開拓村は山地であり、孤立していたので子供の数は五人ほどだった。
父親がアル中で働けない家庭や、若くして一家の大黒柱が林業で大木の下敷きになった家庭もあった。
若かりし頃、夢を追い、頓挫し、まだその魂に熱を取り去ることもできなかった大人たちの夢の滓。それが私たちだった。
 初雪が降ると、飼っていた家畜があたりまえに殺された。豚の頭をハンマーでかち割り、昏倒させ、頭を鉞でもぐと血液が沸騰するように純白の雪の上にぶちまけられ、それを煮た。
寒い、凍るような雪の日に、山羊は断末魔の声を開拓村中響かせながら殺されていった。
傍若無人な荒ぶる父たちの悪魔のような所業、そして沸点を超え父たちは狂い水を飲んだ。

 良という三学年上の友達が居て、危険を栄養にするような子だった。橋の欄干わたり・砂防ダムの袖登り・急峻なゴルジュを登り八〇〇メートルの狭い水路トンネルを通ったこともあった。冬は屋根からバック中をしたりと、デンジャラスな少年期を過ごしていた。
私は良という不思議な年上の少年に常に魅せられていた。
良は父を林業で亡くし、おそらくであろう、生保を受けていた家庭だったのかもしれない。
母が初老の男と交わる様を、冷酷な目で冷笑していた時があった。
まるで良は、感情を失い、冷徹な機械のようでもあり、いつも機械油のようなにおいをばらまいていた。
良の目は美しかった。遠くというよりも魔界を見つめるような獅子の目をしていた。彼は野生から生まれた生き物ではないか、とさえ思った。
良は、いつもいなかった。良の母が投げつけるように「婆サん方へ行ったろヤ!」そういうと、私は山道を駆け抜けるように進み、しかし、やはり良はいなかった。
今現在、やはり良はこの世にはいない。それが当たり前すぎて笑えるほどの生き様ですらあった。


昭和四十七年にかつての開拓村はスキー場として生まれ変わった。
いくつかの経営者を経、一時は市営となり、今は再び得体のしれない民間業者が経営している。
寂れた、人影もまばらな山村奥のスキー場に、私は今日も従業員としてリフトの業務に出かける。
第二リフト乗り場付近に目をやると、杖を片手に持った父が、すでに物置と化した古い家屋に向かうところであった。


          
         ※


開拓村には鶏のおびただしい糞があった
すべての日々が敗戦の跡のように、打ちひしがれていた
父はただ力を鼓舞し、母は鬱積の言葉を濾過するでもなく
呪文のようにいたるところにぶちまけ
そこから芽吹いたアレチノギクは重々しく繁殖した
学校帰りの薄暗くなった杉林の鬱蒼と茂る首吊りの木の中を
ホトトギスがきちがいのように夜をけたたましく鳴き飛ぶ

オイルの臭いから生まれたリョウは
月の光に青白く頬をそめ薄ら笑いをしている
白く浮く肌、実母の肢体を蔑むでもなく冷たく笑う
リョウは婆サァん方へ行った・・・
いつもリョウは忽然と消え、ふいに冷淡な含み笑いをして現れる
頑なだったリョウ、そしてリョウは死んだ
夢と希望の排泄物がいたるところに散乱し
その鬱積を埋めるように男たちはただ刻んだ
そう、私たちは枯れた夢の子供

一夜の雨が多くの雪量を減らし、ムクドリが穏やかな春を舞う
空気は満たされ、新しい季節が来るのだと微動する
普通であること、それは日常の波がひとつひとつ静かにうねること
それに乗ってほしいと願う
血は切られなければならない
私達の滅びが、新しい血の道へ向けてのおくりものとなる

文学極道

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