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作品 - 20190107_859_10985p

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陽の埋葬

  田中宏輔

                           

 部屋に戻ると、原稿をしまって、インスタントのアイス・コーヒーをつくった。詩人にいわれた言葉を思い出した。自分では、小説を書いたつもりであったのだが、小説にすらなっていなかったということなのだろう。ほめられなかったことに、どこかで、ほっとしている自分がいる。
 半分くらい読んでいた詩集のつづきを読んだ。ヘッセの詩集だった。ヘッセの詩はわかりやすく、しかも、こころにとどく言葉がたくさんあった。先日買っておいた『デミアン』を手に取った。
 話し声がしたので、窓のほうに目をやった。カーテンをひいた窓の外は真っ暗だった。真夜中なのだった。窓を開けておいたので、ふつうの大きさの声でもよく聞こえてくる。暑かったのだが、クーラーをつけるほどではなく、窓を開けて風を取り入れてやれば十分にしのげるぐらいの暑さだった。時計を見ると、三時を過ぎていた。部屋に戻ってきたときには、すでに十二時を回っていた。栞代わりに絵葉書を本のあいだに挟むと、テーブルの上に置いて、窓のところにまでいって見下ろした。部屋は、北大路通りに面したビルの二階にあった。下で、二人の青年が話をしていた。しばらくすると、一人の青年がこちらを見上げた。目が合った。体格のよい童顔の青年だった。もう一人の青年のほうも顔を上げた。その顔が見える前に、ぼくは窓から離れていた。もう一人のほうの青年の顔は、ほとんどわからなかった。二人は話をやめた。二人とも自転車に乗っていた。自転車をとめて話をしていたのだった。二人は去っていった。何か予感がした。部屋から出て、階段を下りると、マンションの外に出た。通りをうかがった。すでに、二人の姿はなかった。マンションを下りてすぐのところがバス停になっていて、二人は、そのバス停にしつらえてあったベンチに足をかけて自転車にまたがりながら話をしていたのだった。しかし、そのバス停の明かりも、とっくに消えていて、明かりといえば、等間隔に並んでついている街灯と、北大路通りの西側にあるモスバーガーと、北大路通りと下鴨本通りの交差しているところにある牛丼の吉野家のものだけだった。しばらくすると、さっきぼくと目を合わせた青年が、北大路通りを東のほうから自転車に乗ってやってきた。そばにまでくると、ゆっくりと歩くぐらいの速度にスピードを落として、ぼくの目の前を通り過ぎていった。ちらっと目が合った。後ろ姿を見つめていると、彼が自転車をとめて振り返った。彼はハンドルを回してふたたび近づいてきた。ぼくのほうから声をかけた。「こんな真夜中に、何をしているのかな?」「ぶらぶらしてるだけ。」「夏休みだから?」「ずっと夏休みみたいなものだけど。」ぼくは、明かりのついている自分の部屋を見上げた。彼もつられて見上げた。「よかったら、話でもしに部屋にこないかい?」「いいですよ、どうせ、ひまだから。」
 名前を訊くと、林 六郎だという。部屋に上がると、二人分のアイス・コーヒーをつくった。年齢を聞くと、十六だというので驚いた。体格がよかったので、大学生くらいに思っていたのだ。音楽が好きだという。音楽の話をした。彼はハーモニカの音が好きだといった。窓を閉めて、エアコンのスイッチを入れると、スーパー・トランプの『ブレックファスト・イン・アメリカ』をかけた。
 そのまま二人は眠らなかった。朝になって、彼は帰っていった。何もなかった。
 二日後、彼が部屋にきた。それは夕方のことであった。ぼくが仕事から帰ってきて、すぐだった。テーブルを挟んで向かい合わせに坐った。彼は、しきりに自分の股間をもんでいた。ぼくの視線は、どうしても彼の股間にいってしまった。彼はそのことに気づいていたのだと思う。彼の股間は、はっきりと勃起したペニスのかたちを示していた。泊まっていくかい? と、ぼくがたずねると、彼は笑顔でうなずいた。
 夜になって、彼はソファに、ぼくは布団の上に寝た。横になってしばらくすると、ソファに寝そべる彼のそばにいった。彼は眠っていたのかもしれなかったし、眠っていなかったのかもしれなかった。どちらかわからなかったのだが、タオルケットの下から手をもぐりこませて彼の股間にそっと触れた。彼は、ジーンズをはいたまま眠っていた。ぼくが、ぼくのパジャマを貸すといっても、遠慮して、ジーンズをはいたまま眠るといっていたのだった。彼の股間が膨れてきて、彼のペニスが硬くなっていった。ぼくの期待も急速に高まっていった。心臓がドキドキした。ジーンズのジッパーを下ろしていった。半分くらい下ろしたところで、彼は目を開けて、身体を起こした。「すいません、帰って寝ます。」「ああ、そうするかい。」ぼくは、あわててこういった。
 それから、彼は二度とぼくの部屋にこなかった。外でも出会わなかった。彼が、ぼくに何を期待していたのか、ぼくにはわからない。ぼくが彼に期待したものと、彼がぼくに期待したものとが違っていたということだろうか。それとも、ただぼくが性急だったので、彼の警戒心を急速に呼び起こしてしまったということなのだろうか。こんなふうにして、状況をぶち壊しにしてしまうことが、ぼくには、たびたびあった。幼いときから、ずっと、である。ぼくの人生は、そういった断片からできているといってもよいぐらいだ。
 詩人が、ぼくの話を聞いて、それを詩にしているということが、これまでずっと不思議に思っていたのだが、ヘッセの詩集や小説の解説を読んでいて、ようやくわかるような気がした。詩人が、ぼくの話を聞いて詩にしていたのは、おそらく、ぼくがぼく自身の人生をうまく生きていくことができない人間だからなのであろう。
 あるとき、詩人にたずねたことがある。あなたには、語るべき人生がないのですか、と。詩人は即座に答えた。「自分のことだと、何をどう書けばいいのか、とたんにわからなくなるのだよ。しかし、他人のことだと、わかる。何をどう書けばいいのか、たちまちわかってしまうのだよ。」と。
 きょう、「ユリイカ」という雑誌を買った。ぼくの名前で出した投稿詩が載っていたからである。詩人が、ぼくの名前で出すようにいったのだった。それは、ぼくが詩人に話したぼくの学生時代の経験を、詩人が詩にしたものだった。「高野川」というタイトルの詩だった。

文学極道

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