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作品 - 20181201_928_10923p

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陽の埋葬

  田中宏輔



 蜜蜂は、わたしの手の甲を突き刺した。わたしは指先で、その蜜蜂をつまみ上げた。毒針ごと蜜蜂の内臓が、手の甲のうえで、のたくりまわっている。やがて、煙をあげて、その毒針と内臓が、わたしの手の甲から、わたしのなかに侵入していった。黒人の青年がその様子をまじまじと見つめていた。「それですか?」「そうだ。おまえの連れてきた娘は、覚悟ができているのか?」白人の娘がうなずいた。まだ二十歳くらいだろう。「エクトプラズムの侵入には苦痛が伴う。そのうえ、ほとんど全身を変化させるとすると、そうとうの苦痛じゃ。あまりの苦痛に死ぬかもしれん。それでもよいのじゃな。」「ええ、覚悟はできています。」女はそう言うと、黒人青年の手を強く握った。「では、さっそく施術にとりかかろう。」わたしは二人を施術室に案内した。「夏じゃった。わしは祖父の手に引かれて、屋敷の裏にある畑にまで行ったのじゃ。祖父が、隅に置かれた蜂の巣を指差した。すると、どうじゃろう。まるで蜜が沸騰しているかのように、黄金色の蜂蜜が吹きこぼれておったのじゃ。」老術師は左手の甲を顔のまえに差し上げた。「蜜蜂というものはな。同じ花の蜜しか集めてこんのじゃ。一度味わった花の蜜だけを、その短い一生のあいだに集めるのじゃ。祖父は、わしと同じくらいの齢の童子をさらってきたのじゃな。蜂の巣のそばの樹の根元に幼児が横たわっておったのじゃ。わしの畑の蜜蜂たちは、生きている人間から蜜を集めておったのじゃ。エクトプラズムという蜜を。わしの畑の蜜蜂たちは、人間の命という花から、魂にもひとしいエクトプラズムという蜜を集めておったのじゃ。」老術師の左手の甲を蜜蜂が刺した。老術師は痛みに顔をゆがめた。「苦痛が、わしを神と合一させるのじゃ。」老術師の左手の甲に、蜜蜂の姿がずぶずぶと沈んでいった。「詩人ならば、苦痛こそ神であると言ったであろうな。」老術師が奥の部屋の扉を開けると、蜜蜂たちのぶんぶんとうなる羽音がひときわ大きくなった。「あやつの信奉しておるあの切腹大臣の三島由紀夫は、日本の魂を売りおったのじゃ、おぬしら外国人にな。」老術師はその皺だらけの醜い顔をさらにゆがめて皮肉な笑みを浮かべた。「そして、おぬしら外国人によって名誉を汚されるというわけじゃ。」黒人青年は握っていた手に力を入れた。白人女性も同じくらいの強さでその手を握り返した。「もはやアメリカは、日本の属国ではないのだ。たとえ先の大戦で、アメリカが日本に負けたといっても、それは半世紀以上もまえのこと。とっくに、アメリカは、日本から独立しているべきだったのだ。」老術師は声を出して笑った。「いやいや、そんなことは、どうでもよい。わしはあの三島由紀夫と、あの詩人の一族が名誉を失うところが見たいのじゃ。ただ、それだけじゃ。」老術師が、蜜蜂の巣のほうに、その細い腕を上げると、蜜蜂たちが螺旋を描きながら巣のなかから舞い出てきた。白人女性が叫び声を上げようとした瞬間に、無数の蜜蜂たちが、吸い込まれるようにして、その口のなかにつぎつぎと舞い降りていった。女性の身体は激痛に痙攣麻痺して、後ろに倒れかけたが、黒人青年の太い腕が彼女の身体を支えた。白人女性の白い皮膚のしたを、蜜蜂たちがうごめいている。うねうねと蜜蜂たちがうごめいている。白人女性の血管のなかを、蜜蜂たちが這いすすむ。するすると蜜蜂たちが這いすすむ。蜜蜂たちは、女性の命の花から、魂を齧りとってエクトプラズムの蜜として集めていた。「あすには、変性が完了しておるじゃろう。」黒人青年は疑問に思っていたことを尋ねた。「あなたがわれわれに手を貸したことがわかってはまずいのではないか。」老術師が遠くを見るような目つきで言った。「死は恥よりもよいものなのじゃ。」黒人青年にはその言葉の意味するところのものがわからなかった。

 わたくしが、この物質を発見したいきさつについて、かいつまんでお話しいたします。わたくしは、同志社大学の、いまは理工学部となっておりますが、わたくしが学生のころは、工学部だったのですが、その工学部の工業化学科を卒業したあと、研究者になるために、大学院に進学して、さらに研究をつづけていたのですが、博士課程の途中で、ノイローゼにかかり、自殺未遂をしたあと、博士課程の後期に進学せず、前期修了だけで、工業試験所に就職したのですが、このときの自殺未遂については、雑誌にエッセイとして発表してありますので、詳しく知りたい方は、さきほど配布していただいた資料に掲載されておりますので、後ほどお読みください、すみません、わたくしの話はよく横道にそれる傾向があるようです。工業試験所では、わたくしは、レアメタルを3次元焼着させた電極(スリー・ディメンショナル・アノード)を用いて、高電位で、インク溶液を電気分解していたのですが、あるとき、偶然から、まったく同じ詩が書かれているページを溶解した溶液なのに、異なる本から抽出した異なるインクから、同じ物質が電極の表面に付着していることに気がついたのです。レーザー・ラマン・スペクトル解析やガスクロマトグラフィーによって、その物質の組成をつきとめることは、みなさんご存じのとおり、可能ではありましたが、その構造解析にいたっては、いまだに解明されてはおりません。その解明が、わたくしの一生の仕事になると、いまでも信じ、研究をつづけておりますが、さて、この物質、わたくしが、「詩歌体」と命名した物質ですが、これは、同じ詩や短歌や俳句、あるいは、哲学書やエッセイにおいても、異なる本に書かれてあれば、抽出される量が、インクの種類や量の違いよりも、その文字の書体やページの余白といったもののほうにより大きく依存していることがわかったのですが、このことが、この物質、「詩歌体」の構造解析の難しさをも語っているのですが、通常の物質ではなくて、わたくしたち科学者と異なる歴史と体系をもつ「術師」と呼ばれる公認の呪術の技術者集団によってつくり出されるエクトプラズム系の物質であること、そのことだけは、わかったのですが、高電位の電気分解、しかも、レアメタルの3次元電極でのみ発見されたことは、わたくしの幸運であり、僥倖でありました。いまも務めております工業試験所で、このたび、わたくしは、あるひとりの術師と協力して、この「詩歌体」の構造解析に取り組むこととなりました。術師は、本名を明かさないのが世のつねでありますので、性別くらいは発表してもよろしいでしょうか、彼の協力のもとで、このたび、この財団、「全日本詩歌協会」の助成金により、わたくしの研究がすすめられることは、まことによろこばしい限りであり、かならずや、「詩歌体」の構造を解明できるものと思っております。(ここで、横から紙が渡される。)本名でなければ、術師の名前を明かしてもいいそうです。わたくしに協力してくださる術者のお名前は、みなさんもよくご存じの、あの「詩人」です。リゲル星人と精神融合できる数少ない術師のお一人です。わたくしは、まだ一度しかお目にかかっておりませんが、このあいだ、切腹大臣の三島由紀夫さんが活躍なさった、アメリカ独立戦線のテロリストの逮捕事件で、リゲル星人の通訳をなさっていた方です。それでは、「全日本詩歌協会」のみなさまのますますのご発展と、わたくしの研究の成功をお祈りして、この講演を終えることにします。ご清聴くださいまして、ありがとうございました。しばし、沈黙の時間を共有いたしましょう。(会場の隅にいた、協会の術師たちが結界をほどきはじめる。)

「「葉緑体」が、気孔から取り入れた空気中の二酸化炭素と、地中から根が吸い上げた水とから、日光を使って、酸素とでんぷんをつくり出すように、「詩歌体」は、言葉のなかから非個人的な自我ともいうべき非個人的なロゴス(形成力)と、その言葉を書きつけた作者の個人的自我ともいうべき個人的なロゴス(形成力)を、読み手の個人的な自我と非個人的な自我と合わせて、その言葉が新しい意味概念とロゴスを形成し、獲得すると思っているのですが、どうでしょう?」こう言うと、詩人は、つぎのように答えた。「そうかもしれませんが、「葉緑体」そのものは、作用して働いているあいだ、遷移状態にあるわけですが、作用が終わり、働きを終えると、もとの状態に戻ります。」そして尋ねてきた。「「詩歌体」もそうなのですか?」わたくしは詩人の目を見つめながら言った。「わたくしは、「詩歌体」の作用や働きについても、まだ確信しているわけではないのです。自らが変化することなく他を変化せしめるだけの存在なのか、そうではないのか、まだわかりません。ただ、「詩歌体」というものが、語自体のもつ非個人的なロゴス(形成力)と、語を使う者によって付与される個人的なロゴス(形成力)を結びつけ、新しいロゴスを生成するということだけがわかっています。ところで、」と言って、わたくしは、顔をかしげて、わたくしの机のうえに置かれた1冊の詩集に目を落としている詩人に向かって、話をつづけた。「その点を明らかにすることができるのかどうか、絶対的な確信を抱いているわけではないのですが、あなたが仮の名前の「田中宏輔」名義で出されている、この引用だけでつくられた詩集ですが、これを実験に使わせていただこうと思っているのですよ。」そう言うと詩人は、目をあげて、わたくしの目を見つめた。「あなたは、一つ間違っています。実験についての方針は、あなたが決めることですから、その目的も方法も、あなたの思われるようになさればよいでしょう。わたしは協力できることは、できる限り協力しましょう。間違いとはただ一つ、ささいなことですが、見逃せません。「田中宏輔」というのは、わたしの仮の名前ではありません。わたしが、アイデアを拝借した一人の青年の名前です。彼は彼の30代の終わりに自殺して亡くなりましたが、詩集を出していたのは、わたしではなく彼なのですよ。」わたくしは、手にしていた詩集を机のうえに置いた。詩人はそれを見て、ふたたび話しはじめた。「おもしろい青年でしたよ。わたしがリゲル星人とともに訪れた12のすべてのパラレル・ワールドで、残念なことに、彼は30代の終わりに自殺していましたが、まあ、もともと12のパラレル・ワールドは、お互いにほとんど区別がつかないくらいに似通っていますから、不思議なことではないのですが、残念なことでした。ところで、その詩集は、彼が上梓したさいごの詩集でしたね。できる限り、その詩集を集めて実験に使われるとよろしいでしょう。」そう言うと、詩人は腰を上げて、外套に袖を通すと、ひとこと挨拶して、わたくしの部屋を出て行った。わたくしは、机のうえに置いた詩集を取り上げると、ぱらぱらとページをめくっていった。すべての詩篇が引用だけでつくられているのであった。ロゴス、ロゴス、ロゴス。非個人的なロゴスと、個人的なロゴス。意識的領域におけるロゴスと、無意識的領域におけるロゴス。すべては、この語形成力、ロゴスによるものなのだろう。わたくしも帰り支度をするために椅子を引いて立ち上がった。

文学極道

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