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作品 - 20180911_173_10735p

  • [佳]  報い - 霜田明  (2018-09)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


報い

  霜田明

   I

自分とは
可能な者のことだ
  
  可能性へ向かって
  手を伸ばす
  その範疇が自分で
  その外側は自分ではない

先にあったことは、また後にもある、
先になされた事は、また後にもなされる。
日の下には新しいものはない。
            (「コヘレトの言葉」8:5)

    思い出すということは
    覚え続けていたのにそれを
    忘れていたということだ

    確かに出会ったのに
    忘れているということは
    忘れているだけの理由が必ずある

  言葉を通じて
  人と和解することは
  言葉と和解することだ

言葉より確かな記憶はない
疲弊を経ない和解がありえないように

    恋はつらい
    人を頼ることだから

  だれかへ不満をぶつけたり
  だれかの反応を期待するところで
  人はだれもに恋をしている
  見境なく

恋はつらい
それでも恋を守るために
つらい側面が隠蔽されて
たとえばゴキブリの姿を忌み嫌うように
別のものへ
そのつらさを代償させている

  善行は役に立つだろう
  何度も繰り返すうち
  善行の後ろめたさが起こるだろうから

  与えることの後ろめたさが
  受け取ることの後ろめたさの
  本当の意味を
  明らかにするだろうから

    すべての顔の向こう側に
    同じ顔がある

      恋はつらい
      人を頼ることだから

   II

恋人とは
不可能な人

  忘れ去られることは
  なぜ悲しいか

自分とは 可能である者のことだ
誰かによる
不可能な方法で
お前はお前であると
認められたことを

可能性において
自身にもう一度認める者のことだ

  大切なものは必ず
  向こう側から訪れる
  言葉が虚しく
  物が重たいように

    此方側にあるのは
    バリエーションである
    言葉は豊かさよりも豊かなのに
    果てしなさよりも遠い

行為には
行為自身における
限界がある

勝利も獲得も達成さえも
彼の能動性を
保証するものとはならないからだ

能動性とは果たして何か

関係できるということと
関係するということの違いは

触れられるということと
触れることの違いは

聞こえるということと
聞くことの違いは

見えるということと
見ることの違いは

   III

そこにいるのが他ならない
君であることの必然性は
僕から君へのことばだったものが
方向転換することなしに
君から僕へのことばになる
特異な方向性で
ふいに本当のものになる

  ふたりはひとりにまさる。
  彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。
           (「コヘレトの言葉」4:9)

    あらゆる振る舞いは
    「言うこと」によって上塗りされた

    「言うこと」の特権性の前に
    自信を失くしてしまった

  眠れない人には夜は長く、
  疲れた人には一理の道は遠い。
  正しい真理を知らない愚かな者にとっては、
  生死の道のりは長い。
            (「法句経」第五章)

  それでもあらゆる行為の中で
  「言うこと」が一番遠い

  それは言葉が虚しいから
  遠いのではなく

  虚しいはずの言葉が
  関係を実際に決めていく
  その重たさゆえに遠いのだ

    言えるということと
    言うということは違う

      言うためには
      必ず
      長い道のりがいる

長さは必ずしも距離ではない
距離とは二点の間の非対称的な長さのことだ
だから始点も終点も持たない
人生の長さは距離ではない

  人生の長さについて語ることは
  他の何について語るよりも難しい

   IV

待つということは
歩いていけない距離を持つということだ

歩いていけないと
感じられていた距離が
向こう側からは
たやすく縮められるかもしれない

  それが非対称である
  距離の有り様として
  二者関係を象徴している

    二者関係とは
    可能性と不可能性との関係だ

      向こう側の可能性が
      こちら側の不可能性であり

      こちら側の可能性が
      向こう側の不可能性になる

    僕と君はときどき
    ふたりともがこちら側の存在になったり
    ふたりともが向こう側の存在になったりする
     
  それでも僕と君が
  「二人」を過ごすときには

    必ず僕の可能性は
    君の不可能性になっていて

    君の可能性は
    僕の不可能性になっている

   V

それが
他のものとは違う
ということの他には
個別性は存在しない

それが
何であるか
ということは
意味であり
個別性ではない

あらゆるものと
もののあいだには
また
あらゆるひとと
ひとのあいだには

それが他のものとは違う
という
共通の性質が存在する

   VI

意味とは喩え話のことだ
それが何と違うかということだ
それは他の何とも違うはずだから
違いを喩えて表現するときに
ようやく意味が現れる

意味を通すと
これとこれは同じだという水準が存在し始める

これとこれはどちらもコーヒーカップだとか
これとこれはどちらも緑色だとか
だからあらゆる意味は個別性ではありえない

世界は意味によって統制されている
人と人とは発語をやりとりすることによって統制される
誰かに「座れ」と言えば「座る」を実現できるというだけで
言葉は魔法のような能動性である

言葉によって何かを予期するとき
予期できない分が不安として疎外される
人を座らせることと人に「座れ」と呼びかけることの誤差が
人を寂しい生き物にさせている

「美しい」という言葉は空洞である
ただ「美しい」が関係の間で成り立つとき
空っぽなはずの言葉のなかに
向こう側から意味が呼び込まれる

「太陽が2つある」と言って
「太陽が2つある」という言葉が響くとき
「太陽が2つある」という言葉は空洞である
だけれど「太陽が2つある」という言葉が
関係の間で成り立つとき
空っぽなはずの言葉のなかに
向こう側からその意味が呼び込まれる

すべての意味はむなしく
すべての言葉は空洞である
「座れ」のような言葉は
他者の具体的な反応によって保証され
「コーヒーカップ」のような言葉は
喩えによって保証される

「美しい」のような言葉は
他者の具体的な反応によっても
喩えによっても保証されない
ただそれが関係の中に響くだけである
しかしそのことの響き自体が
特異な意味をその言葉に呼びこむ

「桜が散って美しい」と君に言ってみるとき
「美しい」という言葉は空洞である
ただ「美しい」という言葉が
関係の間で成り立つとき
空っぽなはずの言葉のなかに
向こう側からその意味が呼び込まれる

文学極道

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