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作品 - 20180903_613_10714p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


孤児とプリン

  田中修子

1945年からすこし経ったころ、まだちいさかったママは、原爆症でいとこがゆっくり亡くなっていくのを目の当たりにした。



はちみつのにおいの入浴剤を買ってプレゼントに持ってった。

 閲覧注意のインターネットごしに傷があった。
 「筋膜」
 「黄色い脂肪の塊です」
 「瀉血ゼリーです」
 「首を切ったら天井まで血が届きました」
 「小さいころから精神薬を飲んできました」
 「精神療法中に子どものころから祖父にレイプされていたことをおもいだしました」

傷のふさがっていく様子まで克明に写し、完治したころ、またふかぶかと傷をつけた。

魂が孤児なんだ。
いつだってなんだってすべて思い出だ。

眩しい夏のおしまいに、会えることになった。白い長そで、スカーフ、おおきな目、やさしそうな唇。
このごろずうっと、現実が遠い。青い空に入道雲のふちが金色に輝いているのに、あついのかさむいのかわからない。

あの子の首や、性器にまで切り傷が絶え間ないのを知っている。
 「こうすればキモチワルガッテもらえる」
私は左腕と太ももと胸元。それだけですんでいる。



ママとパパがくれたあの部屋で。

 「このセックスは私にとって最高ですと言って笑ってよ」
 「喘ぎ声が気持よくなさそう」
 「ゴムつけるから気持ちよくないんだよ」

喘ぎ声をあげてこのセックスは最高ですといったのは、いっこくもはやく終わらせて生き抜く、ためだった。
ひふのなかにぎゅっとこころを小さくおしこめて、ひどいめにあっているからだを内側から盗みみる。
ばらばら。
終わってからトイレに行っておなかを殴る。太ももの動脈を切ると、ばらばらがつながる。バスタオル一枚がひたひた、波みたいにたゆたって、赤い夕映えの川に、赤ちゃんの死体が流れている。

あの子は三回堕胎した。
夢の中で壁に叩きつけられるみっつの黒い塊。

トイレのドアがこじあけられる。
「そこまで追いつめてしまったんだね。これから考え直す。約束するよ」
そのせりふ、なんかい聞いたんだろう。
赤血球が足らなくて金魚みたいに口をパクパクした。
トイレのなかに満タンの血、満タンの金魚、ひらりひらりして。
恋人というひとが、ママとパパに連絡する。
「またヒステリーです」
私はパパが運転しママが助手席に座り恋人というひとが寄りそって、車に乗せられて、病院に行くことができた。

全身麻酔がかかってすうっと白いとろとろした眠りにおちる。このままでいたい。



そんな日々、見つけた。
いま思えば、ひっしに生きようとしている傷が、夜に切れ目を入れるお月さまみたいに眩しかったんだな。

入浴剤をわたす。あの子はプレゼントをはじめてもらった子どもみたいな顔をする。
王街道の喫茶店に連れていってもらってお茶をする。昔からあるんだろうな、すこし古くて、上品なテーブルと椅子と、青地にすこしすり減った金縁のカップ&ソーサー。ていねいに繰り返しつかわれているのが分かるのは薄い薄いすり傷が、あるから。たくさんの虹色の泡が通っていったあと。
あの子はプリンも頼む。小さな、香ばしいカラメルソースのかかった、手作りのプリン。銀の匙ですこしすくって口にすうすう入っていく。左腕がすこしいびつに机に置かれている。
 「おいしい」
ふらふら、尾ひれのぼろぼろになった金魚がたゆたうみたいに町を歩く。いつもなら好きな町並み、おじいちゃんがいておばあちゃんがいて目のまるい子どもらが遊んでいて、でも、この町のそばでこの子に起こっていること。
 「ここの雑貨屋、パパの親戚の雑貨屋なの」
あの子の表情が曇る。
しまった、そうだった、精神をメスできりきざまれて、万引きがとまらない。
与えられなかった母性を盗むのをやめられないんだ。その、盗んできた剃刀でじぶんをばっする、あの子。
ベンチに腰掛けて雲はまばたきのうちにおひさまを横切って陰りは去り、あの子はまた微笑む。風に揺れる木陰みたいなくちもと。きたない自分を見抜かれてしまうと、さよならされちゃうよね。でも、いっしょならだいじょうぶだよ。手をにぎるとあの子は淡い水平線みたいな横顔をした。
その上を飛ぶちいさな白い鳥が見えた気がした。
空もきっと深々として。
 「死んでしまうくらいなら、うちにおいで」
 「そうだね。ほんとうにどうしようもならなくなったら。ありがとう」
 「うん」
なにをされてもなにも感じない。
傷とそして、血だけだ。心臓が痛いとやっと、生きている気がした。でも、あなたの感じていることならわかるよ、まるで身代わりのように、いかりも、かなしみも、海のように足元にひたひた、つたって。
 「また会おうね」
 「うん。」
また会おうね。またね。



あの子が自然死したのはその二週間後だった。ということを三ヶ月後に知った。
あの水平線はは風前のともしびが見せてくれた柔いまぼろしだったんだ。
具合が悪ければ連絡しないのはあたりまえだったから、メールがfailure noticeで返ってきて携帯電話も通じなくなって、実家に電話した。
あの子のママが出た。いろんなはなしをしたんだと思う。
はちみつのにおいの入浴剤を嬉しそうにつかっていたこと。
きっとあの子のママだって、泣いていたんだと思う。

けれど、耳に沁みついている言葉。
 「最期、ふつうに亡くなってくれて、それだけが、よかったです」
なにが、起きているの? なぜ、許されたの? あの子をレイプした祖父は普通に逝き、男らは、裁かれずに。

私は私を殴った。そうして翌日、恋人だったレイピストと別れた。



歴史を手繰ろう。

1945年からすこし経ったころ、まだちいさかったママは、原爆症でいとこがゆっくり亡くなっていくのを目の当たりにした。
それからも、ママは、グランパに裸に剥かれて寒い雨の夜に外に放り出されり、ほかにもなにかしらあったりしたという。(ママが遭ったひどい目はそれだけ? ひそやかな秘密のおとがきこえるよ)。
グランマは贖罪としてママから私を守ったから、私はグランマごとママに憎まれた。

むすめの私。
小学生の私は、グランマが目の前でゆっくりと亡くなっていくのを目の当たりにする。
グランマの愛用していた、粒のそろった真珠が、高く低く跳ねながら階段を落ちてく。
そして、かなりあとになって、レイピストがママとパパのくれたアパートにいて、実家にも帰れない真冬の夜中がある。

遠くに輝く銀色の星をみて、寒さも感じずに、ただ、眠れぬままに優しい葉ずれの音を聞いたのは、ママが寒い雨の中に裸で放り出されて聞いた雨だれの音と、どこかきっとつながっているわ。

それなら、あの子に起こったことの歴史はいったいどこからはじまるのか。

過去は、どうでもいいよ。
もうさ、いつだってなんだってすべて思い出だ。



殺されるな、殺されてたまるか。
三世代の呪いごと、あらいざらい自分を、切り刻んで切り刻んで原型ないほどにぶっつぶれたろ。

いつか夢見ていたものに向かって走り出す今ここの私。

鎖を引きちぎる傷だらけの化け物。傷だらけの獣。
唸る、私の四つ足、が流れゆく時に残していく文字。

文学極道

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