ずっと昔、異国の少女は貧しさにひもじさに、空を見上げた。
「神様。どうかお助けください。食べ物をください。せめて弟だけでも食べさせてください」
小さな顔に日は差し、願いは聞き届けられたのか、その年は豊作だった。でも、少女が口にしたのは、わずかなパンもどきだけ。にやにや笑いながら、黄ばんだ歯をむき、息の臭い役人がほどんどの収穫物を持っていったから。少女は心の内で役人たちを恨んだ。
少女は売られた。そこそこの高値で。美しかったから。綺麗なドレスに身を包み、性処理を務めた。食べられるだけ幸せなのかもしれない。うまく飲み込めなかった精液を吐き出してしまい、頬を打たれながら、そう思う。そう思うことにした。
美しく従順な少女には、かなりの客がついた。他の娼婦たちの中には、少女が人生を諦めていないような雰囲気に苛立つ者もいた。悪評を流し、露骨に仲間外れにした。遠い街で一人ぼっちだった。故郷の歌だけが慰めてくれた。休みがあると人気のない川べりで歌っていた。たまに道行く老紳士がお金を置いていってくれることもあった。喜んでいいのか悲しんでいいのかよくわからなかった。ありがたく、いただきはしたけれど。
少女は少女という年齢ではなくなった二十歳すぎに、肺結核を患った。隔離され、近づく人はほとんどいなかった。ただ一人、彼女と同じ村から来た少女が、看病をしてくれた。初めて会ったときから、彼女は少女に村の話をよくせがんだ。話によると、彼女の両親は今も健在で、弟は立派な青年に育ち、妻も迎え見事に親を支えているとのこと。この話は全て嘘だったけれど、彼女は心から信じ、自分の人生がいくらか報われたように感じる。実際は、彼女の両親は彼女を売ったあと間もなく肺結核で亡くなっている。弟は修道院で育てられ修道士になった。姉と同じように可愛らしい容姿の弟は、修道院で性的な慰みものになった。ただ、それで人生を投げ出さず、よりいっそう神の道を歩もうとした。3年前に酔っぱらいに刺されこの世を去ったあとも。
少女の話はほとんど嘘だった。それだからこそ、彼女は少女の話に、自分が幼かったときのきれいなままの思い出を見た。二人は一緒に故郷の歌をよく歌っていた。遠い街で身体と身体を寄せ合い心をあたためていた。喉を傷めた後の彼女の歌はかすれ、娼婦たちは、呪いの言葉を吐いているんだと噂した。魔女に魅入られたのだと。いよいよ死期が近いことを悟ると、少しほっとした。残りの少ない財産のうち、3分の2を家族に、3分の1を少女に渡すことにした。
息を引き取ると、雑に埋葬された。彼女の墓の上には今、マクドナルドが建っている。残された少女は、遺産の3分の2も自分のものにしてしまおうかとさんざん迷ったあと、修道院に寄付をした。このお金のほぼ全てはろくでもないことに費やされた。彼女の死後すぐに、残された少女も肺結核を患い、天に召された。少女の墓の上には今、ライブハウスが建っている。
生まれ変わった彼女は、今は女子中学生だ。明治のマカダミアナッツチョコレートをこりこりかじり、ブルーライトを瞳にうつして。iPhoneの画面に指をすべらせる。生まれ変わっても美しく、にやにや笑いながら男子が近寄ってくる。そんな男を見ると、なぜか無性に腹立たしく、ビンタしてやりたくなった。実際、何人かにはお見舞いした。そんなだからだんだんと敬遠されるようになる。男子にも女子にも。男子にとって、美しく手の早い少女は、憧れであり恐怖であった。女子にとっては単純に嫉妬の対象で、疎まれた。上から目線ということで、一部の女子からはいじめられもした。大抵のことは我慢した。が、ビッチ、ヤリマンといういわれのない噂には、なにかやりきれない苛立ちをおぼえた。
学校でグループに所属しない少女は、一人歌を口ずさむ。
少女には年の離れた妹がいる。「おねーたん。おねーたん」と、とことこ後ろをついてくる妹を愛してやまなかった。両親は仲が悪く、顔をあわせればケンカになった。家の空気はどこもかしこもひび割れていた。夕食時、発火するようにケンカがはじまると、妹を自分の部屋につれていき、部屋の鍵をおろし、アニメをいれた。テレビの中では、ドラえもんが22世紀の道具を四次元ポケットからだしている。終われば、エンディング曲を一緒に歌う。狭い家の中、身体と身体をよせあって、心を守りあった。妹は、前世で彼女の最期を看取った少女だった。
5月の末、夏にむかって気温が上がる頃、少女はラブレターを受けとった。そのラブレターは、青い純真さと気持ち悪さにみちていた。所々、意味不明だった。それでも、最後まで丁寧に目を通し、もらったラブレターとともに断りの言葉をかえした。ラブレターを書いた少年は、一週間後にまたラブレターを持ってあらわれた。その内容は以前にもまして、純真な恋心と、目もあてられない気持ち悪さにあふれていた。少年は目を輝かせていた。少年にとって少女は高嶺の花に思えた。それと同時に、どうしても手中にしたい仔猫でもあった。少女は同じようにラブレターと、断りの言葉をかえした。一週間後に、少年はまたラブレターを持ってあらわれた。やはり純真さの純度は高まり、それに比例して気持ち悪さも膨れ上がっていた。それでも丁寧に最後まで目を通し、何も言わずラブレターだけつきかえした。そのやりとりが合計で10回に達したとき、ラブレターは便箋にして10枚になった。すでにうんざりしてはいたが、少女は家に帰り、その全てに丁寧に目を通す。そして、一度、デートしてみてもいいかな、と思った。なぜそう思ったのか考えた。根負けしたというわけではない。少年のラブレターには一貫して、純真さ、気持ち悪さ、そして謝罪があった。その謝罪がどこからくるのか、少女にはわからなかった。それがどこからくるのか知りたいと感じた。少年は、前世では少女にかなりの額のお金と、性欲と性的嗜好をつぎ込んだ貴族だった。まったく意識はしていなかったけれど、少年には見えない負い目があった。
デートの当日、少年は清潔感とたしかなセンスを感じさせる服装で来た。それは少女にとって意外だった。あんな文章を書く人が、こんなファッション誌にのるような恰好をしてくるなんて。控えめに言っても平均より15点くらいは上だと思った。まずは映画を観に行った。映画の選択も悪くなかった。しっかりと少女の好みを把握して選ばれていた。少年はまったく興味がなさそうだった。けれど、それも自分の好みより少女の好みを優先したんだと考えれば、好感さえ持てた。昼食はマクドナルドでとることになった。割り勘で。それはさしてマイナスにならなかった。まだ、お互いお金のない中学生だから。ただ、時折見せる店員に対しての横柄な態度は、どうしても受け入れられなかった。夕方にはライブに行った。中学生にとって、ライブハウスはまぎれもなく非日常だ。目が回る。人、人、人。熱気。交差するライト。知らないバンド。耳がぼわんとする。そのどれもが新鮮で、刺激的でいつの間にか体をゆらし、声をあげる。
帰り道、少年はあらためて少女に想いを告げる。結論から言えば、ノーだった。少年とのデートは悪くなかった。むしろ良かった点の方がたくさんあげられる。でも、ライブハウスで手を握られたとき、全身におぞけが走った。無理だと思った。最後の断りの言葉を聞き、少年は一瞬うつむいた。それでも顔を上げ、「今日は、付き合ってくれて、ありがとう」と震えた声で言って、駅の3番線のホームに走っていった。その顔に言葉に、心はゆれた。けれど、無理なものは無理だった。
デートのあと、少年はもうラブレターを持ってくることはなかった。学校で顔をあわせても、気まずそうに簡単なあいさつを交わすくらいだった。少女の中には、まだライブハウスのあの残響と手を握られたときの気持ち悪さがあった。少女は自分の歌を風にのせたくなった。そんなことはできないことは、わかっていたけど。夏休みも近づいた午後2時、そんなことを考えながら、ノートに自作の歌詞を書いてみる。
最新情報
選出作品
作品 - 20180818_677_10683p
- [優] 少女は歌う - トビラ (2018-08)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
少女は歌う
トビラ