I
川端康成のみずうみという小説に
道端ですれ違っただけの女の人に恋をしてしまったとき
どうやっても自然な方法で彼女と知り合うことはできないという
現実に関係することの奇妙さが描かれている
たまたま隣人になったり
たまたま同じ職場になったり
たまたま同じ家族として生まれる
それだけのきっかけで十分なのに
疲れ切ったり
もう十分だと感じたときにも
その向こう側がある
他者の顔の奥に向こう側があるように
冬の空のように
正しさを追い求めることは
正しさの力を求めているんだ
(生命力のあるところに生命がある)
(生命力とはバイタリティのことだ)
いまちいさな街を
充溢した活気が行き交っている
身体はいれもので
街を歩き回っている人も
私を叱りつける人のように
身体だから
その中には何でもいれられる
心理学の浸透のせいだろうか
それとも古代から続く
社会というものの閉鎖性の流れだろうか
他者に心を信じすぎている
人の心がわかること、わからないことよりずっと前に
そこにあるとも分からないものを
(信じられないことの――)
信じることの次元が重要だ
II
能動的に生きることは満ちている
正しさへの意識がこのまぶしい領域を汚さない限り
(寂しさにまつわる行為にはつねに)
(向こう側が本質的に関わってくる)
(さようなら)
(あしたとよばれる幻のほうへ)
(社会が君をみがかないまま)
(自然が君をくもらせる)
みずうみという小説では不思議な技法が使われていて
作品の様々な場面にみずうみのイメージがばら撒かれている
だから直接語られていないのに
読み終えたあとその光景に気がつく
(とどまりのない労働体の)
(車窓をいくつもあぶれだし)
(そしてここまで)
(雨はおされてやってきた)
子供には親の万能性が
信仰者には神の万能性が
彼らにとっては信仰の可能性が
そのまま行為の可能性になる
そのどちらでもない僕らにとっても
可能性は信仰の中にある
(信じることは)
(信じられないから起こるもの)
正しさへ向かおうとする僕らの可能性は
他人の反応の中に送り込まれている
褒められることの可能性
欲望されることの可能性
他者の中に信じられる内部が
私に可能性を見出すことの可能性
III
完璧に見えるということは
快適な形態を取っているということで
完全性を意味してはいない
作品でも行為でも人格においても
要求と羨望とそれらに応えようとする次元で
完璧さはあらわれる
点滴を打ったら身体が楽になるとか
UFOが見えるとか
死後の世界を信じるということは
いくらでも正しく あるいは正しくない
世界はそれがどのような水準にあっても
象徴作用としてしか精神の内部へは入っていけない
(必死さとは 熱心さとは)
(具体的に何だろう)
何かを否定することは
正しさという空想上の力を
他者へふるおうとしていることだ
僕は一度も自分の思いや考えが間違っていると思ったことがない
これまでに一度たりとも
それでも間違ったことをたくさんしてきた
たくさんのことを
よくわかっているひとが
なにもわからないような周囲の人たちに
無理解を被る経験の積み重ねによって
攻撃的にならざるをえないことはありうる
身近な犬や猫を親しみ愛したり
可愛がったりしている人が
国や市による犬や猫の殺処分を
当然のことだと考え感じることはありうる
政治家が「首吊って死ね」とヤジを飛ばしたことは
お笑い芸人が女子校に侵入して何百枚もの制服を盗んだことは
四肢欠損で生まれてきた男の不倫は
一体何を意味するのか
(誰がわかっているのだろう)
IV
ひとりきりになれる気がするけれど
本当を言うとなれないんだ
僕らはひとりきりだと思っている時も
ひとりきりになれないことで傷ついている
自殺するより仕方ないという状況はありうる
僕は自殺しようと何度も思い
でも結局できないまま青年期を終えてしまったから
自殺した人と自殺しなかった自分の違いが
どこにあるのかはわからない
もう死にたいと感じたり
消え去りたいと思うことには
(その向こう側がある)
フロイトはなんでも性的なものにこじつけようとすると
知りもしない人が冗談をいうけれど
彼にとっての「性」は恥ずかしい行為の領域のことではなくて
たとえば古典哲学や古典経済学が考えるように人は
自分の利益だけを追っていくもののはずなのに
どうして贈り物をしたり
子供を天使と見誤ったりするのか
自分だけの苦楽に関わる領域でない
人のために振る舞ったり
人と関係したいという領域がある
それがフロイトの性の領域だ
ヒステリックに聞こえるせいで
人の笑い声がずっと苦手だった
それが破滅的であったとしても
笑うことは爽やかじゃないか
宮崎駿がドキュメンタリー番組の中で
映画をたくさん作ったからなんなんだ
作ったものなんかどこにもないじゃないか
映画のフィルムが僕の周りにありますか
そんなものはどこにもないんだと言っていた
もちろん謙遜だとか冗談だとか
宮崎駿ほどの業績のある人だからそんなこと言えるのかもしれないが
自分がしてきたことなんて
どこにもないんだという感覚は
何もしてこなかった僕にもわかる
過去は現在において空白で
未来へ視線を向けるときに色合いとして現れるばかり
あらゆる行為は向こう側へ消えていく
何もしなかったということとして
一日中空を眺めていても
漠然と街を歩き回っていても
一生懸命働いたとしても
沢山のことを学び続けることも
無効だから可能性なんだ
有効であるということがないから
あらゆる行為が同じように無効だから
みんなが同じように無効だから
それがひとりひとりにとっての可能性なんだ
川端康成はノーベル賞を取ったあとのハワイでの公演で
今朝ホテルの窓辺に積んであったガラスのコップに朝日があたって
コップのふちがきらきらと輝いて
それが美しくてたまらなかったという話をした
そんな些細で無意味なことに
囚われているのは病的だという
自嘲を含めて話をした
最新情報
選出作品
作品 - 20180301_144_10281p
- [優] 寂しさの領域 - 霜田明 (2018-03)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
寂しさの領域
霜田明