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作品 - 20171216_019_10098p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


書が好きよ、街を出よう《クリエイティブ・ライティングとしての所作》

  kaz.

【】

私が触れているこの場所、それが東京の住宅街の一角にある草の生えた空き地なのか、絨毛の生えた腸の襞なのか、それともただ単に一枚の毛布なのか、あるいはサウンド・オブ・ミュージックのラストシーンに出てくるような大高原なのかは、読者に委ねることにしよう。自由に想像を広げて欲しい。そのように書くことによって想像力を逆に妨げることは承知の上で言っている。わずか三千字しか書けないこの制約された状況においては、いわゆる「きちんとした文章」を書くことは難しいからだ。例えばジャッキー・チェンがジャケットを脱ぎ着することを少年に教えたようにはいかず、私もいわゆる通常の比喩の着脱がいかにして可能であるかをここに証明することさえできないであろうからだ。それが果たしてこの断章の強みになるのだろうか? 想像力と論理が矛盾を引き起こし、破綻を繰り返すようになるところまで、想像力の翼を広げてみよう。すると論理に生じた亀裂から、鏑矢となって飛んでくるものがある(想像力の中では、こうしたことも自由である)。ここで私が取り上げるのは、次の一節、那須与一が射抜こうとする場所を指し示す箇所である。
「過たず扇の要際一寸ばかりにおいて、」
過たず扇の要際一寸ばかりにおいて、那須与一がひいふつと射抜こうとするのは、果たして何であろうか。そして、何よりこの世界を、あるいはこの世界と名のつくものを、私(彼は一夫多妻制だ)が見ているのか、あるいは一匹の狼が(彼は一夫一妻制だ)、この光景として見ているのか、それともアミメハギ(乱婚型)の視界の中なのか、それは未だ判然としないが、次第にわかっていくことだろう。
さて、私が壁掛け時計を見たとき、カタツムリの角のように動く短針と長針とが、12時5分を指しているせいで、父が時間を間違えてランチを運んできた。チョコスプレーを吹きかけたようなテーブルの上のランチョンマットの上で、山脈のようにぱっくりと割れた肉饅が湯気を吹いている。それが死火山になるまでじっと待ち続けたが、それでもなお12時5分を指しているので、時計を外し、叩き割ると、殻が割れ、黄色い血がだらりと垂れ、胃下垂のように宙ぶらりんになった後、落下して花を生けたままのピンクの花瓶のように炸裂した。途端、死火山になったはずの肉饅から真っ赤な肉がこぼれた。
それが、五年前のカナダの中華料理店での出来事だったとは、とても信じられない。父はそのことを書き記していて、それが上の文章なのだ。父はかつて、私にこう言った。「完璧な文章といったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」父がその文章から始まる小説を書いていたことを知ったのは随分後になってからだった。父は小説家ではなかったが、死後発見されたカクヨムに投稿されていた父の小説には沢山の感想と批評が寄せられていた。父はいわゆる「売らない物書き」だったのだ。確かに完璧な絶望は存在しない。ある程度の承認欲求なら、コンピューターを使えば満たせるようになった。
私が触れていたのは、スマートフォンの画面だったのだが、そんなことは今更どうでもいいことだろう。だから、私は小説を書かない。詩も書かない。日記のような堆積にはなっていくだろう。ただそれだけだ。

【年末の魔物】

年末には魔物がやってくる。「あながち間違いじゃない、とあなたは思うだろう。しかし、違うのだ。間違いなのだ。あなたが聞いているのは、目の錯覚だ。あなたが見ているのは、耳の錯覚だ。死の奔流、というタイトルの詩が書かれ始める。ウィルキンソンのジンジャエールを飲みながら、僕は仕事を始める。パタパタとタイプし続ける。仕事の中身が、これであると気づく前に、旅立たなくてはならない。死の苦しみ、およそあらゆる死の苦しみこそが、作品になり得るもののすべてであって、……違うんだ。これはソレイユによって理論化されているんだ。いや、違うんだ。ここに書かれていることのすべてが、みな無謀な試みでしかないと、僕は物言うビスケットに倣っていうだろう。」……それは、皿に置かれていて、死体のように安置されている。物語は、ようやく佳境を迎え、すべての人に感謝の気持ちを持って、示すために、あらゆる言葉が震え始め、篩にかけられたように、落ち始める、零落する、あるいは、もしくは、マウロンのように死ぬ、そんなことがここには書かれているのか、それとも、書かれていないのか、あるいは、書かれていたとしても日本語なのか、英語なのか、フランス語なのかロシア語なのか中国語なのか判別がつかず、多分あらゆるC言語によって書かれているということが言えるようになるまで、もう数百年の時がかかるだろう。あるいは、ひょっとして最初から死ぬ予定だったのかもしれない。「僕は、零落した、零落する、零落しよう、零落すべき、零落すべし。この一連の文章で始まる文学は、奇妙な怪異を催す、催涙剤のように、多分機会があれば、奇怪ですよと言ってみる、果たしてこれは小説なのか、それとも語り物でさえないのか、ベキッと折れた織物のように、いや織物がそんな風に折れるわけがないと突っ込まれるだろうか、あるいはまた、怪異として片付けられるだろうか、もしくは、この雑文のようなものを、必死で芸術に仕立て上げようとする奇怪な勢力と戦うことになるのか、あるいはまた、僕は国にいるのか、それともその外側にいるのか、教えてくれ、そよ風」「そよ風として答えます。あなたは、今間違いなくドストエフスキアンです。ゲーテが書いたのはファンタスチカです。何故ならゲーテは科学者だったからです。あるいはまた、朗読すべきはそういった物語なのかもしれません。私は読み終わる前に死にます。私は読み始める前に気絶します。私はこの文章を死ぬまでに読むべき物語としては提示しません。」ということを言われたんだが君はどう思うか、と聞かれたので何も答えなかった、答える余裕がなかった。読み始めたら嘘八百を書き並べていることがわかるので、読まれない本があるかと思えば、逆に嘘だとわかっているからこそのものもある。

【僕は生まれてもいない子どもの名前を考える】

抱擁が、
ぱっくり破れる、

溢れ出す緑茶、
のイメジとともに、
噴霧されるリモネン、

ああ ああ ああ
美しいタイポグラフィーを見て!
発狂した烏の群れたちに
映るのは鏡、
そして時希(ときまれ)、

時という字を、
名前に入れようか、
希という字を、
名前に入れようか、
あるいは、オトカ、
という名前にしようか、
ないしはキタキ、
僕は名前を考えることをする、
そして、マイまで来たところで、
考えることをやめる、

森にも、海にも、
音はなく、
静めるのは、和歌山、
岡の上から、大の字になり、
ふふ、っと笑う、
自爆せよ、時の鼓動、
洞房結節の疼痛で。

文学極道

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