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作品 - 20171201_684_10062p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


もうすぐ百の猿になる。

  田中宏輔



 ジャン・ジュネの『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げこまれた一幅のレンブラントから残ったもの』にある、「ある日、客車のなかで、前に腰かけていた旅客を眺めていた私は、どんな人も他の人と等価であるという啓示を得た。」「人はあらゆる他者に等しい、」「各人が単数の、複数の他者である。」「誰もが私自身、ただし、個別の外皮に隔離されたわたし自身だったのだ。」(鵜飼 哲訳)といった文章を読んでいると、一八七一年五月にランボーによって書かれた、ポオル・ドゥムニー、ジョルジュ・イザンバアル宛の二通の手紙のなかにある、「我とは、一個の他者である。」(平井啓之訳)といった言葉が思い出された。そのときには、「誰もが私である」というジュネの言葉と、「我とは、一個の他者である。」というランボーの言葉が、同じような意味を現わしているような気がしていたのだが、ぼくには、よく考えもしないうちに、よし、わかった、と思うことがよくあって、そのときにも、同じような意味なのだろうと漠然と思うだけで、深く考えなかったのであるが、あとで、自分の数学の時間に、命題を教える機会があって、命題とその逆命題の真偽について教えているときに、ジュネの言葉と、ランボーの言葉が思い出され、それらの言葉がけっして同じ意味を現わしているとは限らないということに気が付いたのであった。


他者とは、私ではあらぬ者、また私がそれではあらぬところの者である。
(サルトル『存在と無』第三部・第一章・II、松浪信三郎訳)

 仮に、他者と私とのあいだに相違というものがまったくなかったとしたら、他者と私とは等しい存在であるといえよう。しかし、細胞の個数や、その状態といったところまで同じ条件をもつ複数の肉体など存在しない。一個の肉体でさえ、時々刻々と、細胞の個数や、その状態は変化しているのである。一個の肉体でさえ、厳密な意味では、自己同一性を保つことなどあり得ないのである。それゆえ、ジュネとランボーの言葉を、そのまま字句どおりに受け取ることは誤りであろう。強調表現の一種と見なせばよい。すなわち、「誰もが私である。」は「誰もが私に似ているところがある。」に、「我とは、一個の他者である。」は「私は、ほかの誰かに似ているところがある。」というふうに。どれだけ「似ている」か、「すこし似たところがある」から「そっくり同じくらいによく似ている」に至るまで、さまざまな程度の「似ている」度合いがあるであろう。こう考えると、自己同一性について配慮する必要はなくなる。


それはいくらか私自身であった。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

 これなどは、「それはいくらか私に似ているところがあった。」という意味になるであろうか。


ぼくたちが出会うのは常にぼくたい自身。
(ジョイス『ユリシーズ』9・スキュレーとカリュブディス、高松雄一訳)

 この言葉から、「similia similibus percipiuntur. 似たるは似たるものに知らる。」というラテン語の成句が思い出された。「人間というのは、自分と似た者のことしかわからない。自分と似ていない者のことはわからない。」というのである。たしかに、自分に似た者のことはわかりやすい。しかし、生きていくうえで、自分に似た者ばかりが周りにいるわけではないことは周知の事実だ。よく生きていくためには、周りの人間のことを理解していなければならない。どうすればよいか。自分のほうから他者に似ていかすという方法がある。これが自然にできる場合がある。シャーウッド・アンダスンの『トウモロコシ蒔(ま)き』という作品に、「結婚生活がうまくいっている人たちには、ある種の共通点があるようだ。そういう夫婦はしだいにお互いに似通ってくる。顔までが似てくる。」(橋本福夫訳)とある。こういった現象は、恋人や夫婦といった間柄に限って起こることではない。「alter ego 親友」というラテン語の成句がある。もともとの意味は、「もう一人の私」である。小学生のときのことである。低学年でもなかった。おそらく、四年生か、そこらのことであったと思う。ある日、ぼくは、ぼくの話し方や、身振りの癖といったものが、いつの間にか、親しく付き合っていた友だちの話し方や身振りの癖にそっくりになっていたことに気がついたのである。そういえば、そのとき思ったのだが、そういったことは、それがはじめてのことではなくて、いつも、ぼくの方から、ぼくが親しくなった友だちの話し方や身振りの癖を真似ていっていたのであった。別に故意にではなく、それがごく自然なぼくの友だちとの接し方であったのである。自然といつも、ぼくの方から、友だちに似ていったのである。「私は誰かによく似ている。」という言葉をもじって言えば、「私は、誰かによく似ていく。」とでもなるであろうか。成人してからも、新しく親しくなった友だちの話し方や身振りの癖といったものが、ぼくにうつるということがあって、あるとき、そのことにふと気づく、といったことが、よくある。他者に似ていくということは、他者から強い影響を受ける傾向があるということである。詩を書きはじめたころは、そのことが怖かった。自分が他人の影響をすぐに受けるということが怖かったのである。すぐに他人に影響を受ける自分というものには、もしかしたら、個性などなく、個性的な詩を書くことなどできないかもしれない、と思われたのであった。しかし、その不安は、自分が多数の詩や小説を読んだりしていくうちに次第になくなっていったのである。多数の詩人や作家の書いたものを読んでいくうちに、その影響が重なり合って、一人の詩人や作家の影響ではなくなっていることに気がついたのである。言い換えると、多数の詩人や作家から影響を受けていく過程で、自分の書くものが、誰にも似ていないものに近づいていくということに気がついたからである。ここにおいて、「他者」というものから「多数の他者」というものに目を転ずると、「個性」という言葉が、それまで自分が思ってきた意味とはまったく違った意味をもつものに思えたのである。ぼくは、こう考えた。「個性というものは、多数の他者に似ていく過程で獲得されていくものである。」と。したがって、「真に個性的な者とは、自分以外のすべての他者に似ている者」ということになる。ターハル・ベン=ジェルーンが『砂の子ども』9のなかに書きつけている、「自分に似ること、それは別の者になること」(菊地有子訳)という言葉を目にして、この言葉の「自分」と「別の者」という言葉を入れ替えると、ぼくの考え方にかなり近いなと思った。もちろん、ぼくのいう「多数の他者に似ていく過程」は、エリオットの『伝統と個人の才能』のなかにある「個性滅却のプロセス」(平井正穂訳)とほとんど同じものだろう。トーマス・マンの『道化者』のなかに、そういった過程を経ていく描写がある。「おれは多読だった。手に入るものはなんでもかんでも読んだ。しかもおれの感受性は大きかった。おれは作中のどんな人物をも感情で理解して、その中におれ自身を認めるように思うので、他の書物の感化を受けてしまうまでは、ある書物の型に従って、考えたり感じてたりしていた。」(実吉捷郎訳)というところである。ぼくもまた、この主人公のように本と接していたように思っていたので、マンの『道化者』を読んで驚かされた。たぶん、この主人公も、ぼくのように、容易に信じやすく、だまされやすいという、警戒心のごく乏しい性格であったのであろう。


 西暦一年頃の世界人口は、推計で、約三億。一六五〇年は訳五億、一七五〇年は七億、一八五〇年は十一億、一九六〇年は三〇億、一九八〇年は四十四億三千二百万。
(平凡社『大百科事典』)

 ぼくには一人のパパがいる。そして、ぼくにはママが二人いるけど、血のつながっているママは一人だけだから、血のつながっているのは、パパとこのママの二人だ。血のつながりとして見ると、ぼくとおなじように、だれにでも、パパが一人とママが一人で、合わせて二人の親がいるはずだ。すると、ぼくは、また、ぼく以外のだれでもそうだが、かつては、二人の人間だったことになる。計算がややこしくなるから、ぼくだけに限って考えてみるけど、ぼくのパパやママにも、パパとママが一人ずついたはずだから、二代さかのぼると、ぼくは四人の人間だったことになる。ぼくのパパのパパやママにも、ぼくのママのパパやママにもそれぞれ一人ずつパパやママがいたはずだから、ぼくは三代まえには八人の人間だったことになる。四代まえには十六人、五代まえには三十二人、六代まえには六十四人、すなわち、n代まえには、ぼくは、2のn乗の数の人間だったことになるのである。十代まえだと、千二十四人である。十代といっても、たかだか数百年くらいのことであろうから、数百年まえには、ぼくは千とんで二十四人の人間だったわけである。そのさらに数百年まえだと、ぼくは百万人以上の人間だったのである。千年まえだと、少なく見積もっても、ぼくは十億人以上の人間であったはずである。しかし、千年まえには、日本には、そんなに人間がいたとは考えられないのだけれど、それにしても、ぼくはものすごい数の人間だったのだ。おそらく、千年以上むかし、日本にいた人間は、みんな、ぼくだったのだろう。


 おれはお前たち全部になりたい、そうして、お前たちが皆いっしょになって一人のアントニーになってもらいたい。そうしたら、お前たちがしてくれたように、おれがお前たちのために働けるのだがなあ。
(シェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』第四幕・第二場、小津次郎訳)

 かつて、ボルヘスの『恵みのうた』という詩を読んでびっくりさせられたことがある。詩を書きはじめて、まだ間もないころのことだった。もしかすると、そこに、『陽の埋葬』の原点があるのかもしれない。「長い回廊をさまよいながら ぼんやりとではあるが/聖なる戦慄をもってしばしば感じたものだ/わたしは同じ日々に 同じ歩みを/行っている死者、他者であると。/複数の〈わたし〉の そしてただ一つの影を有する/この両者のいずれがこの詩をかきつけているのか。」(田村さと子訳)。ボルヘスのこの詩に出合ってからというもの、ぼくはこの「複数の〈わたし〉」という概念なしには、自分というものの存在について考えることができなくなったのである。つい最近、ナンシー・ウッドの『今日は死ぬのにもってこいの日』という詩集を読んでいたら、つぎのようなフレーズと出くわした。「わたしの部族の人々は、一人の中の大勢だ。/たくさんの声が彼らの中にある。」(金関寿夫訳)。この詩のなかに出てくる「大勢」というのは、「熊」や「ライオン」や「鷲」であったり、あるいは、「岩」や「木」や「川」でさえあったりする。ぼくの場合、自分の声のなかに、血のつながりのあるものの声が混じっていることは、はやくから気がついていたのであるが、あるとき、ひょんなきっかけから、自分の声のなかに、血のつながりのないものの声も混じることがある、ということに気づいたのである。これもまた、ぼくが詩を書きはじめて間もないころのことで、親友の歌人である林 和清と電話で話をしているときのことであった。『引用について』というタイトルの論考を、雑誌の「詩学」に出すことになって、その下書きをファックスにして送り、いっしょに検討してもらっていたときのことであった。三時間近くしゃべっていたと思う。長い時間、電話で話をしているうちに、林の声のなかに、ぼくの声が混じっているような気がしたのである。そして、その声を聞きながら話すぼくの声のなかに、林の声が混じっているような気がしたのである。電話から林の声を通して聞こえるぼくの声を、ぼくが聞きながら、ぼくが林に向かってしゃべるという奇妙な感触を味わったのである。このようなことを、はっきりと意識できた経験は、このときだけだ。それ以後はいっさいない。林との電話で起こったことを思い返してみると、二人が親友であったということも要因として考えられるが、「引用」という文学行為に対して思いをめぐらすことの多かった二人が議論に熱中し、まるで一つの見解を二人が創出するかのごとくに考えをまとめあげていったということの方が要因としては大きいと思われる。この感覚をさらに推し進めると、マンが、『トリスタン』という作品のなかで、「おお、万象の永遠なる彼岸における合体の、溢るるばかりゆたかな、飽くこと知らぬ歓呼よ。悩ましき迷誤をのがれ、時空の束縛を脱して、「汝」と「我」と、「汝(な)がもの」と「我がもの」とは、一つに融けて、崇高なる法悦となった。」(実吉捷郎訳)と書き表している境地にでも立つことができるのであろう。あるいは、また、ムージルが、『静かなヴェロニカの誘惑』のなかで、「甘美なやわらぎと、このうえもない親しさを、彼女は感じた。肉体の親しさよりも、魂の親(ちか)しさだった。まるで彼の目から自分を眺めているような、そして触れ合うたびに彼を感じとるばかりでなく、なんとも言いあらわしようもないふうに、彼がこの自分のことをどう感じているのかをも感じとれる、そんな親しさであり、彼女にはそれが神秘な精神の合一のように思えた。」(古井由吉訳)と書き表しているような境地にでも立つことができるのであろう。残念ながら、そのときのぼくは、そのような境地になど立つことはできなかったのであるが、たとえば、ホイットマンが、『草の葉』の〈私は自身を礼讃する〉のなかに書いている、「すべての人々のなかに、私は自身を見る」(長沼重隆訳)といった能力のあるひとならば、あるいは、『バガヴァッド・ギーター』の第六章に書かれている、「すべてのなかにわたしを見、わたしのなかにすべてを見る」(宇野 惇訳)といった能力のあるひとならば、たとえ、相手がだれであっても、「崇高なる法悦」や「神秘な精神の合一」に達することなど珍しいことでなんでもないのだろうけれど。


 胸の想いをのべるためにじぶんの舌をつかっていると、ぼくは気づく、ぼくの唇がうごいていることに、そして話しているのはぼく自身だということに。
(ロートレアモン『マルドロールの歌』第四の歌、栗田 勇訳)

彼はことばをきる。自分の口を借りて、まるで見知らない声がでてきていることに気づいたからだ。
(サルトル『奇妙な友情』佐藤 朔・白井浩司訳)

だれでも、自分自身と一致していないときに限って不安をもつのだ。
(ヘッセ『デーミアン』第八章、吉田正巳訳)

 あるとき、ふと、自分の声のなかに、自分ではないものの声がまじっていることに気づくという、ぼくと同じ体験をしたひとは、あまり多くいないようだ。林を含む友人たちに訊いてみたが、だれも、そのような経験をしたものはいなかった。しかし、たとえば、巫女が声色を使って、神託や口寄せをすることはよく知られている。ただし、この場合、声が混じるというよりは、まったく別の人間の声になっているといった方がよいかもしれない。いずれにしても、神託や口寄せをする巫女の声に、ぼくたちが、畏怖の念を抱きつつも耳を傾けるのはその声の極端な変わりように、まさにいま尋常ではないことが起こっているのである、といった印象を受けるからであろう。どうやら、ぼくには、人格だけではなく、声というものもまた、統一的な存在であると思いたい欲求があるようである。しかし、よく考えてみると、相手によって、ぼくの話す声と口調が異なっていることは確かである。性格の方も、声ほどではないが、相手によって、やはり違ったものになっているようだ。ただし、これは巫女の場合とは違って、どれもが、ぼくの声であり、どれもが、ぼくの口調であり、どれもが、ぼくの性格であるように思われるのだが。しかし、いったい、いつ、いかなるときに、ぼくのほんとうの声が、ぼくの口を通して出てくることになるのであろうか。


子供が自分の声を探している。
(ロルカ『唖の子供』小海永二訳)

どの声もどの声も僕のまわりを歩きまわる。
(原 民喜『鎮魂歌』)

声はつぎつぎに僕に話しかける。
(原 民喜『鎮魂歌』)

僕は自分自身を捜し求めた。
(ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳)

鏡があった。あれは僕が僕というものに気づきだした最初のことかもしれなかった。僕は鏡のなかにいた。
(原 民喜『鎮魂歌』)

 ヴァロンによりますと、幼児は最初、自己の鏡像のばあいには、他人の身体の鏡像のばあいにもまして、それを本当の身体の一種の分身として見ていた、と考えなければならないわけです。/多くの病的な事実が、そうした自己自身の外的知覚、つまり「自己視」(autoscopie)が存在することを証言しています。まず、多くの夢のばあいがそうであって、われわれは夢の中では、自分をさながら自分にも見える人物であるかのように思い描きます。こうした現象は、溺死の人とか入眠時の或る状態とか、また溺れた人などにもあるようです。そうした病的な状態において現われてくるものと、幼児が鏡の中に見えている自分自身の身体について持つ税所の意識とは、よく似ているように思われます。「未開人」は、同一人物が同一瞬間にいろいろな地点にいると信ずることができます。
(M・メルロ=ポンティ『幼児の対人関係』第一部・第三章・第一節・a、滝浦静雄・木田 元訳)

およそ問題となるのは、自分が自分をどう思っているか、なんと自称しているか、なんと自称するに足る確かさを持っているか、という点だ。
(トーマス・マン『道化者』実吉捷郎訳、句点加筆)

しかし、
(ヘッセ『青春彷徨』山下 肇訳)

人間は自己自身を見渡すことができない。
(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳)

僕らが自己を発見しようと思ったら、自己の内部へ下りてゆく必要はないのだ。なぜなら、ぼくらは外部に見いだされるのだからね。
(ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)

己れを識ることを學ぶための最善の方法は、他人を理解しようと努めることである。
(ジイド『ジイドの日記』第五巻・一九二二年二月十日、心情嘉章訳)

「第一の格言」と、リュシアンは思った。「自分の中を見つめないこと。それ以上、危険な誤ちはないから」。真のリュシアンというものは──それを今、彼は知っているのだが──他人の眼の中に求めるべきなのだ。
(サルトル『一指導者の幼年時代』中村真一郎訳、読点加筆)

 もちろん、「他人の心のなかを知ることなんて、絶対にできない」(スーザン・マイノット『庭園の白鳥』森田義信訳)ということを知ったうえで、他人が自分のことをどう思っているのか、考えるのである。ベン=ジェルーンの『砂の子ども』7にある、「私は沈黙のうちに錯乱し、彼女の思考と一体化し、それを私自身の思考として認識することができた。」(菊地有子訳)の「錯乱」という言葉など、ランボーの手紙のなかにある言葉を思い起こさせるが、この主人公は「錯乱」しているというよりはむしろ「錯覚」していると言った方が適切であろう。さて、この辺りで、そろそろ羊の話に戻ろう。まえに引用した「それはいくらか私自身であった。」や「すべての人々のなかに私自身を見る。」などに見られる、ジュネの「誰もが私である。」という言葉に収斂していくものとは違って、ランボーの「我とは、一個の他者である。」という言葉は、これまで見てきたように、「私」の成り立ちと、その起源について、ほんとうに、さまざまな知見をもたらせる、多元的な認識を示唆するものであった。一方、ジュネの言葉は、そういった多元的な認識を示唆するようなものではなかった。というのも、ジュネの言葉が、まず、「他者」は「他者」であり、「私」は「私」である、ということを前提したものであるからであろう。ランボーの言葉は、その前提にこそ疑いの目を向けさせるものであったのである。

しかし、本当は、どちらがどちらに似てゐたのであらうか?
(三島由紀夫『太陽と鉄』本文)

すべてのものが似ている?
(エリュアール『第二の自然』14、安東次男訳、疑問符加筆)

もっとよく見ようとすると、いっそう見えなくなる。
(ダンテ『神曲』浄罪篇・第三十三歌、野上素一訳、句点加筆)

それが「僕らの自我」
(ホフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)

ほんとうさ。
(ジュリアス・レスター『すばらしいバスケットボール』第一部・I、石井清子訳)

嘘じゃないよ。
(サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』小舟のほとりで、野崎 孝訳)

夕方になると、
(ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』不在、三好郁朗訳)

縄跳びをする少女がいる。


ひと跳びごとに少女の数が増えていく。


同じ姿の少女の数が増えていく。


少女は永遠に縄とびをしているだろう。
(サルトル『自由への道』第一部・8、佐藤 朔・白井浩司訳)

ノックの音。父がはいって来た。
(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳)

 その後ろから、パパに瓜二つのパパが入って来た。二人のパパが、ぼくの机の横に立って何か言いかけたところで、またもう一人のパパが入って来た。と、思う間もなく、四人目のパパが、開いたままのドアをノックして、ぼくの部屋に入って来た。そうやって、ぼくの部屋のなかに、つぎつぎと瓜二つそっくりのパパたちが入って来た。ぼくのベッドのうえにまで立つたくさんのパパたち。ぼくも、とうとう立ち上がって、たくさんのパパたちのあいだで、押し合いへし合い、ギューギューギュー。うううん、暑いよ、パパ。うううん、痛いよ、パパ。ぼく、つぶれちゃうよ。ああ、もうこれ以上、部屋に入って来ないで。あああん、パパ、いたたたたた、痛いよ、パパ!

文学極道

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