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作品 - 20171109_170_10017p

  • [優]  責任 - 霜田明  (2017-11)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


責任

  霜田明

 
    一

 猫を見ていると、生理的なものと精神的なものの距離が、人間においてよりも近くあるんじゃないかと感じることがある。
 座っている猫に愛情を示そうとすると、猫は僕が餌をくれるんじゃないかと思って立ち上がる。あるいは、座ったまま眠たそうにまばたきをすることもある。
 猫はきっと、生理的な優しさというものを知っている。

    一

 君を見ているとわかる
 覚えていることよりも
 忘れていくことのほうが
 つらい

    二

 フォークシンガーの高田渡に「山はしろガネ」という歌がある。「スキー」という唱歌の替え歌で、この歌が歌われると、聴衆からやじが飛んだり笑い声が起こったりする。

  借りたお金はウン百万を超えてきた
  眺める月日の風切る速さ
  困るよ困るよと言われちゃこっちが困る
  がたがた言うなよそのうち返す

           高田渡  『山はしろガネ』

 高田渡が金を借りたまま返さないというのは事実だったらしく、返ってこないと知りながら、それでも貸す人がいたというのも事実だったらしい。
 僕は昔、金を借りるというのは、立派な能力だと書いた記憶がある。高田渡は酒の飲みすぎで突然倒れて死んだ。56歳のことだったが、必然のように死んだ。

    二

 歩くために歩いたことなんか
 一度もなかった
 でも、愛するために愛したことは
 なんどもあったという気がする

    三

 ソファーに寝転びながら本を読んでいると、猫がやってきて、僕の上に乗ろうとしたが、上手く行かずにそのまま立ち去っていった。冬になると、猫は人肌が恋しくなるらしい。
 僕はニュース番組を見ていた。九人の首を切ってクーラーボックスに保管していた男が逮捕された。
 最近、天気予報の外れることがなくなった。友部正人の「ぼくらは同時に存在している」という曲の歌詞に、「天気予報は外れたけれど」とあるが、これからは通用しなくなるんだなと思った。
 僕は猟奇的という言葉がこの頃、嘘のようにしかテレビのテロップを飾れないことを見ていた。

    三

 倫理性というのは
 自分がどう振舞えるかという問題だ
 他人がどう振舞ったかを
 裁くためのものではない

    四

 最近になって、息子というのは母親の作品なんだと真剣に思うようになってきた。でも、この言葉はいろんな意味で反発を食ったり、誤解されるだろうと思って、どこにも書かなかったし、誰にも言わなかった。
 僕はものを書く機会さえあれば、何度も何度も、爽やかだという言葉を使ってきた。それは朗らかという言葉の上位概念だと、何度も書いた。天気予報が当たるようになると、新聞の見出しの言葉は「ソフトバンク優勝」の一言さえ嘘のように思われるのは、爽やかなことだと感じていた。

    四

 他人を裁くときには
 無責任に裁くしかないのに
 自分自身が裁かれるときには
 責任を負う形で裁かれる

    五

 紙幣は価値を持っていないのに、お金は価値を持っている。それは、人間が価値に対して臆病なことに関係しているのではないかと思う。
 僕はお金を使うのが怖いという感覚を、詩的現実として信じているが、暮らしの中でその感覚を持ったことがなく、むしろお金を持っているという意識のほうに恐怖を感じることがある。
 それはどちらも、通帳に乗っている文字のような抽象的な意味合いでのお金ではなく、実際にお札の手触りを感じているような、具体的な意味合いでの「お金」の話である。

    五

 エゴイズムは自分が存在することに
 責任を負わねばならないからこそ起こるのだから
 善悪は、意味を持っていても
 なんの価値も持ってはいない

    六

「鬱病は心の疾患ではなく、脳の伝達機能の疾患です。」
「批評を読むのはよしなさい、美を台無しにしてしまうから」
 僕は思う、現実は、想像される価値と、思考される意味という、二枚の合わせ鏡の生み出す像のようなものだ、想像されることも、考えられることも、掴むことのできない領域として、個別性として立ち現れるのが現実自体なのだと。
 本物の母親というのは、個別の母親なんだ。母親という価値でも、他者という意味でも、掴むことのできない現実の「あなた」が、本物の母親ということなんだ。

    六

 関係することは
 一人でいることではない
 それでも君に出会ったとき
 僕はどこにもいなかった

    七

 二人でいることには内部がない。君といる時、僕は君と隔たっているから。
 僕は「僕といる君」と一緒にいて、君は「君といる僕」と一緒にいる。それらは完全に隔たっている。
 でも、そこには二人でいることがある。二人でいることには内部がない。でも、そこには二人でいるということ自体が、僕らよりもたしかに存在している。
 
    七

 身体が君より先にあって
 世界には誰もいなかった
 鈴の細い音が身体からこぼれようとする液体の
 君の落下を止めようとするのを聞いた

    八

 僕は君と出会うことでもっとも強く現実を意識する。それは君が明らかに個別の君だからだろうか。

    八

 出会うことの冷たさと
 別れることの冷たさは似ている
 出会っている間の暖かさより
 ずっと深いところで触れる冷たさがある

    九

 平等という言葉の流行とともに父権が消えていく。新米の寿司職人が十年間もシャリを握れないことの無駄な時間が、父権を育てることの空間だったのではないかと思う。
 父権がなくなってしまった今、誰が誰を叱ってあげられるだろう。
 現代を憂えているわけではない。
 ただ、死んだ人をかえってはっきりと目に見ることがある。

    九

 死にながら生きているという言葉の
 解釈の冷たい底に触れたとき
 僕は僕を取り巻く羨望たちの
 優しい声を聞いた

    十

 冬と君の身体は似ていると思うことがある。僕がそばにいてほしいときに君がいないということだけが優しさだと感じられることがある。

    十

 意味はいつも遠くて
 価値は重たい
 君を遠ざけることは
 僕にとって重たい

    十一

 吉本隆明の「フランシス子へ」という本を昨日読み返した。吉本隆明は政治的な意味合いで、とても胡散臭いところに位置づけられてしまっているように感じる。

  ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
  もたれあうことをきらった反抗がたおれる

             吉本隆明  『ちいさな群への挨拶』

 僕は彼から「思想」の二字を学んだ。それから彼が書いた言葉は全面的に正しいと思いこんでいた時期を経て、次第に誤りの多いことを学んできた。そして振り返れば、それが僕の学びの全てだった。

    十一

 存在することよりも先に
 君に欲望されることがあったから
 冬の街を目的もなく存在し暮らしていくことが
 責任のように反芻される

    十二

 吉本隆明は死ぬ直前に口述したその本の中で、死んでしまった猫について話していた。吉本隆明の長女曰く、その猫が死んでしまって、その後を追うように、彼自身も死んで行ってしまったらしい。
 遊ぶわけでもなく、ただじっとそばにくっついている猫が自分の「うつし」のように感じられる。自分にそっくりだと感じられながら、人間と猫の間の微妙な誤差が振る舞いの中にどうしても出てきて、その誤差に猫のたまらないかわいさがかえって出てくるんだって書いてあった。

    十二

  誰かと一緒に話していても、話を聞いてくれる人は
  死んでしまった人ばかりだという気がしてくる
  死にながら生きているという言葉を
  口をつぐんだことの冷たさに覚える

文学極道

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