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作品 - 20170508_602_9598p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


全行引用による自伝詩。

  田中宏輔



マクレディの長老教会派(プレスピテイアリアン)の良心は、一旦めざめさせられると、彼を休ませてはおかなかった。
(J・G・バラード『沈んだ世界』3、峯岸 久訳)

ウェンデルの質問は、もうとっくに、あのバージニアカシの生えたなだらかな丘のガソリン臭い空気の中へ、置きざりにされている。
(ウォード・ムーア『ロト』中村 融訳)

だが、ボドキンは行ってしまっていた。ケランズはその重い足音がゆっくり階段を上がって、自分の部屋の中に消えてゆくのを聞いた。
(J・G・バラード『沈んだ世界』3、峯岸 久訳)

言葉ではあらわせない。
(フランク・ベルナップ・ロング『ティンダロスの猟犬』大瀧啓裕訳)

絶叫する沈黙の中で、
(フランク・ベルナップ・ロング『ティンダロスの猟犬』大瀧啓裕訳)

すべての知識は、それなりの影響力をもつ。
(ブライアン・W・オールディス『一種の技能』2、浅倉久志訳)

幸福とおなじように、おそらく苦悩もまた一種の技能なのではなかろうか?
(ブライアン・W・オールディス『一種の技能』跋、浅倉久志訳)

人間は自分自身に孤独になり、耐え切れずにちょっかいを出し、結婚し、そして二人して孤独になるのだ。
(シオドア・スタージョン『きみの血を』山本光伸訳)

優れた比喩は比喩であることをやめ、そのまま分析として通用することがある。
(シオドア・スタージョン『きみの血を』山本光伸訳)

哲学者の脳ミソの中よりも、ひとつの石ころにこそ多くの謎がある。
(デーモン・ナイト『人類供応のしおり』矢野 徹訳)

ラウラが嘘をついたところでどうってことはない。あのよそよそしい口づけやしょっちゅう繰り返される沈黙と同じ類のものだと考えればいいのだ。そして、その沈黙の中にニーコが潜んでいるのだ。
(コルタサル『母の手紙』木村榮一訳)

言語が、それを使う人種の根本的な思想の反応であることは、ご存じの通りだ。
(デーモン・ナイト『人類供応のしおり』矢野 徹訳)

自由なのは見捨てられたものだけだ。
(ブライアン・W・オールディス『終りなき午後』5、伊藤典夫訳)

毒というのは説得力があるな
(ティム・パワーズ『石の夢』上巻・第一部・第十章、浅井 修訳)

あなたには他人のことがけっして理解できないのよ。あなたはいつもひとりぼっちだった
(ティム・パワーズ『石の夢』上巻・第一部・第十一章、浅井 修訳)

Summa nulla est.(スンマ・ヌルラ・エスト、総和は無なり)
(コードウェイナー・スミス『老いた大地の底で』3、伊藤典夫訳)

「どこまで深く降りたかではない」老人は心外そうな顔をした。「どこにいるかが肝心なのだ。(…)」
(コードウェイナー・スミス『老いた大地の底で』5、伊藤典夫訳)

ここまで来てしまうと、何もかもが変わる。
(コードウェイナー・スミス『老いた大地の底で』5、伊藤典夫訳)

いまの人間のいったい何人が、古い憤りのひりつく冷たさを味わったことがあるだろう? 太古にはそいつが糧だった。しあわせを装いながら、いきるはりは嘆きであり、怒りであり、憎しみ、恨み、希望だった。
(コードウェイナー・スミス『老いた大地の底で』2、伊藤典夫訳)

(…)ク・メルが人間に通じているのは、なによりも自分が人間ではないからだった。ク・メルは似せることで学んだが、似せるという行為は意識的なものである。(…)
(コードウェイナー・スミス『帰らぬク・メルのバラッド』3、伊藤典夫訳)

「彼、どうして裸なんだい?」
「裸でいたいからよ」
 ゼアはかすかに笑みを浮かべ、やがてその笑みが大きくなった。体の中に笑いがあるようで、周囲の人間たちも笑みを浮かべて、たがいに顔を見合わせ、そしてゼアを見た。
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

ラ・セニョリータ・ラモーナの家に、そして男たちや女たちの上に霧がかかり、彼等が交わし、いまだ空気の中に漂っている言葉を残らず、一つ一つ、決して行く。記憶は霧が課する試練に耐えられない、その方がいいのだ。
(カミロ・ホセ・セラ『二人の死者のためのマズルカ』有本紀明訳)

「(…)あいつのあの顔つきときたら、いつだって同じだ。そりゃニクソンだって自分のおふくろは愛してただろうけど、あの顔じゃとてもそうは思えないよな。心で思ってることがうまく表情に出ない顔の持ち主ってのも、哀れなもんだよな」
(アン・ビーティ『燃える家』亀井よし子訳)

 そういうことがあって、彼はわたしを愛すると同時に憎んでもいる。わたしは他人が近づきやすいタイプの人間なので、彼はわたしを愛している。彼自身、そうなりたいと思っているからだ。教師だから。彼はある私立校で歴史を教えている。ある夜遅く、彼とわたしがチェルシーを歩いていると、身なりのいい老婦人が自宅の門から身を乗り出して、グリーンピースの缶と缶切りをわたしに差し出し、「お願いします」といったことがある。また、地下鉄に乗っているとき、ひとりの男に手紙を渡され「何もいってくれなくていい、ただこの一節を読んでくれませんか。破り捨てる前に誰かに見てもらいたいだけなんです」といわれたこともある。こういうことはたいてい、奇妙なかたちではあるけれども、愛にかかわりのあることだ。もっともグリーンピースは、愛とはかかわりがなかったが。
(アン・ビーティ『駆けめぐる夢』亀井よし子訳)

「新しいことを習うのが嫌いなのさ」
(アン・ビーティ『駆けめぐる夢』亀井よし子訳)

「七七七号、あなたはつまり、わたしを信じていないといいたいんですね」
 しかしエルグ・ダールグレンは心の底ではそうではないことを知っていた。そして何か別のことを心待ちしていたのだった。傷つきやすいものへの一瞥、女王も近づけない、彼が"自我"と名づけた本性への。
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』26、藤井かよ訳)

 どうしようもないのは、彼女が自分を愛しており、自分も彼女を愛しているという事実だった。それなのに、なぜ自分たちはこんなふうに喧嘩別れをするはめになるのだろう?
 疑問が湧きおこる。ボズは疑問が嫌いだった。かれは浴室に入り、「オーラリン」を三錠飲みこんだ。多すぎる量なのだが。それからかれは腰をおろし、縁に色彩を帯びた丸い物体が果てしないネオンの通路をなめらかに動いていくのを見つめた。ズィプティ、ズィプティ、ズィプティ、宇宙船と人工衛星。その通路は病院と天国が半々になったような臭いがし、そしてボズは泣きはじめた。
(トマス・M・ディッシュ『334』解放・1、増田まもる訳)

あらゆる方角の歩道や壁が同意した。
(トマス・M・ディッシュ『334』解放・3、増田まもる訳)

(…)わたしは目を閉じて、ブルーノの夢を想像してみようとする。だが、行きつくのはブルーノが夢にも見そうもないことばかりだ。青い空。あるいは台地が冷えきったときの野原の無情さ。たとえそういうものに気づいていたとしても、ブルーノはそれを悲しいとは思わないだろう。
(アン・ビーティ『駆けめぐる夢』亀井よし子訳)

 つまり記憶を記憶しているということだろうか。頭のなかで同じ場面をくりかえし再生するうちに、アナログ・レコードのように新たなエラーや新たなずれが加わるだけでなく、新たな推測もつけ加わるのかもしれない。ウェットウェア・メモリというやつはじつに興味深い。誤りが多いだけでなく、編集可能ときている。
(ロバート・J・ソウヤー『ゴールデン・フリース』24、内田昌之訳)

「急ぐことはありません」
 口ではそう言うが、意味は急ぐということだ。そして動きださないということは、早いにこしたことはない、ということだ。
(ジャック・ウォマック『テラプレーン』2、黒丸 尚訳)

 ある人間が別のある人間にはじめて会うときには、直感的に感情移入と識別を行って、たがいに相手を吟味する段階がある。ところがドゥーリーには意志を疎通させることがどうにも不可能だった。ドゥーリーはまさに敵対的な侵入勢力そのもののような男だった。彼がまっすぐこちらの精神のなかにはいってきて、何か利用できるものはないかときょろきょろしているのが感じられた。
(ウィリアム・バロウズ『ジャンキー』第六章、鮎川信夫訳)

すべきでないことが、あきらかに二つある。未来をのぞいてはいけないし、他人の心をのぞいてはいけない。
(マレー・ラインスター『失われた種族』中村能三訳)

 不安な気持が──努力によってであれ自然にであれ──突如雲散霧消すると、人間は喜ばしい自由の感覚、チェスタトンが「理屈では割りきれない良き知らせ」と呼ぶ感じを経験する。これは単に問題そのものが消え失せたからではない。安著感が生じたおかげで突然自分の存在を「鳥瞰図的に」見ることができるようになり、遙かなる地平の感覚に圧倒されるからである。人間は、自分は実際には宮殿をもっているのにこれまで精神的なスラム街に住んでいたのだということに気づく。(…)逆説的に言えば、人間はすでに自由であり幸福なのだが、誤解が妨げになって人間はそのことをまだ知らずにいるということになる。
 それではこの状態を打開するにはどうしたらいいか。根本的な答えは現代の心理学者エイブラハム・マスロウによって発見されている。健康人の心理学を研究する決意をし、健康人ならば誰でもしばしば「絶頂体験」──幸福と自由がふつふつと生じる喜ばしい感覚──を経験するらしいことを発見したのがこのマスロウである。マスロウが学生に絶頂体験のことを話したところ、学生たちは、そういえばそんな体験をしたことがありますが、じきに忘れてしまいましたと言いながらも、ぽつぽつ想い出しはじめた。そうして、「絶頂体験」のことを話したり考えたりしているうち、学生たちはいつも絶頂体験をするようになった。これはいつも絶頂体験のことを考え、心をその方向に向けていたからにほかならない。
(コリン・ウィルソン『ルドルフ・シュタイナー』1、中村保男・中村正明訳)

 ひとつの〈呪文〉を唱えると、すぼめた両手のあいだに、小さな地獄のかけらが出現した。亜物質世界の〈無形相〉の力をひきだすためのドアだ。いそいで、最初に心に浮かんだ〈形相〉を召喚する。結合した火と気──稲妻だ。それから〈呪文〉を唱える。目標物に──声〓に脅威をさけびちらしている金属と火薬の混合物にむけて、まっすぐ稲妻を投げつけるための呪文だ。稲妻に形を与えたり、変換している余裕はない。両手をひらくと、稲妻がうなりをあげ、空気を切り裂いて上昇する。手のひらから大人の身長分ほどもあがったところで、稲妻は三本にわかれ、いっせいに落下した。一本は、瓦礫のうしろにいた少年に襲いかかった。あとの二本は、サイレンスが見ても気づいていてもいなかった銃を、直撃している。
(メリッサ・スコット『地球航路』7、梶元靖子訳)

 女の声が、背後から飛んだ。サイレンスはふりかえった。地獄のかけらをかかえているため、あまりはやく動けない。〈無形相〉の力がいそいでつくられたバリアにあたり、地獄がシューシューと音をたてる。あらゆる色彩を秘めながらいかなる色でもない、目を焼くような円盤から、火花があがり、またおちてくる。
(メリッサ・スコット『地球航路』7、梶元靖子訳)

 イザンバードが〈土と気の呪文〉を唱えて、円盤の上の空間に予想どおりの型をつくりあげ、それに実体と〈形相〉を与えた。つづいてサイレンスがそれに応える〈呪文〉を唱え、〈形相〉を自分のパワーに固定する。形を得た空気が、(…)
(メリッサ・スコット『地球航路』9、梶元靖子訳)

「そう、それなんだ」とク・メルは心にささやいた。「いままで通りすぎた男たちは、こんなにありったけの優しさを見せたことはなかった。それも、わたしたち哀れな下級民にはとどきそうもない深い感情をこめて。といっても、わたしたちにそういう深みがないわけじゃない。ただ下級民は、ゴミのように生まれ、ゴミのように扱われ、死ねばゴミのように取り除かれるのだ。そんな暮らしから、どうやって本物の優しさが育つだろう? 優しさには一種独特のおごそかなところがある。人間であることのすばらしさはそれなのだ。彼はそういう優しさを海のように持ちあわせている。(…)
(コードウェイナー・スミス『帰らぬク・メルのバラッド』3、伊藤典夫訳)

ラムスタンはグリファに惹かれると同時に、それを憎んでいた。今はグリファが両親とおじの声を使ったことで、彼らまで憎らしくなっていた。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』26、宇佐川晶子訳)

(…)いつだったか、昼食もとらずに朝から晩までそこの閲覧室(…)に閉じこもって物理の勉強をしたことがある。六時にそこを出たのだが、あまり一生懸命勉強したせいか、一種の化学反応のようなものが起こって、周りのものがいつもとは違った輝きを帯びて見えたのを憶えている。信心深い人ならあれを神秘的な経験というのだろう。あの時は、要塞の斜堤やその近くの歴史をしのばせる街路、コロニアル風の広場が黄昏時の光とはまたちがった一種異様な光を受けてこまかく震えていた。あの光は外から来るものではなく、ぼくの眼から出た光であり、その光によって由緒あるあのあたりの光景が一変して見えたのだ。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』すべてが愛を打ち破る、木村榮一訳)

(…)ほんの一瞬ではあったが、娼婦のシオマーラを通してぼくは二度と会うことのなかったあの女の子を思い出したのだ。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』最後の失敗、木村榮一訳)

 フェリックスはあえぎながら木の根元に横たわった。眩暈がしたし、すこし吐き気がした。自分の大腿骨の残像が、この世のものならぬ紫色に輝きながら目のまえに漂っていた。「ミスター・ラビットに会いたい」フェリックスは電話に向かってそうつぶやいたが、答えはなかった。少年は泣いた。もどかしさと孤独の涙だった。やがて、目をつぶって眠った。眠っているうちに、星々から滑り降りてきた蜘蛛が銀色の絹ならぬ糸を出してフェリックスを繭のなかにつつみ、放射線で損傷を受けた体をまたも分解して、元どおりに形成しはじめた。これで三度目だった。これを三番目の願いに選んだフェリックスがいけなかったのだ。若返り、友達……そして男の子ならだれもが胸に秘めている望み。冒険続きの毎日は、当事者にとって決して愉快なものではないという事実を、男の子たちは理解していないのだ。
(チャールズ・ストロス『シンギュラリティ・スカイ』外交行為、金子 浩訳)

「でも実際にはどんなことをするんです」
「法令では〈助言、助力を与え、友人としての役割を果たす〉となっていますね」
「でも法律の命令で友人関係になれるはずがないわ。どんなに恵まれない人だって、そんなまがいものの間に合わせの友情に満足したり、だまされたりするわけがないでしょう」
「間に合わせといっても、大がいの人がその間に合わせしかもっていませんよ。人間は友情にしろ金にしろ、ほんのわずかで我慢している。彼らが僕の親切に頼っている以上に僕の方が彼らの親切を頼りにしているといえる。きみのパセリは元気がいいですね。うちではだめだろうな。あれは種から?」
「いいえ、ベーカー通りの健康食品店で根を買って来たのよ」
 フィリッパはパセリを少し摘んで彼にプレゼントした。セントポーリアのお返しができてうれしかった。お返しをすれば、母も自分も彼に借りを感じる必要はない。保護司はパセリを受け取ると(…)
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第二部・11、青木久恵訳)

(…)だが何も期待していなかったことが、あの瞬間の純粋さの一部を形成していたのだし、そのおかげで人が善良と呼んでいるらしいものに近づくことができた。彼は悲しむことの苦しさを忘れかけていたが、それが今舞い戻ってきた。(…)オーランドーの死(…)そして十年前の六月の柔らかな陽を浴びて彼と一緒に芝生を歩いた滑稽なスカートをはいた少女まで一緒くたに一つのもの悲しい郷愁の中に包み込んで、幅広く拡散していた。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・9、青木久恵訳)

本を読みながら眠りこむと、言葉に暗号のような意味がある感じになってくる…… 暗号にとりつかれて…… 人間は次々に病気にかかり、それが暗号文になっている……
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』病院、鮎川信夫訳)

忍び笑いの暴徒が焼かれているニグロの叫び声と性交をする。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』必要の代数、鮎川信夫訳)

代数のようにむきだしの抽象概念は次第にせばまって黒い糞か、老いぼれた睾丸になる……
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』委縮した序文、鮎川信夫訳)

ばらばらに砕けたイメージが、カールの頭の中で静かに爆発した。そして、彼はさっと音もなく自分の身体から抜け出していた。遠く離れたところからくっきりと明白にランチルームにすわっている自分の姿を見た。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』ホセリト、鮎川信夫訳)

 ミンゴラは雨戸の隙間からこぼれる淡い明け方の光に目をさまして、酒場にいった。頭痛がし、口の中が汚れている感じがした。カウンターの半分残ったビールをかっさらって、掘ったて小屋の階段をおり、外にでた。空は乳白色だったが、雨のあとの水たまりはもう少し灰色をおび、腐敗した沈殿物(ちんでんぶつ)でもできているように見えた。屋根の棟(むね)もゆがんで邪悪な魔法にかけられているように思える。町の中心部にむかうミンゴラの目の前から、犬がこそこそと逃げてゆく。裏返しになった平底舟の下では蟹がちょこちょこと歩きまわり、掘ったて小屋の下では一人の黒人が気を失って倒れ、乾いた血がその胸に縞(しま)模様をつけている。ピンク色のホテルのすぐわきの石のベンチには、ライフルをかかえた老人が眠っている。事象の潮がひいて、底辺居住者の姿があらわになったようだ。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・7、小川 隆訳)

太陽は死んでいるのに、まだそれに気づいていない。でも、わたしたちは知っています。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』25、岡部宏之訳)

 クロネッカーの鉄則である《構成なしには、存在もない》以来、純粋数学者のなかには構成的でない存在定理にポアンカレの時代以上に熱心でないものもいる。しかし数学を利用するものにとっては、細部がどうなっているかということが、研究を進めていくうえにどうしても必要である。
(E・T・ベル『数学をつくった人びと III』28、田中 勇・銀林 浩訳)

 しかし、数学上の創造は、単に既知(きち)のことがらのあらたな組合せを作ることにあるのではない。「組み合わせることはだれにでもできることだが、作りうる組合せは無数にあり、その大部分はぜんぜん的外(まとはず)れのものである。無用な組合せを避け、ほんの少数の有用な組合せを作ること、これこそが創造するということなのである。発見とは、識別であり選択である」。それにしても、これらのことは、すべて何度となく繰り返しいわれてきたことではないだろうか。たとえば選択が、とらえがたい選択こそが、成功の秘訣であることを知らない芸術家が一人でもいるだろうか。依然としてわれわれは、調査研究の出発点から一歩も出ていないのである。
 ポアンカレの、この点の観察については、これで切りあげるが、(…)
(E・T・ベル『数学をつくった人びと III』28、田中 勇・銀林 浩訳)

ジャーブはそう感じる、クローネルもアイネンもそう感じる、それぞれが別々の心の中で。
(ホリア・アラーマ『アイクサよ永遠なれ』4、住谷春也訳)

言葉は死にたえた。アイネンの眠りは深い。ストラッコとヴラーラは全身を耳にしている。森林が語る。
(ホリア・アラーマ『アイクサよ永遠なれ』4、住谷春也訳)

 森の中では、時として、みんな黙ってしまうようなことが起こるものだが、それは沈黙の中に、忘れ去ってしまった音がいっぱい詰まっていて、そんな時でなければ聞くことができないからだ。あんたが話してくれたように、森は、われわれが失ってしまったものを思い出させてくれる。その森の沈黙の中に足を踏み入れて、しばらくすると、忘れられた生活と出会うこともない日常生活を忘れ、森が、静寂や、驚嘆、疑念、沈黙の中に聞こえる囁きという、別の次元の力を借りて、われわれに過去を思い出させようとする。水の音に誘われて歩いて行くと、羊歯と泥に埋まった岩の間を走る一筋の流れに出会い、あんたはその源を突き止めたいと思った。ますます急になる道を喘ぎながら登り、滝に出たが、音は近づいたものの、源流はまだだった。音の不思議な手品によって、遠くのものが近くに聞こえ、ファルファーレの谷全体が人を欺く谺(こだま)の壁をめぐらし、闖入者を防ぐ方法を見つけたかのようであった。
 ハビエルにそのことを話そうと思い、振り返ってみると、あんたは一人ぼっちなのに気がついた。ハビエルをどこかに置いてきてしまったのであった。あんたはいま自分がどこにいるのか知りたかった。大声で叫んでみたが、声はどこにも届かず、自分の頭の上で堂々巡りをし、また自分の唇に戻ってくるかのようであった。さらに谷を分け入って行けば完全に迷ってしまうだろうと思い、山の見晴らしのきく所まで登り、位置を確かめ、遙かに道路を見極めて、そこに向かって下りて行くことにした。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

「〈きんのとびら〉の女と一緒の別世界にいっても、おまえはなんにも学ばなかったようだな。相変わらずの大バカ野郎だ。人生がどうだっていうんだ? あるがままの人生を受け入れられんのかね? おまえはいつもありもしないものに憧(あこが)れてるだけじゃないか。どれだけ大勢がおまえのことを、おまえの仕事をうらやましがってると思ってるんだ? またもとの仕事につけただけでも、とんでもなくラッキーなんだぞ」
「わかってますよ」
「だったらなんでおとなしくしない? なにが問題だっていうんだ?」
「人は夢や希望といったものを一度持つと」と、ハドリーは少し考えてから説明しはじめた。「それをあきらめなければならなくなったあと、とてもつらい日々をすごさなくちゃならなくなるものなんです。あきらめること自体は簡単です。そのことだけならね。人が夢を捨てなきゃならないことってのはどうしてもあるものですからね。でも問題はそのあとのほうで……」と、ため息をつきながら肩をすくめ、「……夢がなくなったあとなにが残ります? なにもありません。そのむなしさは恐ろしいほどです。途方もない虚無感。それがほかのことをなにもかも呑みこんでしまうんです。その空白は宇宙のすべてより大きいほどです。しかも日に日に大きく深くなっていきます、底なしに。ぼくのいってること、わかりますか?」
「わからんね」とペテル。それどころか彼にはどうでもいいことだった。
(フィリップ・K・ディック『空間亀裂』14、佐藤龍雄訳)

(…)シプリアーノは太古の薄明を自分のまわりにめぐらしつづけていた。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上巻・14、宮西豊逸訳)

(…)駐屯所の兵隊や将校や書記たちは、すわった黒い目で彼女を見守りながら、肉体をそなえた彼女自身ではなく、人間の肉体的完成の近寄りがたい妖艶(ようえん)な神秘を見ているのであった。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』下巻・20、宮西豊逸訳)

万象がほの暗い薄明につつまれていた。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』下巻・20、宮西豊逸訳)

「──ふふん、これだな、必要がオノレ・シュブラックを、またたくひまに脱衣せしめた場合っていうのは。どうやらこれで彼の秘密がわかって来たような気がする」と、わたしは考えたものだった。
(ギヨーム・アポリネール『オノレ・シュブラックの消滅』青柳瑞穂訳)

 ニックはこの一瞬のうちに、永遠の美の煌(きらめ)めきを見た──無邪気に大笑いしているフェイはなんと愛らしいのだろう。卵形の洞窟の中で力いっぱい弓なりになった舌も、ピンクのうねのある口蓋も、全部まる見えになるほど大きな口をあけて笑っている。探るのに一生かかりそうな奥深い心の底を息をのむような暗闇に、天の贈りものともいうべきつかのまの光があたったのだ──偶然のいたずらでほんの一瞬かいま見えた美しさが、長年にわたって磨きぬかれた巧まざる女の計算を覆い隠し、彼女をよりいっそうミステリアスに変身させてしまうとは。
(グレゴリイ・ベンフォード『相対論的効果』小野田和子訳)

子供の頃、オードリー・カーソンズは物書きになりたかった。物書きは金持ちで、有名だったからだ。
(W・S・バロウズ『おぼえていないときもある』レモン小僧、山形浩生訳)

ストローの中の尿黄ばんだ空
(W・S・バロウズ『おぼえていないときもある』イブニング・ニュース、渡辺佐智江訳)

病気や不具はたいていは無視から生まれる。痛いのから目をそむけていると無視したせいでいっそう不快になり、それをまた無視するはめになる。
(W・S・バロウズ『おぼえていないときもある』DEの法則、柳下毅一郎訳)

アウグスティヌスは、『三位一体論』第九巻において、「われわれが神を知るとき、われわれのうちには何らかの神の類似性が生ずる」といっている。
(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第一二問・第二項、山田 晶訳)

神は視覚によっても、他のいかなる感覚によっても、また感覚的部分に属するいかなる能力によっても見られることができない。
(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第一二問・第三項、山田 晶訳)

 確実に彼らはフランスのなかの恵まれた土地にいた。厚ぼったい紙を膝の上にひろげて、隣りの席の乗客たちはナイフを使い、噛み、歯に挾まったものを音を立てて取った。そのことから、ギョームはフランス人についてのこんな新しい定義を考えついた。フランス人とは、ものを食べない十五分は耐えがたいということを知っている人間である、と。もう何年も前から不足しているこの卵、肉、バターを、このひとたちはどこで見つけたのだろう?
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』23、菅野昭正訳)

質問と答えは大きな声、あたり一帯の沈黙のなかでは突飛な声で行われたが、しかし愚かさというのは大声で話すことを好むものなのだ。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』23、菅野昭正訳)

 クリフォード・ブラッドリーは長い間待たされたにしてはかなりよく耐えていた。言うことにも矛盾はないし、毅然とした態度をとろうと努めていた。しかしすえたような恐怖の病菌を部屋の中まで持ちこんでいた。恐怖は人間の感情の中でもとりわけ隠し方がむずかしい。ブラッドリーの身体はひきつり、膝の上で手が落ち着きなく握ったり開いたりしていた。小刻みに震える唇、不安げにしばたたく目。もともと見ばえのするほうではないし、おびえる姿は見る者に哀れを催させた。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第二部・15、青木久恵訳)

 ダルグリッシュとマシンガムはソファに坐った。スワフィールド夫人はひじかけ椅子の端に腰をかけて、二人を励ますように笑いかけている。夫人は陽気な部屋に、手製のジャムに似た、あるいは指導の行きとどいた日曜学校、ブレイクの《エルサレム》を歌う女性コーラスに似た安定感を持ちこんでいた。二人はすぐさま夫人に親しみを覚えた。それぞれ違った人生を歩んできた二人だが、どちらも彼女のような女性に会ったことがある。彼女が人生にボロボロにすりきれた部分があることを知らないわけではない。この女性はその部分に断固たる手つきでアイロンをかけ、きれいに繕ってしまうだけなのだ。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第三部・1、青木久恵訳)

美しいものはすべてそうだが、人の心を慰めると同時にかき乱す。強烈な力で内省を強いるのだ。
(P・D・ジェイムズ『灯台』第一部・3、青木久恵訳)

 おばさんは食卓の上座に、シートンは末座に、そしてぼくは、広々としたダマスコ織りのテーブル・クロスを前にして二人の中間に坐っていた。それは古くてやや狭い食堂で、窓は広く開いているので、芝生の庭とすばらしい懸崖(けんがい)作りのしおれかけた薔薇の花とが見えた。おばさんの肘かけ椅子はこの窓のほうに向いていたので、薔薇色に反射する光が、おばさんの黄色い顔やシートンのチョコレート色の目にたっぷりと照りつけていた。ただしおばさんの目は、異常に長くて重いまぶたになかば以上隠されていたので、これだけは別だった。
(ウォルター・デ・ラ・メア『シートンのおばさん』大西尹明訳)

 "集合無意識"に関する古い理論は、泉の枯渇によってほぼ立証されたかに見えた。これはすべての人間が共有するひとつの無意識があるという理論である。その無意識が、哺乳類から鳥類、魚類、蛙、蛇、トカゲ、ミミズ、蜜蜂、アリ、コオロギ、ブヨにいたるまでのあらゆる動物に共有されている、という過激な論者もいた。もっと過激な一派は、その無意識が、森の樹木から野原の草、そして海の海草にいたるまでのあらゆる植物にも共有されている、と主張した。さらにはかつて生きていた無生物、たとえば、木材や腐植土、そして、小生物の堆積によって生まれた石灰岩にも、それが共有されている、と考える人びともいた。もっともっと過激な一派は、すべての火成岩もその無意識に寄与している、と唱えた。また、幽霊、すなわち、なじみぶかい亡霊とまだ生まれてこない子供の魂も、その大海に似た泉に大きく寄与していることも知られていた。
 この集合無意識は、地下にあるごみだらけの巨大な海、または湖、または貯水池、または泉である(これらの用語はすべてあてはまる)。その中には、まだ生まれてもいなければ考えもされないすべてのものがあり、また、あらゆる疑似存在とおぞましい怪物がある。また、むかし高く放たれたのに、勢いの衰えた矢もある。光のあるところへたどりつけず、思考になりそこなった矢だ。落下した矢は折れてしまったが、溶けたかたちでさえ、その矢柄にはまだアイデアの貫通力が残っている。
(R・A・ラファティ『泉が干あがったとき』浅倉久志訳)

(…)だが諸君が一番理解できないのは、私は人格になることもできるのに、どうしたらそれを諦められるのかということである。その問いには答えることができる。個人になるためには、私は知的に堕落しなければならないのだ。このような言明に潜む意味は諸君にも理解できるように思われる。人は一心不乱に考えごとに耽っているとき、考察対象の中で自己を失い、精神的胎児を孕んだ意識そのものと化す。彼の知力の中の自分に向けられたすべては主題に仕えるために消滅する。そうした状態を高次の冪(べき)に累乗すれば、なぜ私がもっと重要な問題のために人格の機会を犠牲にしているのかが分かるだろう。実を言えばそれは犠牲でも何でもなく、私は実は一定の人格や諸君が強烈な個性と呼ぶものを欠陥の総和とみなしているのであって、この欠陥のせいで純粋〈知性〉は狭い範囲の課題に永久に投錨された知性と化し、その能力のかなりの部分をその課題に吸い取られてしまうのである。だからこそ私にとって個人であることは不都合なのであって、また、これも同様に確信していることなのだが、私が諸君を凌駕しているのと同程度に私を凌駕する知力は、人格化などというものは尽くすに値しない無意味な仕事だとみなすのである。要するに、精神の〈知性〉が大きくなればなるほど、その中の個人は小さくなる。
(スタニスワフ・レム『虚数』GOLEM XIV、長谷見一雄訳)

文学極道

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