・ 2013.12.11
はてしないような
このおそろしい道だというのに
いざ 私にせまるときには
幼子の 足元に縋りつくように
かなしい障害である さかみち
・ 2014.03.01
そうか このさかみちは
遠い昔に実体を持っていて
すがりつくような
足元の悲しい障害として
今だけに本当であるはずはない
陽光も気味悪く滑らかであるし
(じゃあ、本当は、今だけの本当は何だろう)
影もしいんとしてるし
(それなら、空も 雲も
こんなに明るくては本当でないようだ)
・ 2014.10.16
これは秋の匂い
(散歩にわずか
こころのなかで一人ごち)
力なく蹴る石がころがると
秋のせいだと思っている
・ 2015.01.25
眠たい心には
眠たい毒がある
死に際の瞳孔のように
暗く広がり
世界を明るくみせようとする
(こころには)
寂しい毒がある
・ 2015.05.16
おちこんで 一日眠く
一日眠く 過ごしていると
僕は植物、 だろうか
部屋はほの黄色く
夕方にさしかかるころ
僕の心もぼうっと点滅し
動きのように反応している
・ 2015.11.09
なにをしてすごしてきたか
一日ふりかえってみたけれど
あまりに今日はぼんやりしていて
想えば僕は 僕の暮らしは
0歳のころから今日までずっと
ぼんやりしていたんじゃないか
・ 2015.11.19
薄暗がりを暮らしの
生活十分とするならば
いつでも光りすぎる電球の
小さな傘を見つめていた
(もし僕が大男ならば
落ちる影にも みしみしとした
暮らしの音があるのだろうか)
生きた木の匂いのある天井の下
この部屋をしか知らない光に富んで
今日 ありついた夕飯に
白米も秋刀魚も眩しく
・ 2015.11.28
僕がぼうっと光りながら
黒い傘をさす 植物になって
世界に影のある雨をふらせている
車は闇から闇へ
追われる過去をひたはしり
水たまりはぽしゃぽしゃぬれて
雨の匂いはこげくさいまま
すっかり夜へすべられる
先を行く後ろ姿の
あの人も もうすっかり
歩く人間の植物だ
(あの人の背中は耳
音を聞かずに聞く
あやしい純粋反応器官)
・ 2015.12.06
ほしいものが
たくさんある
肉体的なものもあれば
精神的なものもある
退屈しのぎのためのものもある
ほしいもののたくさんあるこころは
ぽっとした清きほてりにさえ通ずるが
ほしいものをほしがっているこころは
茶碗をしろく齧るような辛いこころだ
・ 2015.12.08
冬になると
他の季節にはとてもうまれない
覚悟のような音の広がりが
木のそれのように
血液をとおってくる
夏にはまったく無為な
どうでもいいくらしと
難解な哲学、
拭い切れない牛乳のような怠惰だ
そして投げやりの深刻さしかないが
冬には声があって、明暗わかれるな、
という気がしずかにしてくる
ほほえみも ゆるみも
積極的な肯定でないと生きていないような
するどい視が感じられる
道にある影を
あきらかに影と感じるようになる
誰かはなしていても
みんな黙りこくってしまっているようになる
口もまぶたも癒着してしまった
偉大な顔が訪れている
・ 2015.12.17
ここのところずっと
からだの血のめぐりがわるい
やさしいひとのてのひらより
神様の顔が恋しいみたいな
ここのところぼくの不健康が
まったくたたってきている
・ 2016.01.07
人にさわる為の両手で
さわられてきたものたち
木のふりをしたものや
鉄のふりをしたものたち
私の持て余す両手の火照りを
静かに受け止めながら
その不貞を咎めて ものたちは
ずしりとした重み
・ 2016.01.22
木々をゆらす風の音が
やんだり なったり している
その風が木の肌とおんなじに僕の肌を吹くとき
こころの窓のカーテンのふくらみを感じた
・ 2016.01.31
これほどあまい午後一時
わずかな火照りと寝転びながら
すけた窓越しに雲を見る
こんな五感がまったくふしぎで
退屈なのか憂鬱なのか
あるいは至福か わからない
ほしいものもなければ 望むこともなく
ゆるい眠気だけをまぶたにうかせている
こんなときこそ 死というものが
ぽっかりと あるいはほかんと 思われてくる
・ 2016.02.07
そろそろ人生の半分を過ごしたと思う
もう思い出せない幼少期の
幼すぎる思い出を思えば
(数十万の金は
私のこころを憂鬱にさせるが
数千円の 金は
私のこころを躍らせる)
・ 2016.02.18
いちにちずっとねていたが
(いちどいけなくなったとき
ひとはとたんにだめになる)
こんなひには ねたままみたいに
おきているあいだもすることがない
(まるで夢みたいなひとりきり)
ひとりでは ひとはとたんにだめになる
(だめになっている眼でできた
部屋の光景が煙に映り
まるでいきいきはたらいている)
・ 2016.04.13
なんという蓄えだろう
果物をかじると
水をがぶがぶのんだのよりも
うるおうようだ
(朝の空気がおかしな両眼に
緑の水で 距離に応じて滲む
まるで感傷の屈折は
昨日も今日もかわらない)
・ 2016.06.02
(毎日の身代謝が動物的課題であれば
毎日の光代謝が人間的課題である)
このところ 一週間は
よくおきて よくねることができている
光の素直な受容状態と
その内的な錯乱状態とを
きちんと行き交うことができている
(この 広い道
あれが 青空)
だけれどなんだ
ここではくらしが
いちばんつらい
小銭を支払うだけなのに
手が震えてくる
・ 2016.11.17
すべての疑問は
自分の中でほどかれるのを待っているのに
部屋を出て街をうろついて
架空の顔ばかり覗き込んでいる
(秋のショーウィンドウの透明さ)
病的な時期を除けば
暮らしの殆どの場面は詩にならない
疑問は深い水準を装った
地平に現れるのに
苦悩はいつでもすぐそばで
親しげな顔をする
(明日という日が信じられないんだ
今日という日を信じられないから
誰一人信用できやしないんだ
自分を信用できないんだから)
孤独というのは自分との距離だ
暮らしは詩のように
安心を与えてくれない
(暮らしは液体だ
透明な液体を飲み続ける
その排泄も液体だ)
曖昧に関係しているつもりでは
(秋の噴水の拙い上昇志向)
気を狂わずに この街の中で
暮らしていくことはできないらしい
・ 2016.12.07
ほとんど対人の親しみだった
妙な膨らみとの時季を越え
冬は たしかにそれとわかる季節
冬の匂いは瞳を通り
世界はまるで小石の細部を
全体性の規範にする
現在とは(紺色のナイロンジャケット
死んだ植物の脚 均等という意識)
過去という現実の
地道な反復の現前
という幻想の地平で
自己意識の中へ
鮮やかに疎外された
空間と時間
(我々はたしかに冬をだけ知っていて
未来は全て他人の顔の中へ送られる)
ジャケットのポケットには
もう3000円しか余っていない
たりる たりる
これから家へ帰り着くためには
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作品 - 20170501_389_9582p
- [佳] 僕の病気 - 霜田明 (2017-05)
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霜田明