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作品 - 20170501_381_9580p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


全行引用による自伝詩。

  田中宏輔



 そのときマルティンはブルーノが言ったことを思いだした、自分はまったく正真正銘ひとりぽっちだと思い込んでいる人間を見るのはどんなときでも恐ろしいことだ、なぜなら、そんな男にはどこか悲劇的なところが、神聖なところさえもが、そして、ぞっとさせられるばかりか恥しくさせられるようなところがあるからだ。常に──とブルーノは言う──わたしたちは仮面を被っている、その仮面はいつも同じものではなく、生活の中でわたしたちにあてがわれる役割ごとに取り換えることになる、つまり、教授の仮面、恋人の仮面、知識人の仮面、妻を寝とられた男の、英雄の、優しい兄弟の仮面というように。しかし、わたしたちが孤独になったとき、つまり、誰一人としてわたしたちを見ず、関心を示さず、耳を貸さず、求めもしなければ与えもしない、親しくもならなければ攻撃することもない、そんなときわたしたちはいったいどんな仮面をつけるのだろう、どんな仮面が残されているのだろう? おそらくその瞬間が聖なる性質を帯びるのは、そうなったとき人は神と向きあう、少なくとも自分自身の情容赦のない意識と直面することになるからだ。そして、おそらく誰も自分の顔の究極的、本質的に裸の状態、もっとも恐ろしく、もっとも本質的な裸の姿に驚いている自分を赦(ゆる)しはしない、というのも、それは防備のない魂を見せるからだ。それはキーケのようなコメディアンにとってはひどく恐ろしいことであり、恥ずべきことでもある、だから(とマルティンは思った)彼が無邪気な人間とか単純な人間よりもいっそう哀れを誘うのはあたりまえのことだ。
(サバト『英雄たちと墓』第II部・20、安藤哲行訳)

われわれは生き残らなければならない。死んではならない。生きることは、死ぬことよりもはるかにつらい。
(デヴィッド・ホイティカー『時空大決闘!』関口幸男訳)

どんなに美しい風景でも、しばらくすると飽きてしまうからだ。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』5、増田まもる訳)

「だが、いつもこうだとかぎりません。月がないときもあれば、雲が広がるときもあります。そうなると、真っ暗になるので、なにも見えなくなります。川岸が闇に呑まれて、自分がどこにいるのかわからなくなってしまい、気づかぬうちに川岸に頭から突っこんでしまうでしょう。反対に、まるで固い地面のように見える黒い影にでくわすこともあります。それが地面ではないことを見分けられなければ、ありもしないものを避けるために夜のなかをむだにしてしまいます。操舵手はどうやってそれらを見分けると思いますか、ヨーク船長?」フラムはヨークに答えるひまを与えなかった。「記憶に頼るんですよ。昼間のうちに川の姿を憶えてしまうんですよ。隅から隅まで。あらゆる曲がり角、川岸のあらゆる建物、あらゆる木材置場、深みに浅瀬、すれちがう場所、なにもかもを。われわれは知識によって船を操るんです、ヨーク船長。見えたものによってではなくてね。しかし、記憶するためにはまず見なければなりません。そして夜では、はっきり見ることはできないんですよ」
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』8、増田まもる訳)

 マーティンは人間というものをよく知っていた──人間のどんなささいな行動をも見逃さず、それらをまとめて圧倒的な正確さで全体像を描く自分の能力を、かれはつねづね誇りにしていた。ダーナ・キャリルンドもおそらくかれと同じくらい人間通だったが、その手段も目的もマーティンとはちがっていた──つまり、それは人間の精神の健康を改善するためではなく、人間たちをもっと大きな図式に当てはめるためだった。彼女はそのプロセスで自分の欲求をほとんど露呈させなかったし、その行動も俳優の演技のように必ずしもいつわりではなかったが学習されたものだった。必ずしもいつわりではなく。
(グレッグ・ベア『斜線都市』上巻・第二次サーチ結果・5/、冬川 亘訳)

詩によって花瓶は儀式となる。
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』下巻・第三部・18、大西 憲訳)

(…)ぼくのいちばんそばのベッドの支柱はガタガタしていた。シーツはあまりにも古いものなので一本一本の糸がはっきりわかる。あちこちにつぎが当たっている。ぼくはその床を見つめたきりで、決して目を上げなかった。息をすると痛みを感じるので、撃たれたのはぼくかもしれないと思った。でもそうじゃない。そうじゃないんだ。キャスリンの脚が部屋に入ってくると、床板が少したわんだ。キャビイの脚が続いた。
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』下巻・第四部・20、大西 憲訳)

 ポーターがわたしの旅行鞄を持ち、ゆるくカーブを描いている幅広い階段を先導して上の階へ向かった。鏡やシャンデリアで飾られ、階段には豪華な絨毯が敷かれており、漆喰製の天井の蛇腹には金メッキが施されている。だが、鏡は磨かれておらず、絨毯はすり切れ、メッキは禿げかけていた。階段をのぼる、耳に聞こえないほど小さくなったわたしたちの足音は、どこかでだれかの思い出として生き延びているにちがいない、はるかむかしのパーティーで聞こえていたものの哀れな代替物だった。
(クリストファー・プリースト『奇跡の石塚』古沢嘉通訳)

その荒涼とした景色は、わたしにとってたんなる文脈にすぎない。荒野には一見なにもないように見えるが脅威がひそんでいる。わたしの感情は、そうした脅威を意識することに、つねに影響されていた。
(クリストファー・プリースト『奇跡の石塚』古沢嘉通訳)

 パーブロというあだ名がどこから出たのか、ぼくは時々不思議に思っていた。昔、友だちがたまたま言い出したものだろう。チャールズという名でずっとなじんできたから、それが本人にぴったりだという気もする。名前というものはすぐに容姿を想像させるものだ──ぼくにとっては、スザンナという名はどんな女性にもふさわしくない。パーブロはまちがいなくパーブロで、独自のものを持っていた。いまは不安そうに前かがみになって椅子に腰かけている。しかし、人殺しには見えない。われわれはみんなそうだ。
(マイクル・コニイ『カリスマ』9、那岐 大訳)

 何年も何年も……おれは、超空間のどこかの、使われないまま蓄えられた年月の中にいて、その全部の重みがおれの上にのしかかり、それと連続して同時に、おれの中からも同じ重みが支えていたのだ。
(シオドア・スタージョン『解除反応』霜島義明訳)

彼は土地使用料を払う担当者に任命され、その遊園地を目にするたびにロビンのことを思い出し、ロビンに会うたびについカーニヴァルのことを思い出すようになってしまった。
(シオドア・スタージョン『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』3、若島 正訳)

 いやいやそれどころか、今日の調査業務によって手に入るものは、明日かぞえる鼻のリストなんだから。ああ、ひとつ四セントの鼻たちよ。大きい鼻、小さい鼻、しし鼻、かぎ鼻、赤、白、青の鼻──鼻アレルギーになるまで、こうした鼻たちと顔をつきあわさなきゃならないんだ。ドアが開いてまたひとつ鼻がのぞいたら、その鼻をつまむかひねるかしたあと、ドアを閉め、そのままずらかりたい気分にもなってくる。
 まあ、わたしはこういううんざりした心境で、その家の戸口からつきだす鼻を待っていた。わたしは気をひきしめ、そしてドアが開いた。
 とがったわし鼻があらわれた。特(とく)徴(ちょう)のない顔とごく普通の主婦を代表する前衛(ぜんえい)というわけだ。その鼻は息を吸い、身をまもるドアの闇のなかで、いささかおぼつかなげにためらった。
(ロバート・ブロック『エチケットの問題』植木和美訳)

 アグノル・ハリトは率(そつ)直(ちょく)に、わたしたちが洞窟の入り口に達したら、そのあとは地獄さながらの場所に入りこむことになるだろうと警告した。あとでわかったことだが、アグノル・ハリトの警告はあまりにもひかえめなものだった。
(ニクツィン・ダイアリス『サファイアの女神』東谷真知子訳)

 バードはおちつかなげに歩きまわり、弁護士というよりは、むしろ床(ゆか)を相手に話をしているようだった。
(オスカー・シスガル『カシュラの庭』森川弘子訳)

 彼らの心理は病んでおり、彼らには傷痕がたくさんある。彼らは他人をおそれ、同時に、他人の援助を求めなければならないことを知るがゆえに、その他人を軽蔑する。
(スタニスワフ・レム『地球の泰平ヨン』時間の環、袋 一平訳)

 わたしはかれが、その全存在を新しい光明の下に置こうという一種の精神的な方向転換に向かって、手探りながら進んでいこうとしているのをすでに感じていた。
(オラフ・ステープルドン『オッド・ジョン』9、矢野 徹訳)

彼女を閉じこめているのは肉体だけではなかった。この世界全体だった。
(トマス・M・ディッシュ『ビジネスマン』4、細美遙子訳)

 病院にだれかを見舞いに行く以上にいやなことがあるとすれば、それは見舞いに来られることだ。
(トマス・M・ディッシュ『ビジネスマン』3、細美遙子訳)

 グランディエには殺人者になるつもりなど毛頭なかったのと同じに、妻をも含めてだれかを愛すつもりもなかった。それは積極的に人間を嫌っているというわけではなく、周囲の世界で愛という名のもとにおこなわれているふるまいに対する強度の懐疑主義のせいだった。
(トマス・M・ディッシュ『ビジネスマン』10、細美遙子訳)

 ジョージ・マレンドーフが自宅の玄関へと私道を歩いていくと、愛犬のピートが駆けよってきて、彼の両腕めがけてとびついた。犬は道路から跳びあがったが、そこでなにかが起きた。犬は消えてしまい、つかのま、いぶかしげな空中に、鳴き声だけがとり残されたのだ。
(R・A・ラファティ『七日間の恐怖』浅倉久志訳)

 始まりはすべて静かにやってくる。この実験は大成功だった。他人の目で見る経験は新鮮ですばらしい。(…)
 たしかに、よりよい世界だった。ずっと大きなひろがりを持ち、あらゆる細部が生き生きしていた。
(R・A・ラファティ『他人の目』2、浅倉久志訳)

すべてのディテールが相互に結びついたヴィジョン。
(R・A・ラファティ『他人の目』2、浅倉久志訳)

 レイロラ・ラヴェアの教えでは、人生のバランスを獲得すれば──ありあまる幸運を完全に分かちあい、すべての不運が片づいて──完璧に単純な人生がのこる。オボロ・ヒカリがぼくたちにいおうとしていたのは、それなんだ。ぼくたちが来るまで、彼の人生は完璧に単純に進行していた。ところが、こうしてぼくたちが来たことで、彼は突然バランスを崩された。それはいいことだ。なぜなら、これでヒカリは、完璧な単純さをもどす手段をもとめて苦闘することになるからさ。彼は進んで他者の影響を受けようとするだろう。
(オースン・スコット・カード『エンダーの子どもたち』上巻・4、田中一江訳)

「そんなの、わたしが思ってたよりずっと面倒くさいじゃないの、ロジャー。まったく面倒だわ」ドリーが愚痴をこぼした。
「面倒だからこそおもしろくなるんだよ」ロジャーはおかしくもなんともなかったが、にやりと笑った。(…)
(タビサ・キング『スモール・ワールド』8、みき 遙訳)

 まあ、何が起こるにせよ、なかなかおもしろい旅行になりそうだった。知らない人々に会え、知らないものや知らない場所を見ることができる。それがドリーと関わりあいになった最大の利点のひとつだ。人生とはほとんどいつもおもしろいものだ。
(タビサ・キング『スモール・ワールド』5、みき 遙訳)

その世界はジム・ブリスキンの好奇心をそそったが、それはまたかれのまったく知らない世界だった。
(フィリップ・K・ディック『カンタータ百四十番』5、冬川 亘訳)

春はまたよみがえる!
(フィリップ・K・ディック『シビュラの目』浅倉久志訳)

 スリックの考えでは、宇宙というのは存在するすべてのものだ。だったら、どうしてそれに形がありうるのだろう。形があるとすれば、それを包むように、まわりに何かあるはずだ。その何かが何かであるなら、それもまた宇宙の一部ではないのだろうか。
(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』10、黒丸 尚訳)

まるで、この表面の下に、いまだ熟さぬ映像がひそんでいる、とでもいうように。
(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』12、黒丸 尚訳)

 ユートピアの害獣、害虫、寄生虫、疫病の除去、清掃の各段階には、それぞれいろいろな制約や損害が伴った可能性があるという事実を、キャッツキル氏は、その鋭い軽率な頭脳でつかんでいた、というより、その事実が彼の頭脳をつかんでいたと言ったほうが当たっている。
(H・G・ウェルズ『神々のような人びと』第一部・六、水嶋正路訳)

ここは、夢に思い描いていた世界だと言うわけにはいかない。なにしろこれほど願望と想像にぴったりと合った世界は、夢に描いたこともないのだ。
(H・G・ウェルズ『神々のような人びと』第一部・七、水嶋正路訳)

 この静けさは、水車をまわす水流の静けさだ。音もなく突っぱしる水は、ほとんど動いているとも見えないが、いったん泡立ったり、棒切れや木の葉がその上に落ちると、矢のように走って、はじめてその速さが知れるのだ。
(H・G・ウェルズ『神々のような人びと』第二部・一、水嶋正路訳)

 よそ目にもはっきり見てとれたが、彼は老人の、物ごとをよく見る、悠揚(ゆうよう)迫らない態度で、子供たちの叫び声やスズメのチッチッいうさえずりや、恋人たちの優しい手のからみ合いなど、生活のさまざまな要素をいっしょに味わいながら、夕暮れの散歩を楽しんでいた。彼は過去の日々にやったように、人間生活の本流にひたっていたのだ。そして年月を経る間に、夜の逃亡者のように突然、音もなく姿を消して行ったあの親しい人びとの跡を埋め合わせるものを、何がしかそこから得ていたのだ。
(エリック・F・ラッセル『追伸』峯岸 久訳)

「(…)これじゃ台所の雑巾にも劣り、汚れた脱脂綿にも劣る。実際、ぼくがぼく自身と何の関係もないじゃないか」それゆえ彼にはどうしても、こんな時刻にこんな雨の中をベルト・トレパに連れ添っている彼にはどうしても、すべての光がひとつひとつ消えてゆく大きな建物の中で自分が最後に消えようとしている光であるかのような感じがいつまでも消えやらず、彼はなおも考えていた、自分はこれとは違う、どこかで自分が自分を待っているようだ、ヒステリー性の、おそらくは色情狂の老女を引っぱってカルチエ・ラタンを歩いているこの自分は第二の自分(ドツペルゲンガー)にすぎず、もう一人の自分、もう一人のほうは……
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・23、土岐恒二訳)

言葉は形を与えられると、たちまち休む間もなく考えるひまもなくやりとりされるのだ。
(レイ・ブラッドベリ『四旬節の最初の夜』吉田誠一訳)

芸術はもはや表現するだけでは満足しない。それは物質を変容させるのだ。
(マルセル・エイメ『よい絵』中村真一郎訳)

夕暮れの光線は、事物を溶かすのではなく、かえって線や面を強調した。
(マルセル・エイメ『パリ横断』中村真一郎訳)

 月明かりに照らされた空間では、どんなにぼんやりした見張人でも、まるで丸い照明の光を浴びたダンサーのように姿を現わす通行人のひそかな人影を、たちまちとらえることができるのだ。
(マルセル・エイメ『パリ横断』中村真一郎訳)

人間はみんなちがってていいんだよ
(ニコラス・グリフィス『スロー・リバー』8、幹 遙子訳)

長く楽しめるものというのは、どんどん奥が深くなっていく。
(ニコラス・グリフィス『スロー・リバー』12、幹 遙子訳)

 彼はじっとわたしを見た。その表情から、わたしを信じるかどうか決めかねているのがわかった。希望を抱くことは危険をはらむからだ。
(ニコラス・グリフィス『スロー・リバー』13、幹 遙子訳)


そこでみながもう一度家族であることを学べる場所。
(ニコラス・グリフィス『スロー・リバー』8、幹 遙子訳)

 アイリーンがちょっとためらってから、にこっとして言った。「あれはきっと、イギリス英語で『ようこそ』という意味なのよ」
(チャールズ・ボーモント『レディに捧げる歌』矢野浩三郎訳)

たしかに、彼女らはその生きかたにおいては最大限に異なっていたかもしれないけれども、しかしきっと共通するものをなにかもっていただろう。彼女らは真実だった。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』25、菅野昭正訳)

というのは、瞬間というものしか存在していないからであり、そして瞬間はすぐに消え失せてしまうものだからだ──
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』25、菅野昭正訳)

ボビー・ボーイはゆっくりとぼうっとしたような動き方で、エディーのほうをふり返った。手にしたディスペンサーからアンプルを出して、鼻の下でぽんと割り、ふかく息を吸いこんだ。顔が細長く伸びるように見えた。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第四部・14、小川 隆訳)

その考えが彼女の顔にしみこんでいくのが、みんなの顔にしみこんでいくのが見てとれた。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第五部・16、小川 隆訳)

(…)彼女たちはここにひきよせられてきたのだ、ちょうど私がひきよせられるように禁欲の誓いを破るはめになったように。夢に、さまざまな声にひきよせられたのだ。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第四部・13、小川 隆訳)

どこかでよいことが起きたのだ。そしてそれが拡がったのだ。
(フィリップ・K・ディック&ロジャー・ゼラズニイ『怒りの神』18、仁賀克雄訳)

きみの中で眠っていたもの、潜んでいたもののすべてが現われるのだよ。
(フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』5、汀 一弘訳)

 ジョーは議論にそなえて男のほうに向き直り、言葉をつづけようとした。そのとき、ジョーはだれに向かって話しかけようとしていたかを悟った。
 隣にかけていたのは、人間の形をしたグリマングだった。
(フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』5、汀 一弘訳)

わたしが二つの世界をつなぐ橋なの
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第三部・21、嶋田洋一訳)

 走りながらおれは一秒一秒が極限まで引き伸ばされ、それ以前にあったことすべてを包みこもうとするのを感じていた。失われるものは何もなく、役に立たないものもない。おれのしてきたすべてのことが、視線も、言葉も、息も、ことごとく輝き、巨大に、無限に、おれ自身になる。人生は目の前を通り過ぎていったのではない──おれが人生の先に立って走ってきたのだ。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第三部・21、嶋田洋一訳)

闇の世界には、おのずからなる秩序があるのである。
(ハーラン・エリスン『バシリスク』深町真理子訳)

 レスティグは静かに車を走らせた。(…)ひたすら車を駆った。そのようすはさながら、もし彼が想像力に富んだ男であったなら、本能に導かれてまっすぐ海へ帰ってゆくうみがめの子になぞらえただろうような、そんなひたむきさを持っていた。
(ハーラン・エリスン『バシリスク』深町真理子訳)

そこでこの最後の映画では山中のストリート・キッドが「ことば」を爆発させ、静かに座る答を待つ沈黙。
(ウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』4、山形浩生・柳下毅一郎訳)

フードをかぶった死人が回転ドアの中で独り言を言う──かつて私だったものは逆回転サウンドトラックだ
(ウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』5、山形浩生・柳下毅一郎訳)

熱い精液が白痴の黒んぼを射精した
(ウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』5、山形浩生・柳下毅一郎訳)

不動の沈黙を句読点がわりにゆっくりした緊張病の動作で会話する
(ウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』4、山形浩生・柳下毅一郎訳)

わたしは、どこでまちがえたのだろう?
(メリッサ・スコット『地球航路』3、梶元靖子訳)

もっとコーヒーを飲むかい?
(フィリップ・K・ディック&ロジャー・ゼラズニイ『怒りの神』17、仁賀克雄訳)

それはすてき。
(メリッサ・スコット『地球航路』7、梶元靖子訳)

一晩中ずっと勃起していられたあの少年はいったいどうなったんだろう?
(ウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』5、山形浩生・柳下毅一郎訳)

文学極道

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