幾度も、
お葉書をいただき、感謝しております。
よき道をと、御言葉をいただきました。
「その時、あなたは労苦を忘れ
それを過ぎ去った水のように思うだろう。
人生は真昼より明るくなる。
暗かったが、朝のようになるだろう。」
ヨブ記11:16〜17
ひさしぶりに詩が書けました。
僕は、この世に生かされています。
拙作ですが、ご笑覧ください。
「春とか、朝というもの」 深尾貞一郎
知ることはできない
そこに在る
朝はとつぜんに訪れ
それは圧倒的にひかりの量で示される
うまれかわったばかりの蝶がとび
目立たぬ草木にも花を恵む
循環の日々に立つ
奇蹟は確かにある
それなのに
春は人の認知現象にすぎないと
醒めた僕はうそぶき
朝の実体は言葉でしかないとけなした
先生、
僕は47年あまり生きてきたのです。
屈辱と苦労の多かった日々でした。
徐々に、心は、平穏に過ぎて行くようになりました。
経験というものは、まさに一身の財産です。
自意識は薄くなりつつあります。何が恥であるか、多少なりとも心得ました。
年齢を重ねるにつれ、世の中というか世界は、ますます不可思議なものに思えます。
マスコミが提示するような価値観は、とうにぺらぺらの広告紙面だと気付いております。それでも、手のとどかぬステイタスにはいまだに羨望するような心持ちです。
今はとにかく、まじめに取り組んでみようとしています。何にしてもです。
平成29年3月31日 深尾貞一郎
選出作品
作品 - 20170329_694_9516p
- [佳] 春とか、朝というもの - 深尾貞一郎 (2017-03)
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春とか、朝というもの
深尾貞一郎