それはぼくの口をついて出たけれど、そのたびにまぎれもない呪いとしてできるだけ離れたところへ遠ざけ、忘れようとした。もっとも不当な予感だったし、書きつけることによって、それが現実のものになるのを恐れたからである。「ぼくたちには不幸が襲いかかる必要があったのだ」なんということだろう、ぼくの本が陽の目を見るためには、不幸が必要だったのだ。
(エルヴェ・ギベール『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』75、佐宋鈴夫訳)
鳥と会話することを学び、彼らの会話が想像を絶するほど退屈なことを発見した。風速、翼長、馬力対体重比、木の実の公平な分配のことしか話さないのだ。ひとたび鳥語を学んでしまうと、たちまち、空中には四六時中、馬鹿なおしゃべり鳥どもがいっぱいいることに気づくのだった。
(ダグラス・アダムス『宇宙クリケット大戦争』エピローグ、風見 潤訳)
いわゆる模範的なもの、賞讃に値すると認められているものが、この世にいかに益をもたらさないかということ、いや、むしろ害があるといっていいくらいだということについて、いずれそのうちだれかが一冊の本を書く必要があると思う。
(ノサック『弟』2、中野孝次訳)
『こんなことをしたってなんにもなりはしない』のである。
(ノサック『弟』2、中野孝次訳)
まるでそんなことは一度も存在しなかったみたいに。
(ノサック『弟』2、中野孝次訳)
わたしに語れるのはけっきょく自分自身の体験だけだ。
(ノサック『弟』2、中野孝次訳)
〈われわれと愛する者のあいだには、誤解などいっさいない。ところが人間たちは、愛する者を想像ででっちあげ、ベッドをともにする生身の相手の顔にその仮面をかぶせるのだ〉
〈それが言語をもつ者の悲劇なのだ、わが友よ。象徴的な概念でしかおたがいを知りえない者は、相手のことを想像するしかない。しかも、その想像力が不完全なために、彼らは往々にしてあやまちをおかすのだ〉
〈もとはといえば、それが彼らの苦悩のみなもとだ〉
〈同時に、それは彼らの強さのみなもとでもあるのだろう。あなたの種族も、われわれの種族も、それぞれ独自の進化論的な事情にもとづいて、はるかに落差のある相手を伴侶にえらぶ。われわれはつねに、知性の点ではるかに劣った相手を伴侶とするのだ。人間たちはといえば、自分の優越性をおびやかしかねない相手を伴侶にえらぶ。人間の男女のあいだに葛藤があるのは、意思の疎通がわれわれに劣っているからではなく、彼らが相手と深く交流しているからなのだ〉
(オースン・スコット・カード『ゼノサイド』上巻・2、田中一江訳)
「誰もすんなり退場なんてできないのよ」ローラが静かに言った。「人生っていうのは、そういうふうにはできてないの」
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第1部・6、嶋田洋一訳)
どんなものも、過去になってしまわない限り現実味を持たない。それまではただの踊り回る影でしかないからだ。"今日"というのは冗談であり、偶発的で流動的だ。高らかに歌を歌うのは"きのう"だけだった。
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第2部・13、嶋田洋一訳)
「でも」と彼はブルーノに言った。「もうぼくは以前のぼくではなかったんです。そして、二度ともとのぼくに戻ることはないでしょう」
(サバト『英雄たちと墓』第I部・1、安藤哲行訳)
(…)脳裏に残っていたのはとりとめのない言葉、ちょっとした表情や愛撫、そして柱の断片のように響いたあの見知らぬ船の憂鬱げな汽笛の音ぐらいのものだったが、ただ一つ、びっくりしたせいではっきり覚えていた言葉があった、その出会いのとき彼女は彼を見つめながらこう言ったのだ、
「きみとわたしには共通する何かがあるわね、とても大切な何かが」
その言葉を耳にしてマルティンは驚いた、というのも、自分とこの並外れた人間とのあいだにいったいどんな共通点があるのかと思ったからだ。
(サバト『英雄たちと墓』第I部・3、安藤哲行訳)
彼は若く、おそらく(それはほとんど確かなことと言ってもいい)彼女が好意を寄せ、関係を持つことのできる最後の男だろう。大事なのは、そのことだけだ。もしも、後で彼女が男に嫌悪感を催させ、その脳裡にあった記念碑を破壊したとしても、そんなことはどうでもいい。なぜなら、その記念碑は彼女自身の外側にあるものだから。この男の考えや思い出が彼女自身の外にあるのと、同じことだ。そして、自分の外側にあるものなど、すべてどうでもいいではないか。
(ミラン・クンデラ『年老いた死者は若い死者に場所を譲ること』14、沼野充義訳)
ハヴェル先生は、伝聞や逸話もまた、人間そのものと同じく老化と忘却の掟に従うものだということをよく知っていた。
(ミラン・クンデラ『ハヴェル先生の二十年後』3、沼野充義訳)
彼女が歩くとき、あの脚がまさしく何かを語っていることにもう注目していたのかね? きみ、あの脚がいってることがきみにきこえたら、きっと顔が赤くなるだろうよ。
(ミラン・クンデラ『ハヴェル先生の二十年後』8、沼野充義訳)
これは人生においてよくあることなのだが、私たちは満足しているとき、傲慢にも私たちに差し出される好機をみずから拒み、そのことでますます幸福な充足感を確かめようとするものだ。
(ミラン・クンデラ『ハヴェル先生の二十年後』10、沼野充義訳)
神として、あらゆることを知って永遠に生きるというのは、存在のありかたとしてはかなり退屈なものに思える。すべての文章をおぼえている本を読むようなものではないか。読書の楽しさは不確定性にある──まだ読んでいない部分でなにが起きるかわからないということだ。神は、神であることにすっかり退屈しているにちがいない。だから、宇宙をもっとおもしろいものにするために時間を発明したのだ。
(ジェイムズ・P・ホーガン『ミクロ・パーク』26、内田昌之訳)
誰が、おまえを作ったか?
(フレデリック・ブラウン『未来世界から来た男』第二部・いとしのラム、小西 宏訳)
だれがきみを作ったかは知らないというのか?
(R・A・ラファティ『このすばらしい死骸』浅倉久志訳)
どういう意味があるのかしら?
(ジェフ・ヌーン『未来少女アリス』風間賢二訳)
(…)「数知れぬと言ってもいいが、この地上における一切の不幸のなかでも」と、エレディアは身振りをまじえ、宮殿の避雷針を見つめながら語る。「詩人の不幸ほど甚だしいものはないでしょう。さまざまな災悪よりいっそう深く苦しめられるばかりでなく、それらを解明するという義務も負うているからです」詩人はわめくような声で、自己弁護を続けた。自分も不平の声をあげていたにもかかわらず、修道士は聞き咎めて詩人のほうを見、おしゃべりをやめずに心のうちで思った、泣き虫だな、この男、自分の苦しみと馴れ合っている、いつも死を口にしながら、ひどく用心深く庭園の石段を降りる。
(レイナルド・アレナス『めくるめく世界』34、鼓 直・杉山 晃訳)
一度に考えることはひとつにしておけ。深淵(しんえん)にせまるには、そっと手探りで行くのだ。
(ブライアン・オールディス『外がわ』井上一夫訳)
不安になって、ハーリーは部屋のなかをうろついた。寄(よせ)木(ぎ)細工の床が、彼の足どりの不安を反響する。彼はビリヤード室にはいった。矛盾する意図に板ばさみになった彼は、緑の布地の上の球を一本指で突きやった。白い球がぶつかって、離れた。心の動きもそのとおりだった。
(ブライアン・オールディス『外がわ』井上一夫訳)
そこで何かが彼女をマントルピースの上のチューブに目を上げさせた。
(ブライアン・オールディス『黙劇』井上一夫訳)
暖かな日には窓を少しあけて、そよ風にカーテンをはためかせる。喘息患者の浅く不規則な呼吸のように起伏する、ふくれあがってしぼむそのカーテンは、凝視するものはみなそうであるように、彼女の人生を物語っているように見えた。ほかのカーテンやシェードやブラインドの背後には、もっと悲しい物語が隠されているのだろうか? ああ、そうは思えなかった。
(トマス・M・ディッシュ『334』334・第二部・12、増田まもる訳)
一台の車というものは、ロッティがいくら呟いてみせたり不服を言ってみせたりしたところで、しょせん理解できないような、一つの生き方を表しているのだった。
(トマス・M・ディッシュ『334』334・第三部・21、増田まもる訳)
愛が彼女を狡猾にしていた。
(トマス・M・ディッシュ『334』334・第三部・24、増田まもる訳)
(…)そんな音に耳をかたむけ、外の美しい光景を眺めながら、ぼくは思った。
(このすべてが永久に失われてしまうのか?)
その問いに、どこからともなくアイネイアーの声が答えた。
(そう、このすべてが失われてしまうの。それこそが、人間であることの本質なのよ、愛しい人)
(ダン・シモンズ『エンディミオンの覚醒』第一部・10、酒井昭伸訳)
「ぼくはいまその原因について、かなり思い当たることがあるんだ」と彼はおもおもしげにいった。
そういうのは当たり前の話だが、その思い当たることというのが、一時間ののちには、別の考えになるかもしれないのだ。
(ジョン・ウィンダム『ポーリーののぞき穴』大西尹明訳)
そんなこと、ぼくの知ったことかい?
(ジョン・ウィンダム『ポーリーののぞき穴』大西尹明訳)
ジミーをいらいらさせるのは、そういうこまかい話である。
(ジョン・ウィンダム『ポーリーののぞき穴』大西尹明訳)
だが、フェリシティ・フレイにはそうさせるな。
というのは、きょうはきのうの一部だからだ。そしてきのうときょうとは、生きていることの一部なのだ。そして生きているということは、それぞれの日が大時計の振り子のように、カタン、コトン、カタン、コトンと過ぎて行くだけのことではない。生きているということは、なにかずうっとつづいていて、くり返しをしないものである。(…)
(ジョン・ウィンダム『野の花』大西尹明訳)
(…)彼はもの憂げにもう一度あたりを見まわした。「もっとしばしば町に来るべきだな。人間は飽食していると、他の喜びをすっかり忘れてしまいがちだ」ため息をつく。「ビリー、おまえにわかるか? 大気に満ち満ちているものが?」
「なんでしょうか?」サワー・ビリーはいった。
「生命だ、ビリー」ジュリアンの微笑は彼をからかっていたが、ビリーはどうにか微笑を返した。「生命と愛と欲望、豊富な食物と豊富なワイン、豊かな夢と希望だ、ビリー。それらすべてがわれわれの周囲に渦巻いている。可能性だ」彼の目がぎらぎらと輝いた。「美人ならいくらでもいるというのに、どうして通りすぎていった美人ひとりを追わねばならないのだ? 答えられるか?」
「わたしには──ミスター・ジュリアン、わたしにはわかりません」
「そうだろう、ビリー、おまえにはわかるまい」ジュリアンは笑った。「わたしの気まぐれが、これらの家畜どもの生であり死なのだ、ビリー。おまえが心からわれわれの一員になりたいと思うなら、そのことを理解しなければならない。わしは快楽だ、ビリー、わしは力だ。そして現在のわしの本質、快楽と力の本質は、可能性のうちに存在するのだ。わし自身の可能性は広大であり、無限である。われわれの歳月が無限であるように。だが、家畜どもにとってわしは、彼らのあらゆる希望と可能性の終わりなのだ。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』10、増田まもる訳)
だが、やがて不安感がしだいに頭をもたげてきた。漠然とした、どこかおかしいという感覚が生まれ、見慣れた事物が新たな姿をとるようになった。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』12、増田まもる訳)
急にそれらの言葉がまったく新しい意味を帯びた。
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』34、大島 豊訳)
(…)あの午後の静けさの中、下を流れる川の穏やかな呟きを耳にしながら、彼は雲が予言者の顔、雪原を進むキャラバン、帆船、雪の入江と絶え間なく変身する様子を眺めていた。あのときはすべてが安らかで穏やかだった、そして、まるで目覚めのあとの空ろなぼんやりとした瞬間のように、静かな快さに包まれて彼はアレハンドラの膝の上で何度も頭の位置を変えながら思っていた、項(うなじ)の下に感じる彼女のからだはなんて柔らかく、なんて優しいんだろうと、そのからだは、ブルーノが言うには、肉体以上の何か、細胞や筋組織、神経でできた単なる肉体以上に複雑で曖昧なものだった、なぜなら、それは(マルティンの場合には)すでにもう〈思い出〉でもあったからだ、そのため、死や腐敗から守られたもの、透明で儚(はかな)いとはいえ永遠性、不滅性を具えた何ものかであったのだ、それはミラドールでトランペットを吹くルイ・アームストロングであり、ブエノスアイレスの空や雲、(…)コメガの二階のバーから眺めたブエノスアイレスの屋根であった。そうしたものすべてを彼は柔らかな脈うつ肉体から感じたのだ、たとえその肉体が湿った土塊やみみずに引き裂かれる運命にある(というのはブルーノの典型的な考え方)とはいえ、そのときには彼は一種の永遠性を垣間見させることになったのだ、なぜなら、これもいつかブルーノが彼に言うことになるが、わたしたちはそんなふうにして、このもろい死すべき肉体を通して、永遠を仄かに見ることができるように作られているからである。そして、そのとき、彼が溜息をつくと、彼女は『どうしたの?』と訊いた。彼は『何も』と答えたが、それはわたしたちが《ありとあらゆること》を考えているときにする返事と同じものだった。
(サバト『英雄たちと墓』第II部・4、安藤哲行訳)
「困難なことが魅惑的なのは」とチョークは言った。「それが世界の意味をがらりと変えてしまうからだよ」
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』1、三田村 裕訳)
ロナの足がロナ自身に告げた。アーケードへ行って、この雪の夜の光とぬくもりに包まれながら、しばらく歩きまわろう。
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』4、三田村 裕訳)
一九三〇年一月の末、カピタン・オルモスでの休暇を終え、カンガージョ通りの下宿に荷物を置くと習慣からほとんど機械的にカフェ・ラ・アカデミアに向かった。なぜそこに出かけたのか? それはカステジャーノスが、アロンソが一日中延々とチェスをやっているのを見るため。いつものことを見るためだった。そのときはまだ、理解するに到っていなかったからだ、習慣は偽りのものであり、わたしたちの機械的な歩みはまったく同じ現実に導くとは限らないということを、なぜなら、現実は驚異的なものであり、人間の本性を考えれば、長い眼で見れば、悲劇的でもあることにまだ気づいていなかったからだ。
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・3、安藤哲行訳)
彼の精神は死後でさえ、わたしの精神を支配しつづけている。
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・3、安藤哲行訳)
(…)そして彼女はフェルナンドのそんな仕草をもどかしそうに待っていたみたいだった、まるでそれが彼の愛情の最大の表現ででもあるかのように。
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・3、安藤哲行訳)
人間のもっとも親密な部分に向かう道は常に人や宇宙を巡る長い周航にほかならない
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・3、安藤哲行訳)
教会の鐘が一度だけ鳴り、なにか不思議なやり方で、それが風景全体を包みこんだように見えた。ジョンにはその理由がわかり、心臓が跳びあがった。鐘の主調音から切れ切れにちぎれたぶーんと鳴る音の断片がこれらの色になったので、基本的なボーオオオンという音は白のままだ。さまざまな色がぶーんと鳴り、渦巻いて、神の白色となり、分かれて、もう一度戻ってくる。なんであれ、神はそれとどんな関係があるのだろう? いや、ここのローマでは、そんなことをいってはいけない。(…)
(アントニイ・バージェス『アバ、アバ』4、大社淑子訳)
想像力は、魂の一部じゃないのか?
(アントニイ・バージェス『アバ、アバ』6、大社淑子訳)
「きみのいってることがわかったらいいのになあ」
(アントニイ・バージェス『アバ、アバ』6、大社淑子訳)
「自分の良心に耳を傾ければ、答えてくれるはずだよ」
「神の声のように静かに囁く声のことですか」
「ように、ではないよ、メグ。良心は神の声そのもの、内部に宿る聖霊の声だ。聖霊降臨祭のための集祷文には、全てのことに正しい判断ができますようにと祈る箇所がある」
メグは穏やかな口調で食い下がった。「でも、その声が自分の声ではないと、自分の潜在的な欲求ではないとどうしてわかるのでしょう。その声の言っていることは、自分の体験、個性、遺伝体質、内的欲求を通して考え出されたものにちがいありません。人間は自分の心の策謀と欲望から自由になれるものなのでしょうか。自分が一番聞きたいと思っていることを良心が囁くということはありませんか」
「私の場合はそういうことはなかったね。良心は大体の場合、私の希望に反した方向に指し示した」
「あるいは、その時、自分の希望だと思い込んでいたこと、かもしれませんね」
だが、これは食い下がり過ぎだった。コプリー氏は静かに坐ったまま、古い説教や法話、よく使う聖句からインスピレーションを得ようとしているのか、せわしなくまばたきした。ちょっと間を置いてから、彼は言った。「良心を楽器、たとえば弦楽器として考えるとわかりやすいと思うね。伝える内容は音楽にあるわけだが、楽器をいつも修理して、定期的にちゃんと練習しないと、まともな反応は得られない」
メグはコプリー氏がアマチュアのヴァイオリニストだったことを思い出した。今は手のリューマチがひどくて、ヴァイオリンを持つどころではないが、楽器は隅のタンスの上に今もケースに入ってのっている。
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第六章・51、青木久恵訳)
(伯爵夫人に向かって)おまえが"宇宙の魂"と呼ぶものについて、わたしが、あの独裁者が自分自身のことを知っている以上に、よく知っているとは、思わなかったのかね? おまえのいう"宇宙の魂"だけでなく、多数のもっと下位の諸力も、その気になれば、マントのように人間性を着るのだよ。そういうことは、われわれほんの二、三の者にしか関係ない場合もあるがね。とにかく着られているわれわれは自分は自分のままだと思っているから、めったにそれに気づくことはないが、他人から見れば、やっぱり創造神(デミウルゴス)であり、慰め主(パラクリート)であり、悪魔王(フイーンド)であるのだ。
(ジーン・ウルフ『調停者の鉤爪』24、岡部宏之訳)
彼女は低い天井を見つめていた。わたしはそこにもう一人のセヴェリアンがいるように感じた。ドルカスの心の中だけに存在する、優しくて気高いセヴェリアンが。他人に最も親しい気分で話をしている時には、だれもが、話し相手と信じる人物について自分の抱いているイメージに向かって、話をしているものだ。
(ジーン・ウルフ『警士の剣』10、岡部宏之訳)
水が笑い声を立てている川のほとりで、われわれがいかに真剣だったか、少年の濡れた顔がどれほど真剣で清潔だったか、その大きな目の睫にたまった水の雫がいかに輝いたか、それを描写できればよいのだが。
(ジーン・ウルフ『警士の剣』17、岡部宏之訳)
死の十年前、フロイトが人間を総括して何と言っているか、御存じになりたくありませんか? 「心の奥深くでこれだけは確かだと思わざるを得ないのだが、わが愛すべき同胞たる人間たちは、僅かな例外の人物を除いて、大多数がまず何の価値も持たない存在である。」今世紀の大半にわたって大部分の人たちから最も完全に近く人間の深奥を理解した人と認められている人物の言がこれなのです。いささか当惑せざるを得ないのじゃないでしょうか?
(ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』10、斎藤昌三訳)
彼がわたしに望んでいたのは、もちろん、できる限り彼のように書くということなんです。こういう自惚れを持った作家たちはこれまでにもよく見かけたものよ。卓越した作家であればあるほど、この種の自惚れがはっきりしたものになりがちなようね。彼らは、誰もが自分と同じように書くべきだと信じているんです。もちろん、自分と同じように書けはしまいが、(…)
(ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』11、斎藤昌三訳)
ナポレオンは死の直前、ウェリントンと話がしたいと願った。ローズヴェルトに会いたいという、常軌を逸したヒトラーの懇願。体から血を流しながら、一瞬でいいからブルータスと言葉を交わしたいと願ったシーザーのいまわのきわの情熱。
自分を破滅させた相手の胸にはなにがあるか?
(オースン・スコット・カード『キャピトルの物語』第一部・4、大森 望訳)
人の心の邪まな情熱だけが、永く残る印象をきざむことができるのです。これに反して、善い情熱はいいかげんな印象しかのこしません。
(アルジャノン・ブラックウッド『妖怪博士ジョン・サイレンス』邪悪なる祈り、紀田順一郎訳)
「ガラス魔法がなくてもゴブリンに変わる人もいるのよ」とフロー伯母さん。「まっとうな世界よりも壊れた世界のほうが好きな人たち。そういう人たちは、自分たちだけが壊れていることに耐えられないのよ」
(ジェイムズ・P・ブレイロック『魔法の眼鏡』第十四章、中村 融訳)
人間は、自分の才能(ちから)を生かせる場所に行くしかない。
(オースン・スコット・カード『神の熱い眠り』3、大森 望訳)
「ポール」と彼女はもう一度わたしの名を呼んだ。それは新しいわたしにも古いわたしにも手の届かない、いや、わたしたちを形作った長官たちの目論見も手の届かない、彼女の心の奥底からのせつない希望の叫びだった。わたしは彼女の手をとっていった。
(コードウェイナー・スミス『アルファ・ラルファ大通り』浅倉久志訳)
いまやどんなことも起こりうる。
(コードウェイナー・スミス『アルファ・ラルファ大通り』浅倉久志訳)
すべての物事が新しく生まれ変わる前には。
(コードウェイナー・スミス『アルファ・ラルファ大通り』浅倉久志訳)
別の雲。
(コードウェイナー・スミス『アルファ・ラルファ大通り』浅倉久志訳)
最新情報
選出作品
作品 - 20170201_649_9423p
- [優] 全行引用による自伝詩。 - 田中宏輔 (2017-02)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
全行引用による自伝詩。
田中宏輔