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作品 - 20170109_274_9395p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一六年十二月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一六年十二月一日 「不安課。」


きょうは、朝から調子が悪くて、右京区役所に行った。
なぜ、調子が悪いのか、わからなかったので、とても不安だった。
入り口に一番近いところにいた職員に、そう言うと
二階の不安課に行ってください、と言われた。
雨の日は、ひざが痛いのだけれど
階段しかなかったので、階段で二階にあがると
最初に目にしたのが、不安課の部屋のプレートだった。
振り返ると、安心課という札が部屋の入り口の上に掲げられていた。
ただ事実の通り、不安の部屋の前が安心の部屋なのか、と思った。
不安課の部屋に入ると、
職員のひとが、ぼくに、こう訊いてきた。
「不安か?」
ぼくは、その職員のひとに、こう答えた。
「はい、不安です。」
職員のひとが、ぼくに、こう訊いてきた。
「不安か?」
ぼくは、その職員のひとに、こう答えた。
「はい、不安です。」
職員のひとが、ぼくに、こう訊いてきた。
「不安か?」
ぼくは、その職員のひとに、こう答えた。
「はい、不安です。」
職員のひとが、ぼくに、こう訊いてきた。
「不安か?」
ぼくは、その職員のひとに、こう答えた。
「はい、不安です。」
職員のひとが、ぼくに、こう訊いてきた。
「不安か?」
ぼくは、その職員のひとに、こう答えた。
「はい、不安です。」
職員のひとが、ぼくに、こう訊いてきた。
「不安か?」
ぼくは、その職員のひとに、こう答えた。
「はい、不安です。」
職員のひとが、ぼくに、こう訊いてきた。
「不安か?」
ぼくは、その職員のひとに、こう答えた。
「はい、不安です。」
繰り返し、何度も同じやり取りをしているうちに
とうとうぼくは、朝に食べたものを、ぜんぶ吐いてしまった。
職員のひとが、ぼくの顔も見ずに、右手を上げて
向かいの部屋をまっすぐに指差した。
「あり・おり・はべり・いまそかり。」
「あり・おり・はべり・いまそかり。」
「アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ。」
「アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ。」
「ら・り・る・る・れ・れ。」
「ら・り・る・る・れ・れ。」
「あらず・ありたり・あり・あること・あれども・あれ。」
「あらず・ありたり・あり・あること・あれども・あれ。」


二〇一六年十二月二日 「栞。」


栞って、恋人の写真を使ってるひともいると思うけれど、ぼくは総体としての恋人の姿が好きってわけじゃないから、恋人の目だとか唇だとか耳だとか部分部分を栞にしている。


二〇一六年十二月三日 「年上の人間。」


若い頃は、年上の人間が、大キライだった。
齢をとっているということは、醜いと思っていた。
でも、齢をとっていても美しいひとを見ることができるようになった。
というか、だれを見ても、ものすごく精密につくられた「もの」
まさしく造物主につくられた「もの」という感じがして
ホームレスのひとがバス停のベンチの上に横になっている姿を見ても
美的感動を覚えるようになった。

朔太郎が老婆が美しいだったか
だんだん美しくなると書いてたかな。
むかしは、グロテスクな、ブラック・ジョークだと思ってた。


二〇一六年十二月四日 「おでん。」


きょうは、大谷良太くんちで、おでんとお酒をいただきました。ありがとうね。おいしかったよ。ごちそうさまでした。


二〇一六年十二月五日 「与謝野晶子訳・源氏物語で気に入った言葉 ベスト。」


「長いあいだ同じものであったものは悲しい目を見ます。」

この目を、状況ととるのがふつうだけれど
ぼくは、ひとの目としてとっても深い味わいがあると思う。
つまり「悲しい眼球」としてね。


二〇一六年十二月六日 「平凡な一日。」


まえに付き合ってた子が部屋に遊びにきてくれた。コーヒーのんで、タバコ吸って、チューブを見てた。平凡な一日。でも、大切な一日だった。


二〇一六年十二月七日 「睡眠時間が伸びた。」


いま日知庵から帰った。学校が終わって、毎日、よく寝てる。


二〇一六年十二月八日 「モッキンバード。」


ウォルター・テヴィスの『モッキンバード』を読み終わって、ジョージ・R・R・マーティン&リサ・タトルの『翼人の掟』を読みはじめた。SFが子どもの読むものだと、ふつうの大人は思っているようだが、そうではないということを教えてくれそうな気がする。読む速度が遅くなっているけど、がんばろ。


二〇一六年十二月九日 「ゴッホは燃える手紙。」


ゴッホは燃える手紙。


二〇一六年十二月十日 「漂流。」


骨となって
教室に漂流すると
生徒たちもみな
骨格標本が腰かけるようにして
骨となって
漂着していた
巨大な蟹が教卓を這い登ってきて
口をかくかくした。
目を見開いてそれを見てたら
巨大な鮫が教室に泳いで入ってきて
口をあけた
するとそこには
吉田くんの首が入っていて
目が合った


二〇一六年十二月十一日 「想像してみた。」


長靴を吐いたレモン。


二〇一六年十二月十二日 「ジキルとハイジ。」


不思議のメルモちゃんのように
クスリを飲んだら
ジキルがハイジになるってのは、どうよ!
(不思議の国のハイジだったかしら? 
あ、不思議の国のメルモちゃんだったかしら?)
大きな大きな小さい地球の
イギリスにあるアルプスのパン工場でのお話よ。
ジャムジャムおじさんが作り変えてくれます。
首から上だけ〜。
首から下はイギリス紳士で
首から上は
田舎者の
山娘
ちひろちゃん似の
アルプスの
ぶっさいくな
少女なのよ。
プフッ。
なによ。
それ。
そのほっぺただけ、赤いのは?
病気かしら。
あたし。
こまったわ。
うんとこ、とっと どっこいしょ。
流動的に変化します。
さあ、首をとって
つぎの首。
力を抜いて
流動的に変化します。
さあ、首をとって
つぎの首。
力を抜いて
首のドミノ倒しよ。
いや
首を抜いて
力のダルマ落としよ。
受けは、もうひとつなのね。
プフッ。
ジミーちゃん曰く
「それは、ボキャブラリーの垂れ流しなだけや。」
ひとはコンポーズされなければならないものだと思います。
だって。
まあね。
ミューズって言われているんですもの。
薬用石鹸。
ミューウーズゥ〜。
きょうの、恋人からのメールでちゅ。
「昨日の京都は暑かったみたいですね。
今は長野県にいます。
こっちは昼でも肌寒くなってきました。
天気は良くて夕焼けがすごく綺麗でした。
これから段々と寒くなるみたいで
田中さんも風邪などひかないように気を付けて
お仕事頑張って下さいね。」
でも、ほんまもんの詩はな。
コンポーズしなくてもよいものなんや。
宇宙に、はじめからあるものなんやから。
そう、マハーバーラタに書いてあるわ。
あ、背中のにきび
つぶしてしもた。
詩人はみな
剽窃詩人なんや。
ド厚かましい。

厚かましいのは
あつすけさんちゃう?

言われました。
笑。

逆でも、かわいいわあ。
首から下がハイジで
首から上がジキルなの。

ひゃ〜、笑。
ちょーかわいい。

恋人にもはやく相対。
プフッ。
はやく相対。
じゃなくて
はやく会いたい。
ぶへ〜
だども
あじだば
いっばい
詩人だぢどあえるど。
ヤリダざんどもあえるど。
アラギぐんどもあえるど。
みなどぐんどもあえるど。
もーごぢゃんどもあえるど
どらごぢゃんどもあえるど。
ばぎばらざんどもあえるど。
ぐひゃひゃ。
おやすみ。
プッスーン。
シボシボシボ〜。

あいたい
あいたい
あいたい
あいたい
あ いたい
あ いたい
あいた い
あいた い
あい たい
あい たい
あ いた い
あ いた い
あ い た い
あ い た い
いた いあ
いた いあ
いい たあ
いい たあ
いいあ た
いいあ た
たいあい
たいあい
たいあい
たいあい
たあいい
たあいい
たあいい
たあいい
あたいい
あたいい
いいたあ
いいたあ
いいたあ
いいたあ


二〇一六年十二月十三日 「めくれまくる人々への追伸。」


カーペットの端が、ゆっくりとめくれていくように
唇がめくれ、まぶたがめくれ、爪がめくれて指が血まみれになっていく
すべてのものがめくれあがって
わたしは一枚のレシートになる。
階級闘争。
契約おにぎり。
拉致餃子。
すべてのものが流れ去ったあとにも、残るものがある。
紫色の小さな花びらが4枚
ひとつひとつの細い緑色の茎の先にくっついている
たくさん

ひとつ
ひとつ
ひとつ

たくさん

田んぼの刈り株の跡
カラスが土の上にこぼれた光をついばんでいる
地面はでこぼことゆれ
コンクリートの陸橋の支柱がゆっくりと地面からめくれあがる
この余白に触れよ。
先生は余白を採集している。
「そして、機体はいつの日も重さに逆らい飛ぶのである。」
太郎ちゃんの耽美文藝誌「薔薇窗」18号の編集後記にあった言葉よ。
自分の重さに逆らって飛ぶのね。
ぼくは、いつもいつも、自分の重さに逆らって飛んできたような気がするの。
木が、機が、記が、気が、するの。
それで、こうして
一回性という意味を、わたしはあなたに何度も語っているのではないのだろうか?
いいね。
詩人は余白を採集している。
めくれあがったコンクリートの支柱が静止する。
わたしは雲の上から降りてくる。
カラスが土の上にこぼれた光をついばんでいる
道徳は、わたしたちを経験する。
わたしの心臓は夜を温める。
夜は生々しい道徳となってわたしたちを経験する。
その少年の名前はふたり
たぶん螺旋を描きながら空中を浮遊するケツの穴だ。
あなたの目撃には信憑性がないと幕内力士がインタヴューに答える。
めくれあがったコンクリートの陸橋がしずかに地面に足を下ろす。
帰り道
わたしは脚を引きずりながら考えていた
机の上にあった
わたしの記憶にない一枚のレシート
めくれそうになるぐらいに、すり足で
賢いひとが、カーペットの隅を踏みつけながら、ぼくのほうに近づいくる。
ジリジリジリと韻を踏みながら
そこは切符が渡されたところだと言って
賢いひとが、カーペットの隅を踏みつけ踏みつけ
ぼくのほうに近づいてくる。
(ここで、メモを手渡す。)
賢いひとが、長い手を昆虫の翅のように伸ばす。
その風で、ぼくの皮膚がめくれる。
ぼくの皮膚がめくれて
過去のぼくの世界が現われる。
ぼくは賢いひとの代わりのひとになって
昆虫の翅のような手を
やわらかい、まるまるとした幼いぼくの頬に伸ばす。
幼いぼくの頬は引き裂かれて
冷たい土の上に
血まみれになって
横たわる。
ぼくは渡されたレシートの上に
ボールペンで数字を書いている。
思いつくつくままに
思いつくつくままに
数字が並べられる。
幼いぼくの頬でできたレシートが
釘のようなボールペンの先に引き裂かれる。
血まみれの頬をした幼いぼくは
賢いひとの代わりのぼくといっしょに
レシートの隅を数字で埋めていく。
レシートは血に染まってびちゃびちゃだ。
カーペットの隅がめくれる。
ゆっくりと、めくれてくる。
スツール。
金属探知機。
だれかいる。
耳をすますと聞こえる。
だれの声だろう。
いつも聞こえる声だ。
カーペットの隅がめくれる。
ゆっくりと、めくれてくる。
幼いぼくは手で顔を覆って
目をつむる。
賢いひとの代わりのぼくは
その手を顔から引き剥がそうとする。
おにいちゃん
百円でいいから、ちょうだい。


二〇一六年十二月十四日 「ほんとにね。」


ささいな事柄を書きつける時間が
一日には必要だ。


二〇一六年十二月十五日 「バロウズ。」


バロウズのインタヴュー
面白い
ぼくが考えてきたことと同じことをたくさん書いてて
そのうちの一つ
テレパシー
バロウズはテレパシーって言う
ぼくはずっと
同化能力と言ってきた
國文學での論考や、詩論でね

つぎのぼくの詩集 The Wasteless Land.IV「舞姫」の主人公の詩人は
テレパス
うううん
バロウズ
ことしじゅうに、全部、読みたい。


二〇一六年十二月十六日 「みんな、死ぬのだと、だれが言った?」


時間を逆さに考えること。
事柄を逆さに書くこと。
理由があって結果があるのではない。
結果しかないのだ。
理由など、この世のどこにもない。
みんな、死ぬのだと、だれが言った?


二〇一六年十二月十七日 「ルーズリーフに書かない若干のメモ。」


どの作品か忘れたけど、スティーヴン・バクスターの作品に
「知的生物にとっての目標とは、情報の獲得と蓄積以外にないだろう」
とある。
またバクスターの本には
詩人はどう詠ったか──「知覚の扉が洗い清められたら、すべてが
ありのまま見えるようになる、すなわち無限に」
という言葉を書いていたのだが、これってブレイク?

数行ごとに
そこで電話を切る。
という言葉を入れる。

わたしは、なにかを感じる。
わたしは、なにかを感じない。
わたしは、なにかを知っている。
わたしは、なにかを知らない。
わたしは、なにかを恐れる。
わたしは、なにかを恐れない。
わたしは、なにかを見る。
わたしは、なにかを見ない。
わたしは、なにかを聞く。
わたしは、なにかを聞かない。
わたしは、なにかに触れる。
わたしは、なにかに触れない。

MILK
カナン
約束の地
乳と蜜の流れる土地よ
わたしの青春時代

ぼくはきみの記憶を削除する
ぼくはぼくの記憶を変更し
はじめて会った彼のことを新規に記憶する
ところが、きみの記憶はコピーが残っていたので
ジミーちゃんに指摘されて、きみのそのコピーの記憶が
間違った記憶だったことを指摘されたので
まったく違う人物の記憶にしていた、きみの正しい記憶と差し替える。

急勾配、訪問、真鋳、房飾り、パスポート、爪楊枝、ギプス、踏み段、スツール

生物検査、検疫処置、沼沢地、白子、金属探知機


二〇一六年十二月十八日 「「知覚の扉」というのは、ブレイクの言葉かな。」


自然は窓や扉を持たない
わたしたちは自然のなかにいても
自然が語る声に耳を傾けない
わたしたちは自然を前にしても
自然に目を向けない
わたしたちは自然そのものに接していても
自然に触れていることに気がつかない
芸術作品は
自然とわたしたちの間に窓や扉を設ける
それを開けさせ
自然の語る声に耳を傾けさせ
自然が見せてくれる姿かたちに目を向けさせ
自然そのものに触れていることに気づかせてくれる
真の芸術は
新しい自然の声を、新しい自然の姿を、新しい自然の感触を
わたしたちに聞かせてくれる
わたしたちに見せてくれる
わたしたちに触れさせてくれる
新しい知覚の扉
新しい感覚の扉
新しい知識の扉
新しい経験の扉

これまで書いてきた「自然」という言葉を「体験」という言葉に置き換えてもよい。

「知覚の扉」というのは、ブレイクの言葉かな。


二〇一六年十二月十九日 「かさぶた王子。」


どやろか、このタイトルで、なんか書けへんかな。
きょうはもう寝るかな。

そういえば、「もう寝る。」って
言い放って寝る恋人がいたなあ。
「もう寝る。」って言って
くるって、むこう向いて寝るやつ。
ふうん。
なつかしいけど、なんか、さびしいなあ。
おわり。


二〇一六年十二月二十日 「TUMBLING DICE。」


この曲をはじめて耳にしたのは
中学一年のときで
女の子の部屋でだった。
いや、違う。
ぼくんちにあった。
女の子もストーンズが好きだった。
ぼくと同じ苗字の女の子だった。
大学生のときに
リンダ・ロンシュタッドも
この曲を歌っていて
耳が覚えてる。

中学のときに
ぼくの友だちはみんな不良だったから
ぼくんちにあつまって
夜中にベランダに出て
みんなでぺちゃくちゃおしゃべりしてた。

そんなこと
思い出した。

日曜日にがんばったせいか、肩が痛い。
腰ではなく、きょうは肩にシップして仕事。
46だから、四十肩なのか五十肩なのか
四捨五入すると五十肩。


二〇一六年十二月二十一日 「私が知りたいのは、」


ちなみに
トウェインの言葉でいちばん好きなのは

深く傷つくためには
敵と友人の協力が必要だ
──ひとりがあなたの悪口を言い、
もうひとりがそれを伝えにくる。

コクトーは
そんな友だちを
まっさきに切る
と書いていたけれど、笑。

トウェインの言葉ですが
つぎのようなものもあります。
ひねりが2回ありますね、笑。

私は人種的偏見も、階級的偏見も、宗教的偏見も持っていません。
私が知りたいのは相手が人間であるかということだけです。
それがわかれば十分なのです。
それ以上悪くなりようがないのですから。


二〇一六年十二月二十二日 「吐き気がした。」


キッスを6時間ばかりしていたら
吐き気がした
胸の奥から喉元まで
吐き気がいっきょに駆け上がってきた
彼の唇も6時間もキッスしてたら
なんだか
唇には脂分もなくなって
しわしわで
うすい皮みたいにしなびて
びっくりしちゃった
キッスって
長い時間すると
唇の感触がちがってくるんだね
キッスはヘタなほうが好き
ぎこちないキッスが好き
ヘタクソなほうがかわいい
舌先も
チロチロと出すって感じのほうがいい
さがしてあげる
きみが好きになるもの
さがしてあげる
きみが信じたいもの
なおレッド
傷つけることができる
いくらでも
ときどき捨てるから厭きないんだね
みんな
ジジイになれば
わかるのにね
時間と場所と出来事がすべてなんだってことが
すなおに言えばいいのに
なおレッド
略式恋ばっか
で、もうジジイなんだから
はやく死ねばいいのに
もうね
ふうん
それに
人生なんて
紙に書かれた物語にしか過ぎないのにね
イエイ!


二〇一六年十二月二十三日 「まことに、しかり。」


(…)世界の広いことは個人を安心させないことになる、類がないと思っていても、それ以上な価値の備わったものが他にあることにもなるのであろうなどと思って、(…)
(紫式部『源氏物語』紅梅、与謝野晶子訳)

「世界の広いことは個人を安心させないことになる」

まことに、しかりと首肯される言葉である。


二〇一六年十二月二十四日 「息。」


息の根。
息の茎。
息の葉。
息の幹。
息の草。
息の花。
息の木。
息の林。
息の森。
息の道。
息の川。
息の海。
息の空。
息の大地。
息の魚。
息の獣。
息の虫。
息の鳥。
息の城。
息の壁。
息の指。
息の手。
息の足。
息の肩。
息の胸。
息の形。
息の姿。
息の影。
息の蔭。


二〇一六年十二月二十五日 「ひさしぶりのすき焼き。」


きょうは森澤くんと、キムラですき焼きを食べた。そのあとタナカ珈琲で、BLTサンドとパフェを食べて、日知庵に行った。食べ過ぎ飲み過ぎの一日だった。


二〇一六年十二月二十六日 「田村隆一にひとこと。」


言葉がなければ
ぼくたちの人生は
たくさんの出来事に出合わなかったと思う。

言葉をおぼえる必要はあまり感じないけど
ヌクレオチドとかアミラーゼとか、どうでもいい
言葉があったから、生き生きしていられるような気がする。

もしかしたら
生き生きとした人生が
言葉をつくったのかもね。


二〇一六年十二月二十七日 「これから、マクドナルドに。フード・ストラップ、あつめてるの。」


きのう、シンちゃんに
「おまえ、いくつじゃ〜!」
と言われましたが
コレクションするのに
年齢なんて関係ないと思うわ。
「それにしても
 幼稚園児のような口調はやめろ!」
と言われ
はて
そだったのかしら?

もう一度
「あつめてるの。」
と言って
自分の声を分析すると
たしかに。
好きなものあつめるって
子どもになるんだよね〜。
なにが、あたるかな。


二〇一六年十二月二十八日 「原文。」


シェイクスピア鑑賞について。

もう十年以上もまえのことだけど
アメリカ人の先生と話をしていて
ちょっとひっかかったことがある。
「シェイクスピアをほんとうに知ろうと思ったら
 原文で読まなきゃいけませんよ。」
はあ?
という感じだった。
部分的に原文を参照したりしていたけれど
全文を原著で読んでなかったぼくだけれど
すぐれた翻訳があって、それで楽しんでいるのに
ほっといてくれという思いがした。
あなた、聖書は何語で読んだの?
って感じだった。
まあ、そのひとだったら、アラム語やギリシア語で読んでそうだったけど。
もちろん、原文を読んだほうがいいに決まってるけれど
語学が得意ではない身にとって
まずは翻訳だわな。

そういう意味で、原文主義者ではないぼくだけれど
できるかぎり原文を参照できる用意はしておかなくてはならないとは思っている。


二〇一六年十二月二十九日 「死。」


ジョージ・マイケルは53歳で死んで、キャリー・フィッシャーは60歳で死んで、ええって感じ。あと2週間足らずで、56歳になるぼくだって、いつ死ぬかわかんないけど。


二〇一六年十二月三十日 「死。」


ことしは偉大なアーティストたちが亡くなった年だったのだな。
http://www.rollingstone.com/culture/lists/in-memoriam-2016-artists-entertainers-athletes-who-died-w457321/david-bowie-w457326


二〇一六年十二月三十一日 「芸能人。」


そいえば、きのう芸能人を電車で見たのだけれど、口元に指一本をくっつけて合図してきたから、見ちゃダメなんだと思って、駅に着くまで違う方向を見ていた。

文学極道

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