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作品 - 20170102_932_9382p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


全行引用による自伝詩。

  田中宏輔



 ソニアは悲鳴をやめ、しわくちゃになったシーツを引っぱり上げて台なしになった魅力を隠すと、みっともなくのどを鳴らして悲劇的な表現に熱中しはじめた。ぼくはものめずらしい気持で彼女を仔細に眺めたが、それは演技だった。でも彼女は女なんだから特に演技してみせることもないのだ、この意味がわかるだろうか?
(キリル・ボンフィリオリ『深き森は悪魔のにおい』2、藤 真沙訳)

むかしというのはいろんな出来事がよく迷子になるところでね
(ロバート・ホールドストック『アースウィンド』4、島岡潤平訳)

 図書館で、だれかが硬い赤い表紙の古い本を床に投げ落とす。それを拾って題名を読む。『幸せな網』
(ウィリアム・バロウズ『夢の書 わが教育』山形浩生訳)

 足に熱を感じて見下ろすと、火のついたタバコが靴の下のつま先付近に押しこまれている。だれかがわたしに熱い足をくれたってわけだ。タバコを取り出して、割ってみると、貝殻みたいで中には触手が入っている。でも生きてもいないし動いたりもしない。
(ウィリアム・バロウズ『夢の書 わが教育』山形浩生訳)

ハム音がしていて、部屋は耳障りな悪意を伝えてくる。なにかがバネ仕掛けで壁から飛び出してくるとか、部屋がいきなり縮んで鳥小屋になってしまうとか。
(ウィリアム・バロウズ『夢の書 わが教育』山形浩生訳)

その時だしぬけにフリエータが明るいキャラメル色の眼でぼくをじっと見つめて、低いけれども力強い声で「キスして」と言った。こちらがしたいと思っていることを向うから言い出してくれたので、一瞬ぼくは自分の耳が信じられず、もう一度今の言葉をくり返してくれないかと言いそうになった。しかし、
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』世界一の美少女、木村榮一訳)

実際に見たものよりも、欺瞞、神秘、死に彩られた物語に描かれた月のほうが印象に残っているのはどういうわけだろう。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』あるバレリーナとの偽りの恋、木村榮一訳)

 その美しい顔の下にもうひとつの顔があるのだが、よく見ようと顔を近づけるとたちまち隠された顔が消えてしまう。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』女戦士(アマゾネス)、木村榮一訳)

これ以上なにか見抜かなければならないものはなにも残っていなかった。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』6、菅野昭正訳)

「(…)思い出しますか、昔、断崖の頂きから僕たちが眺めた、あの小さなひとびとの姿、あちこちで点々と砂を穿っていた、あの誰とも知れぬ小さな黒い点のことを?……」
「ええ。あなたがこうおっしゃったことまで思いだしますわ。何年かが、何世紀かが過ぎ、そして浜辺にはいつもあの小さな黒い点がある、次々に代りはするが、厳密には同等なものであるあの点が、って」
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』6、菅野昭正訳)

 イレーヌの顔には、そういうことがなにか留(とど)められているかと考えて、その顔をじっと眺めてみたが、そこにはなにひとつ留められていないことが、見てとれるような気がした。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』7、菅野昭正訳)

 チャーテン場においては、深いリズム、究極の波動分子の振動以外なにものもない。瞬間移動は存在を作り出すリズムのひとつの機能なんだ。セティアンの精神物理学者によれば、それは人間ひとりひとりを永遠と偏在に参与せしめるリズムへの架け橋なのだ。
(アーシュラ・K・ル・グイン『踊ってガナムへ』小尾芙佐訳)

 しかし、彼の笑顔はこの世にふたつとない笑顔だ。その笑顔を向けられると、人生で出くわすありとあらゆる不幸をそこに見るような気がする。ところが顔に浮かんだその不幸を、彼はあっという間に順序よく並べ替えてしまう。それを見ていると、今度は急に「ああそうか、心配することはなかったんだ」と感じるのだ。
 だから彼と話をするのは楽しい。その笑顔をしょっちゅう浮かべて、そのたびに「ああそうか、心配することはなかったんだ」と感じさせてくれるからだ。
(ダグラス・アダムス『さようなら、いままで魚をありがとう』31、安原和見訳)

そして彼女は行ってしまった。糖菓(タフイ)のような色の髪と、黄色いドレスと、小さなレース飾りが、彼の目の前で、木の柵の閉じられた門と、小走りに遠ざかってゆく足音に変わった。
(シオドア・スタージョン『夢見る宝石』2、永井 淳訳)

 子供はどこに生まれつこうと、そこに生涯かかってもまだ尽きぬほど、驚嘆すべきものを発見しつづけるに違いない。
(カート・ヴォネガット『パームサンデー』II、飛田茂雄訳)

 いま、ラヴィナは強い人だった、と言いました。(…)今にして思えば、彼女は強さを装っているだけでした。それはわたしたち人間にできる最善のことです。
(カート・ヴォネガット『パームサンデー』VII、飛田茂雄訳)

これは意味のない言葉である。
(ブライアン・W・オールディス『三つの謎の物語のための略図』深町眞理子訳)

ここにはわれわれみんなの学ぶべき教訓がある。
(ブライアン・W・オールディス『三つの謎の物語のための略図』深町眞理子訳)

かつてはこれも人間だったのだ。
(ハーラン・エリスン『キャットマン』池 央耿訳)

「きれいですわね」王妃は言った。王妃の勲章に対する趣味は、その衣装に対するのと似ている。
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチールラット』14、那岐 大訳)

言葉がすべてを語らず、身体がかわりに話すような場合もあるのだ。
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチールラット』17、那岐 大訳)

「女に残酷なことはしたくない」そういって不誠意極まる笑みをもらした。人間の顔に浮かぶものとして初めて見たような種類のものだった。
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチールラット』18、那岐 大訳)

「きみはばかな男ではない、グラブ・ディープシュタール」このことは伯爵はおれのことを自分よりはるかにばかだと考えていることを意味していた。
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチールラット』18、那岐 大訳)

 選択忘却というあるささやかな方法がある。それによってわれわれは自分がいやだと思う記憶を抑えつけたりゆがめたりする。
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチールラット』18、那岐 大訳)

記憶というものはなんと二股の働きをするものだろう。一方では現わし、他方では隠す。おれ自身の潜在意識は、おれと闘っていた。
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチールラット』2、那岐 大訳)

 完全な感覚遮断にさらされたとき、人間の精神はたちまち現実の把握を失う。処理すべきデータの流入を阻(はば)まれた脳は幻覚を吐きだし、非理性的になり、最終的には狂気へと落ちこんでいく。長期にわたって感覚入力が減った場合の影響は、もっと緩慢で微妙だが、多くの意味でもっと破壊的だ。
(ポール・アンダースン『タウ・ゼロ』12、浅倉久志訳)

 そしてまただれもが、そうとは知らずにたえず自身の物語を語っている。人間の身体は、うなったり、肩をすくめたり、無意識に動いたり、無数の表現方法でその人自身を語っているのだ。個性の少なからぬ部分が、意識のコントロールをすりぬけて表面にあらわれ、無意識は肉体をとおして自身を語る。
(グレゴリイ・ベンフォード『銀河の中心』小野田和子訳)

「はやく出ていきたいものだわ」
「かつてはここもすばらしい世界だったのでしょうがね」とホートは答えた。「息子さんはこの星を憎んでいました。いやむしろ、もっと具体的にいえば、この星で彼が見たものを憎んでいました」
「ま、それは理解できますね。あのおそろしい野蛮な人たち──それに、街にいる人間だって大差ないし」
 ホートは彼女の逆転した民主主義をおもしろがった──あらゆる人間を自分よりはるかに劣った存在と見なすため、彼らはたがいに平等なのである。
(オースン・スコット・カード『キャピトルの物語』第一部・5、大森 望訳)

坐り込んでいる人間の運命は、やはり、坐り込んでいるからね
(フィリップ・ホセ・ファーマー『果しなき河よ我を誘え』4、岡部宏之訳)

「(…)さあ教えてくれ。ここは地獄じゃないのか?」
「むしろ、煉獄ですよ」コロップはいった。「煉獄は希望のある地獄なのですから」
(フィリップ・ホセ・ファーマー『果しなき河よ我を誘え』23、岡部宏之訳)

 ユーモリストというものは、真暗な魂を持っていて、その暗闇の塊りを、光の爆発に変えるものなんだ。そして、その光が消えれば、暗闇が戻ってくるのさ
(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが夢のリバーボート』8、岡部宏之訳)

かれの考えは論理的でなかった。だが、哲学者たちが何といおうとも、論理の主な用途は、感情の正当化にあるのだ。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが夢のリバーボート』22、岡部宏之訳)

 サムはもっとずっと重要なことを考えなければならなかった。しかし、真に重要なことは、無意識によって最もよく識別されるものだ。そして、この考えを送り出したのは、この無意識であったにちがいない。初めてかれは理解した。真に理解した。脳から足の先までの、体中の細胞で理解した。リヴィは変ってしまったと。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが夢のリバーボート』26、岡部宏之訳)

そして私もそのひとつなのだ。
(ダン・シモンズ『イヴァソンの穴』柿沼瑛子訳)

 非常に残酷で、非常に正しい人生の法則があって、人間は成長しなければならぬ、でなかったら、もとのままでとどまることにたいして、いっそう多くの代価を払わなければならぬ、と要求するからである。
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第五部・26、山西英一訳)

そこでは、だれも未来がなかった。
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第六部・27、山西英一訳)

 ついにぼくは多少ともわかるようになった。書いていくにつれて、ぼくは自分がいっそう力ができたこと、自分は生きぬいたこと、ついに自分は自分の性質のなかで自分よりすぐれたものをなにかしら永久的な形でとどめておくことができるのだということ、したがって自分は芸術が見いだされるあの孤児たちの特権ある世界の一員になりはじめているのだということを知った。
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第六部・27、山西英一訳)

アイテルは悲しかった。だが、それは楽しい悲しさだった。
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)

「チャーリィはまだ理想主義者なのさ」ハチャーが言った。「世界は論理的じゃないということを認めようとしないんだ」
「確かに世界は図式的なアリストテレス的論理では動いていないね」シプリィも認めた。「それは完全に演繹(えんえき)的だからね。真理からスタートする。そしてそこから世界がしたがっているはずの法則が導きだされる。機械が得意とするのはそれさ。ところが現実生活では、人間は経験で得た今の世界のあり方から出発する。それからその理由を推察し、それが実際のものに近いものでありますようにと祈るわけだ。帰納法さ。人間がやっているのはこっちだ──しかもどうやってかは自分たちですらはっきりわかっていない。だから教科書に書いてある科学と実際の科学が違ってくる」
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』15、大島 豊訳)

「他人が支配しているものを通じて幸福を求めるな」シプリィは答えた。「さもないと結局は支配しているやつらの奴隷になる」
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』15、大島 豊訳)

「言葉は単にコード体系でしかなくて、聞き手の神経組織の中に生活体験を通じてすでにできあがっている結合の引き金を引くだけだ。情報は聞き手の中にあるんだ。語り手ではなく。(…)」
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』17、大島 豊訳)

 ところで、こうしてわたしはその広大な洞窟の中で、遂に禁じられた世界の周辺を垣間見ることになった、その世界は盲を除けば、ほとんど近づいた者もいないようなところであり、その世界を発見する者には恐ろしい罰が下されるのだが、その世界を見たという証拠は上の世界であいかわらず無邪気に夢を見ている人々の手には、今日に至るまで間違っても渡ったためしはない、人々はその証拠を馬鹿にし、自分たちを目覚めさせるはずの印、つまり、夢とか束の間の幻覚、子供や狂人の話といったものを前にするときまって肩をすぼめるものだ。そのうえ、禁じられた世界に潜入してやっと戻ってきた者たち、発狂や自殺で人生を終えた、それゆえ、大人が子供に抱く称賛と軽蔑の入り混じった保護者然とした態度を受けることにしかならない作家たち(たとえば、アルトー、ロートレアモン、ランボー)の断章を例によって暇つぶしのために読んだりすることになる。
(サバト『英雄たちと墓』第III部・35、安藤哲行訳)

マルティンはふたたび視線を上げた、今度はほんとうにブルーノを見るためだったが、まるで謎を解く鍵を教えてもらおうとする眼差しだった、(…)
 そのとき、ブルーノは何かを言おう、沈黙の埋めあわせをしようとして答えた、
「ああ、分るよ」
 しかし、何が分っていたのか? いったい何が?
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・2、安藤哲行訳)

いったい、どこに本物とにせ物を見分ける基準があるのだろう?
(アイザック・アシモフ『地球人鑑別法』4、冬川 亘訳)

どこへ連れていくつもり? あたし、また手術を受けるのかしら?
(ロバート・A・ハインライン『悪徳なんかこわくない』下巻・29、矢野 徹訳)

悪いかい?
(アイザック・アシモフ『亡びがたき思想』冬川 亘訳)

このわたしを?
(アイザック・アシモフ『発火点』冬川 亘訳)

きみは気でもちがったのかい?
(アイザック・アシモフ『記憶の隙間』6、冬川 亘訳)

(…)ファウラー教授は、額をおおう黄土色の土をぬぐった。ぬぐいそこねた土は、まだ額に残っている。
(アーサー・C・クラーク『時の矢』酒井昭伸訳)

「それでは、いったい何の目的でこの世界はつくられたのでしょう」とカンディードはいった。
「われわれをきちがいにするためにですよ」とマルチンは答えた。
(ヴォルテール『カンディード』第二十一章、吉村正一郎訳)

 彼にとって、ただ一つ変わらぬものは変化そのものであり、彼が周囲の世界で発見した変化の機序は彼自身の存在に反映していた。彼が次々に自分の役割を変え、次々に女を替えていったのは、そのためだった。
(ブライアン・オールディス『十億年の宴』5、小隅 黎訳)

ある神秘主義者は旅によって、またある神秘主義者は一室にとどまることによって、神を探し求める。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』14、宇佐川晶子訳)

 幻覚の定義は、その人がなにを軸にして活動しているかによって変わる。そのとき自分の身に起きていることがなんであろうと、起きていることが現実だ。
(チャールズ・ブコウスキー『バッドトリップ』青野 聰訳)

彼の見てるものがなんであれ、それが現実なのだ。
(チャールズ・ブコウスキー『バッドトリップ』青野 聰訳)

人生とは、私たちが人生からつくり上げるもののことです。
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』第二十二章、園田みどり訳)

旅とは旅人のことです。
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』第二十二章、園田みどり訳)

私たちに見えるのは、私たちが見るものではなく、存在する私たちのありようなのです。
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』第二十二章、園田みどり訳)

 オノリコいわく。物語るだけでは十分ではない。重要なのは語り継ぐことだ。つまり、すでに語られた物語を、自分のために入手し、自分の目的のために利用し、ときに自分の目標に隷属させたり、あるいは語り継ぐことによって変容させたりする語りである。言い換えるなら、メンドリは、卵が別の卵を産むために用いる手段だということだ。
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』覚書、園田みどり訳)

「無理もないな。ジーヴズ、ぼくらどうする?」
「どうしたものでしょうか」
「きついことになってきたな」
「はい、たいそうきついことに」
ジーヴズがくれた慰めは、それがすべてだった。
(P・G・ウッドハウス『同志ビンゴ』岩永正勝・小山太一訳)

「たぶん彼があなたにいろいろと話すのは、あなたが何も訊かないからなのね」
(アン・ビーティ『駆けめぐる夢』亀井よし子訳)

J・Dは絵葉書をいっぱいつめた箱を持って旅から帰ってくる。そしてわたしは、その絵葉書が彼の撮った写真であるかのように、丁寧に目を通す。わたも、彼も知っている。彼が絵葉書のどこが好きなのかを。彼は絵葉書の平板さ、すなわちその非現実性が好きなのだ。自分の行動の非現実性が。
(アン・ビーティ『燃える家』亀井よし子訳)

帽子を放り投げて、こう言った。「自分の絶望を外に連れだしたかったんだよ」すると悪夢が消え、いい考えが浮かんだ。妹の苦悩について彼が話すのはむりでも、彼自身の苦悩を聞かせれば彼女の気晴らしになるだろう。彼女はただちに皿を叩くのをやめ、彼のほうに向き直って、まじまじと顔を見た。自分の苦悩が他人の顔ではどんな表情かを見るために。
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』9、堤 泰徳訳)

私が興奮する最大の原因は、私の弱さにあるのよ
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』9、堤 泰徳訳)

彼は芸術によって、いやされていたのだろうか?
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』9、堤 泰徳訳)

小さな人間の本性をはずかしめ、おとしめるのは、その願望が実現するときだった。
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』10、堤 泰徳訳)

アンジョリーナはがんこな嘘つきだったが、本当は、嘘のつき方を知らなかった。
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』10、堤 泰徳訳)

ステファンヌは私に夢中だ。私という病気にかかっていることがようやくわかった。こっちがなにをしようと、彼にとっては生涯、それは変わらないだろう。
(エルヴェ・ギベール『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』8、佐宋鈴夫訳)

文学極道

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