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作品 - 20161031_183_9217p

  • [佳]  2011 - 芦野 夕狩(ユーカリ)  (2016-10)

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2011

  芦野 夕狩(ユーカリ)

教室にはわたしたちの他にだれもおらず、あたしたちもうぺちゃんこだね、というナナエの言葉に、ふかくため息をついたアヤコは、うつむいたまま自分の胸を見続けていて、差し染める西陽が、アヤコの輪郭だけを特別な彫刻のように、かたちづくる限り、わたしたちは誰ひとりとして、その滑稽な誤解を解くことも叶わずに、非行少年が、ふとした瞬間に海を見たくなり、海に誘われるままに、そのかいなに抱かれる、あの、言葉を失った瞬間、みたいな顔で、いつまでも終わらないこの日常の果ての果ての果てを、見届けることなどできないと知っているから、うすく、ひきのばされた薄紅色のゆううつを、滑るように息をしている。

黒板に書かれたたくさんの正しいが、どれ一つとして正しくないのは、わたしたちが、水に歪められたかなしみを、どこまでも掬えずに、とりとめもないふしあわせを、いきつぐ、ように 、酸素の濃度でいきついでいるだけのことだ、と、知った、あの春の、春の、水に浸された結末の、さいごの音がいつまでも鳴り止まない、そんな日常の、yesでもnoでもない、問いかけの解法を見つけ出すことができないから、アヤコのうつくしい輪郭線をたどるようにおちていく西陽のゆくえに、いかなる意味もみいだせないこともまた、

アメリカにも雨は降るんだよ、と、ナナエは黒板の正しいを向きながら言い、わたしたちはアメリカなんか一度も行ったことがなくて、それはナナエも一緒なんだけれども、アメリカにもまた、あの陰惨な時間が流れうることに、どうしようもない驚きを隠しきれずに、アメリカにも雨は降るんだね、と繰り返し囁くことしかできずにいる、アヤコのからだは、もうすっかり痩せてしまっていて、黒板消しを置くところに降り積もった、チョークの粉をずっと見続けているのは、近所にあった、リタリンを違法に処方してくれていた病院が、摘発されたことと、おそらく無関係ではないのだろう。

あたりは夕闇に包まれ、アヤコは暗闇に怯え出し、ナナエはそれを見ないふりをして、そろそろ出勤だから、と言い残すと、かんたんな呪文を唱えて、校舎の鍵を作り出し、それをアヤコに放り、それを受け取り損ねたために、教室に転がる鍵を、アヤコはいつまでも拾おうとしなくて、暫くのあいだ沈黙だけが教室にあふれ、そして、おしころされた嗚咽が沈黙を破り、暗闇のなかで、アヤコの鋭い視線が、戦場で狙撃兵のスコープが光るみたいに、わたしのこと、見ている。

文学極道

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