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作品 - 20161022_797_9199p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


息子よ

  朝顔

君は夕方、疲れた足を引きずって帰宅の道を急ぐ
二十五年ローンで購入したマンションの影が街路にまで長く伸びている
そのシルエットを見て
まるで家族の棺桶そっくりだと君は考え
いやいや俺は疲れているんだとつまらない妄想を吹き飛ばす

玄関を開けると疲れた顔の妻がいる
「今日はもう洗濯物を取り入れる元気がなかったの」と弱弱しく彼女は言う
君は腹立ちを抑えて
ネクタイを緩めながら食卓に着く
この部屋はどこもかしこも真っ白で四角いと君はつねに思う

ふと、部屋から息子が出てくる
髭は伸び放題で服にはカップ焼きそばの切れ端がくっついている
「お帰りなさい」と言う息子の声を無視して
君は鯵のアクアパッツアを食べ始めた
息子はあきらめたようにのろのろとベランダに出て
もう冷えたワイシャツや靴下を取り入れ始める

一週間前、君は父兄面談に行った
きちっと背筋を伸ばして肩を180°に張って
「不登校は息子の自己責任です」と言い切った君に
高校の担任はおびえたような薄笑いを浮かべて
「これ以上出席日数が足りないと停学になります」と呟いた

君は急に猛烈に腹が立って
洗濯物をていねいに仕分けして畳んでいる息子の背中を蹴とばす
「こんなことは男のやることじゃない」
妻は怯えた顔をして君に謝り
シャツを代わりにたたみはじめた

息子はまた無表情に戻り
部屋のドアをぱたんと閉めた

その夜、息子の部屋から大きな轟音が聞こえる
部屋の壁につぎつぎと大きな穴を開けているのだ
妻は君の手をベッド越しに握って
「もうここにいられなくなるかも知れない」と泣き声を出す
君は、いつもの行きつけの居酒屋の女店員のお尻をつかみたいと
脈絡なく思い

でもボトルをキープするだけの小遣いがないことが
腹立たしくなって唇を噛んで天井を見上げた
息子はドンドンドンと壁を叩いている
「息子さんは甘えたいんじゃないですか」と言う担任の声が耳にこだまし
結局君と妻が寝たのは夜更け過ぎだった

充血した目で朝君は玄関を出て
駅への道を少し年季の入った合成皮革の靴で歩き始める
君の息子はだらんと垂れている
息子よ、立て立て立てと呪文を唱えながら
君はラッシュアワーの雑踏に消えてゆく

文学極道

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