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作品 - 20160818_473_9045p

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Avenida 68 (藝術としての詩)

  天才詩人


Lと出会ったのは、まばらな枯れ木が散らばる空地が豊かな森に変わる、街のはずれのある小ぎれいなパン屋だった。そのパン屋で、僕は毎週土曜日、夢のようなケーブルを敷設するプランについて話す場をもつため、大勢の客を招いてミーティングを開いていた。大きな常緑のプランターがならぶ窓から鈍色の午後の日がこぼれる、つややかな白い2階のフロアで、エンジニア、学生、服飾デザイナー、それから町の安宿にちょうど居合わせた外国人旅行者など、いろいろな職業や国籍の参加者が、部屋の四つ角に配されたテーブルを囲み、意思の疎通を図った。僕らは、各自が発音する単語を一つ一つていねいに厚いボール紙の表面に記入しながら、日ごとの参与観察のデータと、国外へ移動する人々のフローを追尾する、遠く離れた土地での追加調査、それから調査地に着くまでに歩いたり立ち止まったりした街角やL字とS字形の路地を、色とりどりの地図上にボールペンで書きこんでいった。

そのグループのなかの、Lという端正な顔立ちの女性がとりわけ僕の注意を引いた。Lはその町の大手新聞社の販売部で働いていた。彼女の家は、街の貧困地区を南北に縦断する片側4車線の首都高速を、気の遠くなるほど長い跨線橋でオーバークロスした、溶接工場やショッピングセンターが混在する再開発地区にあった。グーグルマップで見ると、その場所からLのはたらく新聞社までは東へわずか2キロの道のりだったが、この街ではライトレールや路線バスはすべて南北に走る高速道路にに沿って整備され、彼女の通勤はいつもそれだけで「一日が終わってしまうんじゃないかと思うくらい」の時間がかかった。「歩いたほうが早いんじゃないの?no será mas fácil moverte a pie?」と笑いながら僕が言うと、彼女は答える「あなたはまだ来たばかりだから、この街を東西の方向に移動することの大変さを知らないのよ。」

Lは続けた「私の家は68号通りにあるんだけど、人はその一帯をいまだに『72』って呼ぶ。廃線になった国鉄のターミナルが解体されたあと、市は区画整理のために一本一本の通りにつけられた番号を調整しにかかった。だけどそこに大きなミスがあって、72と呼ばれるエリアは、地図のなかから消えてしまった。そんな市当局の失態のせいで、ここ数年、清掃局の車はLの家の周辺をいつもうっかりと通り過ぎてしまう。白昼の路上に何日たっても回収されない廃棄物がうず高く積もり、住民がついに抗議集会を開き、68号線を封鎖した。人々は巨大なスピーカーを通りの真ん中に据えてサルサ音楽を大音量で鳴らし、夜を徹して踊りつづけた。やがてにわかづくりの食べ物屋台がならぶ夜市が現われ、外国人観光客が見物に来るまでになった。その狂騒の一部始終が彼女の働く新聞社の朝刊で『72号線のカーニバル』というタイトルのもとに一面をかざったのはついさいきんのことだった。」

数ヵ月たったある夕方、はじめてLの住む家を訪れた。曇り空の水滴がアスファルトの路面を湿らす、しずかな日曜日だった。午前中から、街のあちこちで彼女のバーゲン品探しに付き合い、そのあと何をするでもなく、ぶらぶらと「72」の近くまでやって来た。Lの家は、68号線から小さな路地をはいったところにあるコンクリートの3階建てで、このあたりでは目をひく建物だった。しかしLの家族は、建物の屋上部分に置かれた、廃品の市バス3台を改造した小さなスペースに住んでおり、その外側のパティオには観葉植物や洗濯物を干すスペースが所狭しとならんでいた。Lによれば、地上階の部屋の多くはアパートとして賃貸されており、あまり楽ではないらしい彼女の家族の生計を支えていた。Lの家族が暮らすその屋上からは、灰色のセメントの住宅群や、大型量販店のむこうにスモッグにかすむ首都高速の防音壁が見え、そこを疾走する自動車のタイヤがアスファルトを擦る音が、微かにしかし絶え間なく聞こえていた。

いまではほとんど市井の人々の口にはのぼらない。だが、ちょうどその量販店の真新しいアスファルトの駐車場があるあたりには、ほんの4−5年前まで、この町の玄関として今世紀のはじめに建設された、ル・コルビジェ様式の近代的な国鉄ターミナルがあった。その話をどこかではじめて聞いたとき、僕は心が躍った。そして、それ以来、国鉄の駅があったころのこの一画の様子をいつも地元の誰かに聞こうと心に決めていた。しかし不思議なことに僕は毎回その機会を逸した。どんな相手と会っても、肝心なときにうっかりそのことを聞き忘れてしまうのだ。そして今日、屋上からまさにそのガラス張り建築のターミナルがあった場所に目をやりながら、Lにその話をしようと思ってふり返ると、僕が口を切るよりも早く彼女は言った。「明日の朝食のパンを買いに行かなくちゃ。一緒に来る?」

そして部屋に入ると、黒いジャンパーを羽織り、僕の存在を忘れたかのように、早足で階段を下りはじめる。僕はLに一歩遅れたまま後ろを歩き、S字形にくねった路地をゆく彼女の背中を追う。「今日はパン屋に行くのもう2度目だよなぁ Ya es la segunda vez que vamos a panadería hoy! 」と叫ぶと、彼女は後ろを振り向くことなく「そうね!siii!」とだけ答える。大型スーパーの広告塔ごしの、ツイストロールのかたちをした雨雲が浮かぶ空。解体されアスファルトで整地され、まるで浮き島のように住民の記憶から消えつつあるガラスばりの近未来建築と、廃棄物やスクラップで封鎖された幹線道路で住民が踊りつづける、「カーニバル」の夜深け。僕はLとこの街で出会ってからの数ヶ月間歩いたり立ち止まったりした、ボール紙の地図の上に色とりどりにマーキングされた無数の地点を思い出しながら、彼女と最初に言葉をかわした、あのパン屋の午後の日がさすフロア、そして、その店がある豊かな森におおわれた界隈まで引き返すための交通機関と、それだけで「一日が終わってしまい」そうな道のりについて反芻していた。

Avenida 68 (藝術としての詩・続) Copyright 天才詩人 2016-08-18 11:00:27

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