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作品 - 20160801_704_8993p

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命中しないあなた、でも愛してる(アンチ藝術としての詩)

  ヌンチャク

通天閣には、まだ上ったことがない。下から見上げるばっかりだ。あべのハルカスが出来るほんの15年ほど前、新世界と呼ばれるあの界隈のてっぺんは、通天閣だった。俺はWと、新今宮駅を降りる。高架下に出ると、8月のムッとした熱気の風に乗って、排ガスと生ゴミの臭気が漂う。いかにも昭和レトロな、錆びついた自転車の前と後ろに、潰れた空き缶のぎゅうぎゅうに詰まった汚いビニール袋を、3つも4つもくくり付けて、ギイギイと、痩せこけた爺さんが通りすぎていく。耳朶のないスキンヘッドの男が、個室ビデオの看板を持って、黙って立っている。新今宮から天王寺まで、交通量の多い直線道路沿いに、隙間なく一列に、ブルーシートを被せたダンボール小屋が長屋を形成し、悪臭を放ち、その前でホームレスと犬が、同じような呆けた表情で日向ぼっこしている。俺はWの手を取り、駅前の横断歩道を渡る。新世界の、フェスティバルゲート(Festival Gate)という、名前と外観だけはやたらと賑やかな複合施設、つまりは第三セクターの、夢見がちでありがちな失敗作に入っていく。施設の中と外を、2階から4階を、小さなジェットコースターが、客の来た時だけ、自暴自棄に駆け巡る。係員は欠伸をこらえていた。俺とWは、閑散とした廃墟の中をくぐり抜け、スパワールドへたどり着く。1000円キャンペーン。水着に着替え、エレベーターで上昇し、屋内プールで落ち合う。Hoopで二人で選んだコバルトブルーのビキニ。小さな惑星のように丸い乳房の膨らみ。水を湛え、新しい生命が生まれる。俺は彗星。いつか俺が燃え尽きた時、おまえの海に堕ちたい。オレンジ色の、大きな浮き輪にWを、座らせて、引っ張って、潜って、丸いお尻を見上げて、触って、流水プールを、流され、流れるままに、ぐるぐると回り続けた。スパワールドの裏には、天王寺動物園が広がっている。入場口を過ぎてすぐ右手に、チンパンジー舎がある。壁一面に描かれた密林の絵、作り物の大きな黒い木の枝に座り、チンパンジーは、いつも遠い空を見上げている。動物園の高い塀の向こう、立ち並ぶビルとネオン看板を越えて、スモッグで霞んだ空を、ぼんやり見ている。その頃、家族と絶縁し、一人暮らしであるにも関わらずバイトすら辞めてしまい、無職だった俺は、かつて自分が、美大生だったこと、詩を書いていたことなどすっかり忘れて、日々の生活のこと、これからの将来のこと、就職のこと、Wのこと、手枷足枷のように縛りつけてくる、ありとあらゆるもののことを、漠然と考え始めていた。動物園のチンパンジーと、ブルーシートの小屋で暮らすホームレスと、どちらがいい暮らしをしているだろう、そんなことを思ったりした。Wは、天然と言うか、アホというか、世間知らずというか、常識や物を知らないところがあった。この前、鉄筋バットでね。それ、金属バットやろ! バットに鉄筋入ってたら、野球やるたび、死人でるわ! Wは、自分の間違いをまるで恥ずかしがりもせず、俺がひとつひとつツッコミを入れると、楽しそうによく笑った。屋内プールから屋外ゾーンに出て、二人で露天のジャグジーに浸かった。他の客から見えないように、泡の中で、Wの丸い胸を下から支えながら、たわわに実った果実のような、その丸み、そのやわらかさ、その瑞々しさを、掌の中に抱きながら、俺は、空へといきり立つ、突き上げる、新世界のシンボル、通天閣を眺める。青いガラスの展望台から、何人かの人影がこちらを見ていた。その、新世界のてっぺんから、いったい何が見えるのだろう。俺からは、HITACHIの文字しか見えない。Idler's Dream。俺は想像する。新今宮。UNIQLO。たこ焼き。づぼらや。スマートボール。ヤンキー衣料。串カツ。ジャンジャン横丁。フェスティバルゲート。ジェットコースター。スパワールド。天王寺動物園。ブルーシート。ダンボール。茶臼山。美術館。青空カラオケ。公園。噴水。植物園。駅前広場。青空将棋。交差点。雑踏。ビッグイシュー。近頃の藝術家は、街も、人も、生活も、悲しみも、貧困も、藝術も、他人事みたいに、俯瞰するのがトレンドらしい。大風呂敷のように広げた地図の、どこか見えないところに、隠されたシナプスがあると言う。伝書鳩にでもなったつもりか。クルックー、クックルー、Googleアース、フラット・アース、新世界秩序、神の視座。馬鹿と煙はなんとやら。俺にはあの、いつも遠い空を見上げて、不満そうな面をしている、寡黙な類人猿が、ほんとうの藝術家に思えてならない。高い作り物の木の上に立って尚、届くはずのない空。自分で果実をもぎ取る自由すら、奪われてしまったあの、空っぽの頭の中に、ほんとうの詩が、その息吹が、衝動が、咆哮が、飼育員にも、客にも、仲間の群れにも、誰にも伝わらずに、世界から遮断され、隔絶され、無自覚なまま、蠢いている。彼は、表現する術を知らない。バナナは上手に剥けるだろう。否応なく飼い慣らされる、ワンワールド。俺もいつか、そうならなければならない。テクスト、ではない。アート、でもない。夢のケーブル? そんなものは、ぶった切れ。俺は誰ともシェアしない。藝術とは、生き様だ。ただ、生きることだ。偽物の世界で、覚悟を決めて、生きることだ。空を見上げればケムトレイル(chem trail)、ダダ漏れの放射能。これが人類の檻ではなくて何だというのか。たまには吠えろ、俺のチンパン。通天閣には、ビリケンさんという神様がいて、土踏まずのない足の裏をこすると、幸せになれるという。結婚式 ― wedding ― という、俺の人生にはおよそ縁がないと思っていた言葉が、突然脳裏をよぎり、不意を突かれ、狼狽し、のろまな牛のようにその言葉を、その意味を、その責任を、反芻しながら、俺は、扁平足で子供っぽいWの足の裏をくすぐった。Wは、目を細めて、屈託なく笑う。www。

文学極道

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