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作品 - 20160704_480_8936p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


おとぎばなし

  李 明子



ビルの街を歩いていると海のにおいがする 帰らない人を夜の防波堤に探しにいったことがある
探しにいったわたしを探しに来て 並んで腰かけけんかのつづきをした 向こう岸に花火をする親
子がいて ああ 花火をもってくればよかった あなたが言ったいつか

  (安寿と厨子王の二槽の小舟みたい
   互いの目のなかに
   まだ姿が見えているのに
   小さい隙間を波が広げる)

  (かぐや姫のふすまのようさ
   どんなに心を砕いても
   時が満ちれば一斉に開かれていく
   月に呼ばれるものを止めることはできない)


うつくしい比喩は失った代償か もう争わないふたりは おとぎばなしの主人公にだってなれる そこ
でなら長らえる命がある 若かったわたしは決めていた 映画のなかの恋人たちのように もし戦争が
あなたを連れていくなら どんなことをしてもついていく ひらひらのスカートはいて

いま わたしたちの小さな空に戦争はなく だれから命令されたわけでもないのに 離ればなれに暮ら
す さびしさにたやすくうち倒される女が ひとりの時間に慣れていく 嵐の夜 ガラス窓がカタカタ鳴
り止まなくて 小さくたたんだ新聞紙を 家中のすきまに挟んでいった そうして嵐の内側で わたし
たちはいつもより深い眠りにおちた

こころのなかを風が吹いて窓が鳴り止まない日 電話する わたしの隙間にさし挟まれていく小さく折
りたたんだ何か あなたがそこに生きているということ いつか来るだろうか まだ一度も経験しない嵐
をひとり迎え もう電話することもできない夜が ふたり共に暮らしたという不思議なおとぎばなしが
そこから始まる


   (沖へ出て
    あなたの腕が
    崩れかけた防波堤のようだったと
    気付いた)

文学極道

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