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作品 - 20160618_783_8896p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩賊、無礼派、ダサイ先生のこと。

  ヌンチャク

 〜登場人物〜

ダサイウザム
   無礼派(新愚作派)を代表するデカダン風詩人。
   太宰マニア。
   詩集『ぼくがさかなだったころ』で第一回詩賊賞受賞。

葛原徹哉
   詩誌『詩賊 Le Poerate』のアルバイト編集者。
   十代の頃は引きこもりで、
   ネットポエム依存症だった過去を持つ。








 ナポリを見てから死ね!
 『ダス・ゲマイネ/太宰治』


「先生! ダサイ先生!」
「おや、まったく売れないマニアックな詩誌『詩賊 Le Poerate』の駆け出し編集者、葛原君じゃないか。一体どうしたと言うのかね、そんなに大きな声を出して?」
「どうしたもこうしたもありませんよ先生、今日が何の日かもちろんご存知ですよね?」
「六月十九日、桜桃忌だろ。」
「違います! 今日は締め切り日なんですよ! 原稿を頂きに上がりました! もちろん出来てますよね?」
「うむ、出来てない。」
「それでは困ります、今すぐ仕上げてください!」
「幸福は一夜遅れて来る。太宰の『女生徒』にある言葉だが、幸福ですら一日遅れてやって来るというのに、原稿が遅れているくらいでそんなに大騒ぎするものではないよ、みっともない。」
「騒ぎますよ、今日中に印刷所に原稿回さないと誌面に穴が開きますからね!」
「いいじゃないか開けておけば。雄弁は銀、沈黙は金、ましてや詩は、行間の空白を読む文学ではないのかね? なぁに、たかだか4ページくらい真っ白でも構いやしないさ。そうだ、ジョン・ケージだ。無言をそのまま作品にすればいいのさ。」
「先生それ、ネットポエムのちょっとイタイ人がたまにやる本文空白ポエムじゃないですか。」
「いいんだよ別に、どうせこんな三流詩誌、誰も読んでないんだから。」
「あ! それは言わない約束にしようってこないだ二人で決めたとこなのに! それ言い出すとお互い虚しくなるからって!」
「しかしそれが事実だからね。現実を直視する勇気がないのかね、君は?」
「現実を直視する前に、締め切りを直視してください先生、それこそ現実逃避じゃないですか。誰も読んでないだなんて、仮にも詩賊賞受賞者がそんな身も蓋もない事言ったらウチの編集長激怒しますよ。」
「怒らせておけばいいんだ。だいたい賞金どころか賞状ひとつない、授賞式も受賞の言葉も選評すらないような賞にいったい何の価値があるのかね。」
「あるのかね、ってもとはと言えば、ダサイ先生が授賞式メチャクチャにしたから次の年からなくなったんだって、ぼく先輩から聞きましたよ?」
「何の話だ? 記憶にないな私は。とにかくだね、詩賊賞なんて、詩誌としての体裁を整えるための、編集部の自己満足でしかないじゃないか。私ならそんな有り難みのない賞より、詩への対価として金一封でも貰うほうが余程うれしいがね。」
「先生、お言葉ですがそういう考え方は人として最低だと思いますよ。賞というのは、長い時間と議論を重ねて熟考した選考委員の労に心から敬意を払える人間にのみ、その価値が生まれるものです。」
「そうかも知らんね。私なんか端から受賞資格がないのさ。なんたってクズなんだからね。太宰ですら芥川賞を獲れずに死んでいったというのに、私みたいなキワモノが賞を貰ってそれがどうだと言うんだ。笑い話にもなりゃしない。」
「先生、今時自虐的ナルシシズムなんて流行りませんから。貰えるものは有り難く貰っておけばいいじゃないですか。それで箔も付くことですし。」
「そこなんだ問題は。世の中には権威になびく下劣な人種だっているんだぜ。それまで散々私の作品をコケにしてきた連中がさ、私が賞を貰った途端に掌を返し先生先生ってね、現金なものさ、本当にあいつらは本物のクズだな。」
「いいじゃないですか、別に。権威にクズが群がってきたとしても、どちらにしても先生にとっては名誉なことなんですから。無礼派の理念は『詩なんか書くヤツみんなクズ』なんでしょう?」
「そうだ。私だってクズには違いない。しかしだね、葛原君。一寸の虫にも五分のポエジー、クズにはクズなりの美学もあれば信念もあるし、誇りだってあってしかるべきだ、そうだろう? 権威を前に自分の意見をコロコロと変えるような、そんな風見鶏みたいなお調子者、私は断じて批評家とは認めないね!」
「はいはい、先生のお考えはこの葛原、未来永劫しっかと胸に刻み込みましたから、とりあえず今は原稿を仕上げることに専念していただけませんか? だいたい先生はデカダン過ぎますよ、仕事もせずにこんな明るいうちからお酒なんか飲んだりして!」
「そういう作風で売っているのだから仕方がないじゃないか。何を言ったってアル中の戯れ言と思われているのだから。モンスタークレーマーの絡み酒だってさ。読者のイメージを壊してしまったら申し訳ないだろう?」
「先生のプライベートなんか誰も興味ありませんよ。先生の人付き合いの悪さは編集部でも有名ですからね。ここだけの話ですけどね、ウチの先輩が皆、先生の担当になるの嫌がってぼくが任されることになったんですよ。先生、人嫌いのくせに、読者とTwitterフォローし合うわけでもあるまいし、イメージなんか気にしてどうするんですか?」
「作家の良心じゃないか。芸術というのはサーヴィスなんだ、作品に込めた自己犠牲の奉仕、心尽くしなんだよ。私だってこう見えて、自分に与えられた役割というものをだね……。」
「言い訳は結構ですから、その良心とやらがあるならまずはしっかり期日までに作品を仕上げていただければそれでいいんです。」
「そうは言ってもねぇ……。」
「先生! その頬杖ついてアンニュイな表情浮かべる太宰のモノマネやめてください!」
「似てるだろう? クラブの女の子にはウケるのだよ? 先生太宰にソックリねって言ってさ、去年の桜桃忌、小雨のパラつく日だったなぁ、先生食事でも連れて行ってくださいなんてことになって、やっべオレ結構モテるじゃんモノマネやってて良かった太宰ありがとう、って何だよただの同伴かよ人の恋心もてあそびやがって、っていうね。こっちは下心丸出しでちょっと奮発して高級ブランドの勝負パンツでキメて行ったっていうのにさ、普段はしまむらなんだぜ?」
「どうでもいいですよそんな話。ぼく、先生のファッションチェックしに来たわけじゃありませんから。作品はどうなってるんですか?」
「……ふぅん、そこなんだ、どうやら私のミューズはバカンスを取ってどこかへ旅行に出掛けたらしい。そうだ、私も原稿料前借りして伊豆にでも行こうかしら。露天風呂から富士でも眺めれば、いいポエジーが降りてくるかもしれない。」
「何を呑気に昭和の文豪みたいなことをおっしゃってるんですか。ウチみたいな零細出版社にそんな余裕ありませんよ。ぼくなんかボーナスどころか寸志すらなくなりましたからね。」
「そうかい、夢がないねぇ、詩の世界は。」
「先生がぼくらに夢を見させてくださいよ! 太宰どころかお笑い芸人が芥川賞獲ってベストセラー作家になるというこのご時世に、詩人は何をやっているんですか!?」
「お、今日はなかなか鋭いところを突くじゃないか。どうやら君も一人前の編集者の顔になってきたようだな。育てた私も鼻が高いよ。」
「茶化さないでください。さ、早く原稿仕上げて!」
「少年ギャングの編集者知ってるかね? ストーリーに意見を出し、ネームを会議にかけ、漫画家と二人三脚で一緒になって作品を作っていく、それこそがプロの編集者の姿というものだよ。作家と編集者というのは一蓮托生なのだ。それに引きかえ君ときたらどうだ、二言目には原稿寄こせ原稿寄こせと馬鹿の一つ覚えみたいにそれしか言わない。恥ずかしいとは思わんかね? 追いはぎじゃないかまるで。」
「……わかりました。そういうことでしたらぼくもお手伝いいたしますから、原稿を仕上げていきましょう。」
「手伝うって何をだね?」
「ダサイ先生は思い付くまま閃くまま、即興で詩を言葉にしてください。ぼくがそれをこのPCに打ち込んでいきますから。」
「口述筆記というやつか。いいね、大作家って感じがするよ。私と君のジャムセッションだ。やろう。」
「では早速、お願いします。」
「うむ、タイトルは、ええと、そうだな、ポエジーについて。」
「はい。ポエジーについて、と。」
「いつの時代も人々の心を魅了してやまない、ポエジーという得体の知れない神秘、果たしてその正体とはいったい何であろうか?」
「……何であろうか? ……先生、これ論文みたいですけど大丈夫ですか? 詩になりますか?」
「大丈夫だ、続けたまえ。ここから凄い展開になっていくから。ディスイズエンターテインメント、詩賊賞の真髄を見せてやるよ。口語自由詩の先駆け、萩原朔太郎は詩集『月に吠える』の序において、こう述べている。」
「……述べている。」
「『すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴ふ。これを詩のにほひといふ。』」
「……匂いと言う。」
「まさにこの『にほひ』こそがポエジーなるものの正体であろう。」
「……であろう。」
「まだ学生だった私はこの萩原朔太郎の言葉に触れ、非常に感銘を受けたものだ。」
「……受けたものだ。」
「ってか奇遇! ウチも朔ちゃんとおんなじこと思てたやーん!」
「……思てたやーん、……何これ?」
「やーんの後に顔文字を入れてくれたまえ。」
「顔文字ですか? 思てたやーん(*_*) こんな感じですか?」
「チガーウ、チガウヨ! もっと楽しそうなやつがあるだろう!」
「思てたやーん(^3^)/」
「それそれ、そういうのいいね。」
「さすがダサイ先生、顔文字使った詩なんて斬新ですね、って先生! 真面目にやってくださいよ! どこがエンターテインメントですか、何が詩賊賞の真髄ですか! いつもいつもふざけてばかりで、それでも芸術家のはしくれなんですか!?」
「生真面目だなあ、葛原君は。芸術なんて軽い気持ちで、適当にやればいいんだよ。君にとっての芸術とは何だい?」
「生き様です。」
「生き様ねぇ、若い、若いなぁ君は。所詮生活の苦労を知らんな。場末のスナックのしみったれたホステスと成り行きで結婚するハメになってさ、情にほだされてってやつよ、一人二人でも子供が出来てごらん、子供なんてすぐに熱を出す生き物だし、やれ薬代だ保育園料だとそりゃあ金がかかるのだから。生活の前にあっては、芸術なんて無力なものだよ。」
「やっぱり、そういうものでしょうか?」
「そうさ、こういう言葉があってね。『人間なんて、どんないい事を言ったってだめだ。生活のしっぽが、ぶらさがっていますよ。』」
「誰の言葉ですか? 先生ですか?」
「私じゃない。太宰さ。」
「やっぱり。」
「やっぱりって何だ、ちょくちょく失敬だな君は。」
「先生にとっての芸術って何ですか?」
「チュッパチャップスだね。」
「チュッパチャップスですか?」
「チュッパチャップスさ。」
「ペロペロキャンディーではダメなんですか?」
「どっちでもいいよ。」
「南天のど飴では?」
「そんな食いつくとこかね、ここ?」
「甘くないですか?」
「大甘さ。」
「舐めてるんですか?」
「大いに舐めてるし、しゃぶってるね。」
「……それが先生の芸術ですか?」
「不服かね?」
「そりゃあ不服ですよ。芸術がアメ玉だなんて。」
「たとえば君が山で遭難したとしよう。右も左もわからず身動きすら取れない、いつ救助が来るかもわからない状況に陥ったとして、芸術なんて一体何の役に立つのかね? アメ玉ひとつで繋がる命だってあるんじゃないのかね?」
「確かに理屈ではそうですけど……。」
「理屈じゃない、真実さ。詩が腹の足しになるのかい? 芸術なんていうのは、人生の余暇を持て余した暇人の道楽に過ぎない。いざという時には何の役にも立ちゃしない、詩なんて寝言戯言、虚言妄言だよ。そんなことすらわからずに純粋だの美しさだの傷みだの現実と戦うだの何だのと詩を賛美して回る馬鹿な連中がゴロゴロいるだろう? だから私は詩なんか書くヤツはみんなクズだって言うのさ。」
「そんなに詩が信じられないなら、もうお辞めになってはいかがですか?」
「私だって何度も何度も詩を辞めようと思ったさ。真っ当な勤め人になろうと努力もしたよ。皿洗いもしたし、清掃員も土方もやった。交通整理もしたし、黒服も工場のライン作業も訪問販売もした。どれも長続きしなかったがね。行く先々の職場で馬鹿にされ嘲笑され、小突き回され、結局私に出来ることと言えば、くだらない詩を書くこと、それしか残っていなかったのさ。それがどれだけ愚かで惨めなことか、君にわかるかい? 」
「…………。」
「それから私は、自身がくだらない詩を書くことしか出来ないクズであることを受け入れ、クズとして生きていく覚悟を決めたのさ。けれども世の中には相変わらず、詩を盲信し詩に酔いしれている連中が蔓延っているじゃないか。私が大声で詩なんか書くヤツはみんなクズだと叫ぶと、それこそ束になって集団で私を非難しに来る。私みたいな立ち位置の詩書きは目障りなんだとさ! コミュニティーの和をかき乱す害虫なんだと! ところがだ、普段は芸術がどうのポエジーがどうのと大騒ぎしているその連中がさ、十年前のあの大震災の時、まず何をしたか知っているか? いいか、誰よりも真っ先に口を噤んだんだぜ!? そんなことってあるか!? 詩人自ら言葉を殺したのさ! 語るべき言葉を持ち得なかった? ハッ! 自己保身の言い訳だけは立派だな! 人がぎゅうぎゅうに苦しんでいる時に言葉で寄り添ってやることが出来ずに何が詩人だクソ野郎! 誰一人救えないような芸術、自粛しなければならないようなポエジー、そんなものに一体何の価値がある? 奴ら現代詩かぶれが馬鹿にする『詩とメルヘン』やなせたかしのアンパンマンだって自分の顔をちぎって腹を空かせた子供たちに食べさせるんだぜ? なぜ詩人にそれが出来ない? 一生懸命自分の身体から心から言葉をちぎって配って歩いたらいいじゃねえか! なぜそれをしようとすらしないんだ! 詩ってその程度のものなのか! おまえらの言う芸術ってのはアンパン以下か!? 太宰も『畜犬談』の中でこう言っている、「芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」ってな! 私はあの時、奴らの薄汚い本性を見たと思ったね。作品をどれだけ美辞麗句で飾っていようと、私は奴らの言うことなど信じない。奴らこそ、弱者を見殺しにして今ものうのうと生きている、紛れもない真性のクズだ。詩書きというのは詩を書くことしかできない無能なのだから、地震が来ようと戦争になろうと身内が死のうと、詩なんていう非常事態には何の役にも立たないゴミみたいなものを、非難を受けながらでも書き続けなきゃいけない業を背負ってるんだ! 業を背負う覚悟がないなら今すぐ詩なんか辞めちまえ! 自分が傷付きたくなくて、自分が非難されたくなくて口を閉ざした薄汚いクズ共よ、私は自身の作品と言動でもって自らがクズであることを証明し、おまえらもまた同じようにクズであるということ、おまえらの欺瞞を暴いてやる! いいか、これは復讐なんだ! 私のポエジーとは、自ら言葉を殺しておきながら、今も何食わぬ顔で詩人面をして芸術がどうだのとほざいているイカサマ師、卑怯者たちへの、憎悪であり、憤怒であり、呪詛であり、殺意であり、宣戦布告であり、断罪なんだよ! 確かに私の言葉は何も生まない、誰も救わない、代わりに私が、誰よりも深く傷付いてやる!」
「…………。」
「聞くところによると君は若い頃、ひきこもりだったそうじゃないか。」
「……はい。」
「社会に何の不満があったのか知らないが、所詮は衣食住の心配などしたことのない親の脛かじりじゃないか。それがどうだ、ちょっと社会に出てきて職にありついた途端、すっかり人生を理解したような気になって芸術がアメ玉では不服だの何だの、浮かれ過ぎだとは思わんかね? 生きるというのは、そんな簡単なことなんですかねぇ葛原さんよ?」
「…………。」
「君は内心、私のことを馬鹿にしているのだろうけど、私からすれば君なんか、口先ばかりでまるで中身のない、ただ小生意気なだけの青二才だ。たとえるなら、素人童貞さ。金出してやらせてもらってるだけの腰抜けが、意気揚々と女心を語るんじゃねぇよ恥ずかしい。たくさん傷付いて傷付けて失敗して躓いて、それでもまだわからない、だからこそ抱く価値があるんじゃねえのか芸術ってやつは。」
「…………。」
「…………なァんてね(^-^)v。どうだい、今の小芝居は? なかなかの名演技だったろう? 実は高校の頃、演劇部だったのさ。」
「え? ……今の、全部嘘だったんですか?」
「当たり前だろ。私を誰だと思っているのかね? 太宰治の劣化コピー、ダサイウザムだぜ。嘘とポーズはお手の物さ。あと、道化もな。」
「なぁんだフィクションか、ぼくはてっきり……、良かった……。」
「良かぁねえよ。今ので約束の4ページ、来月号の作品が出来たと思ったら、すっかり手が止まっているじゃないか。」
「えっ? 今のも作品の一部だったんですか?」
「当然。モンスタークレーマーの絡み酒、凄い展開になるって言ったじゃねぇか。早く仕上げて編集部と印刷所にデータ送ってやれよ。そろそろ編集長もオカンムリだぜ。」
「はい! それにしても芸術って難しいんですね。ぼく、何だか、芸術がアメ玉でもいいような気がしてきましたよ。」
「人生なんて死ぬまでの間の壮大な暇潰しに過ぎんよ、君。日々、興醒めの連続さ。せめてたまにはアメでも舐めていないと、馬車馬だってムチで叩かれるばっかりじゃ、それこそ馬鹿馬鹿しくてやってられねえよ。世の人は皆毎日毎日クスリとも笑わず、いったい何が楽しくて生きているのかねぇ?」
「そうですねぇ……。」
「よし、仕事を終えたら行くぞ葛原君、付いてきたまえ!」
「行くってどこへですか?」
「興醒めの日々をブチ壊し、今ある生を享受しに行くのさ! いいポエジーにはいい酒がいる、そうだろう? いざ行かん、ポエムバー『北極』へ!」
「わかりました、お供します! もちろん先生の奢りですよね?」
「馬鹿野郎、甘ったれるない。旅は道連れ世はポエジー、煙草銭はめいめい持ちってね、覚えておきたまえ。」
「ちぇっ、夢がないなあ、プロの詩人が金欠なんて。」
「何だっていいさ。金なんか土台問題じゃない。どうせ死ぬまでの暇潰しなんだから。詩人なんてくだらねえ。一等星じゃないんだぜ、私たちは。せめて人生のほんの一瞬でも光輝くことができたら本望じゃないか。私は確かにクズに違いないが、そのうち必ず見知らぬ誰かに私の言葉、私の光が届くと信じているのさ。」
「先生……。」
「いいかい葛原君、声を上げることを怖れてはいけない、どんなことになろうと私たちだけは、言葉を諦めてはいけない、詩を棄ててはいけない、距離も時間も越えてまだ見ぬ人に呼びかけ続けるんだ。その小さな声がいつか誰かの心に届いた時、初めてそれが芸術と呼べるものになるんじゃないのかね?」
「……ダサイ先生、ぼく、先生のこと誤解し……。」
「なァんてね! (о´∀`о)」
「あっ! やっぱり! ご近所の皆さん! この先生、本当の本当にクズなんです!」
「そうです、わたすが、ダサイウザムです。」
「なんかぼく、先輩たちが先生の担当嫌がる気持ち、ちょっとわかってきました。」
「嫌え嫌え。男子たる者、人から恨まれるくらいじゃないと生きてても張り合いがねぇからな。アンチを踏みにじって私は行くのさ。私が詩賊賞を獲った時の、クソアンチ共のあのしみったれた不満面! どいつもこいつも、ざまぁ見さらせ、だ。文句があるならおまえが中也賞でもH氏賞でも貰って来いよ!」
「誰に言ってるんですか?」
「……誰って、脳内妄想における仮想アンチじゃないか。」
「……いくら友達いないからって先生……、それ、虚しくないんですか?」
「…………。仲間なんかいらねぇよ。詩は、孤独を深めるためにあるのさ。世界と私の間には大きく深い溝がある。私は、絆から零れ落ちた人間なんだ。しかし私はその断絶を埋めたいわけじゃない。橋を架けたいわけでもない。ただ私の断崖絶壁を世界に知らしめてやりたい、その一心でずっと向こう側へと紙飛行機を飛ばし続けているのさ。届くかどうかはわからない。谷底を覗いてみたまえ、墜ちた機体の残骸でいっぱいだから。」
「…………。」
「…………ん?」
「あれっ? そこは、なァんてねっていうオチじゃないんですか?」
「『人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。』っていう言葉知ってるかね?」
「いいえ。」
「これも太宰の言葉だがね、私はもう、十二分に墜ちてきたんだ。人生も、詩もね。今さらこれ以上どこにもオチようがないよ。冗談は置いといて葛原君、君には未来がある。いいかい、人の批判を怖れずに呼びかけ続けるんだ。」
「はい。」
「君にもきっと、いつか輝く時が来るよ。そしてその光を受け取ってくれる人が必ずいる。」
「……そうだといいんですけど……。」
「なァんてね! (ノ ̄∀ ̄)ノ====卍卍」
「うぅわ、クッソここで来たか! 嫌いだ先生なんかっ!」
「まあ、長生きしてみることだね。いずれわかる。」
「……先生。」
「なんだよ?」
「無礼派に、花は、咲きますか?」
「……咲くわけねぇだろ花なんか。嫌われるためにやってるんだから。徒花散らせて終わりだよ。」
「ぼくが無礼派継いでもいいですか? いつかきっと、ぼくが、大輪の花を咲かせて見せます。」
「……好きにしろくだらねぇ。そういう傑作意識が文学を駄目にするんだ。」
「素直じゃないなぁ、先生は。」
「うるせえな。太宰の『散華』っていう短編読んだことあるか?」
「いえ、ないです。」
「読めよ。戦争で散った若き詩人の物語なんだけどさ、その中に太宰のこういう言葉が出てくる。『私は、詩人というものを尊敬している。純粋の詩人とは、人間以上のもので、たしかに天使であると信じている。だから私は、世の中の詩人たちに対して期待も大きく、そうして、たいてい失望している。天使でもないのに詩人と自称して気取っているへんな人物が多いのである。』今の日本には、純粋の詩人なんてただの一人もいやしねぇ。ネットポエムを見てみろ、一丁前に詩人面したクズの見本市フリーマーケットだ。君は、大いなる文学のために死ねるのか?」
「…………。」
「私は駄目だ。天使でもないのに無駄死には御免だね。生きる覚悟と死ぬ覚悟、今の時代、どっちが重いんだろうな?」
「……。」
「……咲くのも散るのも同じこと、それがこの世に生きた証じゃねぇか。芸術は生き様なんだろ? やれよ葛原、おまえのやりたいように。」
「はい!」
「さあ、原稿も上がったことだし、……桜桃忌か。今夜も太宰の涙雨だ。太宰は愛人と心中したってのに野郎二人で飲んでちゃ世話ねぇな。」
「そうですね。」
「女心など私には皆目見当つかんし、詩と心中もできんとなったら、いよいよクズだが仕方ない、飲むぜ。浴びるほどな。」
「先生もうすっかり出来上がってる感じですけど。ボトル一本空けてるじゃないですか。」
「馬鹿野郎。もう駄目だと思ってからが人生なんだ。永遠の未完成交響曲。空白で終わらせてたまるかよ。先があるなら死ぬのは惜しい。いつとびきりの美人と出会うかわからんからな。諦めずに呼びかけ続けるんだ。あ、そうかわかった、詩ってのはあれだ、ラブレターだよ、一世一代の大勝負、勝負パンツだ! 全裸の一歩手前だよ、さあメタを剥いで私のすべてを受け入れてくれ私のミューズよ、ってな! 」
「先生。」
「なんだ?」
「早くいい奥さんが見つかるといいですね。」
「おう、『春の盗賊』、ロマンスの地獄に飛び込んでくたばるまでは、まだまだ足掻くぜ。人生も、詩もな。合言葉は?」
「ナポリを見てから死ね!」




 紺絣の着物の裾を翻し、ダサイは千鳥足で夕闇の雨の中を街へと繰り出した。愛くるしいサーカスの子熊のようにビアンキのMTBにまたがって、ちょこちょこと後に付いていく葛原徹哉。
 それから三ヶ月後、詩誌『詩賊 Le Poerate』は誰にも知られぬままひっそりと廃刊になり、多少なりとも責任を感じたダサイは狂言自殺を企ててはみたものの、雨の玉川上水で一人上半身裸になり水浴びしていたところを、不審に思った住民に通報され未遂に終わった。後日、その時の体験を『ライフジャケット』という作品にして発表したが、片手で数えられるほどのコアな読者にさえ、一笑に付されただけであった。まさに新愚作派の面目躍如といったところである。
 一方、無礼派を継いだ若き編集者葛原徹哉は文学への夢を諦めず、忙しい仕事の合間をぬってコツコツと独学で作品を書き続けていた。数年後、日本最高峰の文芸サイト『頂上文学』に投稿した自伝的詩小説『ダメヤン』が年間賞に選出されることになるのだが、そのサクセスストーリーはまたの機会に譲るとして、この二人の物語は、ここで幕を閉じることにしよう。
 詩を愛する諸君、すべての孤独な魂に、ポエジーの幸あらんことを!



 ちまたに雨が降る
 『ダス・ゲマイネ/太宰治』

 こんなに雨が降っては、僕はきっと狂ってしまう。
 『ダス・ゲマイネ/太宰治』

 きもちは ねつです。
 ことばは ひかりです。
 『くろひげききいっぱつ/ヌンチャク』

 私たちは、生きていさえいればいいのよ
 『ヴィヨンの妻/太宰治』

 幸福は一夜遅れて来る。
 『女生徒/太宰治』

文学極道

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