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作品 - 20160413_916_8755p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


a mad broom

  mitzho nakata


 かつてぼくは三流誌人として名を成した。けれど詩に倦いてしまった。ぼくはランボーではない。けれどみずからの詩情と、みずからの行いとの乖離が激しいので詩をやめる。もうなにも語る資格を持ってない。いまは知人たちに作品を送るだけだ。
 ものすごい速さで猫たちが走る。ハイウェイはもろい。かれらの声によって、いつかすべてが消えてしまうのを待つ。



二宮神社



けれども枯れた木立ちはなにものも慰みはしないだろう
ただ諒解もなしにぼくのうちに列んでるだけだ
夏の盛りをまっすぐにゆく路
むなしさは消えない
対話もなく
寂寥のうちを通り過ぎてったひとたちよ
透き通った茎みたいにその断面は涼しい
ちょうど終の出会い顔みせて
ぼくは手水を唇ちにする
けれども朝になってしまえばすべては失せ
みえなくなったぼくがしたたかにかぜの殴打を受けるだろう
どうぞご勝手に、だ。








Chikatetz No Yotamonotachi



買ったばかりのバスキア画集を手に、死んでしまった姉の墓参りをしようとしたら、母にとめられてしまった。バスキアが縁起でもないというんだ。たしかにかれも若死にだった。猛スピードで現れて消えてしまったものたち。わたしは悪しくもそんなものたちが好きだ。それというのに母にはそれがわからないという。たしかにかれらはいいやつではなかった。ジム・モリソンも、イアン・カーティスも。しかたくわたしは地下鉄に乗っては駅の便所に花束をうち棄ててきてしまった。やがて腐りきった花々が駅員によって処分されるのを承知のうえでだ。わたしは気が狂ってるにちがいない。姉は二十九になるまえに死んだから、わたしよりも年下ということになる。葬儀には呼ばれなかったから、かの女の夫の顔さえ知らない。物理と数学に長けた姉、いっぽう藝術にはいっさい関知しなかった姉、もう幾年も会ってなかった。おぼろげなかの女のふるいまいと顔よ、そうかあなたは墓にまでわたしを拒むのか。砂を噛み、臍を啜っていきてる汚辱の弟よ、おまえ、どうする? おまえ、どうなる? かつて父はルンペンを指さしていった、──おまえはいずれそうなると。けれどそうにはならなかった。ただ恥辱のうちに沈んでっただけだ。地下鉄の階段はいずれ暗がりに降りていく、そこへ四人の青年が立ち現れた。やがてつまらない死に方をするおれ──という韜晦。かれらは若く細かった。まるでアントン・コービンの写真みたいにモノクロームに映り、ひとりだけがわたしに眼をむける。かれもバスキアが好きなんだ、おそらくは。そうおもいながら阪神線の改札をぬけ、大通りはむこうの墓場へと長い坂をのぼる。バスキアをひろげながら、だ。ただ四人の青年の物語はまたいずれ、ということで失敬する。





新神戸駅



赤毛のあの子がみつめる
マッド感のある駅舎
そいつは建ってるだけで美しい
積年の汚れが魔法をかけてくれてる
愛は雨にとけ、あらゆる側溝に光りを打つ
もうじきおれはあの子に道を尋ねるだろう
でたらめな番地を語り、
それが物語となる
いくらぶちのめされても
魂しいのほとりは崩れやしない
さよならを決めて雨に歩きだすんだ
そうきみらがうまくやりおおせたようにね
ああ、
おれのかたわらをひとびとが遠ざかっていく






アニス



たぶん高尿酸血症だ
関節液の尿酸結晶がうちがわから足を突き刺してる
歩けないんだ
躄りみたいに足を地面に擦りつけながら
ラブホテルを抜け
コンビニエンスへとむかう
これがほんの風穴であったらいいとおもう
しかし手遅れだ
生は藁を咥えた犬
地上の塵を日が輝かせ
遠くの角を曖昧なものにみせたがる
自身の性質によって放逐されたもののための幻し
だれとも仲良くはなってはならないとはじめから決められたてたかのよう
酒をひとりで呷り、呷ってはタイピングをつづける
この世には少なくとも四つの救いがあった
絵を描くこと
ものを書くこと
音楽を鳴らすこと
そして手淫すること 
公園は猫たちでいっぱい
アニスを喫う
イタリア国旗を模した箱の、
かの国の莨を






月曜日



たえがたいところからきて
そしてたえがたいところにたどり着く
ひとのない発着場で雨に流されながらおもったもの
最初にはみだしてしまったものはなおもはみだしつづけると
家には帰りたくはない
けれどもだれも連れてってはくれない
──こういった無意味な哀傷をなでまわすおれも
──とんだおかまやろうだろうか
けっきょく湿度が高すぎるんだ
バスはバスのまんまだし
通りは通りのまんまだ
けれどもこうした感情は感情ではない
ひとりでいつまでも歩くがいい
かたわらにはだれも?
ああ、そうとも。





平原の火



麦秋はもうじき終わる
そうしてぼくは列車に乗り
窓際の席に着くのに詩論はいらない
群小詩人にとっての車窓は平原のかすかなる火
手のひらや顔をそこへ押しやって熱さや傷みをもってして
次の一行へと乗り換えてしまうんだ
さあいくんだ、
摂氏四〇度の地獄へ
あのムンクが素裸になった自画像の地獄へと
もうみえなくなった連中なんてうっちゃれさ
洗濯屋の伝票みたいなちっぽけでどうしようもない愛惜に背をむけて
走りだすんだ、
青電のアナウンスがいくら愛しかったものたちを炙りだそうとも
ひとりでいけ
ひとりでいけ
ひとりでいい
蔦の帽をかむり、あとの祭りだってかまやしない、
詩なんぞ書かなくたってもういいんだ
平原の火にその身を横たえてろ!





知らない土地から訪ねてきて
知らない土地に帰っていくもの
あるいは留まりつづけるもののために
寝台を仕立てようじゃないか
もし暗い寝床のなかで自身に目醒めることがあったなら
これ幸いという気分でかれらを綿で締め殺すんだ
この人間動物園のうちがわでぼくの学んだこと
それはほんとうの敵を探すこと
でもそれはいまだ姿をみせたことがない
ぶ厚い壁に押し込められ
帰っていくところもない
ほんのちょっとの気まぐれで
きみに会えることができたなら
もうこの壁は無用になる
どうか信じて欲しい
ぼくというぼくが
新しい事実のための
かげだということをだ
きみのための事実
ぼくのためのうそ
そして知らない土地から訪ねてきた、
男たち、女たち、子供たち、老人たちよ
檻に入り給え






不実


不実さよ、そのみのりをぼくにおくれよ
どうか信じて欲しいんだ
列車に乗り遅れたこのぼくが必ずさきにたどり着くことを
お呼びでないのはわかってるつもり
けれど忙しいひとのなかを縫って
ぼくは死に急いでやる
これだけがぼくの復讐だ
遙かさきのシグナルよ、気をつけろ
遙かさきの駅舎よ、気をつけろ
必ずや不実の輝きをもってしてそいつらを倒してやるんだ
不実さよ、
そのみのりをぼくにおくれよ
どうか信じて欲しいんだ   
列車に乗り遅れたこのぼくが必ずさきにたどり着くことを    






移民局



さみしい季節がやってきて
窓のなかを涙ぐませた
大きな鳥とともに
かれらはやってきて
茫漠の移民どもを
連れ去ってしまうんだ
もうなにをいっていいのかもわからない
ぼくらはかつて善性のために戦ったのに
それは果たしてぼくらの妄想だったなんて
監視委は通知一枚も寄越さなかった
悲しさでいっぱいなった室でおきざりにされた人形
片手がもぎとられ、それでも笑顔を崩さない
まるきっりぼくらそのものじゃないか
移民局の壁のなかでふるえながら待ってるもの
それらも人形とおんなじだった
ぼくらはまたしても知らない土地に帰される
またしても知らない土地の住人にかわる


武装



もってるものが手折れた茎ならば
それがきみの最良の武装だ
たとえきみが素裸であろうとも
そいつがきみの標べ
わらべ唄をうたい
プールサイドに立つきみが羨ましい
きみはいま最良の存在だ
(たとえここに言の葉がなくとも)


七月


またしても雨は降らなくなったし、
またしても夢をみなくなった
あらゆる遊びは赤信号を越え
つぎつぎと死んでしまうもの
放水が高くあがって
なしくずしにこの月も終わりをみせはじめる
ああ七月よ、
ぼくの産まれた月
いったいどうすれば
なにを成し遂げたら
みんなに赦されるだろうか
聴いたことのない訓戒を求めて
燃えあがった道路を歩く
あるところまでいったときだ
光りに射抜かれたもうひとりのぼくが
野良をつれてしずかに川のほとりへと消えてった




訣別



べつにどうってことないってきみたちはいうだろう
でもおれには出会いがないんだ
きみらに会ったのも遠い昔のこと
みずらからを嘖むにはちょうどいい年ごろ
給油所を襲いたいんだ
だれか手伝ってくれ
でもだれもここにはいないんだ
大人になってなにが得になったというんだい?
酒も莨もポルノもすっかり色褪せて
なんでもないというみたいな顔を仕向けてくる
きみらは二枚目だ
だからそうってことないだろ?
おれみたいに醜いやつを
おれは観たことがない
だれか高速の路電にのせくれよ
流線型のすべて
流線型の髪型ですべてを吹っ飛ばせるやつに
手紙なんかもう書かない
黙殺のなかで耐えることはもうできない
だからぼくは自身を葬るよ
もしもきみらが笑ってくれるのならば



拳闘士の休息



試合開始はいつも午前3時だった
父にアメリカ産の安ウォトカを奪われたそのとき
無職のおれはやつを罵りながら
追いまわし
眼鏡をしたつらの左側をぶん撲った
おれの拳で眼鏡が毀れ
おれの拳は眼鏡の縁で切れ、血がシャーツに滴り、
おれはまた親父を罵った
返せ!
酒を返せ!
おまえが勝手に棄てたおれの絵を、おれの本を、おれのギターを!
凋れた草のような母たちが、姉と妹たちがやって来て、
アル中のおれをぢっと眺めてる
おれはかの女らにも叫ぶ
おまえらはおれを助けなかったと
おれが親父になにをされようがやらされようが助けなかった!
だれがおまえらの冷房機を、室外機をと叫んだ
おれは姉にいった、──おれはおまえのタイヤ交換をしたよな?
じぶんの仕事を遅刻させてやったのにありがとうもなかったよな?
照明器具の倉庫をおれは首になってた
おれは姉のつらを撲った
おれの拳がなんとも華麗に決まったその瞬間
いちばんめの妹から階段のしたに突き落とされた
おれの裂傷した後頭部からまたしてもくそいまいましい血が飛び散った
不条理にもおれには血がおれを嗤ってるみたいにみえてならなかった
気がつくとおれは暗がりに立ってて警官ふたりとむかいあってた
おれは──といった、ポリ公はきらいだと
かれらはじぶんたちの仕事を刺激されて少しばかし悦んだ
しかしおれはそれ以上かれらを悦ばす気にならなかった
だから、さっさと寝るふりを決め込んだんだ
そして明くる日おれは町へと流れてった



労働


かの女もおれも労働なんか信じちゃなかった
報われること
贖われることのないのを知ってた
売店でたやすく売り買いされてしまう生活
美しい仕方の勘定をされてしまう生活
週ふつかは仕事をさぼり遊んでた
蝋石でかかれたつたない線の世界でだ
発送伝票の、黒い一点に躓いて
ハンド・リフトの手を放してしまう
おれたちはまだ二十三歳だった
おなじ道場町の落伍者だった
やがてかの女のために仕事を
もっと憶えようともしたりした
なんとか話しをしようとしたりもしたっけ
なんでもないことがどれほど至上かとおもいながら
あるときかの女の退職を知った
おれはかの女にいった
──本をだすんだ、これがゲラさ、あげるよ
そして永遠の別れをみつけたというわけだ
その翌日おれは福知山線を無人駅をめざして乗った
そして解雇された
追い放たれて
潰れたスーパー・マーケットの頽箱で暮らした
何週間も凍えながら
幾度も量販店で盗みをしながら
そこが封鎖されると放浪にでかけた
四年を経てこの室にたどり着くあいま



冷蔵庫の背面パネル



おれは部品配送の運転のために採用されたはずだった
わざわざこんな田舎町へやってきたのは
そういった楽な仕事を望んでたから
そうともおれは世間知らずで
おまけに恥知らず
だのにひと晩あけて寮をでると
流れ作業のおでましだ
歳を喰った男がいった、──だれだ、こんなできそこないを連れてきたのは?
おれはおもった、──こいつは従順な相手にしかそんな口は叩かないと
そうともおれは従順な屠場の羊に過ぎなかった
だから罠を求め、罠にかかるんだ
背面パネルに次々と妙なものを
貼っていって終わりはない
おれはまたしても倒れてしまいたくなる
だってそうだろう?
話しがまるでちがうんだからな!
ようやく昼食がやってきたとき
おれはやめることにした
たった一日で
その通り、寮に帰ってくると
話しがちがうと噛みついて
その日の給料とともに
町へと舞い戻った
けれどもどこにもいきばはなかった
無賃乗車で海を渡ってトルコ風呂の配車係になった
自動車恐怖症のおれにはいったいどうすればぶつけずに済む方法がわからない
夜の休憩時間になっておれは社長からもらった金を握りしめて逃げだした
かれから貰ったネクタイを路上へおきざりにしてだ
そうしてまたしてもからっぽになったおれは、
おれ自身の性質によってまたも放逐される蝗だった
つぎの虫籠はいったいどこに?













ことの終わり



おもってたよりも終わりは早いもの
三十年かかって手にしたぼくの事実
おもいのほか温かくうちがわにそそり立つ
死地というものは花に充ち
あらゆる科白を断ち切ってくれる
どうかためらわないで
頼む
踏みつけにして
ぼくの墓に唾を吐いて欲しいんだ
遠くで鳴ってる警笛
近くでひびいてる信号
だれともかわせなくなった合図がぼくときみたちのあいまを走る
どうかためらわないでいらだちよ、それを蹴れ
ことの終わりはおもったよりも早いもの
黄色で下地を
赤で輪郭を
そして青で中身を塗り込めてしまえ
きみたちにならできるはず
だってきみらはぼくがきらいだもの
なんにもいえなくなるまえにこれだけはいおう
すべてのぼく、ぼくというぼくはうそであるとだ。























隣人

祖母を殺した北海道の少女へ


ある男がいった、──飛びだしてきたかの女をだれも責めることはできないと
着古した上着を裏返してかれは床屋へと去っていく
たしかにおれもかの女を責めることはできない
けれども情けなど感じないし、
また憐れんでもない
そういったことが繰り返されるという、
ありきたりなことに気づかされるだけだった
次第に秋は不覚にも冬に変わって
緑色の研究も枯れ色に発色変化を起こす
性のとぼしさに苛まれながらも
立ちあがる青年たち
手遅れになるまえにみずからを汚し給え、だ
おれは無風の正午を北にむかって歩く
ビールとチーズとナッツのために
まだひと気のない酒場通りで
またしてもおれはかの女についておもう
いったいだれが救ってやれたというのか
うろめたいのか隣人ども
手を触れるのはおまえたちには赦されないんだ
けれどもおれだっておなじようにしただろう
けっきょくはおれも冷たい隣人のひとりなんだからな
やがて夜が来てひとびとが集まり始めた
あまりのどよもしに嫌気が差し
またしてもひとのないところを歩く
しだれ柳の傘が立ってた
ゆっくりと歩み寄り
その樹皮に手を触れる
かつてアルコール専門病院でおれはこんな話しを聞かされたっけ
──あそこに三つの木があるだろう?
──ええ。
──そこで三人が首をくくったんだ
やつは薄笑いでいい放ち、
蒲団に潜りこんだ
くそ、
だれも救われない
飛びだしてったかの女の  
星かげのまなざしよ、
どうかおれをおもいきりに
さげすんでおくれ




ラヴ・ソング



おもうにどの女も売春宿からやってきたんだ
けれどもかの女たちに金を払っても
触れさせてもくれない
かつて熱をあげた少女たち
いまは世帯持ちで 
男たちから給料を吸いあげて暮らす
どっか東部の町で平凡さを謳歌しながら
ある女は亭主をおっぽりだして同級生だった男らと遊ぶ
けれどそのなかにおれはいない
遊ぶ相手なんかいやしない
だれもない世界の、
その待合室に坐ってひとり遊びに興じるだけ
おれはおもいだしてる
かつて熱をあげた少女たち
好きだということで迫害された過古
自身がすっかり手に負えない代物になった挙げ句
愛し合おうとおれはいう
愛し合おう、
やがて獣性のなかへと
引き込まれてしまおう、ってさ

主題歌



 「広告募集」の看板がつづく田舎道
 起伏の激しさに咽を焦がしながら
 かつて父の自動車で走り回った
 いまでもあのあたりを歩けばおもいだす
 いとしいひとたち、
 あるいはいとしかったものたちをおもいだす
 
   それは一九八四年のピープ・ショウ
   あるいは二〇一五年のわるい夢

 喪ってしまうだけの暮らしなら
 もうとっくにうち棄ててる
 懐かしいなどというおもいもなく
 葬ってしまうだろう
 けれどもそれは望みではなく
 抗いですらない

   かつて美しかったもののために歌をくれ
   あるいはかつて慈しみをくれたものたちに歌を

 おもいはぐれてかの地へたどり着く
 バスの発着場にひとり立っては
 迎えてはくれないもののなまえを叫ぶ
 かれらかの女らはなにももっちゃいねえ
 ただもうこっから放たれてくんだ
 急ぎ走りでも掴まえられない
 きっどどっか遠くで歩いてるにちがいねえ
 さっきまでとちがうやり方でその身を焼く
 「広告募集」の看板がつづく田舎道
 起伏の激しさに咽を焦がしながら
 もはやおれをいたぶってくれないきみをおもう
 両の手の箒がおれを撃つまで待ってやろうなどとはおもいはしない

   それは一九八四年のピープ・ショウ
   あるいは二〇〇〇年の別れのとき

 たくさんの主題歌を憶えた
 けれどもそんなことを忘れてぼくこっぴどい幽霊たちから
 いっつもどやしつけられてる
 ただそれだけだ


成人通知



 成人式の日は
 薪わりをしてた
 父とふたりきりで靄のなか
 斧をふっていちにちを過ごした
 あたまのなかじゃ
 かつての同級生やら好きだった女の子たちが着飾って歩き
 やがてはそれぞれのつがいを見つけてしまうだろうのをなるたけ考えないようにしてた
 いっぽん、
 またいっぽんと
 薪をわるたびにおもった
 いまごろかれらはおれのことなど忘れて
 かの女らはおれから遠くはなれて
 歩いてる
 笑ってる
 愉しんでる
 わたしはひとつの木をふたつにしては父のほうへ投げ
 早く同窓会の報せが来ないものかとおもった
 かの女らの顔、
  声、
   髪、
    うしろ姿が分散する
 夜更けてからひとりテレビを眺めてると
 それぞれの土地でおなじ歳のやつらが愉しそうにしてた
 わたしもそっちへいければよかったのに
 けれどもわたしには連れ合うものがない以上、
 ひとりで手斧のおもさを感じてるほかはなかった
 いまごろ、
 どこかの町ではかれらが、
 かの女たちが愉しんでるだろうこと
 そしてわたしには声をかけてくれるだれもないのをおもった
 やがて手斧はおもみを増して
 薪をわるだけではすまなくなった
 だけれどそんなことはわたしにとってあずかり知らぬもの
 好きにしてくれ
 わたしは手斧にそう告げた
 物置の汚れた寝台にかけていつかはと願った
 いつかはタイムカプセルをあける日が来る
 さもなければかの女に逢える日は訪れはしない
 けれども列をはぐれ、
 ひとりになったものにはなにもありはしない
 そいつを識るのに一〇年もの歳月をかけた
 
    
無意味



 きのうの夜
 酔っ払ってかつての女友達を罵った
 くたばれ
 ちび女
 と

 だって
 かの女がおれのことを黙殺したからだ
 おれはおなじように何人かを傷つけ
 それからマスを掻いて
 眠りについた

 翌る日
 かの女は怒ってた
 おれはただただ疲れきってて
 手短にあやまった

 由美子はいった
 あなたの発言に驚きと不快を感じます
 あやまってもらわなくともけっこうです
 どうせ本心なのでしょう
 わたしはあなたの友達になる気はありません
 あなたの考えはわたしにはあわない
 似たもの同士とつきあうべきです

 スベタめ
 そうおれはいって
 かの女のことをどぶに叩き込んだ

 もちろんそんなことは無意味であったし
 多くの女たちが消えて去っていくのを
 おれは見てるだけでしかなかった


使用人たちの幼年期


 つめたい夜にはふるいものごとをおもいだす
 さまざまな場所でおなじことがあった
 さまざまなことがおなじ場所であった
 時代が、
 あるいは立場がかたむくにつれ、
 大人たちは臆病になり、
 それを見せまいと
 拳にものをいわせた
 父は母を罵り
 マグカップを投げつけ
 母は隠れたところで父の悪口を
 子供にいいふくめた
 いやしい女と
 いやしい男
 
 だれが生け贄になるかをいつも政治が決める
 ひとのかたちをしたひとでないものたちが
 知らないうちにみんなを呑みこんで
 友だちだったはずのものたちが
 友だちだったはずのものへ
 石を投げる

 子供たちは知らないうちに親のふるまいを身につけ、それぞれの大人を演じる
 みんなはみんなの瑕疵を探りあった
 棲んでる家が中古といっては嗤い、
 身なりが貧しいといって撲った
 うわさ噺やかげぐちをいって
 たがいの結束を高め、
 そのつらなりを友情と呼ぶ

 いずれだれかに雇われること
 だれかに使われることを
 撰びとり、
 わたしたちはかれらかの女らの世界から永久に追い放たれる 

 かつての雨よ
 茨は墓を抱いて
 おまえをずっと待ってる



さよなら文鳥



   永久のこと



 甘酸っぱきおもいでもなく過ぎ去りぬ青電車のごと少年期かな

 陽ざかりにシロツメ草を摘めばただ少女のような偽りを為す

 ぬかるみに棲むごと手足汚してはきみの背中を眼で追うばかり 

 かのひとのおもざし冬の駅にみて見知らぬ背中ホームへ送る

 いくばくを生きんかひとり抗いて風の壁蹴るかもめの質問

 われを拒む少女憾みし少年期たとえば塵のむこうに呼びぬ

 列をなすひとより遁れひとりのみかいなのうちに枯れ色を抱く

 引用せるかの女の科白吟じては落日をみる胸の高さに

 みずからに科す戒めよあたらしくゆうぐれひとつふみはずすたび

 夕なぎに身を解きつつむなしさを蹴りあげ語る永久のこと



   青年記よ



 長き夢もらせんの果てに終わりたる階段ひとつ遅れあがれば

 けだものとなりしわが身よひとりのみ夫にあらず父にあらずや

 童貞のままにさみしく老いたれて草叢のみずみずしき不信

 給水塔のかげ窓辺にて抱きしめし囚人の日の陽光淋し

 愛を語る唇ちをもたないゆえにいま夾竹桃も暗くなりたり

 理れなく追い放たれて群れむれにまぎれゆくのみ幼友だちよ

 わかれにて告げそびれたる科白なども老いて薄れん回想に記す

 かのひとのうちなる野火に焼かれたき手紙のあまた夜へ棄て来て

 三階の窓より小雨眺めつつ世界にひとり尿まりており

 中年になりたるわれよ地平にて愛語のすべてふと見喪う



   草色のわるあがき



 きみのないプールサイドに凭れいるぼくともつかずわたしともつかず

 少女らしき非情をうちに育てんとするに両の手淋し

 夜ともなればきみのまなこに入りたき不定形なる鰥夫の猫よ

 妹らの責めるまなじり背けつつわれは示さん花の不在を

 馬を奪え夜半の眼にて燃え尽きぬ納屋の火影よわれはほぐれて

 きまぐれにかの女のなまえ忘れいるたやすいまでの過古への冒涜

 失いし友のだれかを求めどもすでに遠かりきいずれの姿も

 ぼくという一人称をきらうゆえ伐られし枇杷とともに倒れて

 だれも救えないだろうふたたびひとを病めみずからに病む

 つぐなえることもなきまま生ることを恥ぢ草色の列へ赴く


   れいなの歌


 野苺の枯れ葉に残る少年期れいなのことをしばし妬まん

 うつろなるまなこをなせり馬のごと見棄てられいし少年の日よ

 背けつつれいなのうしろゆきしときもはや愛なるものぞなかりき

 うちなる野を駈けて帰らん夏の陽に照らされしただ恋しいものら

 われをさげすむれいなのまなこ透きとおり射抜かれている羊一匹 

 拒まれていしやとおもい妬ましき少年の日の野苺を踏む

 触れるなかれ虐げられし少年期はげしいまなこして見るがいい

 曝されて脅えしわれよ九つの齢は砂をみせて消え失せ

 拒絶せしきみのおもざしはげしくて戦くばかし十二の頃は

 素裸のれいなおもいし少年のわれは両手に布ひるがえし


  さよなら文鳥


 けものらの滴り屠夫ら立つかげに喪うきみのための叙情を

 車窓より過ぎたる姿マネキンの憤懣充る夜の田園

 六月と列車のあいま暮れてゆく喃語ごときかれらの地平

 握る手もなくてひとりの遊びのみ世界と云いしいじましいおもい

 手のひらに掻く汗われを焦らしつつ自涜のごとく恋は濁れり

 さよならだ花粉に抱かれふいに去るひとりのまなこはげしいばかり

 茜差すよこがおきょうはだれよりも遅れて帰路をたどり着くかな

 ひとよりも遅れて跳びぬ縄跳びの少年みずからのかげを喪う 

 かみそりの匂いにひとり紛れんと午后訪れぬ床屋の光り

 かつてわがものたりし詩などはいずこに帰さんさよなら文鳥



経験



 わがうちを去るものかつて分かちえし光りのいくたすでになかりき


 指伝うしずくよもはや昔しなる出会いのときを忘れたましめ


 過古のひとばかりを追いしわれはいま忘れられゆくひととなりたし


 かのひとにうずきはやまずひとひらの手紙の一語かきそんじたり


 救いへはむかわぬ歌の一連を示すゆうぐれまたもゆうぐれ


 夜をゆけテールランプのかがやきを受け入れてるただの感傷


 やさしさはなくてひとりのときにのみ悔やめるものぞ日に戯れる


 帰らねばならぬところを喪って遠く御空を剪り墜とすのみ


 くやしさを飼い殺すなり灯火のもっとも昏いところみあぐる


 決して救われぬわれもて歌う風景のひときれきみのために残さん


 ことのはの淡くたなびく唇をして孤立するわれはどろぼう


 たかみより種子蒔くひとよ地平にてあわれみなきものすべて滅びよ


 たそがれにうつむくひとよ美しき惑いに復讐されてしまえよ


 茎を伐るいっぽんの青きささやきよすでに非情なる眼に焼かれき


 ひとの世を去ることついにできずただ口吟さめるのはただの麦畑


 いっぽんの地平のなかに埋もれたき愛すものなきやもめのものは


 友情を知らぬひとりの顔さえもとっぷり暮れる洗面器かな


 拒まれて果ての愁いはだれひとり告げずひとりのつらに帰すのみ


 中空に立つ石われら頭上にてひかりのごとくあふれだしたり


 成熟も病いのひとつ青年の茎はかならず癒やすべからず


 花くわえだれを追いしか少年のあやまちいつも知れるところに


 耳すすぐ悲鳴を夜のふかぶかにきょうも戯むるぼくのすきまよ


 夜ごとすぐバス一台のかなしみを背負いてはきょうの月を浴びるか



地獄のロッカー



 いつの日もひとりのときをなごすのみはつなつのわが夜ぞありぬる


 昏きわがほほえみありぬぬばたまの夜を過ぎゆく貨車はただ失せ


 レコードのノイズは室を充たしつつひとりのものをあざ笑いたり


 はらいそを識らずに落ちる御身あり視あぐるのみの劇の中絶


 花かんざし落ちていちめん花ばかりどうしてなのかぼくに尋ねる?  


 吹きあぐる地の塵われの蘆を越えみかどのうえのカミへゆき給もう


 うすわらうひとらの若きかげなるを唾棄してなんぞ復讐足りえず


 戦いの装いほどく指とゆびわれらの契りもはや枯れ果て


 聞きはべりし少女の憂い吊されて血をぬかれゐる兎へのせんちゃく


 磔刑の姿に擬せてつくられし洋品店のひとがた発光す


 HAPPY END叫びつつあり海邊にてもっとも黒い波を求むる


 あまねくを荒れ野に譬え歩みゆくもはやかのひとを呼ぶ声もなし


 十五歳──コンビニエンス更けゆかん性よ艶本買いに歩きさまよう


 吹かれつつ地下のくらがりさ迷いて拳闘士のような男われ視る


 残りなく降る夕立よかえらぬか遺失物なるわれの足址


 屠殺女の乳のふさ薄々とくらがりにきょうも牛の唇ちは吸う


 教科書のなかに立つてる昔日のきみよもうすでにぼくは穢れた


 もはや手遅れといいながら莨をふかす最后のバサラよ


 あえかなる地獄のロッカーうきわれをさびしがらせて歩み給えり


インターネットと詩人についての断片(再編集版)


  いわば情報社会における人間相互間のスパイである
寺山修司/地平線の起源について(「ぼくが戦争に行くとき」1969)




 小雨のおおい頃日、わたしはわたし自身を哀れんでいる。あまりにもそこの浅い、この二十七年の妄執と悪夢。なにもできないうちにすべてがすりきれてしまって、もはや身うごきのとれないところまで来ている。あとすこしで三十になるというのにまともなからだもあたまもなく、職までもないときている。そのうえ、この土地──神戸市中央区にはだれも知り合いすらいない。もっとも故郷である北区にだってつながりのある人物はほとんどない。
 わたしが正常だったためしはいちどもないが、日雇い、飯場、病院、どや、救貧院、野宿、避難所──そんなところをうろついているあいまにすっかり人間としての最低限のものすら喪ってしまい、もうなにも残ってはいないような触りだ。ようやくアパートメントに居場所を手にしたが、ここまできて正直をいえばつかれてしまった。回復への路次を探そう。
 考えるにインターネットは人間の可能性への刺客──同時に人間関係への挑戦状であって、その接続の安易さによっておおくの創作者をだめにしている。しかも偶然性に乏しいく、なにか出会うとか、現実に反映させることはむずかしい。広告としての機能はすぐれているが、単純に作品を見せるにはあまりにも余剰にすぎるのだ。
 無論、巧く立ち回っているものもいるし、もちろん、これは社会生活から、普遍から脱落してしまったわたしの私見に過ぎないのだが、この際限のないまっしろい暗がりのうちでは、なにもかもが無益に成り果てる。作品のあまたがあまりにも安易にひりだされ、推敲はおろそかになり、他人への無関心と過度な自己愛を、悪意をあぶりだされ、あらわにさせる。せいぜいがおあつらえの獲物を探しだし、諜報するぐらいではないのか。創作者のなかには好事家もおおく、無署名でだれそれの噂話しをしているのをみかけた。
 そのようなありさまで現実でのあぶれものは、やはり記号のなかでもあぶれるしかないのである。身をよじるような、顎を砕くようなおもいのうちで意識だけが過敏になっていき、あるものはその果てにおのれをさいなむか、他者に鉈をふるうしか余地がなくなってしまうのだ。やはり現実の定まりをいくらか高めたうえで、少しばかり接するほどがいいらしい。
 寺山修司は映画「先生」について述べている。曰く《先生という職業は、いわば情報社会における人間相互間のスパイである》と。先生をインターネットにおきかえても、この一言は成り立つだろう。おなじくそれは《さまざまな知識を報道してくれる〈過去(エクスペリエンス)〉の番人であるのに過ぎないのである》。ほんとうはもっとインターネットそのものに敵意を抱くべきなのだ。それは生活から偶然を放逐し、あらゆる伝説やまじないを記録と訂正に変えてしまった。しかし、《実際に起こらなかったことも歴史のうちであり》、記録だけではものごとを解き明かすことできないのである。〈過去(ストーリー)〉のない、この記号と記録の世界にあって真に詩情するというのは、現実と交差するというのはいかなることなのか、これに答えをださないかぎり、ほんとうのインターネット詩人というのものは存在し得ないし、ネット上に──詩壇──くたばれ!──は興り得ないだろう。俗臭の発ちこめる室でしかない。
 わたしはあまりにもながいあいまにこの記号的空間にゐすわりつづけた。そのうちで得たものよりは喪ったもののほうがおおい。現実の充足をおろそかにし、生活における人間疎外を増長させたのだ。詩人としての成果といえば、中身の乏しい検索結果のみである。あとは去年いちどきり投稿した作品が三流詩誌に載ったくらいだ。原稿料はなし。
 わたしはいやしくとも売文屋や絵売りや音楽屋や映像屋になりたかったのであって、無意味な奉仕に仕えたいわけではなかった。
 しかしこの敗因はインターネットだけでなく、わたし自身の現実に対峙する想像力と行動力の欠如にあったとみていいだろう。けっきょくは踊らされていたといわけだ。このむなしさを克服するにはやはり実際との対決、実感の復古が必要だ。想像力を鍛えなおし、歩き、ひとやものにぶっつくことなのだ。そうでなければわたしは起こらなかった過古によってなぶられつづけるだろう。 
 不在のひびきが聞えてくる。いったいなにが室をあけているのかを考えなければならない。対象の見えないうちでものをつづるのはなんともさむざむしい営為だ。創作者たらんとするものは、すべからく対象を見抜くべきだ。見える場所をみつけるべきなのだ。
 わたしのような無学歴のあぶれものにとっては技術よりも手ざわりを、知性よりは野性をもってして作品をうちだしていきたい。というわけでいまはわたし自身による絵葉書を売り歩いているところである。そのつぎは手製の詩集だ。顔となまえのある世界へでていこう。
 それははからずもインターネット時代の、都市におけるロビンソン・クルーソーになることだ。──小雨のうち、いま二杯目の珈琲を啜る。午前十時と十三分。ハウリン・ウルフのだみ声を聴きながら。詩人を殺すのはわけないことだ。つまりそのひとのまわりから風景や顔や声を運び去ってしまえばいいのである。そしてすべてを記録=過去(エクスペリエンス)に変えてしまえばいいのだ。文学はつねにもうひとつの体験であり、現在でなければ読み手にとっても書き手にとってもほんものの栄養にはなりえないだろうとわたしは考えているところだ。
  夏の怒濤桶に汲まれてしづかなる──という一句があるようにインターネットはあくまでも海という過古をもった桶水の際限なき集合であり、現実や人間の変転への可能性はごくごく乏しいものなのである。


  ひらけ、ゴマ!──わたしはでていきたい(スタニラス・ジェジー講師)。


 わたしの気分はこれそのものにいえるだろう。まずはネットを半分殺すとして、ぶつぶつとひとのうわさにせわしない、好事家よりもましなものをあみだす必要があるだろう。また紙媒体の急所を突くすべをあみだすことだ。ともかくこれからなにかが始まろうというのだ。最後にもしもインターネットになんらかの曙光があるとすれば、そこにどれだけの野性を持ち込めるかということだろう。
 集団や企業によってほぼ直かにいてこまされることが前提となっている、あるいはだれにも読まれないことが決まってる、記号的空間のうちにどれだけ、もうひとつの現実を掴むことが重要な段差として展びていく。──けれどそいつはほかのやろうがひりだしておくれよ。
おれはいま、しがない絵葉書売りに過ぎない。ふるいアパートメントの階段がしっとりのびていき、その半ばへ腰をおろすとき、はじめに見るのはおれの足先だろうか、それとも鉄柵よりながれこむ光りだろうか。


詩人どもに唾をかけろ


  ヴィンセント:で、いつまで大地をさすらうつもりだ?
   ジュールス:神がここに棲めっていうまでだ。
  映画「パルプ・フィクション」



 ようやくラブホテルの燈しが消えた。そうして猫どもが眼を醒まし、牛は河を流れて、うちなる納屋がふたたび燃えながら建つというわけだ。
 ここ数年は言語表現にばかり眼がいき、ほかの方法を見喪ってきたようにおもう。先日写真集に画集、映画ソフトに漫画を買ってきた。そのなかでも特に高橋恭司「THE MAD BLOOM OF LIFE」と映画「Paris, Texas」はよかった。その監督である、ヴィム・ヴェンダースによる写真集「Places, strange and quiet」もまちがいなくいい。おれはさびれたもの、ひなびたところ、静かで気だるいものが好きだ。原風景とまではいかないまでも、いくつかおもいだされるものがある。見棄てられた貯水タンク、草叢のなかの荒れ果てた市民プール、使用中止になったダムやなんかが。とくべつに愉快というわけでもない、呑みかけのラム酒とか、女ものの、あれとかそれとか、──あとなんだっけ。
 けっきょくながいあいだの発語不在を埋めようとする、奪還行為だったのだろう。おれは視ることと、語ることをすりかえて過ごしてきてた。すべてがむだであったとはおもわない。しかし言語によって喪われる領域があるのも、たしかであるようにおもうのだ。ほかのアマチュアが書いたものを読んでみてまずおもうのは、かれらが字面の見栄えに鈍いということ。文、そのものをデザインするということに欠けてる。あるいは整ってるだけで、内容とくれば肉なしのスペアリブ。骨しかない。なんの情景も感情も喚起させないのが、だらだらとつづく。これがかれらにとっての芸術なのだ。
 どこへいっても裸の王さまよろしくやってんのがうじゃうじゃいやがって、おもわず眼を伏せて祈りたくなる始末だ、まったく。俗物どもの群れ。「現代詩フォーラム」にしろ、「メビウスリング」にしろ、「文学極道」にしろ、やってることはみなおなじだ。さえない文学の玉袋から生成された薄汚いしろものをまきちらすだけのこと。馴れあいと貶しあい、じつはどっちもたいしてかわらない。──こんなふうに書いていればふたたび石が飛んで来るだろうがかまやしない。ふるい音楽コラムがこんなことをいってた。曰く「同意は出来なくても、好悪の感情だけは万人の共通コードである。(中略)言葉を発する前の余分なコードが多過ぎる。とりあえず不快は不快なのだ(岩見吉朗、一九八九年一月「ロッキング・オン」)」と。つくりかけの音源を聴きながら、徹夜明けの午后にこいつを書いてる。おれはこれまでもさんざ記名とスタイルと作家性について書いてきた。それらがまるで通用しないのは、そもそも言語表現への起点がまるであべこべだからなのだ。話せず、書けず、読めず、伝わらずで長いあいだを生きたじぶんにとって言語行為とは、ぜったいに手に入れられないものだった。そのはずだった。でもいまではこうやってばかばかしいものを幾許と連ねたところでなんの痛みもない、苦しみもない。しかしだ、そのいっぽうで他者へなにも伝えられずに敗れもののときを過ごし、いまや二〇代がおわろうとしてるのも事実だ。そういった道程のなかにいるものにとっては記名すなわち存在、スタイルすなわち書き手としての肉声であり、作家性とは生きかたとその体臭だ。
 おれが「文学極道」に出入りしはじめたのはおととしの暮れ。十一年の十一月からだったが、まずおれがはじめたのは文字通りの罵倒だった。そこにいるやつらを全員ひっぱたくみたいなまねをした。そっから少しずつ大人しくなって場馴れしちまったんだが、しかし自身の現実がそうであるようにそこでもけっきょくはよそものでしかない。どこへいったところでじぶんが異物であるという触りから抜けることはできない。ルーマニア出身の狼狂がいったように「ひとは自身のつくりだすもののなかでしか生きられない」。
 一月に文藝サイトに作品を投げこむのをやめたのは、十年もインターネット上で書くものや書きかたをだめにしてきたことや、不毛なやりあいに染まってきたこと、そしてじぶんが他者の思考や眼によってものごとをやり過ごしてるのに気づき、みえない群れのなかで「ここよりほかの」場所やひとびとを求めたところでそんなものはどこにもないということへ眼をむけはじめたからだ。もういいかげん、じぶんの居場所くらい、じぶんでつくらなければやってけない。この齢で倉庫の半端仕事しかやれない男にとって、いついつまでも記号と現実とのあいだで板ばさみでは生きてはいけない。
去年になってようやく作品を売りにだすようになった。ちょっとした小遣いほどのものだが、金にはちがいない。表現といったところで賭博みたいなものだ。ちょいと対価というものを考えればいかにインターネット上で完結されていくもろもろがむなしいかがみえてくる。賭けるだけ、賭けてなにもかえってこないのはやりきれない。路上や飯場、病院暮、救貧院ぐらしがあったとはいえ、いつも金がなかったわけじゃない。紙面に載る機会はいくらでもあったというのに、それをおれは呑むことに費やしてきたんだ。膵臓と脳神経を半殺しにしてまで酒にすがってた。酒神は詩神をやっつけた。
 おれはおととしの夏、救貧院を追放された。アル中の烙印があるのにもかかわらず、酒を呑んでしまったからだ。居宅生活訓練のさなかだった。おれはいちど実家に帰され、それからまたべつの町へでていった。気がつけば秋、更正センターは午后五時から翌八時まで泊めてくれる。金がなくなるまでそこにいた。呑み喰いですぐにからっぽ。おれは役所にいった。カソリックの教会を紹介されたのは、救済支援というやつで住所や仕事が決まるまで金を貸してくれた。おれは「カプセルホテル神戸三宮」でしばらく過ごしながら──といっても午前中はそとにでなければならない──そなえつけのコンピュータで「文学極道」に書き込み、楽曲をひとつ拵えた、題して「夢は失せ、納屋は燃え、馬はくそをひりだす」、正味三十二分(いま制作してるアルバム内では三十七分に増量)。昼は神経科に通った。もちろん、アル中専門。そこにいる連中の、全員が気にいらなかった。長い時間をかけてくだらない薬や注射のためにわいわい、がやがやしてるのが堪らなかった。おれはよそもの、どこへいっても。そんな昔し噺はどうだっていい。
 ただおもうに「文学極道」はその長であるケムリを筆頭に数理な思考のものが多いようにおもう。高等教育によって手に入れた思考にものごとのすべてをなりふりかまわず、投げこんでるというのが、端からみてるおれの感想だ。特にケムリは五感だとか、肉体、肉声、感覚といった語をばかに厭う。どうにもやっこさんは数理や論理で解き明かせないもの、当てはまらないものは棄ててしまうのだ。だからあそこでマスを掻いてる連中、さらに排泄物を評価されてる連中の詩にはちっとも動かされるものがない。せめて葉っぱのフレディーくらい叩き落としてみせろよ!
 これではチャールズ・ブコウスキーがいったように「もし諸君に意味がわからなかったら、それは諸君には魂がないとか、感受性が貧しいとか、そういうことになる。だからわかったほうがいい。じゃなかったら諸君はそこに属していない。そしてわからなかったら黙っていること(「空のような目」)」しかできないじゃないか。あまりにもつまらない。頭脳派万歳! 失せろ肉体派!──ではいったいなんのために現代詩手帖を手コキおろしたんだ?
 「文学極道」の突起人、ダーザインこと武田聡人はコラムで書いてる、曰く「文学極道は、腐りきって再生の余地のない既成の文壇に作品を投じる気にならないネットの実力者たちが分離派として立ち上げ、発起4年で瞬く間に文学の最高峰といえるメディアへと成長した」。けれどもだ、やってることは矮小化された手帖のそれでしかない。撰考の根拠がみえない優良作、文学の話題しかできないひとびと。おれは詩誌を買わないように、たとえ「文学極道」が紙になっても決して買わない。かれらはなぜ詩が孤立しているのか、その理由がみえてない。おれがおもうに詩人どもが同類どもでしか動こうしないこと、詩や文学のおたわごとしか話せない、書けないこと。ひとえに雑食性が欠けてるんだ。サイトや「月刊──」の表紙をみてみろよ、あいつら視覚表現にまるで触れたことがないんだぜ。詩は退屈、へんちくりんななまえのが文学だのなんだのと、自己賛美をふりかけまわってるのをみてしまうのは、あたまのうえに鳥のくそが落ちてくるよりもつらく、わびしい。そもそも文学極道という名札がかっこつかない。おれなら却下するね。能弁に文学について語ってるやつらを傍目でみてると息がつまってくる。ほんとだ。「えいえんなんてなかった」といってるうちにけつを死に突かれるんだ。ばからしくて屁もでねえ。けっきょく趣きがややちがってるだけというお話し。ならべられてるのはちゃちなガラス細工で、きれいでもなければおもしろくもない。まして引力などというものもないから、一秒で忘れられる、利点といえばそれだけ。
 つい先日ひまつぶしにくだらない詩どもにコメントした。すると運営人であるケムリ(名は体を表すっていうよな、でも残念ながら臭いってのはネットワークに乗らないんだぜ)がこうのたまってた。曰く「独善的な言い切りと批評における論理構成が全くのゼロ、という点を差し引けば(とはいえこれを差し引いて批評が存在するか?という疑問はあるが)中田さんの評は割と正しいところを突いてることが多い気がする。こいつに同調するの割とイヤだけど、同調せざるを得ないみたいなこと結構あるわ。もーちょい論理を構築すること覚えろよあんたは。有能なんだからさ、そんだけ文章書けていい感覚してて出来ないなんてないだろ。人の怠慢を批判出来たギリじゃねーけど、もうちょいやれや中田この野郎」とのこと。おれとしてはいいかげんインターネットという桶のなかの海で、理論だのなんだのを唇ちにするのはもうたくさんなんだ。もうよせよ、そのひとを担ぐような半端で腥い言辞をよ。他人の書いたものにあれこれ、長ったらしく書き散らしたところで時間のむだというものだぜ。てめえのヤることであたまがおっぱいだってのに、金にも栄養にもならしねえ与太をやんなきゃねらねえんだ。だからけっきょくひまつぶしにしかならない。鍛錬というのならじぶんひとりで充分できるんだ。けっきょくかれとおれとでは考えがまるでちがってるという、たやすい事実が横たわってるだけだ。おれはじぶんの触覚を頼るほうがいい。時間もかからず、手も汚れない。汚物を素手で掻きまわすなんておれ、やんねえよ。だいたい、じぶんにとってよいものか、わるいものかの区別くらいはかるく眺めるだけで充分じゃないかね。
 「感覚や感情や肉体があることが詩の必要条件だとは思わないし、そんなもんゼロでも良い作品は書けると思うけれど」とか「論理構成が全くのゼロ」──そうやつはいうが、しかし疑わしいのはそういった論理や数理的思考からどうやっても洩れだしてしまうものを描くのが文学ではないのかということだ。人間性? まあ人間性などという語は今日日、年中看板磨きにいそがしい人権屋というテキヤどもの挨拶にしか聞えないが、いくらそれがくさりきったしろものにしろ、どこかでそれを露出させなければ、ただの文字列でしかないだろう。独創的かどうかなんてことはおれには興味がない。
 右肩の「悲さんノ極み」なんか、それのもっともたるものだ。あれにはなにもない。論理とやらがまだ息をしてるなら、その優れたところを教えて欲しいものだ。──いや、聞きたくもない。どうせまた屁理屈をぶつけられておわり。似たり寄ったりのあたらしい詩とやらには近寄らないことだ。かれらに認められるくらいなら、いくらでも時代遅れになってやるとしよう。
 貧しさや痛いめに遭うのを神聖視するつもりはないが、なにをどう表現するにもその表現とそれまでの生とのむすびつきと意味づけ、裏づけをしないのならそれまでだ。高等教育によって文学に目醒めました、なんていうやつをまず信用しない。してはならない。かれらのやりたいのは他人の魂しいカマを掘ることぐらいだ。だからおれとしては文学オタクのためにはいっさいなにも書かないし、かれらを愉しませたいなどとはちっともおもわない。その反対にじぶんの書くもの、読むものは、声があって、音があって、匂いや、手触りがあって、偶然と突発充ち、なんどしゃぶり尽くしても飽きないものを求める。おれがもっとも避けたいのは論理、数理、歴史、思想、流派などといったものでたやすく解説されてしまうもの。おれは自身のやりかたというものがある。それは批評性に頼って書かない、読まないことだ。
 「フォルムを重層化させ匿名化した音楽は、日常の雑音と何ら変わらなく聞える。そんなものをわざわざ金を出して、時間を潰して聞く位なら私は静寂を好む(岩見、同)」。詩についていうならば紙にしろ、インターネットにしろ、眼につくのは、すべてにおいて記名を喪った文字列、存在するかしないかのけむりでしかない。だれもかれも書いてるはけっきょくバケツのなかの海水であって海ではない。そとへとでていく詩ではなく、個室にこもるか、さもなくば閂をかけるようなものしかない。「おかのひとみ」というひとの詩がえらくよかったことのほかはなにもない。かの女はたった一篇で姿を消した。それがたったひとつのさえたやりかたかも知れない。
 いまおれが欲しいのは増幅装置──他者の眼に頼らず、まったくの独善でありながら伝達するための、むこうがわへ突き抜けるためのものが必要だな。

 まったく、ケム公のやろうめ。あんなくだらん、くさった詩人どもの巣窟についての、こんな便所紙の皺みてえな文章にまる一日潰させやがって! 今度からは用心しやがれ、火災報知機を仕掛けておくからな!──この中古PCに!

   説教者にはご用心
   物知りには要注意。

     ご用心
     いつも
     本を
     読んでいる
     者には

             チャールズ・ブコウスキー「群衆の天賦の才」



からっぽの札入れとからっぽのおしゃべり


 雑役仕事と金が尽きて、もうしばらくになる。おかしなもので足りないときほどしたくなるものだ。創作や自涜、どちらも空想と実感を一致させてゆくという点でよく似ている。台所には甘味料、香辛料、油、肉などなし。あるのはしなびた野菜のいくつかと、わずかな麺類。そしてとうとうあいてしまった靴の孔──そこへ公園のベンチがこちらに近寄ってくる。
 おかしなものであまっているときはこういった苦痛について、おそろしく鈍感で、まえにも遭った、経験済みの苦痛をまたしてもやらかしてしまう。反復また反復、おそらく精神医学じゃあとっく名札のついた動きなのだろうが、こちらとしてはどうにもならない。それを知ったところで日雇い事務所から電話がかかってくるだとか、自作の絵葉書が売れるわけでも詩が売れるわけでもなかった。
それもやがてはいまはむかし。遠近法にしたがって痛みは小さくなり、ちがった現在がふくれあがってゆく。そのひびきを待ちながら、わたしはこれを書く。
 なにものかになろうとするものの、魂しいの餓えは、現在のじぶんと自己実現を達したじぶんとのあいだに接点を見つけられないことによるものだ。それはつまり、おのれの生涯をあまりに連続したもの、巻物のようなものをたどっていっている、あるいは展げられていくように捉えてしまい、つねに現実でも夢想のなかでも「劇的」なるものを見逃してしまっているからではないだろうか。
 だからこそ書かれる作品もおのずとそれにしたがって、巻物のようなものになる。たとえば実現実の描写に終始してしまうことや、風景を喪った観念と情報の記述にかたまってしまう。こんなことをいうのもわけがある。わたし自身がつねに過古に囚われ、それを連続したものとして捉えていたために不足──なにも為せなかった年月と余剰──した慾望とにふりまわされ、飲酒癖に落ちこみ、可能性を狭めていたからである。さらに痛苦や屈辱の復讐を記号的体験のなかで晴らそうと躍起になっていたからだ。
 ほんとうに「人のサイクルは、いくつかの劇的エポックを核として生まれかわってゆく、不連続の複数の人生の集積である(寺山修司「アメリカ地獄めぐり」1971)」ならば、かつて教室で味わった疎外も、社会での孤立も飯場や病院や旅役者などを介した放浪も、すべてはまたべつの人生たちである。「去りゆく一切」がほんとうに「比喩」であるなら、過古という他国には今後いっさい、渡航しなければよいのだ。それをわたしは反省という名札にすりかえて密航したうえ、おのれを苛み、他人をうらんできてしまっていた。だから森忠明の指摘するように書くものにもおこないにも品性が失われたのである。──話しをすこし戻そう、「だから書かれる作品もおのずとしたがって巻物のようなものになる。たとえば実現実の描写に終始してしまうことや、風景を喪った観念と情報の記述にかたまってしまう」。 
インターネット上の詩人きどりの作品と、詩誌における詩人きどりの作品を比較してみるとよくわかるかも知れない。前者の多くは、過古と心情という情報によって書かれ、後者は観念と知識という情報によって書かれているようにわたしにはみえる。かれらはおもうに孤立した密告者たちの横一列の集まりだ。だがそのネタを引き受けるものはほとんどいないのだ。そのなかでやってる、小さな旗振り合戦ときたら、なんとむなしいことか。
 生前吉本隆明の発言でたったひとつうなづけるのは「最近の詩人の作品には風景がない」ということばだ。しかし最近とはいわず、ここ数十年はそれでまわしているようなさわりがある。
青森県六ヶ所村について歌いあげる長谷川龍生もアメリカ人夫妻と夕食をともにしたという中上哲夫も、完全にあちらがわをいってる吉増剛造にしろ、ブログで充足ぶりを語ってる城戸朱理にしたってあるのは密告だけだ。
 おなじように若いやつらも、久谷(「ほのかに明るくなるほかに」はわるくはないとおもう)、最果、文月、三角──あとは知らない──と密告者ぞろいだ。かれらはそろってあたまがよすぎる。なにもかれら個人のことをわたしはいっているのではない。
かれらのものをみるにつけ、文章技法に問題がないということのほかに誉めようがないし、憶えてもいられず、ましてや強く揺さぶりを起したり、ひっぱたいたり、撲りつけてもこなければ、なにものかを焚きつけもせず、やさしくささやいてもくれない。糞づまってるんだ。つまることは。
おなじことは政治についても社会問題についてもいえる。ひとの見える場所で鼻をほじってるわたしにもひどく露骨に映る。なににおいてもつねに必要なのは想像力だ。しかしそれにしろ、喰わしていくのは容易ではないから、大多数のひとびとは想像力を他人に預けることで日日のわずらわしさをすこしばかり、小銭ほどにやわらげているが、その結果がどこに向かうかについてとても無関心におもえる。べつにだれかをばかにしようってわけではない。じぶんだってそのなかのひとりに過ぎないという話しだ。
 そのいっぽうで現実はつねに現実だ。世を忍ぶ仮の──などいうものはない。あたらしい仕事をまわしてもらえないのも、いまポケットに数円しかないのも、作品が売れないのも、世間では底辺にいることも見過ごしてはならない。わたしの現実だからだ。現実にばかり縛られるのは苦痛を伴う。しかし夢想や観念のうちにいれば、いずれはそれに踏みつけにされるだけにほかならない。
すれちがう他人、遠ざかる風景、近づいてくる物体、それらをも含めて現実は、そこに生きる人物は構成されている。だから詩のなかでは本来「他人事」などあってはならない。すべてがじぶんをつくりあげているとおもいこむに至らなければ、ほんとうに詩情することはできないだろう。
 どこぞのだれかが書いていたが、その通り、わたしはふるい型の書き手である。いまだにポストモダンなるものがわからないうえに、読む本のほとんども四〇年はふるい。しかしわたしの狙いは時代遅れでいるということではなく、均一なるものに抗いたいということだ。インテリ諸君にいいたいのは、だれもがポストモダン以後を生きているわけではないということである。そんなものは一部の階層のやつらにしか通用しない。きみたちはみずからの内的思想地図とそとから吸った体系をあちらこちらでひりだしているだけだ。塵紙すら使わないまんまでだ。わたしは正直くそを喰わされるのはもうたくさんである。
ますます狭まる世界観、情が失せて詩だけが残った塵塚、そのなかにいて現れて来る、あたらしい詩人はどんなやろうだろう。
 少なくともジョン・ウィリアム・コリントンの、「ある意味で、詩は芸術のなかでも野蛮さを持ち合わせた存在でありつづけるだろう。──いや、そうあるべきだ。感動を与えず、美的センスもない詩は、もはや詩とはいえない('Charles Bukowski and the Savage Surfaces' in Northwest Review, 1963)」ということばに適ったやつを望む。ついでに映像を喚起しない、五感を刺激しない詩というのもごめんだ。 
余剰と不足が悪であれば、詩はますますたちのわるいごみくずで、悪臭を放ちつづけるだろう。詩人そのひとが、まがいものか、ほんものかの区別をつけるのはだれなのだろうか。それはいまのところ詩人本人以外にはいない。 
 わたしはなりたいものだ。死んだ詩人のなかで最高の部類に、──息をしたままで。実のところ、ふるくさい書き手といわれるのがことのほかよろこばしい。最新のぴかぴかしたものは苦手で、居心地がわるいから。 


   カレンダーが
   ひびわれの壁で
   笑いながらぼくを見る
   はがしてしまえばどんなに楽なことか──モップス「夕暮れ」1972


 時間と日日は間断なく、わたしを含めひとびとを嘲弄しつづけるだろう。そのおもざしにむかってどれだけの裏切りをやりとおし、既存とはちがう、わたし自身の時間軸によって生き、創作するのかが現在の課題である。情熱と方針のしっかりもつことだ。しっかりと。あとは運をつけること。──そろそろこいつを冷ましに冷蔵庫をあけるとしよう。あともうすこしはたえられるはずだから。
それではsayonara
 

文学極道

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