洗髪後の排水口には頭髪やら陰毛やらが渦巻いている。私を離さなければ、決して絡まり交わらない者たち。日に日に肥大する黒いカタマリは、一人暮らしの私にとって秘密の怪物だった。
小都会の美容室に勤めて半年になる。まだハサミは持てない。ここでも洗髪だ。穴に流れていくのは頭髪だけ。あいつとは違う。寂しかろうと思ってシャワー台に腰かけた。下半身が充血してむずむずしてくる。ぼうっとしていると、店長のAさんから鋭い叱責がとぶ。土方のようなたくましい二の腕に似合わない繊細な技術の持ち主で、でもそんなことはどうでもよくて、私は彼のなみだぼくろが好きなのだ。こんなに好きなのに、ぴんぴんに研磨したコトバで心の贅肉を躊躇なく切断してくる。たまに、やわい表面に突き刺さる。出血すると、さすがに泣いてしまう。その血はどす黒い。ふと、あいつの気配を感じる。
閉店後の深夜、どことなくAさん似のマネキン相手にカットの練習。昨夜、油性ペンで目元に点を打ったら、正面から直視できなくなった。練習前には昼間刺さったものを一本一本ていねいに抜いてシザーケースにしまう。使えもしないが、お守り代わりだ。人工毛の切り心地には慣れない。上達したら俺を練習台にしていいから、とAさんは言った。淡々と課題をこなす。アクリル繊維は淡々と切れる。
仕上がったマネキンを洗髪する。昼間寂しそうに流れていった、名前も覚えていない客の頭髪が気になったのだ。Aさんに見つかったら大目玉だろう。案の定、人毛以外は飲み込まない贅沢な排水管は黒い水を嘔吐した。水を止めると、あいつがいた。私は怖くなって、あらゆる無機物に謝罪を始めた。いつしか足下にはAさん似の生首が転がっていた。<了>
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作品 - 20160216_693_8629p
- [優] 黒い渦 - 少年B (2016-02)
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黒い渦
少年B