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作品 - 20160208_570_8611p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一五年九月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一五年九月一日 「明日」


 ドボンッて音がして、つづけて、ドボンッドボンッって音がしたので振り返ったら、さっきまでたくさんいた明日たちが、プールの水のなかにつぎつぎと滑り落ちていくのが見えた。明日だらけだった風景から、明日のまったくない風景になった。水面をみやると、数多くの明日たちがもんどりうって泳いでた。

 プールサイドには、明日がいっぱい。明日だらけ。たくさんの明日が横たわっている。ひとつの明日がつと起き上がり、プールの水のなかに飛び込んだ。プハーッと息を吐き出して顔をあげる明日。他の明日たちがつと起き上がって、つぎつぎとプールの水のなかに身を滑らせた。ドボッ、ドボッ、ドボッ。 

 明日には明日があるさ。昨日に昨日があったように? 今日に今日があったように? そだろうか。昨日に今日がまじってたり、今日に明日がまじってたり、明日に昨日がまじってたりもするんじゃないのかな。明日には明日があるなんて、信じちゃいけない。明日には明日がないこともあるかもしれないもの。明日が、ぜんぶ昨日だったり、今日だったりすることもあるかもしれないもの。

 明日がプールサイドにいた。プールの水に乱反射した陽の光がまぶしかった。明日がつと駆けるようにしてぼくのほうに近づいてきた。びっくりして、ぼくは、プールに飛び込んだ。プールの水のなかには、さっきのように驚かされて水のなかに飛び込んだ、たくさんのぼくがいた。目をあけたまま沈んでいた。

 ホテルの高階の部屋から見下ろしていると、たとえ明日がプールの水のなかに飛び込んで泳ごうとも、飛びこまずにプールサイドに横たわっていようとも、同じことだった。いる場所をわずかに換えるだけで、ほとんど同じ場所にいるのだから。どの明日もひとつの明日だ。どれだけたくさんの明日があっても。


二〇一五年九月二日 「自由」


 自由の意味はひとによって異なる。なぜなら何を不自由と感じているかで自由の観念が決まるからである。ひとそれぞれ個人的な事情があるのだ。そこに気がつけば、言葉というものが、ひとによって同じ意味を持つものであるとは限らないことがわかるであろう。むしろ同じ意味にとられるほうが不思議だ。


二〇一五年九月三日 「言葉」


 すべての言葉がさいしょは一点に集まっていたのだが、言葉のビッグバン現象によって散らばり、互いに遠ざかり出したのだという。やがて、それらのうちいくつかのものが詩となったり、公的文書となったり、日記となったりしたのだというが、いつの日かまた散らばった言葉が一点に集まる日がくるという。


二〇一五年九月四日 「本の種」


 本の種を買ってきた。まだなんの本になるのかはわからない。読んだ本や会話などから言葉を拾ってきて、ぱらぱらと肥料として与えた。あまり言葉をやりすぎると、根腐りするらしい。適度な余白が必要なのだ。言葉と言葉のあいだに、魂が呼吸できるだけの空白が必要だというのだ。わかるような気がする。


二〇一五年九月五日 「ジャガイモ」


『Sudden Fiction 2』のなかで、もっともまだ3篇を読み直していないのだけれど、それらを除くと、もっとも驚かされたのは、バリー・ユアゴローの作品だったが、さっき読んだペルーの作家、フリオ・オルテガの作品『ラス・パパス』にも驚かされた。なにに驚かされたのかというと、中年の男が幼い息子をひとりで育てているのだが、手料理にジャガイモを使うので、ジャガイモを剥きながら、そのジャガイモについて語りながら、世界の様態について、その詳細までをもきっちりと暴露させているのだった。これには驚かされた。たった一個のジャガイモで世界の様態を暴露させることなど、思いつきもしなかったので、びっくりしたわけだが、もしかしたら、これって、部分が全体を含んでいる、などという哲学的な話でもあるわけなのかな。叙述する対象が小さければ小さいほど効果が大きい、というわけでもあるのかな。それとも、これこそが文学の基本なのかな、とも思った。


二〇一五年九月六日 「前世」


田中宏輔さんの前世は

女の

草で

25年間生きてました!!
http://shindanmaker.com/561522

 サラダと豆腐を買いにコンビニへ。帰ったら、『Sudden Fiction』のつづきを読もう。ぼくの前世は、女の草で、25年生きたらしい。どうして今世では、女の草ではなかったのだろう。それなら、25年くらいの命であったかもしれないのに。54年も生きてしまった。飽き飽きするほど長い。

 本を読むのをやめて、電話をかけようと思って、電話の種を植えた。FBチェックして、10人くらいのFBフレンドの画像に「いいね」して、ツイッターを流し読みした。ピーター・ガブリエルIIIが終わったので、ジェネシスのジェネシスをかけた。電話が生えてきたので手に取って、友だちの番号にかけた。

 溺れないとわからないことがある。痛くないとわからないことがある。うれしくないとわからないことがある。おいしくないとわからないことがある。もう失ってしまった感覚もあるだろうとは思うけれど、できるかぎり書き留めて、再想起させることができるように、生活記録詩も書きつづけていこうと思う。


二〇一五年九月七日 「ヴァレリーが『散文を歩行に、詩を舞踏にたとえた話』について」


 筑摩世界文學大系56『クローデル ヴァレリー』に『詩話』(佐藤正彰訳)のタイトルで訳されているものに、「散文を歩行に、詩を舞踏に」たとえている言葉があるのだが、ヴァレリーも書いているように、これは、ヴァレリーのオリジナルの言葉ではない。しかし、この言葉は、ヴァレリーの言葉として引用されることが多い。というか、ヴァレリーの言葉として流布しているようだ。その理由として、ひとつは、ヴァレリーの名前があまりにも有名なために、ヴァレリーが引用した詩人の名前が忘れられたということもあるのだろうけれど、より大きな原因として考えられるのが、ヴァレリーが、この言葉をより精緻に分析してみせた、ということにもあるのではなかろうか。ヴァレリーは、「この事について私の言いたいところを一層把握し易くするために、私は私の使いなれている一つの比較に頼ることに致しましょう。或る時私が或る外国の町でやはりこうした事柄を話していた折、ちょうどこの同じ比較を用いましたところ、聴衆の一人から、非常に注目すべき一つの引用を示され、それによって私はこの考えが別に事新しいものではないことを知りました。少なくともそれは、ただ私にとってだけしか新しいものではなかったのです。/その引用というのはこうです。これはラカン〔割注:一五八九─一六七〇。田園詩を得意とし、一六〇五年よりマレルブに師事、師についての記録を残す〕がシャブラン〔割注:一五九五─一六七四。当時の文壇に勢力があったが、詩人としてはボワロー等に冷笑されたので有名である〕へ送った手紙の抜萃で、この手紙を見るとマレルブ〔割注:一五五五─一六二八。古典主義詩の立法者といわれる抒情詩人〕は──ちょうど私がこれからしようとしているように、──散文を歩行に、詩を舞踏に類(たぐ)えていたということを、ラカンはわれわれに伝えています。」と言い、はっきりと、自分よりさきに、「散文を歩行に、詩を舞踏に類(たぐ)えていた」のは、マレルブであったと述べているのである。そして、ラカンがシャブランに送った手紙のなかにつぎのように書いていたところを『詩話』に引用している。「予の散文に対しては優雅とでも素朴とでも、快濶とでも、何なりとお気に召す名前をつけなさるがよい。予は飽くまで我が先師マレルブの訓戒を離れず、自分の文章に決して諧調(ノンブル)や拍子を求めず、予の思想を表現し得る明晰さということ以外の他の装飾を求めない覚悟である。この老師(マレルブ)は散文を通常の歩行に、詩を舞踏に比較しておられ、そしてわれわれがなすを強いられている事柄に対しては、多少の疎漏も容赦すべきであるが、われわれが虚栄心からなすところにおいて、凡庸以上に出でぬということは笑うべき所以であると、常々申された。跛者(ちんば)や痛風患者にしろ歩かざるを得ない。だが、彼らがワルツや五歩踊(スインカベース)〔割注:十六世紀から十九世紀に流行した三拍子の快活な舞踏〕を踊る必要は全然ないのである。」この手紙の引用のあと、ヴァレリーは、「ラカンがマレルブの言ったこととしているこの比較は、私は私でかねて容易に気附いていたところでしたが、これはまことに直接的なものです。次にこれがいかに豊穣なものであるかを諸君に示しましょう。これは不思議な明確さを以って、極めて遠くまで発展されるのであります。おそらくはこれは外観の類比以上の何物かであります。」と述べて、このあと精緻に分析しているのだが、それをすべて引用することは控えておく。いくつかの重要なものと思われる部分を引用しておくにとどめよう。ところで、ヴァレリーは、「散文を歩行に、詩を舞踏に」の順にではなく、「歩行を散文に」、「舞踏を詩に」なぞらえているのであって、「散文を歩行に、詩を舞踏に」たとえているのは、あくまでもマレルブ(の言葉)であったことに注意を促しておく。前述したように、この言葉がヴァレリーの言葉のように流布したのは、ヴァレリーの分析の見事さによるところ大なのであろうと思われるのだが、具体的な記述をいくつかピックアップしていく。「歩行は散文と同じくつねに明確な一対象を有します。それは或る対象に向かって進められる一行為であり、われわれの目的はその対象に辿り着くに在ります。」、「舞踏と言えば全く別物です。それはいかにも一行為体系には違いないが、しかしそれらの行為自体の裡に己が窮極を有するものであります。舞踏はどこにも行きはしませぬ。もし何物かを追求するとしても、それは一の観念的対象、一の状態、一の快楽、一の花の幻影、もしくは或る恍惚、生命の極点、存在の一頂上、一最高点……にすぎませぬ。だがそれが功利的運動といかに異なるにせよ、次の単純極まる、とはいえ本質的な注意に留意せられよ。舞踏は、歩行自体と同じ肢体、同じ器官、骨、筋肉、神経を用いるということに。/散文と同じ語、同じ形式、同じ音色を用いる詩についても、全くこれと同様なのであります。」、「されば散文と詩は、同一の諸要素と諸機構とに適用せられた、運動と機能作用との或る法則もしくは一時的規約間の差異によって、区別せられます。これが散文を論ずるごとくに詩を論ずることは慎まねばならぬ所以であります。一方について真なることも、多くの場合、それを他方に見出そうと欲すると、もはや意味を持たなくなります。」、「われわれの比較を今少し押し進めましょう。これは深く究められるに耐えるものがありますから。一人の人が歩行するとします。彼は一つの道に従って一地点から他の一地点に動くが、その道は常に最小労力の道であります。ここに、もし詩が直線の制度に縛られているとしたら、詩は不可能であろうという事に留意しましょう。」、「再び歩く人の例に帰ります。この人が自分の運動を成し遂げた時、自分の欲する地点とか、書物とか、果物とか、対象とかに到達した時、直ちにこの所有ということは彼の全行為を抹消します。結果が原因を啖(くら)い尽し、目的が手段を吸収してしまいます。そして彼の行為と歩き方の様相がいかなるものであったとしても、ただその結果だけしか残りませぬ。マレルブの言った跛者にせよ痛風患者にせよ、向って行った椅子に一度びどうやら辿り着きさえすれば、敏活軽快な足取りでその席に辿り着いたこの上なく敏活な男とでも、着席していることには何の変りもないのであります。散文の使用にあってもこれとまったく同じです。今私の用いたところの言語、私の意図、私の欲求、私の命令、私の意見、私の問い或いは私の答えを表現し終えた言語、己が職責を果したこの言語は、到達するや否や消滅します。私は自分の言辞がもはや存在せぬというこの顕著な事実によって、自分が理解されたということを識るでありましょう。言辞はその意味によって、或いは少なくとも或る意味によって、換言すれば、話しかけられる人の心像、衝動、反応、もしくは行為によって、要するに、その人の内的変改乃至再組織によって、ことごとく且つ決定的に置き換えられてしまうのであります。しかし、理解しなかった人のほうは、それらの語を保存しそしてその語を繰り返すものです。実験は造作ありません……。」、「他の言葉で申せば、種類上散文であるところの言語の実用的或いは抽象的な使用においては、形式は保存されず、理解の後に残存しない。形式は明晰さのなかに溶解します。形式は働きを済ませたのであり、理解せしめたのであり、生をおえたのであります。」、「ところがこれに反し、詩篇は用を勤めたからといって亡びませぬ。これは明瞭に、己が死灰より甦り、今まで自からが在ったところに無際限に再び成るように、できているのであります。/詩は次の著しい効果によって識別されるのであり、これによってよく詩を定義し得るでもありましょう。すなわち、詩は己が形式の中に己れを再現しようとし、詩はわれわれの精神を促してそれを在るがままに、再建させるようにするということ。仮に敢えて工業上の術語から借りた語を用いるとすれば、詩的形式は自動的に回復されるとでも申しましょう。/これこそすべての中でも特に讃嘆すべき特徴的な一固有性であります。(…)」、「しかし繰り返し申しますが、文学的表現のこの両極端の間には無数の段階、推移形式が存在するのであります。」云々、延々とつづくのである。ヴァレリーのこの追求癖がぼくは大好きなんだけどね。「散文を歩行に、詩を舞踏に」たとえたのが、ほんとうはマレルブが最初なのに、ヴァレリーが最初に述べたかのように多くのひとが誤解しているのも、このヴァレリーのすさまじい分析的知性のせいなのだろうけれど、このような誤解というのも、あまりめずらしいことではないのかもしれない。だって、リンカーンの言葉とされるあの有名な「government of the people, by the people, for the people 人民の、人民による、人民のための政治」っていうのも、じつはリンカーンがはじめてつくった言葉じゃないものね。ぼくの記憶によると、たしか、リンカーンが行った教会で、牧師が説教に使っていた言葉を、リンカーンが書き留めておいて、あとで自分の演説にその言葉を引用したっていう話だったと思うけれど、違うかな。ノートがなかったので、教会の信者席で、持っていた封筒の裏に書き留めた言葉だったように思うのだけれど。

Ainsi, parallèlement à la Marche et à la Danse, se placeront et se distingueront en lui les types divergents de la Prose et de la Poésie.

 ここかな。ヴァレリーが「散文を歩行に、詩を舞踏に」たとえたってところは。フランス語ができないので、フランス語ができる方で、どなたか教えてくださらないでしょうか。この原文からコピペした箇所であっているでしょうか。よろしければ、教えてください。

 ちなみに、件の箇所が載っているヴァレリーの『詩話』(『詩と抽象的思考』というのが原文のタイトルの直訳です。)の原文がPDFで公開されています。フランス文学界ってすごいですね。ここです。→ http://www.jeuverbal.fr/poesiepensee.pdf


二〇一五年九月八日 「子ども時代の写真」


ぼくは付き合った子には、かならず子ども時代の写真を見せてもらう。


二〇一五年九月九日 「言葉じゃないやろと言ってたけど、」


 愛が答えだと思ってたけど、答えが愛だったんだ。愛が問いかけだと思ってたけど、問いかけが愛だったんだ。簡単なことだと思ってたけど、思ってたことが簡単だったんだ。複雑だと思ってたけど、思ってたことが複雑だったんだ。言葉じゃないやろと言ってたけど、言ってたことが言葉じゃなかったんだ。


二〇一五年九月十日 「吐く息がくさくなる言葉」


吐く息がくさいとわかる言葉だ。という言葉を思いついた。

吐く息がくさくなる言葉だ、という言葉を思いついた。

吐く息がくさくなるような言葉だ、という言葉を思いついた。


二〇一五年九月十一日 「おでん」


 きょうは塾の時間まで読書。『Sudden Fiction』も、おもしろい。いろんな作家がいて、いろんな書き方があって、というところがアンソロジーを読む楽しみ。詩人だって、いろいろいてほしいし、詩だって、いろいろあったほうが楽しい。トルタから10月に出る、詩のアンソロジーが楽しみ。『現代詩100周年』という詩のアンソロジーだけど、100人近くの詩人の作品が収録されているらしく、ぼくも書いている。ぼくのは、実験的な作品で、見た瞬間、好かれるか、嫌われるかするだろう。

 お昼は、ひさしぶりにお米のご飯を食べよう。さっき、まえに付き合ってた子が顔をのぞかせたので、「ダイエットしてるんやけど、足、細くなったやろ。」と言って足を見せたのだけど、「わからへん。」やって。タバコ買っておいてやったのに、この恩知らず。と思った。あ、気が変わった。ひさしぶりにブレッズ・プラスに行って、BLTサンドイッチのランチセットを食べよう。たまにはダイエットをゆるめてもいいやろと思う。足が細くなったような気がするもの。これはほんと。

 ああ、おでんが食べたい。そのうちつくろ。ダイエットと矛盾せんおでんはできるやろか。だいこんは必須や。嫌いやけど。油揚げは、ああ、大好物やけど、あかんやろなあ。竹輪はええかな。あかんかな。卵も大好物やけど、あかんな。昆布巻きはええかな。いっそ筑前煮にしたろかな。憎っくきダイエット。涙がにじんでしもたわ。情けない。齢とると、こんなことで悲しなるんやな。身体はボロボロになるし、こころもメタメタ弱ってる。でも、それでええんやと思う。いつまでも最強の状態やったら、弱ったひとの気持ちがわからんまま生きて死ぬんやからな。それでええんや。ゴボ天が大好物やった。忘れてたわ。あと、コロも食べたい。スジ肉も食べたい。巾着も食べたい。タコはいらんわ。あれは外道や。おでんの出しの味が悪くなる。いや、筑前煮にするんやった。おでんのほうが好きやけど。こんにゃくも好き。三角のも、糸こんにゃくも好き。

彼女を筑前煮にしてみた。けっこうおいしかった。鶏肉より豚肉に近かったかな。椎茸とか大根とか人参とかの味がしみておいしかった。ちょっと甘めにしたのがよかったみたい。


二〇一五年九月十二日 「コップのなかの彼女の死体」


 コップのなかに彼女の死体が入っていた。全裸だった。ぼくがコップに入れた記憶はないのだけれど。コップをまわして、彼女の死体をさまざまな角度から眺めてみた。生きていたときの美しさと違う美しさをもって、彼女はコップのなかで死んでいた。コップごと持ち上げて、それを傾けて彼女の死体を皿のうえに落とした。彼女の死体は音を立てて皿のうえに落ちた。アイスペールのなかの氷を一つアイストングでつかみ取り、氷を彼女の死体におしあてた。うつ伏せの彼女の肩から背中に、背中から腰に、腰から尻に、尻から太もも、脹脛、踵へとすべらせると、アイストングの背で彼女の死体を仰向けにして、氷を、彼女の顔から肩に、肩から胸に、胸から腹部に、腹部から股に、股から太もも、膝、膝、足首へとすべらせた。彼女の死体のうえでゆっくりと氷が溶けていく。彼女の死体のうえを何度も何度も氷がすべる。小さくなった氷をアイスペールに戻して、彼女の死体にナプキンの先をあてて水気をとっていく。皿に零れ落ちた水もナプキンの先で吸い取る。さあ、食事だ。クレーヴィーソースを彼女の死体にかけて、彼女の死体を切り分けていく。フォークの先で彼女の二の腕を押さえ、ナイフで彼女の肘関節を切断する。ほんとによく切れるナイフだ。思わず笑みがこぼれてしまう。鋭くとがったフォークの先で、切り取った彼女の腕を突き刺して、口元にもっていった。


二〇一五年九月十三日 「彼女の肉、肉の彼女」


 買ってきた肉に「彼女」という名前をつけてみた。レジで支払ったお金に「彼女」という名前をつけてみた。部屋に入るときにポケットから出す鍵に「彼女」という名前をつけてみた。ベランダに置いてあるバケツに入れた洗剤をうすめてつけておいた洗濯物の一つ一つに「彼女」という名前をつけてみた。

いま、彼女が洗濯機のなかでくるくる回っている。


二〇一五年九月十四日 「なぜ詩を書くのか」


 きょうは学校だけ。しかも午前中で終わり。楽だ〜。帰りにブレッズ・プラスによって、BLTサンドイッチのランチセットを食べよう。はやめに行って、ルーズリーフ作業でもしよう。『Sudden Fiction』に書いている作家たちの「覚え書」に詩論のためになるような、ものの見方が書いてある。とはいっても、70人近くの作家たちのうちの数十人の数十個の覚え書のうち、ルーズリーフに書き写して、ぼくの見解を付け加えるのは、4、5人のものだけど。それでも、この本はそれだけでも価値はあった。「違いがないものを区別する」とか考えさせられる言葉だ。「名前を決めるのは、それへの支配力を唱えるようなものだ」というのだけれど、ここから「言葉を使って詩句にするのは、その対象となっていることをまだ理解できなかったためではないのか。言葉にすることで理解しようとしているのではないだろうか」と思ったのだ。


二〇一五年九月十五日 「ダイエットの結果」


 9月は仕事がタイトなのだけれど、その9月も半分近く終わった。すずしくて読書をするにはふさわしい時節だし、大いに読書したい。日知庵でお茶を飲んで、ししゃもとサラダを食べた。えいちゃんが体重計を出してくれたので載ったら82・6キロだった。服の重さを引くと81キロ弱。1か月前と比べると、4キロの減量だから、このまま順調に減量できたら、月に4キロの減量で、20カ月後には体重ゼロだ。帰りに、ジュンク堂で、ジーン・ウルフの短篇集と、ジャック・ヴァンスの短篇集と、池内紀訳のゲーテのファウスト・第二部を買った。第一部はブックオフで買ってた。


二〇一五年九月十六日 「なぜ詩を書くのか」


 中学1年のときにはじめてレコードを買った。ポール・マッカートニーの『バンド・オン・ザ・ラン』だ。小学校のときから、ビートルズやプロコムハルムといったポップスやガリ・コスタやマロといったラテンを親の影響で聴いていたが、自分でLPを買ったのははじめてだった。所有するということの喜び。音楽を所有することのできた喜びは、ほかの喜びとは比較にならないくらいに大きかった。25才までに本を読んだことはあった。でも、自分で買った本は1冊もなかった。すべて親が持っていた本を読んでいたからだ。親が純文学だけでなくミステリーとSFも読んでいた。親が外国文学を好きだったので、当時に翻訳されたミステリーやSFはほとんど読んでいた。親のもとを離れて一人暮らしするようになり、小説家を目指して勉強をしないといけないと思い、ギリシア神話や聖書を、また外国の古典的な作品を一通り読んだ。でも、本をいくら買っても所有しているという喜びはなかった。40代になって、不眠症にかかり、鬱状態になってはじめて、SF小説のカヴァーの美しさに気がついた。そこで、手に入るものはすべて手に入れた。ようやくここで、本を所有する喜びにはじめて遭遇したのだった。おそらく、それは病的なまでのものであったのだろう。古書のSFの場合、カヴァーのよい状態のものを手に入れるために、同じ本を5冊買ったりもしたのだった。きのう買ったジーン・ウルフの新刊本にクリアファイルでカヴァーをつくるときに、表紙の角を傷つけてしまって、しゅんとなったのだが、むかしなら新しく買い直したかもしれない。でも、少し変わったのだろう。あきらめのような気持ちが生じていたのだ。表紙は本を所有することの喜びの小さくない部分であったのだが、しゅんとはなったが、なにかが気持ちに変化をもたらせたのだ。年齢からくるものだろうか。若さを失い、見かけが悪くなり、身体自体も健康を損ない、みっともない生きものになってしまったからだろうか。そんなふうに考えてしまった。そして、ここから言葉の話になる。ぼくが作品にしたときに、ぼくが対象としたもの、それは一つの情景であったり、一つの出来事であったり、一つの会話であったり、一つの表情であったり、そういった目にしたこと、耳にしたこと、こころに感じたことを、なんとか言葉にしてみて再現しようとして試みたものであったのだろうか。ぼくの側からの一方的な再構築ではあるし、それはもしかしたら、相手にとっては事実ではないことかもしれないけれど。しかし、言葉にすることで、ぼくは、姿を、態度を、声を、言葉を所有したような気がしたのだ。『高野川』がはじめて書いた詩だと言っている。事実は違っていて、中学の卒業文集に書いた『カサのなか』がはじめて書いたもので、のちにユリイカの1990年の6月号の投稿欄に掲載されたのだが、詩という意識はなく書いたものであった。自分が意識して詩を書いたものとしては、ユリイカの1989年8月号の投稿欄に掲載された『高野川』がはじめてのものであった。この『高野川』は事実だけを書いた。ぼくの初期の詩は、いまでも大部分そうだが、事実のコラージュによってつくったものが多くて、『高野川』は、ぼくが大学3年のときに付き合っていたタカヒロとのときのことを書いたものだった。書いたのは28才のぼくであったので、5年前に終わっていた二人のことを書いたのだが、2才年下の彼の下宿に行くときに、高野川のバス停でバスを待っているあいだのぼくの目が見た川の情景と、その川に投げ捨てたタバコの様子について書いたものだったのだが、この『高野川』を書いたときにはじめて、そのときの自分の気持ちがはっきりとわかったような気になったのだった。言葉を紙のうえに(当時は紙のうえに、なのだ)書いて、詩の形をとらせて言葉を配置して、何度も繰り返して自分で読み直して、完璧なものに仕上げて、はじめて、自分のそのときの気持ちを、その詩のなかに書き写すことができたと思ったのだ。『高野川』を書くことで、自分の過去の一つをようやく所有することができたと思ったのだった。そのことは、タカヒロと付き合ったさまざまな時間と場所と出来事を思い起こすことのできる一つの契機となるものだった。詩を獲得することで、ぼくは自分の時間と場所と出来事を獲得したのである。そういった詩をいくつも所有している。そりゃ、詩を書くことは、ぼくにはやめられないわけだ。実験的な詩は、こういった事情とは異なるが、根本においては変わらないと思う。さまざま音楽や詩や小説を読む喜びに通じるような気がする。『全行引用詩』や『順列 並べ替え詩。3×2×1』や『百行詩。』や『数式の庭。』や『図書館の掟。』や『舞姫。』や『陽の埋葬』などは、じっさいの体験の痕跡はほとんどない。「先駆形」でさえ体験は少ない。では、なぜ詩にするのだろうか。事実とか、じっさいの時間や場所や出来事だけが、ぼくの生の真実を明らかにするものではないからだ。言葉自体をそれとして所有することはできないが、言葉が形成する知や感情というものを所有することはできる。事実とかじっさいの時間や場所や出来事ではないものが、ぼくが気がついていなかった、ぼくが所有するところのものを、ぼくに明らかにしてくれるからなのであった。ぼくは欲が深いのだろうか。おそらくめちゃくちゃ深いのだろうと思う。54才にもなって、まだ自分の知らない自分を知りたいと思うほどに。最終的に、ぼくは言葉を所有することはできないだろう。ぼくは、ぼくの詩を所有するほどには。しかし、それでいいのだ。言葉はそれほどに深く大きなものなのだ。少なくとも、ぼくは言葉によって所有されているだろう。ぼくの詩がぼくを所有しているほどには。いや、それ以上かな。すべてのはじまりの時間と場所と出来事がいつどこでなにであったのか、それはわからないけれど、ぼくがつぎに書こうとしている長篇詩『13の過去(仮題)』は、それを探す作業になるのだなとは思う。すべてのものごとにはじまりがあるとは限らないのだけれど。いや、やはり、すべてのものごとにははじまりがあるような気がする。それは一つの眼差し、一つの影、一つの声であったかもしれない。それを求めて、書くこと。書くことによって、ぼくは、ぼくを獲得しようと目論んでいるのだ。なぜこんなものを書いたのかと言うと、『Sudden Fiction』に収録されているジョン・ルルーの『欲望の分析』に、「私は愛している。でも私は愛に所有されてはいないのだ」(村上春樹訳)という言葉があって、「愛」を「言葉」にしてふと考えたのだった。


二〇一五年九月十七日 「セックスとキス」


セックスがじょうずだと言われるよりも、キスがじょうずだと言われるほうがうれしい。なぜだかわからないけど。


二〇一五年九月十八日 「正常位と後背位」


正常位にしろ、後背位にしろ、どちらにしたって、みっともない。だからこそ、おもしろいのだろうけど。


二〇一五年九月十九日 「動物園」


彼女と動物園に行った。彼女を檻のなかに放り込んだ。檻のなかは彼女たちでいっぱいだった。


二〇一五年九月二十日 「栞」


 聖書、イメージ・シンボル事典、ギリシア・ラテン引用語辭典、ビジュアル・ディクショナリーをのけて、府民広報のチラシにはさんでおいた彼女を取り出した。栞にしようと思って、重たい本の下に敷いていたのだった。ぺらぺらになった彼女は、栞のように薄くなっていた。本の隙間から彼女の指先が覗く。


二〇一五年九月二十一日 「写真」


 付き合ってた子たちの写真を捨てようと思って、ふと思いついて、ハサミとセロテープを用意した。顔のところをジョキジョキと切っていった。何人かの耳を切り取って一つの顔の横にセロテープで貼りつけた。いまいちおもしろくなかった。ひとつの顔から両眼を切り取って、別の顔のうえに貼りつけてみた。これはおもしろかった。めっちゃたれ目にしたり、つり目にしたりした。そのうちこれにも飽きて、いくつかの首を切り取って首長族みたいにしたりしてみた。こんなんだったら付き合ってないわなとか変なこと考えた。ぼくの恋人たちも、ぼくの写真で遊んだりしたのかな。


二〇一五年九月二十二日 「読んでいるときの自分」


 詩や小説で陶然となっているときには、自分ではないものが生成されているような気がする。詩集や本を手にもっているのは、ぼくではないぼくである。ぼくという純粋なものは存在しないとは思うのだけれど、あきらかに、その詩集や本を手にとるまえのぼくとは異なるぼくが存在しているのである。そういった生成変化を経てなお存続つづけるものがあるだろうか。自我はつねに変化を被る。おそらく存続しつづけるものなどは、なにひとつないであろう。おもしろい。むかし、ぼくは30才くらいで詩を書く才能は枯渇すると思っていた。老いたいまとなっては笑い草だ。こんど思潮社オンデマンドから出る『全行引用詩・五部作』上下巻も、来年出す予定の『詩の日めくり』も、齢老いたぼくが書いたものなのだ。上質の文学作品に接するかぎり、よい影響があるであろう。未読の本のなかにどれだけあるかわからないけど、がんばって読もう。


二〇一五年九月二十三日 「平凡な言葉」


 ジャック・マクデヴィッドの『探索者』を読み終わった。凡作だった。なんでこんな平凡なものが賞を獲ったのかわからない。ルーズリーフにメモするのも一言だけ。「恋っていうのはいつだってひと目惚れですよ」(金子浩訳)。これまた平凡な言葉だ。きょうからお風呂場で読むのは、フィリップ・クローデルの『ブロデックの報告書』にする。ひさびさに純文学である。絶滅収容所でユダヤ人の裏切り者だったユダヤ人の物語らしい。徹底的に暗い設定である。まあ、ダン・シモンズの『殺戮のチェスゲーム』もえげつなかったけれど、あれはファンンタジーだからねぇ。お風呂に入るまえに、先に読んでいるのだけれど、ユダヤ人を裏切ったというのじゃなくて、ドイツ人に犬のように扱われたから犬として過ごしたということらしい。名誉を重んじたユダヤ人は処刑されたらしい。絶滅収容所、なんちゅうところやろか。20世紀の話である。


二〇一五年九月二十四日 「さいきん流行ってること」


 さいきん言葉を飼うのが流行っているらしい。水槽に入れて飼っているひともいれば、鳥籠に入れて飼っているひともいる。ぼくも自分の頭のなかに飼うことにした。餌はじっさいの会話でもいいし、読んだ本でもいいし、たえず言葉をやることに尽きた。ぼくは新鮮な言葉をいつもやれるようにしてやってる。

 さいきん感情を飼うのが流行っているらしい。水槽に入れて飼っているひともいれば、鳥籠に入れて飼っているひともいる。ぼくも自分の心の中に飼うことにした。餌はじっさいの体験でもいいし、読んだ本からでもいいし、絶えず感情を喚起させること。ぼくは新鮮な感情をいつでも絶やさないようにしてる。

 さいきん知識を飼うのが流行っているらしい。水槽に入れて飼っているひともいれば、鳥籠に入れて飼っているひともいる。ぼくも自分の頭のなかに飼うことにした。餌はじっさいの会話からでもいいし、読んだ本からでもいい。たえず知識を増やすことに尽きた。ぼくは新鮮な知識をいつもやることにしてる。

 さいきん父親を飼うのが流行っているらしい。水槽に入れて飼っているひともいれば、鳥籠に入れて飼っているひともいる。ぼくも自分の思い出のなかに飼うことにした。餌はじっさいの思い出でもいいし、空想の思い出でもいいのだ。たえず思い出をやることに尽きた。ぼくは新鮮な思い出をいつもあげてる。

 さいきん水を飼うのが流行っているらしい。ふつうに水槽に入れて飼うひともいれば、鳥籠に入れて飼うひともいる。ぼくも頭のなかに水を飼うことにした。頭をゆらすと、たっぷんたぷん音がする。水の餌には水をやればいいだけだから、餌やりは簡単プーだ。ぼくもいつも新鮮な水を自分の頭にやっている。


二〇一五年九月二十五日 「読むことについての覚書」


 作品を読んで読み手が自分の思い出を想起させて作品と重ね合わせて読んでしまっていたり、作品とは異なる状況であるところの読み手の思い出に思いを馳せたりしているとき、読み手はいま読んでいる作品を読んでいるのではない。読み手は自分自身を読んでいるのである。


二〇一五年九月二十六日 「表現」


 言葉だけの存在ではないものを言葉だけで存在せしめるのが文学における技芸であり、それを表現という。


二〇一五年九月二十七日 「さいごの長篇詩について」


 きょうから、『アガサ・クリスティ自伝』上下巻を読む。今朝から読んでいる。上流階級の御嬢さんだったのだね。ぼくん家にも、お手伝いさんがいたのだけれど、クリスティー家には、ばあやのほかに料理人や使用人もいたのだった。ぼくは親に愛されなかったけれど、クリスティーの親は愛情があったみたい。ぼくは、ぼくのほんとのおばあちゃん子だった。うえの弟の乳母の名前はあーちゃんだった。したの弟の乳母は、ぼくは、中島のおばあちゃんと呼んでいた。親もそう呼んでいたと思うけれど、弟たちだけに乳母がいるのは、とても不公平な気がしたものだった。ふたりの乳母は同時期にやとってはいなかった。うえの弟の乳母のほうが、もちろん先で、下の弟が生まれたときにやめてもらって、新しいお手伝いのおばあさんになったのだった。どうしてうえの弟がなついていた乳母をやめさせて新しいお手伝いのおばあさんにしたのかはわからない。うえの弟は、なにかというと、ぼくをバカにしたので大嫌いだった。ぼくのほんとのおばあちゃんは、ぼくだけをかわいがったので、親は弟のために乳母をやとったのかもしれない。だからなのか、ぼくは、うえの弟の乳母のことも嫌いで顔も憶えていない。ただ、したの弟の乳母よりは太っていたような気がする。顔が丸みをおびた正方形だったかなとは思うのだけれど、記憶は定かではない。その目鼻立ちはまったく不明だ。いま、ぼくと弟とは縁が切れているので、弟の写っている写真が手元にはなく、写真では確認できないけれど。ぼくの新しい長篇詩『13の過去(仮題)』は、このような自伝を、引用のコラージュと織り交ぜてつくるつもりだ。現実のぼくの再想起だが、時系列的に述べるつもりはない。あっちこっちの時間を行き来するし、ぼくの過去の作品世界とも出入りするので、幻想小説的でもあり、SF小説的でもあり、ミステリー小説的でもある。『図書館の掟。』、『舞姫。』、『陽の埋葬』の設定世界のあいだに、現実世界の描写を切り貼りしていくのだ。いや、逆かもしれない。現実世界のなかに、それらの設定世界を切り貼りしていくのだ。また、それらの設定世界同士の相互侵入もある。まあ、もともと、ぼくは、ぼくが書いたものをぜんぶ一つの作品の一部分だと思ってきたから、自然とそうなるようなものをつくっていたのだろうけれど。引用だけで自伝をつくる試みも同時にしていくつもりだけれど、そのタイトルは、そのものずばり、『全行引用による自伝詩の試み。』である。『13の過去(仮題)』をつくりながら、楽しんでつくっていこうと思う。これらがぼくに残されたぼくの寿命でぼくが書き切れるぼくのさいごの長篇詩になると思う。10年以上かかるかもしれないけれど、がんばろう。


二〇一五年九月二十八日 「戦時生活」


 戦争がはじまって、もう一年以上になる。本土にはまだ攻撃はないけれど、もしかすると、すでに攻撃はされているのかもしれないけれど、情報統制されていて、ぼくたちにはわからないだけなのかもしれない。町内会の掲示板には、日本軍へ入隊しよう! などというポスターが何枚も貼られていた。というか、そんなポスターばかりである。第二次世界大戦のときには、町内会で防火訓練などが行われたらしい。こんどの戦争でも、そんな訓練をするのだろうか。そういえば、祖母が、国防婦人会とかいう腕章をつけた着物姿で何人もの女性たちといっしょに、写真に写っていた。当時の女性たちの顔は、どうしてあんなに平べったいのだろう。ならした土のように平らだ。鼻が小さくて低い。いまの女性たちの鼻よりも小さくて低いのだ。食べ物が違うからだろうか。そういえば、祖父は軍人で戦死したので、天皇陛下から賞状をいただいていた。まあ、戦争のことは、おいておこう。いまのところ、ぼくの生活にはほとんど影響がない。むかしの戦争では、一般市民が食べ物に困るようなことがあったらしい。それに資料によると、戦地では兵士たちがたくさん餓死したという。考えられないことだ。そんな状況なんて。現代の戦争では、兵士はべつに戦地に赴く必要はない。遠隔操作で闘っているからである。戦地では、ロボットたちが敵を殺戮しているのである。それには、ミリ単位以下のナノ・ロボットたちから、30メートル級の巨大ロボットまでが含まれる。ぼくの部屋にはテレビはないし、テレビ自体、もう30年以上も目にしていないのだけれど、チューブにアップされている映像や、ネットのニュースで見る限りでは、日本は負けていないようだ。もう一年以上も戦争がつづいているのだから勝っていると言えるとは思わない。読書に戻ろう。『アガサ・クリスティー自伝』上巻、半分くらい読んだ。メモするべきことはそれほどないのだが、驚くべき記憶力に驚かされている。それと、クリスティーが数学が好きだったこと、小説家になっていなければ数学者になっていただろうという記述があった。数学が好きで、また得意であったらしい。ミステリーの女王らしい記述であった。読書に戻るまえに、お昼ご飯を買いにセブンイレブンに行こう。さいきん、サラダとおにぎりばっかり買っている。このあいだ、ネットのニュースを見ると、平均的サラリーマンの昼食らしい。


二〇一五年九月二十九日 「二十八歳にもなつて」


 ブックオフでホイットリー・ストリーバーの『ウルフェン』を108円で買った。ストリーバーは、ぼくのなかでは一流作家ではないけれど、集めていたから、よかった。『ウルフェン』は意外に手に入りにくいものだった。ハヤカワ文庫のモダン・ホラー・コレクションの1冊である。きのう、『アガサ・クリスティー自伝』のルーズリーフ作業をしたあと、塾に行ったのだが、引用したページ数の484が気になっていたら、ふと、484が22の2乗、つまり22×22=484であることに気がついたのであった。でも、そのことはすぐに忘れてしまって、塾で授業をしていたのだった。ところで、けさ、学校に行くために通勤電車に乗っているときに、ふと、147ページとかよく引用するときに目にするページ数があるなあと思ったのであった。147という数字になにか意味はあるだろうかと思って、まずこれは3桁の数であるなと思ったのだった。1と4と7を並べると、3ずつ大きくなっているなと思ったのだが、それではおもしろくない。ふうむと思い、一の位の数と百の位の数を足して2で割ると、銃の位の数になるなと木がついたのであった。そういう数字を考えてメモ帳に書いていった。123、135、159、111。そして、これらの数がすべて3の倍数であることにも気がついたのであった。なぜ3の倍数になっているかといえば、と考えて証明もすぐに思いついたのであった。一の位の数を2m−1、百の位の数を2n−1とすると、十の位の数は(2m−1+2n−1)÷2=m+n−1となり、各位の数を足すと、2m−1+m+n−1+2n−1=3m+3n−3=3(m+n−1)=3×(自然数)=3の倍数となり、各位の数を足して3の倍数になっているので、もとの数は3の倍数であることがわかる。まあ、たった、これだけのことを地下鉄電車のなかで考えていたのだけれど、武田駅に着くと、なぜ147ページという具体的な数字が、ぼくの記憶に強く残っているのかは、わからなかった。いつか解明できる日がくるかもしれないけれど、あまり期待はしていない。数字といえば、きょう、『Sudden Fiction』を読んでいて、333ページに、「死体は五十四歳である。」(ジョー・デイヴィッド・ベラミー『ロスの死体』小川高義訳)という言葉に出合った。ぼくは54才である。そいえば、はじめて詩を書いたのが28才のときのことだったのだが、アポリネールの詩を読んでいたときのことだったかな。『月下の一群』を手に取って調べよう。あった。「やがて私も二十八歳/不満な暮しをしてゐる程に」(アポリネール『二十日鼠』堀口大學訳)これと、だれの詩だったか忘れたけれど、「二十八歳にもなって詩を書いているなんて、きみは恥ずかしいとは思わないかい?」みたいな詩句があって、その二つの詩句に、ぼくが28才のときに出合って、びっくりしたことがある。その二つの詩句は、どこかで引用したことがあるように記憶しているので、過去の作品を探れば出てくると思う。お風呂に入って、塾に行かなければならないので、いま調べられないけれど、帰ってきたら、過去に自分が書いたものを見直してみよう。あまりにも膨大な量の作品を書いているので、きょうじゅうに見つからないかもしれないけれど。

 塾から帰った。疲れた。きょう探すのはあきらめた。クスリのんで寝る。あ、333も、一の位の数の奇数と百の位の数の奇数の和を2で割った値が十の位の数になっているもののひとつだった。111、333、555、777、999ね。

すでに二十八歳になった僕は、まだ誰にも知られていないのだ。
(リルケ『マルテの手記』第一部、大山定一訳)

二十八歳にもなつて、詩人だなんて云ふことは
樂しいことだと、讀者よ、君は思ふかい?
(フランシス・ジャム『聞け』堀口大學訳)

やがて私も二十八歳
不満な暮しをしてゐる程に。
(アポリネール『二十日鼠』堀口大學訳)


二〇一五年九月三十日 「吉田くん」


 吉田くんは、きょうは、午前5時40分に東から頭をのぞかせてた。午後6時15分に西に沈むことになっている。

 吉田くんが治めていたころの邪馬台国では、年100頭の犬を徴税していたという。そのため、吉田くんが治めていた時期の宮殿は犬の鳴き声と糞尿に満ちていたらしい。犬のいなくなった村落では、犬がいなくなったので、子どもたちを犬のかわりに飼っていたという。なぜか、しじゅう手足が欠けたらしい。

 吉田くんは太く見えるときは太く見えるし、細く見えるときは細く見える。広口瓶に入れると、太く見える。細口瓶に入れると細く見える。いずれにせよ、肝心なのは、ひとまず瓶の中に入れることである。

 吉田くんは空気より軽いので、吉田くんを集めるときは、上方置換法がよい。純粋な吉田くんを集めようとして、水上置換法で集めることはよくない。吉田くんは水によく溶ける性質をもっているので、水上置換法で集めることは困難だからである。

 1個のさいころを投げる試行において、偶数の目が出る事象をA、6の約数の目が出る事象をBとする。事象A∩Bが起こったときは吉田くんの脇をくすぐって笑わせ、事象A∪Bが起こったときは吉田くんの足の裏をくすぐって笑わせるとする。このとき、吉田くんがくすぐられても笑わない確率を求めよ。

 吉田くんを切断するときは、水中で肩から腹にかけて斜めに切断すると、水に触れる断面積が大きくなるのでよい。水中で切断するのは、空気中では出血した水が飛び散るからである。切断面から水を吸収した吉田くんは、すぐさま元気を取り戻して生き生きとした美しい花をたくさん咲かせていくはずである。

 吉田くんは立方体で、上下の面に2本ずつの手がついており、4つの側面に2本ずつの足がついている。顔は各頂点8つに目と鼻と耳と口が対角線上に1組ずつついている。吉田くんを地面に叩きつけると、ポキポキと気持ちのよい音を立てて、よく折れる。


二〇一五年九月三十一日 「ナボコフ全短篇」


 チャールズ・ジョンソンの『映画商売』という作品が『Sudden Fiction』に入っていて、それなりにおもしろかったのだけれど、最後のページに、「論理学では必要にして充分とかというのだろうが」(小川高義訳)というところが出てきて、びっくり。高校の数学で出てくる「論理と証明」で、「必要」と「十分」という言葉を習ったと思うのだけれども、「十分」であって、「充分」ではないし、それにそもそも、「十分」と「充分」では意味が異なるのに、この翻訳者には、高校程度の数学の知識もないらしい。翻訳を読む読者にとって、とても不幸なことに思う。

 きょうは、お昼に、ジュンク堂に行った。コンプリートにコレクトしてる3人の作家の新刊を買った。イーガンの『ゼンデキ』、R・C・ウィルスンの『楽園炎上』、ブライアン・オールディスの『寄港地のない船』。それと、持っている本の表紙が傷んでいるので、池内紀訳『ファウスト』第一部を買い直した。

大気の恋。偶然機械。

 ナボコフの『全短篇集』を読む。獣が自分のねぐらを自分で見つけなければならないように、人間も自分の居場所を自分で見つけなければならない。そもそも、人間は自分が歓迎される場所にいるべきだし、歓迎してくれた場所には敬意を払い感謝すべきものなのである。敬意と感謝の念を湧き起こせないような場所には近寄る必要もないのだ。この言葉は、「さあ、行きなよ、兄弟、自分の茂みを見つけるんだ」(ナボコフ『森の精』沼野充義訳)を読んで思いついたもの。まあ、ふだんから思っていることを、ナボコフの言葉をヒントにして言葉にしてみただけだけど。まだ短篇、ひとつ目。十分に読み応えがある。

世界とは、別々のところに咲いた、ただ一つの花である。

これは、「もはや、樹から花が落ちることもない、」(ナボコフ『言葉』秋草俊一郎訳)を目にして、「花はない。」を前につけて、全行引用詩に使えるなと思ったあとで、ふと思いついた言葉。ちょっとすわりがわるいけれど、まあ、そんなにわるい言葉じゃないかな。

「その湿り気のある甘美な香りは、私が人生で味わったすべての快きものを思い出させた。」(ナボコフ『言葉』秋草俊一郎訳)なんだろう、このプルーストっぽい一文は。初期のナボコフの短篇は修飾語が過多で、ユーモアにも欠けるところがあるようだ。直線的な内容なのにやたらと修飾語がつくのである。偉大な作家の習作時代ということかもしれない。世界的な作家にも、習作時代があるということを知るためだけでも読む価値はあるとは思うけれど、なんで、文系の詩人や作家のものは修飾語が多いのだろうかと、ふと思った。ぼくの作品なんか、構造だけしかないものだ。

 天使の顔の描写に、「唯一の奇跡的な顔に、私がかつて愛した顔すべての曲線と輝きと魅力が結晶したかのようだった。」(ナボコフ『言葉』秋草俊一郎訳)というのがあって、ここは、ヘッセの『シッダールタ』のさいごの場面からとってきたのだなと思われた。偉大な作家も、習作時代は、他の詩人や作家の影響がもろに出るのだなと思われた。ホフマンスタールを読んでいるかのような気がした。ナボコフはドイツ文学が好きだったのかな。いま読んだ2篇とも、描写に同性愛的な傾向が見られるのも、そのせいかもしれない。ホフマンスタールがゲイだったかどうかは知らない。ただホフマンスタールの書くものがゲイ・テイストにあふれているような気がするだけだけれど。まあ、ドイツ系の作家って、ゲーテみたいに、バイセクシャルっぽい詩人や作家もいる。ゲオルゲはたしかゲイだったかな。まあ、そんなことは、どうでもよいか。

 3篇目の『ロシア語、話します』は完全にナボコフだった。さいしょの2篇は『全短篇集』から外した方がよかったと思われるくらい、出来がよくなかったものね。でも、まあ、ナボコフ好きには、あまり気にならないのかもしれない。ぼくはナボコフの作品を大方集めたけれど、途中で読むのをやめたのが2冊、売りとばしたのが2冊、未読のものが多数といった状態で、この『全短篇集』は、気まぐれで読んでいるだけである。『プニン』『青白い炎』『ロリータ』『ベンドシニスター』『賜物』はおもしろかった。そいえば、書簡集の下も途中で読むのをやめたのだった。

 ナボコフの4つ目の短篇『響き』(沼野充義訳)もナボコフ的ではあったが、習作+Aレベルだった。雰囲気はよいのだが、おそらく、このレトリックを使いたいがために、この描写を入れたのだなあ、と思わせられるところが数か所あって、そこでゲンナリさせられたのだった。作品のたたずまいはよかった。しかし、この作品で用いられたレトリックには、思わずルーズリーフ作業をさせるほどのものがあった。自分を森羅万象の写しとしてとらえる感覚と、瞬間の晶出に関する描写である。どちらも、ぼくも常々感得していることなので、はっきりと言葉にされると、うれしい。ルーズリーフ、いま3枚目、いったいどれだけのレトリックを短篇に注ぎ込んでるんじゃとナボコフに言いたい。ぼくが自分の作品に生かすときにどう使うかがポイントやね。ぼくのなかに吸収して消化させて、ぼくの血肉としなければならない。まあ、ルーズリーフに書き写しているときにそうなってるけど。というか、書いて忘れること。書いて自分のなかに吸収して、自分の思想のなか、知識の体系のなかの一部にしちゃって、読んだことすら忘れている状態になればよいのである。100枚以上も書き写してひと言すら覚えていないジェイムズ・メリルもそうして吸収したのだ。

 ナボコフの『全短篇集』の4篇目『響き』、習作+Aって思ってたけれど、ルーズリーフを6枚も書き写してみると、習作ではなかったような気がしてきた。佳作と傑作のあいだかな。佳作ではあると思う。傑作といえば、長篇と比較してのことだから、短篇は『ナボコフの1ダース』でしか知らないので、まだよくわからない状態かもしれない。

 5つ目の短篇『神々』で、またナボコフの悪い癖が出ている。使いたいレトリックのためだけに描写している。見るべきところはそのレトリックのみという作品。そのレトリックを除けば、くだらないまでに意味のない作品。木を人間に模している部分のことを言っているのだが、とってつけた感じが否めない。

 6つ目の短篇『翼の一撃』を読んだ。中途半端な幻想性が眠気を催させた。横になって読んでいたので、じっさいに何度か眠ってしまった。ナボコフはもっと直截的な物語のほうがいいような気がする。読んだ限りだが、幻想小説を長篇小説で書かないでおいたのは、正解だったのだろうな。退屈な作品だった。

 まだまだ短篇はたくさんあるのだけれど、きょうは、もう疲れた。クスリをのんで寝る。寝るまえの読書は、R・C・ウィルスンの『楽園炎上』にしよう。ジャック・ヴァンスも、ジーン・ウルフも、オールディスも、今秋中には読みたい。

文学極道

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