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作品 - 20160111_152_8559p

  • [優]  図形 - Migikata  (2016-01)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


図形

  Migikata

 飛び散らかる腸を腹の裂け目から戻そうとして、かき集めていた人のこと。
 その人のことを戦争体験者の手記で読んだ。それが忘れられないまま、十数年を過ごした。
 今日は十月二十七日。何の日でもない。広大な時空間に穿たれた任意の一点としての十月二十七日、ここ。起伏のない平野の町、町のホームセンターの駐車場のはずれ。大看板の下、セールの幟の列の横。空を仰ぐと、遠い山脈の裾を下り、雨雲が低く、なお低く近づいてくる。早い。
 タンスの抽斗から溢れるシャツのために、収納ボックスを買いに来た。買わなければ。そうするつもりで大きく開口した店の入り口、ガラス扉へ向けて歩いている。

 そのとき雷光が雲の一角で静かに光を放ち、天上と地上のあり得べからざるものが唐突に照らし出されたのだった。ここの総ては、つまり、あり得べからざるもの。

 湿気た空気の塊が肩を並べて両脇に立つ。視界の中を、ごく小さな蟻の列が、奇妙なほどにゆっくり、通り過ぎようとしている。そして草。アスファルトの裂け目の草。こぼれ出た小石。
 視界を百台ほどの車が取り巻いており、人の気配が何もない。あらゆるものが何かの予兆であるにも関わらず、この先何も起こらないことはわかっている。
 
 すべてはもう起こってしまった。

 今ここは、そのはるか後の時間に位置している。列を作るごく小さな蟻よりも、さらに小さなキューブで構成された、密度の薄い世界が遠くまで広がっている。

 行かなければ。ホームセンターではない場所へ行く。
 だが。
 引き戻されるのだ。世の人は皆、戦場へと。あの、腸をかき集めていた臨終のときに。
 夢でいい、平穏な生活に身を置きたい。そう思った死に際に見せられた今という夢。夢のこの日に、やがて目覚めの時がやって来るだろう。

 その時。のたうち回る戦死者を、つまり我々の最期を、見届ける者がいる。両目が大きく開いている。硝煙にむせながら、メモ帳を取り出す。何かの言語を記す。何かの絵も書き添えるか知れない。

 簡単で不正確な線描だ。

 メモ帳は泥と手垢にまみれている。別の何かに変質している。彼はそれを上着のポケットにねじ込む。やがて歩き始める。
 時間とモノが織りなす非連続的な階調の変化。「歩く」とは彼にとって、そこをあてどもなく漂流することだ。彼は湿気た空気の塊として認識される。だが、漂着したところに、ひとつの次元が創設され、そこにひとつの手記が残されるはずだ。

 彼は我々とは違う。薄い布団にくるまり、夜の寒さを凌ぎながら、退屈な手順でさして快感も伴わぬセックスをし、愛憎の絡み合った子を成し、愛憎の絡み合った育児を成し遂げ、財産を譲って死ぬ。それが彼の為すべきことだ。

 世界は大きく変わる。

 発光からしばらく遅れ、駐車場に雷鳴が轟く。車と車の間に、無数の空気の塊が立ち上がり、ゆらゆらと揺れ始める。
 雷鳴と重なり聞こえにくかったが、合成音声のような声が、
「わたくしたちはみな不死身です」
とアナウンスしていた。そんなことはわかっている。不死身とは、一瞬を永遠として捉える特殊能力に過ぎない。

 頭が痛い。裂けた腹が猛烈に痛い。喉を吹きこぼれる血塊が塞ぎ、悲鳴が上がらない。呼吸も出来ない。何も考えられず目を剥く。黄色く変色した空、牛丼の「すき屋」の建物のやや左。そこに、ひとつだけ赤い星が灯る。

 星の形が不等辺七角形だ。

文学極道

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